共和国本国政府
……………………
──共和国本国政府
「そろそろ頃合いか」
作戦の予定期限である2週間が経過したが、アーバーダーン要塞は未だに陥落していない。要塞は共和国植民地軍の攻撃を退け、次々に襲い掛かる共和国植民地軍の部隊に損耗を強いている。
既に共和国植民地軍の死傷者は1万を超え、1個師団の戦力が丸々損耗したという状況になっている。
もちろん、帝国植民地軍も無傷ではない。彼らも捨て身の覚悟で突撃してきた共和国植民地軍を相手に激しい損耗を出し、アーバーダーン要塞に立て籠もる2個師団の戦力はガリガリと削られていた。
だが、このまま待っていても共和国植民地軍は勝利できないだろう。損耗は明らかに共和国植民地軍の方が激しく、このまま戦闘を続けるならば、先に息切れするのは共和国植民地軍だ。
「何か手はあるの?」
「ある。相手は共和国本国政府の意向を受けて行動しているのは間違いない。ならば、こちらも共和国本国政府に働きかけ、俺たちの行動を妨害している連中を黙らせればいい」
ローゼが尋ねるのに、クラウスがそう告げて返した。
「ロートシルト、ね?」
「そう、ロートシルトだ。向こうの政治的な発言力に賭ける。ロートシルトは俺たちがメディアに攻め込む前から、メディアを手に入れることを望んできていた。そうであれば多少なりと力になってくれるだろう」
ロートシルト財閥のレナーテは今回の戦争においてメディアの共同開発権を手にするつもりだとクラウスに告げていた。メディアで勝利し、帝国から利権を獲得するのだと。
ロートシルト財閥は共和国で生み出される富の4分の1を牛耳っている。そんな大財閥ならば、当然ながら共和国本国政府に対しても少なくない影響力を有しているだろう。
「ロートシルトはそこまで信頼できる?」
「今になって疑う必要はない。俺たちはロートシルトからSRAGの株式を25%も受け取っている。完全なビジネスパートナーだ」
ローゼが肩を竦めて尋ねるのに、クラウスはそう告げて返す。
ロートシルト財閥は既にクラウスたちにSRAGの株式の25%を譲渡しているし、ジャザーイルとメディアで勝利できれば更に5%の株式を譲渡すると約束している。これによってヴェアヴォルフ戦闘団とロートシルト財閥は運命共同体と言っていいほどに繋がっている。
「それからファルケンハインの親父とパトリシアを動かす。植民地軍を動かす分にはファルケンハインの親父は役に立つだろう。そして、パトリシアは植民地政府を動かすのに役に立つはずだ」
クラウスは続けてそのように告げる。
共和国植民地軍のカルロスとバシリウスは、クラウスのヴェアヴォルフ戦闘団の行動を妨害している。だが、共和国植民地軍司令官であるファルケンハイン元帥はクラウスとグルだし、パトリシアはクラウスの味方だ。彼らに任せておけば、カルロスとバシリウスの干渉はある程度緩和できるだろう。
「ロートシルトに南方植民地総督の娘ね。あなたが重要だと思っているのは、そういう人たちってわけなのね」
「使えるものは何だろうと使う。そうしなければ勝利と金は手に入らない」
ローゼがちょっと拗ねたように告げるのに、クラウスは腕を広げてそう返した。
「まあ、いいわ。勝たなければ、私たちは儲けられない。勝つための手段についてはあなたに任せる。勝ちさえればそれでいい」
「そう。勝たなければ俺たちは貧乏になるばかりだ。ロートシルトを儲けさせてやって、俺たちも儲ける。この方針に変更はない」
クラウスが勝利すればロートシルト財閥は儲かり、その恩恵を受けてクラウスたちも儲けることができる。逆にロートシルト財閥が儲けることに失敗すれば、クラウスたちは儲けることができない。
「なら、好きなようにして。勝てるように」
「ああ。勝てるように策を張り巡らせるさ。まずはロートシルトに働きかけ、次にファルケンハインの親父とパトリシアに。どうにかして、あの馬鹿な参謀と司令官の干渉を排除しないとな」
