アンファの戦い(2)
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最初に動いたのはナディヤの指揮する偵察分隊だった。
彼女の分隊は第31植民地連隊から拝借した6台のジープに分乗し、アンファの街の現状を再確認した。
共和国植民地軍は帝国の艦隊から陸戦隊がアンファに攻め込むことや、この緊張に乗じた鼠人種の反乱に備えて各地に展開している。だが、想定している戦闘は歩兵同士のそれであり、道路に置かれているバリケードも対魔装騎士用のものはない。
そして帝国海軍の艦隊は不気味なほど静かに佇んでいる。旗艦である戦艦クニャージ・スヴォーロフはアンファの港の中央の埠頭で市街地に砲口を向けたまま錨を降ろし、同型艦のインペラトール・アレクサンドル3世がクニャージ・スヴォーロフの後ろで同じように砲口を市街地へ。
また同型艦のボロジノとオリョールはクニャージ・スヴォーロフの西の埠頭に展開し、2隻の装甲巡洋艦パルラーダとアヴローラは東の埠頭に停泊している。
国旗を掲げた船の中はその国の領土として扱われるという国際法のためか、この艦隊の乗組員たちは武装こそしているが、艦から降りてくる様子もなく、甲板から退屈そうに外を眺めている。
「警戒はしているが、警戒しているのは歩兵というところか」
ナディヤはあの廃屋から双眼鏡で帝国海軍の艦隊の様子を観察し、その情報をエーテル通信機でクラウスに向けて通達した。
「了解した、ナディア。これからこちらも移動する。先導を頼む」
そして、クラウスたちも動き出した。
クラウスたちヴェアヴォルフ戦闘団本隊は、第31植民地連隊の駐屯地を出撃する。トレーラーの移動ではなく、魔装騎士そのものでの移動だ。もはや、戦闘は目前なのだから。
移動するヴェアヴォルフ戦闘団は4つの部隊に分かれた。
ローゼの装甲猟兵中隊はアンファの港が見下ろせる高台に、厳重に偽装を施して、市街地に溶け込むようにして展開。魔装騎士大隊は3個中隊に分かれ、東、中央、西の3方向から展開。ただし、停泊中の艦隊に気付かれないように、姿勢を低くし、匍匐前進に近い形で市街地を着々と進んだ。
そして、全ての部隊の準備は整った。
ヴェアヴォルフ戦闘団は可能な限り埠頭に接近し、戦闘準備を整えている。帝国海軍の艦隊はその様子に気付いたようすもなく、ナディヤの偵察分隊は、帝国海軍の艦隊に動きがないことをクラウスに報告する。
「ヴェアヴォルフ・ワンより全部隊。事前の作戦通りだ。ローゼが始めたら一気に仕掛ける。相手の砲は駆逐艦のそれとは比べ物にならない威力のものだ。直撃すれば命はない。細心の注意を払ってことにあたり、かつ勇気を示して連中をここから叩き出してやれ」
『了解!』
クラウスは市街地の建物の陰から下車偵察を行って、帝国海軍の艦隊の位置を改めて確認した。それぞれの艦艇は、移動する素振りも見せず、錨を下ろして、共和国への軍事的な圧力をかけている。
「さて、帝国の思惑がそう簡単には上手く行かないということを教育してやるか」
クラウスはそう告げ、ついにヴェアヴォルフ戦闘団による帝国海軍の艦隊への攻撃が開始された。
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「ネボガトフ中将閣下。我々はいつまでジャザーイルにいるのですか?」
旗艦クニャージ・スヴォーロフの艦橋で、そう尋ねるのは派遣された帝国海軍の艦隊の参謀だ。
艦隊が派遣されてから既に1週間と4日が過ぎている。本国からは引き続き共和国に圧力をかけろとの命令が出ているが、補給物資の問題からそう長くは艦隊はジャザーイルには留まれない。
何せ、ジャザーイルは敵地であり、補給物資を調達することもままならないのだ。既に食料の備蓄は少なくなり、切り詰めた食事を行っているために、兵卒たちからは不満の声が上がっている。
「皇帝官房第3部の情報は、共和国が3週間以内にジャザーイル事件に応じるための会議を開催することを伝えている。そうなれば、事実上の勝利だ。それまではなんとしても持たせる必要がある」
