サウード侵攻
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──サウード侵攻
サウード。
地球で言うアラビア半島とイラクに相当する場所であり、共和国南方植民地においても有数の規模を誇っている。もっとも大部分が砂の大地であり、採掘できるエーテリウムもそこまでの規模ではないと知られているのだが。
そんなサウードと帝国の植民地メディアの国境線を、共和国植民地軍の兵士たちがパトロールしていた。砂漠仕様のジープを走らせ、国境で不法に越境しようとしている植民地人がいないか、密輸が行われていないかを調査するのが、彼らの仕事である。
「何か見える」
と、ここでジープが止まり、後部座席に座っている双眼鏡を持った兵士が果てしなく広がる砂の大地の向こうに目を見据えた。
「何だ? 向こうから何か来たか? 帝国植民地軍でも攻めてきたか?」
「ああ。連中は自慢の戦艦を撃沈されちまって、面目丸つぶれだもんだ。思い知ったか帝国めってところだ」
運転席と助手席の兵士たちは笑いながらそう告げる。
「今回もヴェアヴォルフ戦闘団なんだろう?」
「そうだよ。マジで最高の部隊だぜ。噂じゃ王国本国軍を相手にしても勝利したそうじゃないか。連中がいれば、俺たちに敵なしだぜ。最高にイカす部隊だ」
共和国植民地軍においてヴェアヴォルフ戦闘団の存在を知らないものはいない。アナトリア戦争で形勢逆転を引き起こし、ミスライムでは単独で王国の大動脈である大運河を堰き止めた部隊の存在は一兵卒でも知っている。
「不味い」
と、ここで双眼鏡でメディアの方向を見ていた兵士が呟いた。
「何が見つかった?」
「帝国の魔装騎士だ。1個連隊はいる。後方からはトラックがやまほど。こっちに向かってきているぞ……」
運転席の兵士が尋ねるのに、双眼鏡を握った兵士はそのまま凍り付いてしまったかのようにピクリと身動きせずにそう告げた。
「本当だな? 具体的な数は?」
「分らん。数が多すぎてとてもではないが数えられない。だが、間違いなくこっちに向かっている」
双眼鏡を握った兵士がそう報告したと同時に、前進中の帝国の魔装騎士──トリグラフ型魔装騎士の口径57ミリ突撃砲が瞬いた。砲撃だ。
放たれた砲弾はジープから数メートルほどしか離れていない場所に着弾し、周囲に熱と衝撃波を撒き散らす。
「畜生! 司令部に連絡! メディア方面より帝国植民地軍が侵攻中! 敵には少なくとも1個連隊の魔装騎士部隊が存在する! 国境までは数キロ!」
ジープは慌ただしくエンジンを唸らせて、魔装騎士たちの砲撃から逃れる。
帝国植民地政府はジャザーイルにおける共和国植民地軍の不当な行動に報復するとして、サウードに侵攻した。
共和国植民地政府はサウードに駐留する全ての植民地軍を動員し、メディアから攻め込んでくる帝国植民地軍に対峙する。
だが、勝っているのは帝国だ。帝国はこの侵攻作戦に当たって、王国と激しい戦闘を繰り広げている中央アジアから兵員を引き抜き、この戦争に投入した。戦闘に関しては歴戦の猛者たちが、平和なサウードで実戦経験のない共和国植民地軍を打ち破るのは容易なことであった。
更に指揮官には帝国本国軍のクリメント・クロパトキン大将を任じた。彼は本国軍での有数の指揮官として知られている。
「前進。前進を継続せよ。共和国が本格的に動き出す前に、叩き潰せ」
クリメントはそう命じ、部下たちはそれに応じる。
共和国植民地軍がいくら必死に戦っても、帝国植民地軍の進軍は止まらず、このままではサウードの大地が帝国の手に落ちる……。
その時、クラウスたちはと言えば、彼らは船の上にいた。