ローゼが不愛想に告げるのに、クラウスがそう返した。
「さて、本国に通信だ。こっちの本部中隊にある通信機でも必要とされる範囲には届くだろう。共和国本国とトランスファールには」
クラウスはそう告げて、席を立った。
「でも、誰に、どのように通信するの?」
「レナーテにはSRAGの植民地部門に向けて通信する。連中は共和国の植民地に耳を澄ませているからな。いつでも応答するだろう。ファルケンハイン元帥とパトリシアに対しては、植民地軍本部と植民地政府に通信すればいい」
ローゼが尋ねるのに対して、クラウスはそう返す。
「なあに。案ずることはないぞ。向こうが居留守を使う心配はしなくていい。特にレナーテはこっちの状況に注視しているはずだ。こっちの戦況を窺える情報を逃したりはしない」
クラウスはそう告げると、ヴェアヴォルフ戦闘団の本部管理中隊は長距離通信部隊の下へと向かった。
彼がアーバーダーン要塞についての情報を、ロートシルト財閥はレナーテと、植民地軍はファルケンハイン元帥、植民地政府はパトリシアに向けて知らせたのは、アーバーダーン要塞への第六次攻撃が失敗に終わり、共和国植民地軍がアーバーダーン要塞の攻略にかかってから3週間が過ぎた時だった。
……………………
……………………
エステライヒ共和国首都アスカニア。
アスカニアというのは地球でいうベルリンに相当する都市だ。
アスカニアは共和国本国の政治中枢として君臨し、共和国政府の主要な政治機能のほとんどがここに集っていた。また経済中枢としても、それなりの規模であり、ロートシルト財閥も本社機能を設置している。
「ごきげんよう、兵隊さん」
そんなアスカニアは共和国大統領府を訪問する女性がひとり。
「これはロートシルト女男爵閣下。どのようなご用件でしょうか」
大統領府を警備する共和国親衛隊の兵士が呼び止めるのは、ロートシルト財閥総帥の地位にあるレナーテ──そして、彼女の双子の姉であるレベッカだ。
「大統領閣下に話があって参りましたわ。ショーン・ジモンス大統領閣下はおられると思っているのですけれど」
レナーテは穏やかな口調でそう告げる。
「はっ。大統領閣下はおられます。ですが、アポイントメントはお持ちでしょうか。それがなければお会いすることは難しいかと思いますが」
「あら。大統領閣下は私に会うはずよ。私と会わないとか考え難いわ」
共和国親衛隊の兵士がどこか険しい顔でそう告げるのに、レナーテはニコリと微笑んでそう返した。
「……失礼。暫しお待ちを」
兵士はレナーテの態度に幾分か固まると、大統領府に引っ込んだ。
「あらあら。いくら大統領でも私たちの言葉を無視するわけにはいかないと分かっているのに。無駄な時間を過ごさせるものなのね。それとも私が何をいうのか分かっているから、無視しているのかしら」
レナーテはレベッカにそう告げて、大統領府を見上げる。
大統領府は30年前の共和革命の際に建てられた比較的新しい建造物で、白亜の落ち着いた雰囲気のある建物だ。この建物で、共和国の主要な議題が話し合われ、決定されてきた。
「お待たせしました、ロートシルト女男爵閣下」
暫くすると兵士が戻ってきた。
「大統領閣下はお会いになられるそうです。どうぞ、中へ」
「ご苦労様ですわ」
兵士が告げるのに、レナーテはそう返して大統領府の中に入った。
大統領府の中は外から見た通りの落ち着いた感じのある建物だった。人気は少なく、調度品もそこまで高価なものは使われていない。それは国内にしぶとく存在している社会主義者に配慮しているとも言える。
「いつも思うのですが、これでは海外に舐められますわね。我々がしかるべき人物をここに据えてたら、ちょっとばかり考え直す必要がありますわね」
レナーテは幾分か嫌悪の滲む表情でそう告げると、兵士から案内を引き継いだ大統領府に務める役人の手によって、大統領府は共和国大統領がいる場所まで進んでいく。
