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ロンディニウム条約

……………………


 ──ロンディニウム条約



 アルビオン王国王都ロンディニウム。


 エステライヒ共和国とルーシニア帝国の植民地戦争の仲介を買って出たのは、この戦争においては中立の立場──表向きは──である王国だった。


 王国は今回の戦争で共和国と帝国が酷く損耗し、帝国が中央アジアからかけている圧力や、自分たちの植民地を脅かす共和国の勢力が減少すれば望ましいと思っていたものの、植民地戦争がエスカレートして世界大戦になるのは望ましくなかった。


 故に彼らは今回の戦争の和平仲介を買って出た。これで共和国と帝国の危険な戦争を終わらせるのだとして。


「我々はメディアの優先的開発権を求めます」


 和平会議の場でそう告げるのは南方植民地総督でも、共和国の全権大使でもなく、パトリシアだ。彼女はこの和平会議に参加を求められ、緊張で胃を痛くしながらも、自分たちが求める要求を帝国の全権大使に向けて告げた。


「それは承知しかねる。メディアは我々の生命線。ここに他国の侵入を許すというのは、帝国が衰退する恐れもある。そのようなリスクは冒せない」


 帝国の全権大使は、パトリシアの要求を跳ね除けた。


「ならば、共和国植民地軍はアーバーダーンの占領を継続します。このことはそちらにとって非常に不利益なこととなるかと思いますが」


 パトリシアはそう告げて小さく微笑んだ。その微笑みに帝国の全権大使の表情が僅かに強張るのが分かった。


 アーバーダーンは帝国がようやく獲得し、整備した不凍港であり、帝国海軍バーラト海艦隊の母港だ。ここを占領されているという事実は、帝国が望む南方への拡大への道が断たれたことを意味する。


「いいではないか。共和国はメディアを占領しようというわけではない。開発を行いたいというだけじゃ。我々の貧相な植民地への投資だけでは広大なメディアのインフラを整えることもままならない。ここで外国の資本を投入するのを悪い考えではないと思うぞ?」


 そう告げるのは帝国の全権大使に同行しているエカチェリーナだ。


 彼女は強引にこの交渉に割り込んだ。枢密院のセルゲイ・ストロガノフ侯爵などは反対したが、現状共和国との関係が良好なのはエカチェリーナだ。彼女が交渉に加わらなければ、共和国は更に過剰な要求を突き付けてくる恐れがあり、渋々と仕方なく皇帝アレクサンドル4世と枢密院もエカチェリーナが外交交渉に加わることを追認した。


「だからと言って、メディアに外国の手を入れるというのは考えられない。優先的開発権というのは、事実上メディアを共和国の手に渡すようなものだ。そのようなものを承認するなどありえない」


 全権大使はエカチェリーナの言葉があっても、共和国の主張を断固拒否する形で交渉を続ける意志を示した。


「でしたら、共同開発権はどうでしょうか。我々はそちらの法に従い、そちらのメディアにおける主権を侵害することなく経済交流だけを実施するのです。もちろん、共和国植民地軍が出てくることはありません」


 そして、そんな全権大使の態度にパトリシアがそう告げる。


 彼女の本命はメディアの共同開発権の獲得だ。先に優先的開発権を持ち出したのは、共和国側が譲歩してみせたということを示すためであり、そのことによって帝国にも譲歩を迫ろうという交渉術だ。


「共同開発権か。共和国の企業は本当にこちらの法に従うと?」

「もちろんです、大使閣下。我々は帝国の主権を尊重しています。それを害することはありません」


 帝国の全権大使が確認するのに、パトリシアは僅かに強張った様子でそう返した。


 実際は開発を行う企業──ロートシルト財閥が大人しく帝国の法に従うかどうかは不明だった。レナーテは帝国の専制君主体制を忌み嫌っており、帝国に少なくない嫌悪感を抱いている。そんな彼女が帝国の法に従って、メディアを帝国とともに開発するかどうかは始めてみないことには分からない。


「パトリシア嬢の言うことは信じていいじゃろうて。彼女とキンスキー中佐には命を救われた。そんな彼らが帝国にとって圧倒的に不利益な条件を突き付けるとは考え難い。そんな要求を突き付けるつもりならば、あのカップ・ホッフヌングの街で妾に消えてもらっていたはずじゃからの」


 エカチェリーナはパトリシアの言葉に対してそのように告げ、パトリシアにニッと笑って返した。


 これが共和国がまだ若いパトリシアを共和国の全権大使に同行させた理由だ。パトリシアには帝国内の共和国派を束ねるエカチェリーナとの交流がある。戦争をこれ以上の流血なしに終わらせるにはエカチェリーナの力が必要だったのだから。


「ご理解いただき感謝します、殿下。我々としてもこれ以上の流血は望んでいません。この戦争ではあまりに多くの犠牲者が出ています。一刻も早く戦争を終わらせることが、両国のためになるでしょう」

「だが、損害被ったのは我々だ。我々は戦艦を沈められ、アーバーダーンを廃墟に変えられた。これですごすごと共和国の言いなりになることは皇帝陛下もお認めにならないだろう」


 パトリシアがあくまで落ち着いた口調で告げるのに、帝国の全権大使がそう返す。


「損害なら我々も被っています。そちらのサウード侵攻でサウードは荒れ果てました。復興には数年かかるでしょう。それにアーバーダーン要塞を落とすのには1万人以上の死傷者がでているのです」