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「いよいよ帝国植民地軍が仕掛けてきたぞ」
クラウスは今日の新聞を広げながらそう告げる。
場所はフェリーの中で、そのフェリーは地中海を航行している。
「共和国は劣勢みたいね。どうしてかしら」
「帝国は中央アジアで延々と王国と戦争をしていた。ある意味では非常に実戦経験豊富だ。対するサウードにいる共和国植民地軍はさしたる実戦経験もない。その差が確に表れた、というところだろうな」
ローゼも同じ新聞を読みながら尋ねるのに、クラウスが肩を竦めてそう返す。
新聞は共和国の出版社が発行したものだが、速報として帝国植民地軍がサウードに侵攻したことを告げていた。共和国植民地軍は後退を続けており、満足な抵抗は行えていないとのことであった。
その原因をクラウスは経験の差だとみる。
共和国植民地軍はサウードに駐留している部隊には実戦経験が足りない。アナトリア戦争の時はアナトリア南部にいる王国植民地軍を牽制するだけの役割しか与えられず、ミスライム危機でも国境付近で小規模な戦争に従事しただけだった。
対する帝国植民地軍は王国との十数年に渡る中央アジアでの植民地戦争で、実戦経験を積んできた。指揮官たちはどうすれば勝利に近づけるかを学習し、兵卒たちはどうやれば生き残れるかを学習した。
魔装騎士に関しても、帝国は列強でもっともポンコツなチェルノボグ型で、王国のサイクロプス型と戦い、張り合ってきたのだ。そんな連中に第2世代であるトリグラフ型を与えれば、戦闘力が倍増するのは考えるまでもない。
共和国植民地軍で実戦経験豊富な部隊はトランスファール共和国に戻っており、それが間もなくサウードに到着する。
「なら、いっぱい戦ってるあたしたちって凄く強くないッスか!?」
「そうだ。強いぞ。俺がバンバン実戦経験を積ませてやったから、共和国でも指折りの魔装騎士部隊に育った。俺たちに勝てるのは本国軍ぐらいだと思ってもいいぐらいだ」
退屈そうにしていたヘルマがパアッと顔を輝かせるのに、クラウスはニッと笑ってそう返した。
クラウスがヴェアヴォルフ戦闘団を多くの実戦に投入したのは、彼が金を稼ぐという目的もあるが、部隊に実戦経験を積ませ、強い部隊を組織するためでもあった。
そして、その目的は果たされつつある。クラウスのヴェアヴォルフ戦闘団は各地の戦闘で相次いで勝利し、クラウスでもヴェアヴォルフ戦闘団に達成できない任務はないだろうとまでに考えていた。
「それで、どうするつもりなの?」
「いつも通りだ。戦って、金を手に入れる」
ローゼが尋ねるのに、クラウスが新聞を畳んで返した。
「メディアに攻め込むつもりね」
「その通りだ。ロートシルトの方の準備はできている。勝ちさえすればいい」
ローゼはすぐさまクラウスの狙いを理解するのに、クラウスは頷く。
「え? で、でも、共和国植民地軍ってボコスカにやられてて、撤退しているって新聞には書いてあるッスよ? それなのに帝国の植民地に攻め込むなんてできるんッスか?」
一方のヘルマは頭に疑問符がいくつも浮かんでいる。
「反撃は間近だ。帝国を何もないサウードの砂漠に引き摺り込んで、そこから一気に叩きのめす。それが共和国植民地軍の方針だ。既に帝国は補給物資が切れ始めているころだろう」
砂の大地であるサウードには食料もなければ、水も僅かしかない。
武器弾薬は当然後方から運ばなければならないとしても、水まで運ぶ必要があるというのは軍隊の兵站に大きな負荷となって圧し掛かる。
そして、共和国植民地軍は砂漠で身動きができなくなった帝国植民地軍を一気に叩きのめす。そういう作戦をクラウスがファルケンハイン元帥に送り、ファルケンハイン元帥はそれにサインして各部隊に命じた。
