ミグリンの戦い(3)
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「どうなされますか、閣下。帝国は政治犯や任務に失敗した将校などを、ツンドラ地帯に送ると聞きますが。それでも帝国に残りたいとお考えでしょうか?」
帝国の秘密警察皇帝官房第3部はさしたる証拠もなく容疑者を検挙し、凍てついたツンドラ地帯に送る。そこに送られたものは死ぬまで大陸横断鉄道の設営作業を行わされるのだ。
「わ、私は……」
クリメントも帝国のことは理解できている。軍において大きな失態を演じた人間や皇帝の機嫌を損ねたような人物は、ツンドラ地帯に流刑されるのだと。そして、二度とは元の世界には戻ってこれないのだと。
「降伏を、閣下。そして我々が必要とする情報を我々に。そうしてくださったら、これ以上捕虜は殺さず、閣下の身は共和国政府が安全を保証しましょう。どうです? 互いに実りある取り引きであると思われますが」
そんなクリメントにクラウスが甘い提案を囁きかける。
このサウードでの大敗は間違いなく皇帝の機嫌を損ねることだろう。満を持して派遣されたサウード派遣軍団が、たったひとつの部隊──ヴェアヴォルフ戦闘団によって崩壊したのだと知ればなおのこと。
「……キンスキー中佐。士官同士、向こうで話し合いたい。このように地面で縛り上げるような恰好ではなく、だ」
クリメントはそう告げて、自分を縛っているロープを指さす。そのことにバスィールたち民兵は不愉快な顔をしていた。
「いいでしょう。閣下の縄をといて頂けますか、殿下?」
「分かった。だが、油断せずに見張っておくぞ」
クラウスはバスィールにそう頼み、バスィールはクリメントの縄と切って、彼を自由の身にした。
「さて、話し合おう。こっちだ」
クリメントは制圧された刑務所の中に進み、それをバスィールが確認する。
「キンスキー中佐。君の提供する取り引きは大変有益だ。私としても納得できるだけの条件だと考えている。だが、問題が残っている」
クリメントがここに来たのは部下たちの目から離れ、自分たちの会話が部下たちに聞こえないようにと配慮した結果だろう。
「問題とは?」
「家族だ。私の家族はアルハンゲリスキーにいる」
家族。クリメントには家族がいた。この戦場ではなく、帝国本土において。
「ご家族の亡命もご希望ですか?」
「できればそれがいいが、まず不可能であろう。だから、別の案を提案する。これならば帝都で暮らす家族たちも無事で、私も無事に過ごせる」
クラウスが眉を歪めて問うのに、クリメントがそう答えた。
「方法は──」
クリメントはクラウスの耳元に手を当てて、何事かを呟く。
「なるほど。確かにそれが一番いい解決ですね。それで、メディアについての情報なのですが?」
「メディアに残っている帝国植民地軍はほとんどいない。4個師団がいる程度だ。だが、そのうち2個師団はアーバーダーンの海軍基地に立て籠もってるってところだ。この部隊だけが、軍事的な障害だろう。他の2個師団は軽歩兵で、治安維持任務のための部隊に過ぎない」
メディアは東方植民地を巡って王国と争う前哨基地のようなものだったが、帝国の矛先が共和国のサウードに向けられ、そこで壊滅したために、なんとも頼りない駐留部隊が残るたけになってしまっていた。
「2個師団。魔装騎士の規模は?」
「2個連隊規模だ。標準的な帝国植民地軍の編制となっているからな」
クラウスが尋ねるのに、クリメントがそう答える。
1個師団の部隊には1個連隊の魔装騎士部隊。それが帝国植民地軍における標準的な編制である。
これが王国植民地軍であると1個師団当たりの魔装騎士部隊の規模は用途に応じて重魔装騎士部隊──2個連隊と軽魔装騎士部隊──1個大隊に分かれる。共和国植民地軍では1個師団当たりの魔装騎士部隊の規模は決まっていない。
「結構です。さして時間をかけずに制圧されるでしょう」
クラウスは2個連隊規模の魔装騎士部隊が控えていると聞いても、さして動じた様子を見せない。彼の指揮する魔装騎士部隊は2個連隊より遥かに小型の1個大隊を中核とする部隊だけだというのに。
「だが、メディアを制圧するという意味は言わずとも理解できているはずだ」
「帝国が不凍港を失う、ということですね」
クリメントが渋い表情で告げるのに、クラウスが答える。
そう、メディアは帝国の不凍港だ。帝国の長年の南下政策が行き着いた果てであり、帝国が渇望してきた凍らない港だ。
「その通り。帝国はサウードの侵攻に失敗したという事実を突きつけられたとしても、メディアを失うということは許容しないはずだ。何としてもメディアを奪還するために動くだろう。それは理解できているな?」
「重々と。帝国は決して不凍港を手放さないでしょうことは理解しております」
