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ジャザーイル事件(2)

……………………


「“帝国政府、ジャザーイルの割譲を要求”と」


 クラウスは新聞の一面に記されていた記事を読んでいた。


「兄貴。よく新聞を退屈せずに読めるッスね。あたしは後ろの方についてる漫画しか読まないッスよ」


 そんなクラウスにヘルマがそう告げる。


「だから、お前はいつまで経っても馬鹿なんだよ。ちょっとは学習意欲を持て、学習意欲を。そうでなければ折角貯めた金を無駄になるぞ?」


 クラウスはヘルマにまるで父親のようにそう告げる。


「あなたはこうなることを知ってたのね?」

「ああ。皇女殿下が俺に知らせてくれた。だから、俺たちはここにいる」


 ローゼが横から告げるのに、クラウスは両手を広げた。


 クラウスたちがいるのは、トランスファール共和国の第8植民地連隊の駐屯地ではない。ジャザーイルはアンファに近い場所にある第31植民地連隊の駐屯地の中だ。


 クラウスたちはエカチェリーナの訪問が終わると、すぐに部隊をジャザーイルに向けて出発させた。移動の許可など取る必要はない。ファルケンハイン元帥がクラウスに全権を委任すると書いた書類を見せればそれで終わりだ。


 そして、クラウスたちがジャザーイルに到着してから7日後に、この帝国海軍の艦隊のジャザーイル入港と、帝国政府による共和国政府へのジャザーイルの割譲要求が起きたのだった。


「それなら一言言ってくれておいてもよかったのに」

「それとなくは仄めかしただろう。それに俺としてもどこまで皇女殿下の情報を信じていいのか悩んでいたからな」


 エカチェリーナの情報はこれまでのノーマンの情報と違って、信頼性に疑問符が付くものだった。何故ならばエカチェリーナはクラウスから分け前を貰うわけでもなく、共和国の人間でもないからだ。


 だが、クラウスは念のためにとヴェアヴォルフ戦闘団をジャザーイルに移動させた。もし何かがあれば、もしエカチェリーナの言ったことが当たれば、即座に自分たちが対応できるように、と。


「さて、情報は当たった。各所への根回しも終わっている」

「ファルケンハイン元帥とロートシルトね」


 クラウスが告げるのに、ローゼが頷く。


「そう、ファルケンハインの親父からは俺たちが好きに行動していいとの許可を貰っている。このジャザーイルで何をしても構わないとの許可をな」


 ヴェアヴォルフ戦闘団は植民地軍司令官直轄の部隊。その行動はヴェアヴォルフ戦闘団を怪しむヘンゼル・ヘルツォーク大佐などの指図を受けず、ファルケンハイン元帥の署名が入った書類一枚で何でもできた。


「そして、ロートシルトにも事態を事前に通達してある。SRAGはここに大小のエーテリウム鉱山を持っているからな。ロートシルトはここを守り切れ、かつメディアで勝利できれば更に株式の5%を譲渡すると約束している」


 次に重要なのはクラウスのビジネスパートナーであるロートシルト財閥だ。クラウスの告げたようにSRAGはここにエーテリウム鉱山を有している。それが帝国に奪われるならば、ロートシルトにとっては打撃だ。


 レナーテは戦艦が派遣される恐れがあるとの情報を受けて、クラウスにその戦艦の撃退を依頼し、どういうわけかこことは関係ない帝国の植民地であるメディアでの勝利を求めた。


「訊くまでもないでしょうけど、勝算は?」

「ある。戦艦が沖合で待機していたならば、こっちにとっては手の出しようがなかっただろうが、連中は港にいる。手を出す機会はいくらでも、だ」


 ローゼは小さく笑って尋ねるのに、クラウスはジャザーイルは最大の港湾都市アンファの地図を見下ろして返した。


 アンファはジャザーイルの北寄りに場所に位置している都市で、共和国の北大西洋での貿易拠点として機能していた。港湾施設の他に、巨大な倉庫街や、整備点検用のドックまで配備されている。


「今、ナディヤを偵察に向かわせた。詳しい情報はナディヤから聞き出せるだろう。連中がどこの錨を降ろして暢気にしているかをな」


 クラウスはそう告げると。ニッと笑ったのだった。


……………………


……………………


「冗談ではない! こんな要求が受け入れらるか!」


 共和国本国では帝国の突き付けてきた要求への議論が行われていた。


 ジャザーイルを無条件で帝国へ割譲せよ、という要求への。


「帝国はどうしてこんな厚顔無恥な要求が通ると思ったのだ。連中は我々を侮辱しているのか」


 現在の共和国大統領はそう告げて呻く。前回の大統領選で庶民派であることをアピールし、全ての人民への福祉の向上を掲げて当選した人物であり、政治的には左派に属する人物だ。


「連中はアナトリアの件で我々と同盟し、ミスライム危機で仲介役を務めたので、その見返りを貰ってもいいだろうと考えているのでしょう。連中が果たした役割などたかが知れているというのに」


