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サウード侵攻(2)

……………………


 帝国植民地軍はサウードのイラクに相当する部位をほぼ制圧し、更にアラビア半島に向けて進軍を続けていた。


「フム。敵の抵抗がやや弱いようにも思えるな……」


 そう呟くのは帝国植民地軍サウード派遣軍団司令官のクリメント・クロパトキン大将だ。彼は植民地軍の熱帯地域向けの軍服を纏い、彼らがほとんど戦闘らしい戦闘もせずに手に入れた街に司令部を設置している。


「経験の差を思い知ったのでしょう。我々は精鋭を投入しました。対する共和国植民地軍は素人同然の部隊。どちらが勝つかは明白です。敵も不毛な戦闘で損耗することを避け、トランスファール共和国から向かってくる援軍と合流するつもりなのでしょう」

「トランスファールからの援軍か」


 参謀が告げるのに、クリメントは地図を眺める。


 クリメントたちが司令部を設置しているのは、地球で言うサウジアラビアの首都であるリヤドであり、現地の名称でミグリンと呼ばれる都市だ。


 クリメントたちはイラクに侵攻してから大きく南に曲がり、沿岸地帯を進軍し、ミグリンに手を伸ばし、さしたる戦闘もなく獲得した。


「トランスファールからの援軍は問題になるだろう。その前に押さえるべきものを押さえてしまっておかなければならない。サウード占領の既成事実を作り上げるために必要なものを」


 クリメントはそう告げて、地図を指さす。


「ヤスリブ。サウードの中枢だ。共和国植民地政府が拠点を置き、サウードに駐留する共和国植民地軍の司令部があり、サウードでも有数の港湾施設があり、各国の総領事館があり、このサウードに展開する各共和国企業が支社を置いている。ここを占領できれば、共和国に衝撃を与えられるはずだ」


 クリメントはヤスリブ──地球で言うところのメディナ──を指さし、参謀たちにそう宣言した。


「狙いを一点に絞られるのですか?」

「そうだ。とてもではないが与えられた戦力で、この広大なサウードを隅々まで占領するというのは不可能だ」


 参謀の問いに、クリメントがそう答える。


 クリメントの指揮する帝国植民地軍サウード派遣軍団の兵力は9個師団。


 9個師団の中には魔装騎士部隊なども含まれるために簡単には計算できないが、約9万人の兵力がいると考えていい。ただし、9万人の全員が戦闘部隊でないことは当然として記しておく。


 米軍はイラク戦争でイラクを統治するのに11万の兵力を必要とした。イラクだけで11万の兵力だ。


 だが、サウードはイラクとサウジアラビア、湾岸諸国が組み込まれた巨大な場所だ。人口や武器の性能に差があるとは言えど、9万だけでサウード全土を支配するというのは、まず不可能だろう。


 よってクリメントはこの広大な砂漠の中で重要拠点だけを制圧していくことを選択した。この貿易の中継地点であるミグリンや、サウードにおける共和国植民地政府の中枢が集まったヤスリブなどを。


「点と点を繋いでいくのですね。大規模な戦線を展開するのは難しいでしょうから、これしか方法はないでしょうな」


 サウードはほとんどが不毛な砂漠だ。そこに列強本土と同じように、戦線を展開して、戦線を動かしながら戦いを繰り広げるのは補給の観点からしても難しいし、兵力的にも無理がある。


「ですが、大丈夫でしょうか? 点と点の制圧では、敵に後方連絡線を遮断される可能性もありますが」

「それが悩みどころだが、共和国は撤退を続けている。とてもではないが、我々の後方連絡線を攻撃できる余裕はないだろう」


 点と点を押さえる戦いでは、敵に回り込まれて、後方連絡線を遮断される可能性があった。何せ戦線が張れていないのだから、敵は後方に回り込めるのだ。


「最優先目標はヤスリブ。このミグリンに補給物資を蓄積し、兵站基地を築いたら、前進を再開する。共和国がトランスファールから援軍を送ってくるまでの時間との勝負だ。全軍、可能な限り迅速に前進せよ」


