共和国本国政府(2)
……………………
「大統領閣下はどのようにして、ジャザーイルに始まり、メディアにまで波及した戦争を終わらせるつもりか、お聞かせ願えるでしょうか」
「戦争の終結、ですかね」
レナーテが問うのに、大統領が煙草を小さく吹かす。
「穏便な形で終結させるべきだと考えています。できれば、後に遺恨を残さないように白紙和平が望ましい。メディアにおいてアーバーダーンを落とせばそれが可能になるでしょう」
大統領はレナーテの問いに対してそう返した。
「アーバーダーンを落として、白紙和平ですか。そこまでやって白紙和平というのはあまりに帝国にとって優位なことですわ。それでは共和国市民は納得しないでしょう。帝国が戦艦を持ち出して我々を脅し、その戦艦が撃沈されるとサウードを脅かしたというのにそれでは納得しませんわ。私も帝国には一度鉄槌を下す必要があると考えているのですから」
レナーテは小さく首を横に振るとそう告げた。
「だが、帝国との外交関係をこれ以上悪化させるわけにはいかないのです。我々は帝国を将来の同盟国としたい。そのためには帝国に幾分か配慮する必要があるというものです」
レナーテに対して外務大臣がそのように告げる。
「帝国を同盟国に? あのツァーリズムなどという反動的な政治を行っている国家を、我々共和国の同盟国にすると仰るのですか? 本当にそのようなことが可能であると?」
外務大臣の言葉にレナーテが呆れたように溜息を漏らしてそう告げる。
「帝国を同盟国にするなど論外ですわ。そのようなことは我々共和国を成立させた先達たちが納得せず、民衆も納得しません。帝国を同盟国にするぐらいなら、我々は名誉ある孤立を選んだ方がマシですわ」
レナーテは帝国の専制君主政治を酷く嫌っている。彼女が総帥を務めるロートシルト財閥は30年前の革命戦争の際にも、帝国において共和革命を起こそうとして、帝国内部の共和主義者たちを支援したという経歴があり、そのことはレナーテにも引き継がれているのだ。
「共和国市民は今の共和国を誇りに思っていますわ。そして、共和国が崇高な共和革命の理念を引き継ぎ、偉大な共和国を維持することを望んでいます。帝国などと同盟しては、それは台無しになるでしょう」
レナーテは本心からか、それとも演技か、そのように告げる。
「……共和国市民は帝国との同盟に反発すると?」
「ええ。現状ではそうです。今は帝国を同盟者として出迎える準備はできていません。帝国と共和国の間には深い政治的な溝があり、帝国が戦艦を持ち出して我々を恫喝してくるのでは」
大統領が暫しの沈黙の末に尋ねるのに、レナーテはそう告げて返した。
「世論は確かに帝国との同盟に反発するでしょう。アナトリア戦争での件で帝国への世論は比較的良好になりましたが、今回の件で帝国への感触は最悪のものになった。この状況で帝国との同盟を掲げれば、世論は猛反発するはずです」
そして、これまで沈黙していた大蔵大臣が彼の意見を述べる。
実際に新聞社が実施した世論調査では、民衆の帝国への心情は過去最悪のものになっている。帝国が戦艦を持ち出すという行為に及んだことが、共和国市民の感情を逆なでしていた。
「で、ですが、我々には同盟国が必要でしょう。そうでなければいつ勃発するか分からない世界大戦において、二正面作戦を強いられる。我々とて列強2ヶ国を敵に回して勝てるほどの余裕はないのですよ」
帝国との同盟を模索する外務大臣は、些か焦った様子でそう告げた。
「それでも世論が納得しないのに、勝手に同盟を結ぶわけにもいかないだろう。我々は共和国市民を代表する政府であり、共和国市民の意見を汲まなくてはならない。我々は帝国の皇帝ではないのだから」
続いて陸軍大臣がそのように告げる。
