1 呪われた皇女
初投稿になります。拙い文が多いですが、そこは気にせず読んで頂けると幸いです。
「龍の鳴き声聞く時は、優しい声して襲われる。虎の鳴き声聞く時は、すぐ襲われる気をつけろ。鳥の鳴き声聞く時は、お祭り騒ぎ要注意。亀蛇の声聞く時は、とにかく逃げろ分かったな」
――グラデリア歴・3052年、4月。
和と洋の混沌とした世界の今。
グラデリア大陸西の大国・煌華。若き皇帝が統べる煌華国は、長年グラデリア大陸を支配していた古代国家である。しかしその勢力は、皇帝や皇族が病で倒れると共に衰退し、今や領土は3分の2までに減ってしまった。しかし、それでも煌華国は、未だグラデリア大陸の最強国家と呼ばれている。
その日の皇宮――朱里城は、いつもよりややそわそわしていた。
皇女の住まう風璃殿の前に、たくさんの人だかりが出来ている。官吏や女官が多くいるが、中には国の政に関わる、身分の高い者もいた。
するとそこへ、黒い布がかかった大きな鎌を持ち、傍に二人の護衛を連れた、まだ年若い少年がやって来た。彼は風璃殿の前まで来ると、近くにいた官吏に何事かと問う。
「また皇女殿下に再発の兆しがとのことで」
再発……少年はその言葉を反芻すると、自分が病にかかったわけでもないのに、中から人が出てくるまで辛抱強く待っていた。
それから数分が経ち、ようやく女医が風璃殿から姿を現した。
「皇女殿下は? 無事なのか」
そう少年が聞くと、女医は少し複雑そうな顔をして、
「幸い大事には至りませんでしたが、やはり皇女殿下の魂は未だに……」
と答えた。
「そうか」
すると、中からかすかに、ゴホゴホと咳き込む声がする。少年はそれが皇女のものだと分かると、失礼を承知で風璃殿に飛び込んでいった。女官が入ってはなりませんと声を荒らげたものの、それも無視して皇女のいる私室の戸を開けた。
「紫苑様!」
部屋の真ん中には布団が敷かれ、その上に少女が横たわっている。傍には彼女のお付き女官の林麗がいた。
「耀覇様、なぜここに……」
林麗が驚いた顔をするのも無理はない。少年――耀覇は、皇女の幼馴染みといえど、彼は男なのであり、普段皇女の寝泊まりする部屋に足を踏み入れてはならないのである。
しかし耀覇は、そんなことを考えてもいなかったというふうに、皇女に近寄りその額に手を当てた。
まだほんのりと温かい。
「紫苑様の容体は?」
「はい。先ほど投薬されましたので、ぐっすり眠っておられます。まだ目を覚まされるのには時間がかかるかと」
「そうか」
耀覇の慌てた様子を察し、林麗は笑みを浮かべて口を開く。
「まさか耀覇様、皇女殿下を心配しておられるのですか?」
途端に耀覇は顔を真っ赤にし、林麗を睨みながら言った。
「心配するわけないだろ。たまたま再発したと聞いて、駆けつけただけだ」
「そうなのですか? 素直に心配だと言えばよろしいのに。見栄を張らなくてもよろしいのですよ」
「見栄なんか張ってない! 紫苑様は俺が診てるから、下がっていいぞ」
クスリと笑って下がっていく林麗をねめつけながら、耀覇は再び皇女に視線を向ける。
彼女の白い肌は、少々赤く火照っている。突然現れた他の自分……名はまだ聞いたことがないが男のように思え、彼はまだ他人に本性を見せたことがない。
まあいわゆる『二重人格』というやつだ。
しかし彼女の場合、彼は気性が荒く様々な〝顔〟を持っているので、二重人格というより多重人格に近いと女医に診断されたのだ。
自分の身体を名も知らない他人に乗っ取られて、その度に痛みや苦しみを味わう彼女は、誰よりも可哀想で不幸だと、耀覇は思っていた。むしろそれが彼女であるからこそ、耀覇は心配でたまらなかった。
「どうしてよりによって、紫苑様なんだよ……」