 クリメントはそのように命じる。


 共和国植民地軍は脆弱だ。このまま速度の任せて押し切ってしまい、サウードの最重要拠点であるヤスリブを制圧して、共和国に敗北を突きつける。


 クリメントの発想は悪いものではない。彼は慣れない植民地において、最善の戦略を立てて、それを着実に実行し、成功させてきている。流石は本国軍でも有数の将校と謡われるだけの将官だ。


 このままクリメントの計画が上手く進むならば、帝国植民地軍は脆弱な共和国植民地軍を押し切り、ヤスリブを陥落させ、共和国からサウードを奪うことができただろう。


 彼が予想していなかった唯一の例外がなければ。


「クロパトキン大将閣下。現地住民についてはどのように扱いましょうか」


 と、ここで参謀が新たな話題を取り出した。


「確か共和国はクライシュ族を厚遇し、それによって分割統治をおこなっていたのだったな」

「その通りです。サウードは共和国植民地政府と共にクライシュ族が支配しています」


 クリメントが尋ねるのに、参謀が答える。


「今は植民地人どもはどうでもいいだろう。我々がサウードの支配を確立させてから考えればいい話だ。どの部族が共和国と繋がっているのか分からないのに、連中を利用するわけにはいかないからな」


 クリメントはそう告げて、僅かに眉を歪めた。


 サウードが帝国の植民地になるならば、帝国から政治犯や入植者が送り込まれ、元から暮らしていた部族は社会の下層に追いやられるだろう。クライシュ族も同じように没落するはずだ。


「では、ヤスリブの攻略について準備を進めたまえ。ここを兵站基地にして、メディアから運び込んだ物資を蓄積し、兵站基地が整ったら、一気にヤスリブに仕掛けるぞ」


 クリメントは植民地人には大して関心を払わずにそう命じる。


 帝国にとって植民地人は人ではない。帝国本国で虐げられている農民以下の存在であり、植民地にいる空気のようなものだ。彼らがどうなろうと、彼は欠片も気にしない。


「兵站基地の設営まではどれほどかかるか?」

「港湾都市が使えるようになったので、2週間もあれば」


 クリメントの問いに参謀が答える。


「2週間。共和国の援軍が間に合わないといいが……」


 クリメントはそう告げて、地図に視線を落とす。


 トランスファールを出発した共和国植民地軍の援軍の第1陣の到着は1週間後で、全ての部隊の準備が整うのは3週間以上はかかる。


「共和国植民地軍の増援が間に合った場合には?」

「強行するより他に手はないだろう。皇帝陛下はサウードを手に入れることを望まれた。それに応じるのが帝国軍人の務めだ」


 参謀の問いにクリメントが答える。


「具体的な兵站計画については一任する。一刻も早く兵站基地を築いて、攻撃をい行えるように準備してくれ」

「畏まりました、閣下」


 クリメントたちが押さえた沿岸部の港湾都市からこのミグリンまでの道のりは鉄道もなく、トラックを走らせて地道に物資を運ばなければならない。それでも港湾都市を確保しているので、兵站の負荷は大いに減っている。


「他に考えておくべきことはあるか?」


 クリメントはそう告げて、参謀たちを見る。


「ひとつ、気がかりなことがあります。共和国植民地軍が創設したエリート部隊であるヴェアヴォルフ戦闘団です」


 参謀は暫し躊躇った末にそう告げた。


「ヴェアヴォルフ戦闘団。アナトリア戦争で奇跡の逆転を成し遂げ、ミスライム危機では王国に敗北を突きつけた部隊か。ジャザーイルでは我が国の艦隊も撃滅したそうだな」


 ヴェアヴォルフ戦闘団の名は帝国本国軍にも響いている。


 アナトリア戦争で劣勢の状態から一気に巻き返した部隊として、ミスライム危機において決定的な役割を果たした部隊として、そしてジャザーイル事件において帝国の戦艦を撃沈した部隊として。


「確かにこの部隊には用心するべきだろう。話を聞く限り練度が植民地軍のそれではない。共和国本国軍が偽装している可能性がある。恐らくはこの戦争にも投入されるはずだ」


 クリメントもヴェアヴォルフ戦闘団の脅威を高く認識している。陸軍だけならば列強でも有数の帝国本国軍にいた彼でも、ヴェアヴォルフ戦闘団の戦闘力は並外れて高く感じられていた。