 パトリシアは帝国の全権大使にそう言い返す。


 共和国は勝利していると言っていいが、その過程で甚大な損害を出している。サウード侵攻ではサウードの守備部隊の少なくない数が殺され、その後のアーバーダーン要塞攻略戦での損害は言わずもがな。


「どちらがやられたか言い合ってもしょうがあるまいて。現状、我々帝国はようやく獲得した不凍港アーバーダーンを占領され、バーラト海艦隊は撃滅された。そして、共和国植民地軍にはその気になればメディア全土を占領できる戦力がある」


 エカチェリーナはそのように告げた。


 エカチェリーナの言う通りにメディアにおいて帝国にとっての要衝であるアーバーダーンは陥落した。そして、メディアに展開する共和国植民地軍は、やろうと思えばメディア全土を征服することができる規模がある。


 もっとも帝国植民地軍も黙ってメディアが占領されるのを見てはいないだろう。今は市民協力局のノーマンが扇動した植民地人の反乱で動きが鈍っているが、所詮蜂起しているのは植民地人だ。正規軍がその気になれば殲滅できる。


 だが、その前にメディアが占領され、既成事実が作られれば、帝国は自由に南方に進出できる拠点を完全に喪失し、メディアに多く眠るエーテリウム鉱山も失うことになってしまう。そうなっては帝国にとって大損害だ。


「……事情は理解できました。では、メディアの共同開発権を認めましょう。ただし、開発を行う企業はあくまで帝国の法律に従ってもらいますぞ」

「その法律に関してですが、帝国がメディアで活動する共和国の企業の行動を妨害しないという保証をいただきたいです」


 帝国の全権大使が渋々と認めるのに、パトリシアがそう告げた。


 帝国の法に従うとしても、その法が意図的に共和国の企業にとって不利益なものとして成立される可能性はあった。そうならないためにも、パトリシアは帝国の全権大使に共和国の企業がその活動を妨害されない保証を求めた。


「いいでしょう。だが、メディアがあくまで我々の土地だということを理解しておいていただきたい。メディアを獲得したのは我々帝国だ。我々は血を流して、あの土地を獲得し、これまでインフラを整えてきたのだ」


 帝国の全権大使はそのように告げ、エカチェリーナに僅かに視線を向ける。エカチェリーナは黙って帝国の全権大使の言葉を聞いている。だが、その表情は僅かに不満そうであった。彼女としては要らぬプライドを誇示して、和平の努力を水泡に帰すような真似はしたくないのだろう。


「では、そのメディアが更に発展し、共和国と帝国の両国が輝かしく繁栄するべく協定を結びましょう。それが両国の友好の懸け橋となるでしょう。私たちは不幸にも衝突しましたが、本来は手と手を取り合って発展するべきなのです」


 帝国の全権大使の言葉に、パトリシアはそう告げて返した。


 この和平交渉を成功させたいのはパトリシアとて同じだ。ここでいい加減に戦争を終わらせなければ、共和国植民地軍の犠牲者は増え続けるし、最悪の場合は世界大戦が勃発する恐れすらあった。


「結構じゃな。この協定を切っ掛けに帝国と共和国が手を結ぶことを祈る限りじゃ。今回の戦争のことは水に流し、新しい関係を構築できれば僥倖じゃ。それこそが両国にとっての最良の道じゃろう」


 パトリシアが告げた言葉にエカチェリーナは満足そうに頷き、小さくパチパチと拍手を送った。


「ええ。メディアの共同開発において両国が協力すれば、両国間に新しく、親密な関係が構築されるでしょう。そうなることが望ましいことです」


 エカチェリーナの反応に、パトリシアが手応えを感じる。


「で、どうするのじゃ。協定を結ぶのか、結ばないのか?」


 そして、エカチェリーナが帝国の全権大使に視線を向けた。


「結ばざるを得ないでしょう。我々はあまりに犠牲を出し過ぎている。ここで和平しなければ、更なる損害を被ることになる。そうなっては、帝国植民地軍が今も戦闘を繰り広げている中央アジアの戦線すらも崩壊する恐れがあるのですから」


 帝国の全権大使は小さく溜息を吐くとそう告げた。


 帝国は海軍が戦艦8隻が撃沈され、1隻が拿捕された。帝国植民地軍はサウードに侵攻した9個師団が戦闘能力を失い、アーバーダーン要塞に立て籠もっていた2個師団も甚大な被害を出し、降伏した。


 帝国植民地軍の戦力は、王国の東方植民地──インドに相当するバーラトを巡って中央アジアで争っていた歴戦の戦力だ。そんな戦力が失われたということは、帝国が王国との植民地戦争で不利になることを意味している。


「では、協定を取り纏めましょう。我々の将来のために」


 パトリシアはそう告げ、ついに講和条約の締結が始まった。


 共和国植民地軍と帝国植民地軍は直ちに停戦し、共和国植民地軍はメディアの占領を解いてサウードに撤退する。その後、サウードとメディアの間に非武装地帯を設置し、両国の植民地軍はその設置に協力すること。


 そして、共和国と帝国はメディアの共同開発を実施する。共和国の企業は現在の帝国の法律に従って活動し、帝国は不当な手段で共和国企業の活動を妨害することがあってはならない。この協定は2年おきに見直される。


 この条約に帝国の全権大使と共和国の全権大使が調印し、ついにジャザーイル事件から始まった一連の戦争は終結した。


 再び世界は束の間の平和に浸る。


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