「確かにその通りだ。共和国市民が納得していないのに、我々だけが先走って同盟を結ぶわけにはいかないだろう」
「大統領閣下。ですが……」
そして、大統領が意見を翻すのに、外務大臣が唖然とする。
今の大統領はハッキリとした自分の意見を持たず、他者の意見に流されやすい人物である。彼はレナーテと大蔵大臣、陸軍大臣が、民衆の支持という言葉を持ち出したのに、その意見を歪めてしまった。大統領は皇帝と違って、選挙で首がすげ変わるのだから、民衆の意見を聞くのは当然かもしれないが、ここまで流されては政治家とは言えまい。
「では、改めてお聞きしますがメディアの戦争はどのようにして終結させられますか。共和国市民は政府が強い姿勢でことに当たることを望んでいますわ。私も帝国にしかるべき制裁を与えることを望んでいます」
レナーテはそう告げて大統領を見つめる。
「ロートシルト女男爵閣下はどのような条件で戦争を終わらせるのが望ましいと考えておられるでしょうか?」
「私はメディアの共同開発権の獲得程度は最低限として必要だと思いますわ。我々が被った損害を考えれば当然のものです」
メディアの共同開発権。レナーテがジャザーイルに帝国の戦艦が入港したときから望んでいたもの。それさえなされるならば、レナーテはクラウスにSRAGの株式を更に5%譲渡すると約束している。
「フム。共同開発権ならば無理をして得られないことはないだろう。そうではないか、外務大臣?」
「可能だとは思いますが……」
大統領が尋ねるのに、外務大臣が渋い表情のままに返した。外務大臣は未だに帝国との同盟を考えているようだ。
「結構ですわ。メディアの共同開発権が取れるなら僥倖。我々もこの戦争で少なくない損害を被っていますので、それが埋め合わされるならば文句はないというところです」
大統領がレナーテの提案──メディアの共同開発権の獲得に同意するのに、レナーテは小さく拍手を送ってそう告げる。
「問題はどうやってメディアの共同開発権を獲得するか、です。今の戦況だとメディアで勝利するのは難しいように思えますが」
「そのようなことはありませんぞ。我々はメディアでの戦いを優位に進めております。サウードに攻め込んだ帝国植民地軍は壊滅し、残るはメディアでアーバーダーン要塞の確保に動いている部隊だけなのですから」
レナーテが告げるのに、大統領が首を横に振る。
大統領の中ではメディアを攻略する共和国植民地軍の動きは高く評価されているようだった。それがメディアの要衝であるアーバーダーン要塞を前に攻めあぐねているとしても。
「それは私が聞いていた内容と些か異なるようですね。メディアでアーバーダーン要塞の攻略に当たっている部隊は多大な損害──1万人近い損害を出して、未だにアーバーダーン要塞を落とせずにいるとのことでしたが」
レナーテはにこやかな笑みを維持したままに、大統領に対してそう告げる。
この損害の情報はレナーテがクラウスから教えられたものだ。彼はレナーテに共和国植民地軍がアーバーダーン要塞を前に、既に1個師団近い戦力が損耗したという事実を知らせていた。
「共和国植民地軍は全力を尽くしている。彼らの働き次第で、アーバーダーン要塞は陥落するでしょう」
「その戦力を尽くすのに共和国本国政府が妨害を行っているそうですが」
大統領が渋い表情で告げるのに、レナーテがそう返す。
「いいえ。繰り返しますが、我々は妨害など行っていない。我々は共和国植民地軍が勝利できるように、最大の配慮を行っているところです」
「あら。それにしては植民地軍でもっとも有力な部隊であるヴェアヴォルフ戦闘団の活動を妨害していると聞いていますが。彼らに作戦に参加させないように植民地軍に圧力をかけたのは本国政府でしょう?」
大領領の言葉に、レナーテがそのように告げる。