 アナトリア戦争での高速機動による敵地後方への浸透。ミスライム危機での常識や武器な大運河強襲。そして、どうやったかは不明だが、魔装騎士で戦艦を撃沈するという曲芸。どれも本国軍でもありえない戦術だ。


「ですが、どのように警戒なされるので? 残念なことに皇帝官房第3部は今現在当てにできる状態にはありません。前任者の粛清と組織改革のために、あの部署は機能が停止しています」

「そして、帝国植民地軍の情報部は当てにならない、か」


 参謀のひとりがそう告げるのに、クリメントが肩を竦めた。


 以前の皇帝官房第3部ならば、サウードの港を情報要員に監視させ、ヴェアヴォルフ戦闘団の動きが見えれば報告を寄越すということもできただろう。


 だが、今は前任者であるオルゲルトがエカチェリーナの暗殺未遂事件のことでアレクサンドル4世の怒りを買って失脚したために、新しい皇帝官房第3部が構築中の最中であり、彼らを情報源として期待することはできなくなっていた。


「本国軍の情報部のサウードまでは手を伸ばしていないからな。情報収集は自分たちの手でやるしかあるまい」


 クリメントはそう告げて再び地図に目を落とす。


「こちらでヴェアヴォルフ戦闘団を把握したら、迅速に排除する。いくら凄腕の部隊といっても規模は1個大隊程度だ。我々が連隊規模の戦力を投入すれば、数で押し負けるだろう」


 現在、帝国植民地軍はミグリンを中心に7師団が展開し、後方に2個師団が展開している。7個師団は広大なサウードの砂に呑み込まれてしまわないように肩を寄せ合って展開し、2個師団は後方の港湾都市を防衛するために展開している。


 共和国植民地軍は後退を続けて相手になっておらず、この状況でヴェアヴォルフ戦闘団が投入されても数で押し切れるとクリメントは考えた。


「数でごり押しですか。少し華がありませんね」

「戦争に華なんかは必要ない。必要なのは勝利することだ」


 参謀のひとりが告げるのに、クリメントが肩を竦めて返す。


「では。作戦方針を確認する。目標は共和国のサウードにおける拠点ヤスリブ。共和国植民地軍の増援が到着する前にここを落とす。攻撃開始時期は、このミグリンにおいて兵站基地の設営が──」


 クリメントが参謀たちと決めたことを確認しようとしたとき、バタバタと激しい足音が外から響いてきた。


「た、大変です! クロパトキン大将閣下!」

「何が起きた?」


 足音と共に帝国植民地軍の兵卒が司令部に駆け込んでくるのに、クリメントは嫌な予感がしながらも冷静さを維持して尋ねた。


「後方の港湾都市が襲撃を受けました! 港湾施設は破壊され、輸送船は撃沈され、物資は焼き払われたとのことです! 今先ほど、守備部隊の生き残りから連絡が……!」

「なっ……」


 兵卒の言葉にクリメントが言葉を失う。


「まさか。共和国植民地軍の残党がいたのか」

「現地住民の反乱ではないのか?」


 参謀たちも衝撃を覚えながらも、何が起きたのかを推測しようとする。


「襲撃者についての情報は?」

「はっ! 魔装騎士です! 魔装騎士部隊が襲撃を仕掛けてきたとのこと!」


 クリメントは一切の推測せずに、兵卒に尋ねた。


「魔装騎士部隊。まさか……」

「ヴェアヴォルフ戦闘団ですか……?」


 後方への突然の奇襲。そして、現れた魔装騎士部隊。


「アナトリアのときもあの部隊は後方への浸透と兵站基地の破壊を行っている。可能性としては低くない。対応を急げ。後方の2個師団の司令官には迅速に狼たちを捕捉して、撃滅せよと命じろ。最優先だ」

「はっ! 了解しました、閣下!」


 クリメントか命令を下し、部下たちが動き始める。


「王国は狼に食い殺されたが、我々はどうだろうな。我々はあの忌まわしい人食い狼を仕留めきることができるだろうか」


 クリメントはそう呟き、視線を地図に落とした。


……………………

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