参謀に答えるのはこのバルチック艦隊特別分遣艦隊の艦隊司令官ニコライ・ネボガトフ中将だ。彼がこの戦艦4隻と装甲巡洋艦2隻の指揮を執っている。
「残り2週間ですか。食料が不安ですね」
「本国から補給のための船が来る手はずになっているだろう。3日後には物資を補給できる。そうすれば水兵たちの不満も収まることだ」
参謀が告げるのに、ニコライがそう返した。
帝国海軍は最初は共和国がすぐに折れるだろうと考えて、長期戦の準備を取っていなかった。だが、共和国が交渉の場をなかなか設けないという事態に直面し、慌ただしく本国で補給物資を積載した輸送船を準備し、ジャザーイルに送り込むことになった。
「ですが、共和国が簡単に我々の輸送船が通過するのを許すでしょうか。黒海も、北海も、出入り口は共和国に塞がれているのですが……」
帝国海軍はバルト海と黒海に重要な港を有しているが、バルト海はエーレスンド海峡で塞がれ、黒海はボスポラス・ダーダネルス海峡で塞がれている。どちらを通過するにも共和国の影響が及ぶ。
バルチック艦隊特別分遣艦隊は今回、共和国の不意を打つ形で夜間にエーレスンド海峡を突破したが、共和国もそのようなことがあれば次からは警戒するだろう。次に艦隊が突破するのは非常に困難なはずだ。
「補給船は民間船を使用する。共和国も戦争でもないのに、民間船を拿捕することはできまい。それができるなら、連中は既に我々を攻撃しているはずだ」
ニコライはそう告げて鼻を鳴らした。
帝国海軍バルチック艦隊特別分遣艦隊は、当初は共和国による攻撃を危惧していたが、1週間経っても駆逐艦の1隻とてやってこないのに、共和国が弱腰になっていることを確信した。
共和国は世界大戦を恐れて海軍を動員できないという情報は当たった。共和国は自分たちよりも強大な艦隊を有しているが、それを使うことはできない。完全に張り子の虎だ。
帝国本国もニコライもそう確信し、自分たちの行動が妨害されることはないだろうと確信を持った。
当初は装甲巡洋艦2隻を交代でアンファの周辺への警戒に当てるはずだった計画も、共和国海軍がまるで動かないことから取りやめになっている。
「共和国海軍は確かに弱腰ですね。やはり、世界大戦を恐れているのでしょう」
「それから王国海軍もな」
参謀が頷くのに、ニコライがそう告げる。
王国海軍。今回のジャザーイル事件においては、王国が密かに帝国を支援していた。ニコライたちが共和国海軍に全く動きがないと判断できたのも、王国海軍が共和国海軍の動きを監視し、密かに帝国に提供しているからだ。
王国は帝国と東方植民地を巡って植民地戦争状態にあるが、今回の事件では共通の敵──共和国がいた。
王国はアナトリア戦争とミスライム危機の2回の植民地戦争において、自分たちを敗北に追い込んだ共和国を憎んでいるし、彼らが急速に勢力を拡大することに危機感を覚えている。
だから、今回は帝国に協力した。帝国と共和国が争いあえば、王国はその分植民地戦争において自分たちに優位にことを運べるのだ。
そして、王国にとってはアナトリア戦争の結果結ばれたアナトリア分割協定が破棄されることも望みの内にあった。
アナトリア分割協定においての取り分は共和国が5割、帝国が3割、王国が2割と王国にとって不利な協定だった。あれだけの戦力を投入したのに、自分たちはたったの2割しか領土を得ることができず、最大のエーテリウム鉱山であるベヤズ霊山も共和国に強奪された。
そして、その後のミスライム危機において共和国がアナトリア分割協定を無視してアナトリア南部からミスライムに攻め込んだことも王国にとっては不愉快なことだった。ミスライム危機の結果結ばれたアルハンゲリスキー条約で、王国はこの共和国による協定無視を事実上認めることになったことも同様に。
だから、王国はアナトリア分割協定を結んでいる帝国が協定を破棄することを望んでいた。そう、ジャザーイル事件における交渉が決裂して、帝国がアナトリア分割協定を破棄する方向に向かうことを。