引き込みが十二分に行ったのでトランスファ-ル共和国からの援軍が到着すれば、反撃開始だ。
「ロートシルトはどうやって儲けるの?」
「レナーテはこの戦争をメディアの共同開発権の獲得という形で終わらせると言っていた。あれがどれまで本国政府に影響力を持っているのかは不明だが、わざわざ架空の作戦を告げて、儲けをパーにすることはしないだろう」
ローゼの問いに、クラウスが僅かに考え込むように返した。
クラウスはレナーテが共和国政府上層部に通じていることを知っていた。共和国がジャザーイル事件において交渉まで3週間の時間を置くと決定したというニュースはレナーテから入手したのだから。
「共同開発権。その程度で引き下がっていいのかしら」
「俺としてはメディアを連中から奪ってやりたいところだが、メディアは帝国の不凍港がある。そこを握られるとなれば、帝国は世界大戦に訴えてでも奪い返そうとするだろう。そして、俺たちのビジネスに世界大戦は不要だ」
いつもならもっと強欲に相手から戦利品を奪うクラウスだが、今回は自重せざるを得なかった。
メディアは帝国が有する整備された不凍港が位置する場所であり、帝国の海外展開に重要な場所となっている。共和国にとってのトランスファール共和国よりも遥かに重要な場所だ。言うならば、王国の大運河が走るミスライム以上の重要な場所である。
そんな場所をクラウスたちが奪ってしまえば、帝国は激怒するだろう。その結果起きる可能性があるのが世界大戦だ。
クラウスは世界大戦を望んでいない、まして、味方はひとりもおらず、帝国と王国の両方を敵に回して戦う世界大戦は論外だ。
「世界大戦でもあなたなら儲ける術を見つけ出しそうなものだけれど」
「俺は魔術師じゃないんだぞ。殺し合いばかりの非生産的な営みから、金を生むのは苦労するんだ。まして、世界大戦なんて化け物は一介の植民地軍中佐の手には余る」
クスリと小さく笑ってローゼが告げるのに、クラウスは肩を竦めてそう返した。
戦争は非生産的な営みだ。破壊と殺人ばかりが繰り返され、後に残るのは瓦礫と死体だけだ。それが普通の戦争だ。
クラウスは植民地戦争に財閥とのコネクションというものを持ち出し、非生産的なはずの戦争をビジネスに変えた。勝てば儲かり、負ければ損をする。大きく勝てば、大儲けできる。
クラウスは植民地戦争を自分にとって金の卵を生む鶏に変え、それを長生きさせるために、ファルケンハイン元帥を買収し、ダニエル・ダイスラーと法的な問題を解決し、植民地軍上層部に独立部隊が如何に植民地戦争で役に立っているかをアピールしている。
だが、そんなクラウスでも世界大戦という化け物の中でどうやって儲けるかは見当もつかなかった。戦争の規模が巨大すぎるし、これまでのように資源を巡るだけの戦争ではなくなるために、クラウスの生み出した方法が使えない。
「何にせよ世界大戦は起きないに越したことはない、と。私も世界大戦なんかが勃発したら家の再興どころの話じゃなくってしまう」
ローゼの実家であるレンネンカンプ家はお家再建に向けて植民地でプランテーション農園を始め、なんとか二度目のチャンスを掴もうとしていた。もっとも、そんなローゼの両親の必死の頑張りによってもたらされる金よりも、ローゼがクラウスの取り引きで手に入れた金の額の方が遥かに高額なのだが。
「さて、そろそろサウードに到着する。魔装騎士を下ろす準備を始めさせないといかんな」
クラウスはそう告げて、エーテル通信機を握る。
「総員。間もなくサウードだ。現地は既に戦闘中で、帝国の連中が共和国の大地で、俺たちの大地で好き勝手に暴れている。連中にSRAGの鉱山を奪われ、破壊されでもすれば。株価は急落だぞ」