レナーテのその言葉に大統領と外務大臣の表情が強張った。彼らは自分たちが植民地軍に圧力を掛けていることは誰にも知られていないと思っていたらしい。
「植民地軍に圧力を?」
「この状況でどういうおつもりですか」
陸軍大臣と大蔵大臣が大統領を睨むようにして見る。彼らはこの時点まで大統領たちが植民地軍に圧力を掛けているということを知らなかったようだ。
「もう既に言いましたが、ヴェアヴォルフ戦闘団はやりすぎている。彼らがことを掻き乱すことで、和平への道のりは遠のいた。これ以上、彼らにことを任せるわけにはいかないのですよ」
ヴェアヴォルフ戦闘団は確かにやりすぎている。
アナトリア戦争において勝手に実行支配力域を拡大し、ミスライムにおいて大運河を閉塞するということをやり遂げ、今回のジャザーイル事件においては帝国の戦艦を独断専行で撃沈した。
このままそんな彼らにことを委ねるのは、更なる共和国にとっての戦乱の引き金となり、更なる国際紛争の引き金となるだろう。
大統領たちが恐れているのはそれだ。ヴェアヴォルフ戦闘団が世界大戦の引き金となることを、大統領たちは恐れている。彼らがことを乱し切って、帝国や王国にとっての生命線を脅かし、そのことで世界大戦を招くのではないかと。
「キンスキー中佐はやり過ぎてはいませんわ。彼らは与えられた状況の中で、最善を尽くしているだけです」
だが、レナーテはヴェアヴォルフ戦闘団が共和国のために働いているのだと、一点の曇りもなくそう思っていた。共和国のためでないにせよ、ロートシルト財閥が儲ける形で動いていると。
「ヴェアヴォルフ戦闘団は共和国の将来のために働いていますわ。共和国の主権を守り、他の列強諸国から舐められないようにしているのだと。彼らの行動は必ずしや共和国のためになるでしょう。民衆も同じような考えを抱いていますわ」
レナーテは大統領に向けてそのように告げる。
ヴェアヴォルフ戦闘団は確かに共和国市民の歓心を買っていた。彼らがアナトリアで勝利したときに首都アスカニアはお祭り騒ぎだったし、ミスライムで勝利したときも全土で勝利が祝われた。
そして、ジャザーイルでヴェアヴォルフ戦闘団が帝国海軍バルチック艦隊特別分遣艦隊の戦艦を撃沈したときには、彼らは屈辱的な要求を突き付けてきた帝国が敗北したことに歓喜している。
「ロートシルト女男爵閣下の言いたいことは理解できる。だが、我々はここで和平をしなければ、共和国に未来はないと確信している」
この言葉を発したのは外ならぬ大統領で、彼はいつもと同じように他者の意見に振り回されて、この不幸な衝突が比較的穏便な外交という手段で解決できることを望んでいた。
「外交は勝利しさえすれば上手くいくでしょう。勝利を次々に手にする共和国植民地軍に対して、帝国のエカチェリーナ・ロマノフ皇女殿下を初めをする共和国派の政治家たちは、エーテリウム利権に関してアーバーダーンの開発を進めるのであれ、なんであれ穏便な事態の解決を望んでいるはずです。我々は彼らと交渉すればいい。それが可能であるならば」
共和国植民地大臣は無表情で大統領の意見を受け止めてこう告げ、大蔵大臣と陸軍大臣はやや辟易した表情で、早くも外交交渉を望む大統領を見ていた。
「そう、勝利しなければ交渉どころではないということです。その勝利のためには我々はヴェアヴォルフ戦闘団が活動することを許容しなければなりませんわ。彼らは植民地軍においてもっとも有力な部隊なのですから」
レナーテは大統領に向けてそう告げる。
「ヴェアヴォルフ戦闘団を動かすのか……。だが……」
「ヴェアヴォルフ戦闘団を動かせば、また混乱が起きる可能性があります。彼らが何をするのか、我々は想像できないのです」
大統領はレナーテの言葉に呻き、外務大臣は縋るようにそう告げた。