普段は明るく気遣いの出来る優しい皇女だ。それが時に態度が荒々しくなり、物を壊したり他人を傷つけたりする。それは皇女として恥じるべき行為であり、皇宮に波乱を巻き起こす一大事なのである。
そんな彼女を見ていると、胸が締め付けられるみたいで苦しかった。
耀覇が顔を背けて鼻をすすっていると、不意に自分の手に違う体温が伝わった。
「耀、覇……」
皇女の声だった。すぐに顔を拭いてそちらを向くと、皇女がこちらに手を伸ばしていた。耀覇はその手を取り彼女に顔を近付ける。
「紫苑様、体調はどうですか。痛いところは?」
「……どこも痛くないよ。ずっとそこにいたの?」
「いや、あの、ええ、まあ……」
瞬間、彼女のもう片方の手が自分の髪に触れて、身体が震えた。心臓の音が、先ほどよりも大きく感じる。
「わたし、耀覇の髪の毛好きだよ。今どき翠が混ざった黒髪なんて滅多にないし、キラキラしてて素敵だもの」
ドクンと心臓が脈打った。自分の髪を綺麗だと言われたのは初めてだ。
「あの、紫苑様」
「ん?」
「そういうことをさらっと言うのはやめてください……」
「あら、気に触った?」
「いや、そうじゃなくて……」
どう言ったらいいのか焦った。変な言い方をして彼女に誤解されるのも嫌だし、だからといってすぐにいい言葉が出てくるわけでもない。
しかし、そうやってドキドキしていたのも束の間、皇女がうっと呻き声を上げた。胸元を押さえて苦しむ皇女を見、耀覇は驚いて皇女の名を呼ぶ。耀覇の叫び声を聞きつけたのか、外に控えていた女官らが部屋に入り、皇女の容体を確認する。顔からは汗が噴き出していて、拭いても拭いてもとまらなかった。
「耀覇様、あとは私たちでなんとかするので、部屋から出て行ってくださいませんか」
桶を持った林麗が、まるでさっきの仕返しだというように耀覇をねめつけ、顎で戸を指す。心配しながらも仕方なく部屋を出て行こうとした――その時であった。
『待て……ソンファを返せ……』
まだ若い少年の、怒気の混じった声がした。しかしこの場には、耀覇以外に女官しかいない……。
『そこの男……ソンファを返せ!』
皇女のほうを振り返った瞬間、首に腕が巻き付いた。爪をグッと立てられ、肉に食い込む。
「なっ……!」
首を絞めていたのは、紛れもなく先程まで苦しんでいたはずの皇女だった。その目は真っ赤に染まっていて、殺意が漲っているのが分かる。
途端に耀覇は悟った。
これは――皇女ではない。
もう一つの人格……それが、皇女の身体を乗っ取ったのだ。
「皇女殿下! その手をお離しください!」
女官たちが力の限り叫び、力の限り彼女の身体を押さえる。しかしそれでも、彼女の怒りは収まることなく、大きな呻き声を上げる。
『離せ! 僕は今から此奴を殺す! ソンファを奪った此奴を殺す!』
今度は、耀覇の首から手を離したと思うと、近くの盆の上にあった皿を割り、その破片を手に掴みかかってくる。
……相手の両目から、真っ赤な血が垂れた。
目は未だ殺意で漲っていたが、首を持つ手と破片を持つ手。その両手は、小刻みに震えていた。
殺意と震え。この二つが意味するものは。
――迷い。
『……ソンファを返せ!!』
そう叫んで手元が緩んだ瞬間に、耀覇はその手に噛み付いてするりと抜けると、皇女の背後に回って首に肘で打撃を与えた。皇女はうっと声を漏らしてその場に倒れる。その寸前で、耀覇は皇女の身体に腕を回し支えた。
「皇女殿下!」
女官らが彼女を布団に寝かせ、一人はまた女医を呼びに、また数人は介抱を始めた。耀覇は部屋から出て行くと、供は連れずに一人で宮中から姿を消す。
そしてそのあとに残ったものは、宮中の混乱と血眼の皇女だけだった。