クリメントが確認するのに、クラウスは小さく笑って返す。
帝国がようやく手に入れたメディアの不凍港。クラウスは帝国は多少無茶をしてでも、それを維持するだろうことは理解できていた。最悪の場合は世界大戦に訴えてでも、帝国が南方への拡大の窓口としてメディアの港を保持するだろうことは容易に理解できていた。
「ですが、我々としても戦争をして得るものがなかったというのはありえないのですよ。今のところ我々が手に入れたのは、アンファの港に今も漂流する戦艦の残骸と瓦礫と化したサウードの都市だけ。共和国植民地軍がこのまま引き下がるということもありえないとご理解ください」
だが、クラウスはそんな帝国の思惑を理解すれど、納得するつもりはなかった。クラウスは帝国がメディアに執着するだろうということを理解していれど、彼自身の利益のためにそれを無視するつもりだった。
「ならば、帝国から何を得るつもりだ?」
「それは一介の植民地軍中佐が考えることではありません。自分は職務を忠実に果たし、共和国植民地軍に更なる繁栄が訪れることを願うだけです」
クリメントがそんなクラウスに鋭く問うのに、クラウスはその重要な点をはぐらかした。
「フン。まあ、構うまい。だが、世界大戦だけは避けてもらうぞ。世界大戦になってはそちらが私の身の安全を保証するということも不可能になるからな」
「ええ。その点は共通の利害です。自分としても世界大戦は望んでおりませんので。世界大戦は金にならない」
クリメントが告げ、クラウスが頷く。
これまで植民地戦争で私腹を肥やしてきたクラウスも、世界大戦という化け物を金の生る木に変える方法は思い浮かんでいない。戦争は所詮は非生産的な人類の歩みなのだ。
「それで、メディアの海軍基地というとアーバーダーンでしょうが、帝国海軍バーラト海艦隊の勢力というのはどの程度でしょうか?」
「バーラト海艦隊の規模はそこまで大きなものではない。旧式戦艦が6隻に防護巡洋艦が2隻、駆逐艦が14隻前後で作戦行動可能という規模だ」
帝国海軍はメディアの港湾都市アーバーダーンに帝国海軍バーラト海艦隊の司令部と整備基地を準備していた。海軍のドックがあり、バーラト海艦隊の主力艦である旧式戦艦6隻を中核とする海軍の艦艇が錨を下ろしている。
帝国はこのアーバーダーンを帝国の南方植民地政策の中心地として位置付けていた。このアーバーダーンという不凍港を中心として海軍の艦艇に南方での活動を実施させ、南方植民地で得られた富をこのアーバーダーンを軸に帝国本土に運ぶのだとして。
「帝国の出遅れた南方植民地政策の巻き返しを図るための場所、というわけですね。帝国はこの地から共和国や王国がおいしい思いをしている南方植民地に乗り出すつもりのようで」
帝国は共和国や王国が相次いで南方植民地の開拓に乗り出す中で、不凍港の欠落から南方植民地に踏み込めずにいた。彼らが有していたこれまでの不凍港では、共和国や王国に自由に艦艇の移動を妨害されることになっていたがためにだ。
だが、その点についての問題は帝国がアーバーダーンを手に入れたことで解決した。彼らは今や誰にも邪魔されない場所に海軍基地を有し、自由な航行が可能となっている。
帝国はこれから自分たちが出遅れた南方植民地において、共和国や王国と並んで活動を始めるつもりであった。流血の惨事に終わったジャザーイル事件についても最初はそのつもりで実行されていたのだから。
「アーバーダーンの守りはどの程度です?」
「標準的な帝国海軍の海軍基地だ。一部は要塞化されているし、物資も蓄えられているだろう。そう簡単には落ちまい」
アーバーダーンの海軍基地は帝国が南方植民地への進出を目論むうえでの重要な要衝だ。当然ながら、バーラト海艦隊の安全を保つために、必要以上の防衛措置が行われている。
基地の周囲には6個師団は優に撃退できるだけの永久要塞が設置され、既に基地の中では2個師団の部隊が戦闘準備を整えつつある。彼らは対装甲砲を外に向けて配備し、艦隊は周辺海域の巡邏活動に入っている。
「基地の守りは固いようですな」
「我々の海軍は港で永久要塞に守られるのがお好みだ。下手に艦隊決戦をして損耗するよりも、港で健在である方が望ましいのだというのが、帝国海軍の以前からの主張だからな」
アーバーダーンの守りを想像してクラウスが告げるのに、クリメントは皮肉気にそう告げて返した。
海軍の艦隊は港において、その存在意義を発揮する。現存艦隊主義とでもいうべき思想で、その消極的な思想が帝国海軍の主流派の意見であった。
「まあ、ずっとそうならば今回の不幸な衝突は起きなかったのでしょうがね。帝国海軍が欲をかいたから、結局としてはこうなった」