「まあ、ここに限らず現在の共和国政府には、いつもいつも失望させられてきましたわ。今回の件もしかり。共和国には正気を取り戻してもらわなくては。そう、正しい道へと戻れるように」
レナーテはやはり今の共和国本国政府に苛立ちがあるらしく、レベッカの手を引いて役人の後を続きながら、彼女の感じている苛立ちについて口にする。
「こちらです」
役人が案内したのは、大統領が閣議を行う部屋の前だった。
「大統領はこの部屋に?」
「ええ。今はメディアの件で閣議の最中でしたが、ロートシルト女男爵閣下にはお会いになられるとのことです」
レナーテが尋ねるのに、役人はそう告げて返した。
「メディアの件で閣議、ですか。話し合わなければならないことがあるという点では、我々と同じようですね。我々もメディアの件で、大統領と話し合うためにここに来たのですから」
レナーテは役人の言葉に小さく頷くと、部屋の扉をノックする。
「失礼します」
レナーテはそう告げ、部屋の中に入った。
「これはロートシルト女男爵閣下」
大統領府の会議室においてレナーテを満面の笑みで出迎えたのは、現共和国大統領であるショーン・ジモンスだ。幾分か中年太りした男で、顔には人好きのする笑みを浮かべている。
「ごきげんよう、大統領閣下。今回はお時間をいただきありがたく思いますわ」
レナーテは儀礼的にそう告げると、この会議室にいる大統領以外の人物に対して視線を走らせた。
陸軍大臣と大蔵大臣は渋い表情でレナーテを見ている。恐らくは共和国の生み出す富の4分の1を牛耳っているレナーテをよくは思っていないだろう。
次に海軍大臣は無表情にレナーテを見ていた。現在も北海での演習を海軍に対して命じている彼は、ロートシルト財閥が海軍を動かすように要請することを警戒しているはずだが、顔にはそれを表していない。
外務大臣はぎこちない笑みを浮かべてレナーテを見る。心情としては大統領と同じであろうが、レナーテが共和国政府に何を求めるのかと思うと楽観はできないというところだろうか。
そして、植民地大臣は何も窺わせない表情で、レナーテを見ていた。彼は植民地開発においてロートシルト財閥とも関りがあり、レナーテと顔を合わせるのは初めてのことではない。
「さて、今回はどのようなご用件でおいでいただいたのだろうか。クシュの開発については問題なく進んでいると聞いているのだが」
大統領はロートシルト財閥を完全に信頼しているらしく、緊張の色も一切滲ませずにレナーテに向けてそう尋ねた。
彼は今回、レナーテがここに来たのはクシュの開発についてか、アナトリアの開発についての件だと思っていた。それ以外にレナーテが関心を示すようなことはないと考えていたために。
「幾分か話し合いたいことがありまして。今係争中の戦争──メディアでの植民地戦争についてですわ」
レナーテがそう告げたのに、大統領を初めとする政治家たちの表情が強張るのが分かった。唯一の例外は海軍大臣と植民地大臣だけだ。
「メ、メディアについて? それはまだ国の管理下にある懸案ですが」
共和国本国から外に出ないレナーテの持ち込むだろう話題をクシュとアナトリアの開発だと思っていた大統領も、レナーテが突如としてメディアの植民地戦闘の話題を持ち出したのにうろたえる。
「ええ。知っていますわ。共和国本国政府は、共和国植民地政府にまるで役に立つことをしなくとも、共和国植民地軍のやり方には文句をつけているのだということも同じように把握しています」
レナーテはあくまで穏やかに大統領に向けてそう告げる。
「それは酷い誤解です。我々は植民地政府と植民地軍を、本国から完全にサポートしています。それは常にそうです」
「あら。それは聞いていたこととは異なりますわね。共和国本国政府は共和国植民地軍が必死にジャザーイルで戦艦を相手にしていたときに、一切の支援を与えなかったと聞いていますが」