既に帝国はジャザーイルの割譲が行われないならば、アナトリア分割協定を破棄する可能性もあると共和国政府に通達しており、王国はその情報を通信線の傍受から把握していた。
共和国と帝国が争い始め。2ヶ国が戦争状態に突入する。そうすれば王国は再びアナトリア地域において軍事的な挑戦を始め、今度こそアナトリア地域を、エーテリウムが眠る大地を自分たちのものにするつもりであった。
そのような事情で王国は帝国海軍があっさりと共和国海軍に撃退され、事件が即座に解決することを防ぐため、共和国海軍の情報をつぶさに帝国政府に提供し、かつ共和国海軍が簡単には動けないように、世界最強の艦隊である王国海軍本国艦隊を動員し、共和国海軍に圧力をかけていた。
共和国海軍は世界大戦の危機を恐れて満足に艦隊を動かせず、王国海軍との衝突を恐れて艦隊を動かせなかった。
「王国との同盟は近いという噂ですが、本当なのでしょうか?」
「分らんな。王国は今回の件では我々に味方しているが、未だに中央アジアでは我々と戦争状態にある。あの戦争ではかなりの数の帝国植民地軍の兵士が死んでいる。どこまでも不毛な戦争で。そのことを考えれば、そう簡単に王国と同盟するという流れには進むまいよ」
参謀が尋ねるのに、ニコライは首を横に振って返した。
王国が帝国に協力しているのは、このジャザーイル事件に限られる。
王国植民地軍のバーラト駐留軍と帝国植民地軍は地球でいうアフガニスタンで、もう何年も戦争を続けていた。帝国植民地軍の損害は大きく、戦死者はかなりの数に上る。
帝国植民地軍は帝国本国軍がそうであるように、士官になれるのは貴族の家系にあるものだけであり、中央アジアでの戦争では少なくない貴族や貴族の子息たちが戦死している。
未だにツァーリズムを維持し、貴族が大きな力を持った帝国において、この犠牲は政治に繋がる。王国との戦いで戦死した貴族の家系のものたちは王国を憎み、王国との同盟に断固反対しているところだ。
「王国と戦い、共和国を脅かす。世界大戦で帝国が孤立するのではないか。それだけが心配だな……」
ニコライは呟くようにそう告げて、双眼鏡で環境からアンファの街を見る。
ニコライは本国から共和国が完全に交渉を打ち切ったならば、アンファの街への艦砲射撃を行うように命じられていた。アンファの街にボロジノ級戦艦の主砲である口径30.5センチ砲を叩き込み、焦土と化せという命令だ。
軍人であるニコライは命令には従うつもりだったが、その命令が正しいものなのかどうかには疑問を覚えていた。一般市民の暮らす街を無差別に破壊するなど蛮族のやることなのではないかと。
そして、そんなことをして共和国との関係が致命的に悪化した場合、世界大戦において、帝国が同盟できる相手は王国だけになることも同じように危惧していた。
王国は同盟者としては頼りないことは30年前の革命戦争で証明されている。彼らは自分たちの大陸領で碌に戦わず、帝国と共和国が殺し合って損耗している間にちゃっかりと大陸領を取り戻していた。そんな国を再び同盟国にするというのはニコライにとっては正しいものだとは考え難かった。
「いずれにせよ、共和国海軍は動かない。このまま圧力をかけ続ければ、共和国政府をいずれは折れるだろう。3週間をなんとか乗り切ることを考えなければ。軍人は政治に口出しするべきではないからな」
ニコライはそう告げて、双眼鏡を下ろした。
「その点ですが水兵たちの不満がかなり鬱積していると報告がありました。港に停泊しているのに、丘に降りることができず、リクレーションもなく、食事も貧相なものになっていることに不満を覚えているようです」
ニコライの言葉に参謀がそのように告げる。
バルチック艦隊特別分遣艦隊の水兵たちは港に停泊しているにもかかわらず、陸に降りることができず、狭い艦の中に閉じ込められていることに不快感を覚え始めている。
そして、艦隊には今のとこの1週間近く警戒態勢を取っており、水兵たちが気晴らしをするためのリクレーションも行えていない。娯楽がないことに住兵たちは苛立っている。