クラウスはエーテル通信機に向けてそう語る。
「総員、魔装騎士の積み下ろし準備に入れ! サウードは既に敵地だと思って気合を入れろ! そして、勝利して更なる金を手に入れろ! 大金持ちになりたければ、帝国の腐った豚どもを殺せ! 山ほど殺せ! いいか!」
クラウスがエーテル通信機にそう叫ぶと、船の各所でクラウスの声に応じる声が響いた。激励は効果を早くも発揮したようだ。
「いつもながらお見事ね。指揮官には必須の能力なのかしら」
「適当に煽るだけなら誰だってできるだろう。そこまで特別な能力でもない」
ローゼは小さくパチパチと拍手を送り、クラウスは肩を竦める。
「そんなに簡単にはできないわよ。簡単な言葉で人の心に訴えかけて、何かを成させるように誘導するなんてことは。少なくとも、私には無理ね」
「お前は覇気に欠けているだけだ」
ローゼが人差し指で頬を押さえて告げるのに、クラウスがやや呆れたようにそう告げる。
確かにローゼにはクラウスのような激励の仕方は不可能だろう。彼女の口からクラウスのような言葉が出てくるのは想像できない。
ローゼの口から出るのは機械が奏でているかのように単調な音。どこまでも冷静で、どこまでも無感情で、どこまでも冷たい音。
それは兵士の士気を奮い立たせない。それは熱くなり過ぎた兵士に冷静になるように呼び止めるための声だ。
「まあ、こういうことは俺がやる。お前はいつものように冷静に、俺たちを援護してくれ。お前にはとても助かってるんだ」
「言われなくても。やることはやる」
クラウスが信頼の色の滲む瞳でローゼを見るのに、ローゼも同様の瞳でクラウスを見つめ返し、軽く手を振った。
「さて、まずはサウードに入り込んだ帝国植民地軍を撃滅せにゃならん。いろいろと手は考えてあるが──」
クラウスの言葉が部屋をノックする音で遮られた。
「クラウス。もうすぐサウードに到着するのだな?」
「ああ。サウードだ。久しぶりの帰郷になるが、土地鑑は鈍っていないよな?」
部屋に入ってきたのはナディヤだった。
「当然だ。サウードのことは知り尽くしている。ジャーミア殿下の身代わりとして各地を巡ったからな」
「結構。これからの作戦はお前なしでは実行不可能な戦いだ」
ナディヤはサウードの出身だ。彼女は虚弱なジャーミアの代わりに、彼が行うはずだった執務──戦闘も含まれる──を行っており、サウードに関してはかなり詳しい。
「俺たちがやろうというのは────だ。砂漠の大地でこれは堪えるはずだ。そのためには、敵の主戦線を抜けなければならず、現地の地理に詳しい人間が必要になる。頼んだぞ、ナディヤ」
クラウスはこの砂漠の大地で何事かの作戦を既に立てているようだ。
「それは構わないが、私以外にも人がいた方がいいのではないだろうか? よければクライシュ族と交渉して、向こうから部族の男たちを借りられないか頼んでみるが。どうだろうか?」
「人を増やす、か」
ナディヤがそう告げるのに、クラウスが考え込む。
「そうだな。では、頼むか。クライシュ族も自分たちの立場が脅かされている以上は、俺たちに協力的なはずだ。足元は見られまいよ」
「理解した。では、サウードに到着したら、まずはクライシュ族のザーヒル陛下との接触を目指す」
クラウスはそう告げ、ナディヤは頷いて返した。
ここで汽笛が鳴り響いた。港に到着したという合図だ。
「さて、行くぞ、ローゼ、ヘルマ、ナディヤ。今度も俺たちが勝つ」
クラウスはそう告げると、肩で風を切って船室を出た。
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