 陸軍大臣はそのように吐き捨てた。


「では、本件は却下して、帝国の要求を無視するか。その場合に起こりえる最悪の事態はなんだ?」


 大統領はそう告げて外務大臣を見る。


「外務省として申し上げます。帝国の要求を却下すれば、今行われている帝国との関係改善に多大な影響が出るかと。世界大戦において我々は二正面作戦を強いられる可能性があります」


 外務大臣は帝国の寄越してきた通信文何度も読みながらそう返す。


「帝国との関係改善など、本当にできていたのか? このような事件が起きたというのに?」

「もちろんです。進んではいたのです。帝国の宮廷内になる親共和国派の勢力と接触し、彼らと手を組んで帝国を共和国の同盟国にするという計画は着実に進んでいたのです。ただ……」


 陸軍大臣が問うのに、外務大臣が項垂れる。


「宮廷内部には共和主義への根強い反感があります。そのため彼らはどうしても王国との同盟を選ぼうとするのです。宮廷内の勢力は共和国派が3で王国派が7というように共和国派は圧倒的に不利です」


 帝国はツァーリズムという専制君主制度を維持し、その名において長年に渡って巨大な国家支配してきた。そんな専制君主制度と共和主義は決定的に相いれないものだ。


 故に共和国がいくら帝国を懐柔しようとしても、帝国は共和国の政治体制からなかなか手を組もうとはしない。唯一同盟に成功したアナトリア戦争は本当に奇跡が起きたとしか言いようがないものなのだ。


「それではいくら帝国の顔色を窺っても無意味ではないか。帝国との同盟など考えるべきではない。時間の無駄だ」

「ですが、そうなると世界大戦において我々は誰と同盟するのです?」


 陸軍大臣が憤慨して告げるのに、これまで沈黙していた大蔵大臣が尋ねた。


「王国との同盟は不可能なのか? 帝国よりも政治体制は我々に近いが」

「王国と何度植民地戦争をやったと思っておられるのです? つい、この間我々は王国の大動脈である大運河を脅かし、彼らを脅迫してクシュを手に入れたのですよ。アナトリアでもそうだ」


 陸軍大臣が告げるのに、外務大臣が首を横に振った。


「その点、帝国と砲火を交えたのは30年前の革命戦争のときだけ。帝国が王国の東方植民地であるバーラトを狙って王国と不毛な戦争を続けていることを考えれば、宮廷内の王国派に揺さぶりをかけることも不可能ではないはずです」


 外務大臣はそう告げて列席者たちを見渡す。


 陸軍大臣は納得のいかないという表情を浮かべており、大蔵大臣はまた沈黙した。大統領は何を考えているのか分からないままに煙草を咥えている。


「では、帝国の要求を受け入れるべきだと外務省は言うのか?」


 陸軍大臣は暫しの沈黙の末にそう告げた。


「ジャザーイルひとつで帝国との同盟が買えるのであれば、安い買い物ではないでしょうか。それにジャザーイルには帝国の艦隊がいるのでしょう?」


 そう告げて外務大臣は海軍大臣を見る。


「その通り。既に報告しているが、帝国のボロジノ級戦艦4隻とパルラーダ級装甲巡洋艦2隻が大陸海峡チャネルを通過するのを大洋艦隊が確認し、その後ジャザーイルからその艦隊が入港したとの情報が入った」


 海軍大臣は彼が確認したことを列席者たちに告げる。


「我々の大洋艦隊には戦艦が30隻以上いるだろう。戦艦の4隻程度どうにかならんのか?」

「確かにボロジノ級戦艦は旧式戦艦であり、ジャザーイルに派遣された艦隊も、その本隊であるバルチック艦隊も大洋艦隊の敵ではない。だが、戦艦同士が交戦することの意味は陸軍にもご理解いただけるはずだ」


 陸軍大臣が告げるのに、海軍大臣がそう返した。


「世界大戦、か」


 大統領は煙草の火を揉み消し、小さく呟く。


「ええ。世界大戦です、大統領閣下。この時点では誰も世界大戦を望んでいないと考えていますが、それは間違いではありませんね?」


 戦艦同士の、海軍同士の正面衝突。それはもはや植民地戦争ではない。間違いなく世界大戦だ。


 大統領の告げた世界大戦という言葉に、この会議が行われている部屋にズンと重い空気が満ちる。


「……海軍の支援なしに帝国の戦艦を撃退できればどうだろうか? 植民地軍が独力でそれを成し遂げてくれたならば、それは世界大戦には繋がらないのではないか?」


 重い空気の中で陸軍大臣がそのようなことを述べた。


「植民地軍がどうやって戦艦を撃退するというのです? 植民地軍には海軍は存在しないのですよ。彼らは戦艦を攻撃する手段を有していない。装甲巡洋艦だって同じこと」


 海軍大臣は何を馬鹿なと思いながら陸軍大臣にそう告げる。


「だが、ミスライム危機では植民地軍の魔装騎士が王国海軍の駆逐艦を退けていたではないか。それと同じように魔装騎士を使って、戦艦を排除すればいい。そうすればジャザーイルにおける帝国の脅威はなくなり、我々はフェアな条件で帝国との話し合いを始めることができる」