そして、唯一の楽しみである食事も物資不足を原因に貧相なものへと日に日に進んでおり、そのことでも水兵たちは大きな不満を持っていた。
「警戒態勢を一部解除して、何らかのリクレーションを設けるか。水兵たちのご機嫌を伺わなければならないとは面倒なことだ」
参謀の報告にニコライはうんざりしたように溜息を吐く。
帝国海軍の士官たちはやはり貴族の家系のものだ。貴族が指揮をし、平民である水兵たちが従うのが帝国海軍のやり方だった。
このやり方には大きな問題がある。
貴族の家系にある将校たちは、平民である水兵たちを奴隷のように扱い、そのことで水兵たちは常に不満を抱えているのだ。自分たちが差別されていることに、水兵たちの士気は非常に低いものだった。
共和国海軍が世界大戦をおそれて動けない張り子の虎であると言ったが、帝国海軍も水兵たちの不満を大きく内包した分裂の危機にある海軍だった。今のところ致命的な反乱は起きていないが、水兵たちはちょっとでも環境が悪くなると、その不満を鬱積させ、反乱の土壌が少しずつだが浸透していた。
「では、水兵たちにはレクレーションを提供しましょう。射撃大会や、カモメ狩りなどに興じれば、少しは水兵たちの気も晴れるかと」
「そうであることを願いたいな。帝国海軍がこれほどの遠方地域で作戦を展開するのは初めてのことだ。試行錯誤を行って、戦闘状態を維持しなければ」
レクレーションと言っても、港の外には降りられず、狭い艦の上でやれることは限られている。射撃大会を催すが、この港に多く清掃しているカモメを仕留めて、食事にバリエーションを加えることぐらいだ。
「それにしても共和国は本当に動かないのだろうか。共和国本国政府は弱腰の腑抜けだが、共和国植民地政府は狂犬だと悪名高い。奴らが大人しく自分たちの植民地を奪われるのを眺めているだろうか??」
「植民地軍には海軍はありません。共和国植民地軍が我々の相手をしようと考えても、彼らにできることはありませんよ。連中は駆逐艦の1隻も有していないのですから」
ニコライが考えこむのに、参謀が楽観的な意見を述べた。
確かに共和国植民地軍には、海軍は存在しない、植民地軍はどの列強も、陸軍としての組織である。植民地軍には海軍を運用するノウハウはないし、海軍同士の争いが本国に波及することを恐れて海軍は保有させないことになっている。あったとしても密輸入を阻止するための警備艇程度だ。
「確かに共和国植民地軍には海軍はない、だが、何らかの手段で我々を撃退するのではないかという危機感がある。共和国植民地軍はこれまで驚くべき離れ業をやってきていたからな」
だが、ニコライは慎重だった。彼は海軍はなくとも、共和国植民地軍が何かしらの行動を起こすのではないかと危惧していた。
そう、特に魔装騎士による襲撃を。
今のニコライたちの艦隊はアンファと共和国に目に見える形で圧力をかけるために港に停泊している。それは陸から魔装騎士による襲撃が可能だということを意味する。
ミスライム危機では王国の駆逐艦が魔装騎士によって撃破され、あの誇り高い王国海軍が何もできずに撤退する羽目に陥っていた。
ならば、自分たちは本当に安全なのだろうか?
「問題はないかと思いますよ。共和国植民地軍は確かに王国の駆逐艦を撃退した実績がありますが、我々は戦艦。そう簡単には撃破できるものではありませんから」
戦艦の装甲は恐ろしく分厚い、戦艦の巨砲同士の殴り合いを想定した戦艦は、魔装騎士の突撃砲ごときでは貫くことはできない。王国がやられたのは装甲も需分ではない駆逐艦であって、バルチック艦隊特別分遣艦隊では、話が大きく異なることは間違いない。
「そうであればいいが、どうも嫌な胸騒ぎがする」
ニコライはそう告げて、艦隊司令官の椅子に腰を下ろす。
ことが起きたのはニコライが席に座ってからだった。
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