「ヴェアヴォルフ戦闘団を直ちに動かすべきです。我々に部隊を遊ばせているような余裕はない。そして、一刻も早くアーバーダーン要塞を落とさなければ、犠牲者だけが積み重なり、外交交渉においても不利になる」
「外交交渉への影響だけに留まりません。植民地軍の犠牲は支持率に影響します。彼らも共和国市民であり、家族友人がいるのですから。それを無為に磨り潰すというのは、共和国市民に対する背信行為と言っていい」
陸軍大臣と植民地大臣が相次いで大統領に対して自分たちの意見を述べる。
植民地戦争で植民地軍の兵士たちの値段は非常に安いものとして扱われてきたが、ただではない。共和国のような民主国家では、自国の市民にあまりに多くの死傷者がでれば、それは政権の支持率に影響してくる。
「私としても犠牲者が増えるのは心が痛いですわ。いち早くアーバーダーン要塞を陥落させ、この戦争が終結することを望みます。我々の日頃の大統領閣下への支援に応えていただけると助かるのですが」
レナーテは小さく微笑むとそう告げた。
日頃の支援というのは政治献金のことだ。レナーテはロートシルト財閥の多大な富を大統領に政治献金という形で渡していた。彼女は今の大統領を支持しているわけではないが、どのような形であれ政治には関わっておかなければ、彼女のビジネスに影響する。
「……では、ヴェアヴォルフ戦闘団を投入することを許可しよう。この事態においては彼らの力を借りることもやむを得ない」
暫しの沈黙の末に大統領はそのように述べた。
「ですが、それはヴェアヴォルフ戦闘団の増長を招く恐れがありますが」
「今の状況ではヴェアヴォルフ戦闘団も戦場に投入せざるを得ないだろう。こちらの植民地軍はアーバーダーン要塞を完全に攻めあぐねているようだ。それをどうにかしようというならば、実戦経験の豊富なヴェアヴォルフ戦闘団の力も借りる必要があるだろう」
外務大臣が険しい表情で告げるのに、大統領はそう言い切った。
元々ヴェアヴォルフ戦闘団の活動に制約をかけたのは大統領と外務大臣だ。彼らはミスライム危機から続くヴェアヴォルフ戦闘団の身勝手な活動を危惧して、今回の戦争では彼らの活動に制約をかけるように手配した。
だが、その制約をかけていた大統領がレナーテの言葉を前に意見を翻した。大統領への献金が多額に及び、レナーテなしでは政権を維持できない大統領が、レナーテの意見に屈するのは当然といえば当然とも言えるが。
「それは実に結構ですわ。今回の植民地戦争には本国の支援が不可欠。本国がこの植民地戦争を全面的にバックアップして、名誉ある勝利を手にすることが必要となりますわ」
レナーテは大統領の決断に満面の笑みでそのように述べる。
「そうしましょう。我々は今回の戦争においてヴェアヴォルフ戦闘団を活用する次第です。それが今回の戦争を終わらせるために必要なこととなるはずですから」
こうして大統領はレナーテの圧力に屈した。
大統領と外務大臣はヴェアヴォルフ戦闘団の行動を抑え込み、これ以上の混乱を招くことを阻止しようとしたが、その努力は水泡に帰した。
大統領はこの会談の後に、共和国植民地軍に対してヴェアヴォルフ戦闘団の行動を許可する旨を伝え、その知らせはアーバーダーン要塞を攻略しようとして未だに失敗を続けている第5軍の司令部に伝えられた。
これ以後、共和国本国政府はヴェアヴォルフ戦闘団の活動に制約をかけることを諦めた。レナーテという大きなバックを有するヴェアヴォルフ戦闘団に手を出すことは、共和国大統領にとっても不可能だったのだ。
それこそがクラウスがそこらの資源開発企業ではなく、世界三大財閥であるロートシルト財閥をビジネスパートナーに選んだ理由なのだが。
かくて、ついにアーバーダーン要塞攻略戦において、ヴェアヴォルフ戦闘団が動く時がきた。
……………………