ジャザーイル事件という国際紛争を引き起こし、結果としては戦艦4隻と装甲巡洋艦2隻の喪失という事態を招き、サウードへの八つ当たり染みた軍事作戦を誘発した帝国海軍。彼らは自分たちが思っていた以上に外の環境は厳しいのだと、今になって思い知っただろう。
「最後になりますが、バーラト海艦隊の稼働率はどの程度です?」
「今は9割だ。サウードへの侵攻に当たって、補給物資が潤沢に供給され、海軍はベストのコンディションにある。武器弾薬も、秘封機関用のエーテリウムも、食料も、全てが満足いくだけ補充されているだろう」
クラウスが最後に尋ねるのに、クリメントがそう返す。
「駆逐艦も?」
「ああ。小型艦も今回の作戦で沿岸部への砲撃などに従事する予定で進められていた。実際には駆逐艦の中でも旧式のものが、沿岸部での哨戒任務に当たっただけだが」
今回の戦争で帝国海軍は自分たちの失態を返上しようとでも言うように、各地で活発に活動していた。それは共和国海軍がこの戦争において碌に姿を見せないのとは対照的だ。
「となると、海から仕掛けるというのは難しい、か。こっちの海軍はすっかり引っ込んでるからな」
クリメントの言葉にクラウスが顎を摩る。
共和国海軍はジャザーイル事件においても、その後のサウードにおける戦争においても、その姿を現してはいない。共和国本国政府は世界大戦を恐れ、海軍を動員することにあまりにも慎重になっていた。
共和国海軍は全てが基地に引っ込み、駆逐艦の1隻たりとて動員されてはいない。トランスファール共和国から主力部隊を移送するための輸送艦は全て民間船を借り上げたものだ。その護衛すら海軍は行っていない。
恐らくはクラウスがメディアにおいてアーバーダーンを攻撃するのだと決めたとしても、共和国海軍は何の助けにもならないだろう。彼らは帝国海軍と戦って、世界大戦が引き起こすリスクは絶対に避けるはずだ。
「情報はこの程度でいいか、キンスキー中佐? 私が知っている範囲のことは話したつもりだが。これ以上のこととなると私とて覚束なくなる」
「ええ。ご協力に大変感謝します、閣下。これで我々も得るものが得られるでしょう」
クリメントが告げるのに、クラウスは頷く。
そして、彼はおもむろに腰のホルスターから拳銃を抜いた。
「では、そろそろ失礼をば。閣下も我々が勝利することを祈ってくださると幸いです。我々の勝利は閣下の安泰にも繋がるのですから」
そう告げて、クラウスは拳銃の銃口をクリメントに向けた。
「祈っているさ。我々が勝利できることをな」
クリメントは肩を竦めると、拳銃の銃口を見つめた。
「それは結構です。我らが勝利を祈って」
そして、クラウスは拳銃の引き金を引いた。
乾いた銃声が響き、その銃声は他の捕虜になっている帝国植民地軍サウード派遣軍団の司令部要員の耳に入った。
「今の銃声は……」
「まさか……」
捕虜になっている司令部要員たちは、向こうに連行されていったクリメントのことを思い浮かべ、最悪の光景を想像した。
「終わりです、バスィール殿下。残りの捕虜については一時的にお預けします。いずれは解放するでしょうが、それまでは殿下が管理を願います」
「理解した。責任を持って管理しておこう」
硝煙の臭いが漂う中でクラウスがそう告げ、バスィールが頷いた。
「さて、俺たちも動ないとな。ロートシルトとの取り引きはメディアにおいて勝利を収めることまで含まれている。メディアで上手く勝利できればいいが」
クラウスはそう呟くと、クリメントたちが司令部を設置していた植民地刑務所を去った。
これと時を同じくして、トランスファール共和国からの増援を受けた共和国植民地軍は、補給物資が満足に行き渡らず実質5個師団にまで戦力が激減していた帝国植民地軍サウード派遣軍団を打ち破っていた。
サウード派遣軍団は司令部の喪失も相まって完全な混乱状態に陥り、クラウスが予想したように一度の敗北で烏合の衆と化した。
共和国植民地軍はそれを容赦なく追撃し、サウードの砂漠の大地において追撃殲滅を敢行。散り散りになったサウード派遣軍団は、共和国植民地軍の猛攻を受けて甚大な損害を出し、最終的には小規模な部隊が辛うじて沿岸部の港湾都市に辿り着くだけとなり、その小規模な部隊は船を利用してメディアに逃れた。
共和国植民地軍はこの決戦から2週間で、サウード全土の奪還を宣言し、鉄道を再敷設しながら、メディアに向かった。
次の戦いの舞台は帝国が南方植民地への拡大を狙うメディア。
果たして共和国植民地軍はメディアを落とすことができるのか。仮にメディアを落としたとして、それは世界大戦の危機へと繋がらないのだろうか。帝国は自分たちが不凍港を失うという事態にどう対処するのだろうか。
ただひとつ言えるのは、クラウスはこの戦争を金に換えるということだけである。
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