大統領が険しい表情で告げるのに、レナーテはそう返す。
「……確かにジャザーイル事件では、共和国本国政府は幾分が消極的であったことは認めましょう。だが、それは世界大戦を避けるためであり、帝国を将来の同盟国として据えるためであり、戦艦を撃沈するより他にもっと理にかなった解決手段があると考えていたからです」
「だから、ヴェアヴォルフ戦闘団が計画を乱した、と?」
大統領の言葉に、レナーテが短く告げた。
「その通り。ヴェアヴォルフ戦闘団という共和国植民地軍の部隊が、ジャザーイル事件の解決を非常に難しいものとした。彼らが戦艦を撃沈して、帝国を挑発する態度をとった」
「アナトリアでの戦争と同様です、閣下。彼らは停戦命令を無視して、戦果の拡張を続けた。そのことによって王国との関係は致命的に悪化した。大運河を強襲した事件についても、です」
大統領と外務大臣がそのように返す。
「あらあら。アナトリア戦争とミスライムの件は兎も角として、ジャザーイルとメディアを巡る戦いの全ての元凶は帝国にあるのでないですか?」
レナーテは大統領の言葉もさして聞くことなく、彼女が仕入れていた情報を政治家たちに述べた。
「馬鹿々々しい話です。ジャザーイル事件を起こしたの帝国だが、悪化させたのはヴェアヴォルフ戦闘団だ。彼らが帝国の戦艦を撃沈するということさえしなけえば、もっと穏便なやり方でことは収まったはずだ。そう、サウードの砂漠で不毛な戦争を戦うこともなく、帝国の不凍港を脅かして世界大戦の危機を引き起こすこともなく」
大統領はレナーテに向けて、そのように語る。
彼はヴェアヴォルフ戦闘団がいくつもの戦争において重要な役割を果たしていることを忘れていた。ヴェアヴォルフ戦闘団がいなければ、戦後の計画を立てることもできず、アナトリアでも、ミスライムおいても全てにおいて敗北しているだろうことは完全に忘れ去っていた。
そもそも大統領と外務大臣はヴェアヴォルフ戦闘団の正確な規模すら把握していない。ただ、彼らが曲芸染みた戦果を挙げるのに狼狽し、どうやって彼らが勝利しているのかと頭を悩ませているだけだ。大統領などはヴェアヴォルフ戦闘団は悪魔と契約しているのではないかと思っているほどに。
「それは間違いですわ。今回の件で非難されるべきは帝国です。帝国が厚顔無恥にも戦艦を派遣して、我々からジャザーイルを奪おうとし、それから理不尽で逆上してサウードに攻め込むことがなけば、このような騒ぎにはならなかったのですから」
大統領の言葉にレナーテは微笑みを浮かべたままにそう告げる。
「確かに今回の事件の発端はジャザーイルに戦艦を派遣したことが始まりです。ですが、戦艦を撃沈したのはクラウス・キンスキー中佐の失態。彼が戦艦という国家の象徴を害することがなけば、もっと被害は少なくて済んだでしょう」
大統領に続いて外務大臣がそのように告げる。
「なるほど。理解しましたわ」
レナーテが大統領と外務大臣の言葉に納得してみせるのに、大統領と外務大臣が安堵の息を漏らす。
レナーテは共和国の経済にとって重要な人物だが、彼女が共和国の政治に口を出すのは望ましくはない。共和国を主導するのは、あくまで民衆であり、民衆に選ばれた大統領であり、大財閥の長ではないのだ。
とは言え、民衆に選ばれるにも金が必要だ。そして、民衆に選ばれてからの政治のためにも莫大な金が必要になってくる。
そのようなことから歴代大統領は企業からの政治献金を少なくなく受け取っており、その企業の中にはロートシルト財閥も当然ながら含まれている。現共和国大統領も、ロートシルト財閥から多額の政治献金を受け取っており、だからロートシルト財閥を無視できないのだ。
「この際、ヴェアヴォルフ戦闘団の責任問題は横に置きましょう。問題はメディアの戦争に勝てるかどうかです」
レナーテはそう告げて、閣議の列席者たちを見渡す。
……………………