「駆逐艦と戦艦は大きく異なる。戦艦は敵の放つ口径30.5センチ級の砲弾から身を守れるような装甲を有しているのだ。確かに駆逐艦程度ならば魔装騎士の突撃砲で排除できるだろうが、戦艦を相手にするのは不可能だ」


 陸軍大臣の告げる言葉に、海軍大臣が首を横に振った。


 戦艦が何故海の王者なのかと言えば、その分厚い装甲によって有象無象の攻撃を退け、自分たちの有する巨大な砲から圧倒的な火力を叩き込むからだ。


 駆逐艦の装甲は魔装騎士の口径75ミリ突撃砲でも破れるだろう。だが、戦艦の装甲は魔装騎士の突撃砲でどうにかなるほど軟なものではない。


「理解した。では、外務省は大使を通じて帝国との交渉を開始したまえ。近いうちにジャザーイル事件を話し合う会議を設ける。その旨を帝国が側に通知しておくように」

「畏まりました、大統領閣下」


 大統領がそう告げるのに、外務大臣が頷く。


「待ってもらいたい。せめて、こちらが何かしらの軍事的な行動を起こすまでは交渉を始めるべきではない。このままでは、帝国は軍艦を出せば、好きなだけ共和国から植民地を毟り取れるのだと考えてしまう」


 陸軍大臣はそう告げた。


 このまま無条件で帝国との交渉に臨むのは、共和国が弱腰であることを明確に世界にアピールしてしまう。帝国だけではなく、王国も同じ方法を使って共和国から植民地を奪おうとするだろう。


 そうなれば共和国の植民地帝国は崩壊する。


「軍事的行動とはどのようなものかね?」

「こちらも艦隊を派遣して睨み合う。そして、相手が音を上げて、条件を落とすまではそうするべきだ」


 大統領が尋ねるのに、陸軍大臣がそう告げ、海軍大臣を見る。


「海軍は艦隊を派遣できるか?」

「できます。ですが、万が一のことが起きればアンファの街が艦隊決戦に巻き込まれ、世界大戦の危機が発生することをお忘れなく」


 大洋艦隊はジャザーイルのことを知って、全艦艇が出撃準備を完了したままに待機している。海軍はジャザーイルに自分たちが派遣されれば、大洋艦隊が全力で戦うことになると、つまりは世界大戦になると理解しているのだ。


「世界大戦のリスクは冒せない。帝国まで敵に回した世界大戦の危機はなおのことだ。海軍は派遣しない」


 大統領はそう結論を告げて、煙草に火をつける。


「他に意見は?」


 閣僚たちの一部はこの男が大統領になったのは間違いだったと思っている。本来ならば、侵略者である帝国に対して強く出なければならない場面で、まるでこちらが加害者であるかのように振る舞っている、その態度を見ると。


「交渉はまだ先に延長するべきでしょう。すぐに応じるのはこちらに手がないことを曝け出す結果になります。交渉開始までの時間を延ばし、海軍には北海で演習を行わせ、こちらにも植民地を守る意志があることを示さなければ。そうでなければ植民地で暮らす何百万もの入植者たちの支持を失います」


 ここで声を上げたのは大蔵大臣だった。外務大臣ではなく。


「なるほど。確かにそうだ。交渉までの時間は可能な限り延期しよう。どれほどがタイムリミットだと思うか?」

「3週間というところでしょう。いつまでも黙殺していては帝国は更に強硬な手段に出かねません」


 大統領は支持をチラつかされると一転して大蔵大臣の意見に同意し、外務大臣が彼の質問に答えた。


「よし。では、3週間、交渉に備える。海軍は演習を各地で実行し、帝国に穏やかな軍事的圧力をかけるように。それで我々がジャザーイルを手放さずに済むことを祈ろうではないか」

「我らが共和国と全ての人民に栄光あれ」


 会議はこうして終わった。


 対策らしい対策はなく、大蔵大臣が述べた時間稼ぎ戦術が採用されただけ。


「かつての共和国ならばな」


 会議が終わり、会議室を出ると陸軍大臣が愚痴る。


「かつての共和国ならば世界大戦など恐れずに帝国の戦艦を粉砕し、腐ったツァーリズムの軍隊が機能していないのだと教えてやっただろうに」

「そうだな。共和国は鈍化していくばかりだ」


 彼の愚痴に相槌を打つのは大蔵大臣だ。


「共和国には指導者が必要だ。それも力強いリーダーシップを持った指導者が必要だ。海軍のロイター提督は理想的だったが、彼は些か軍人のことばかり考えており、一般大衆のことを考えていないのが欠点だった。彼では共和国大統領にはなれない」


 大蔵大臣はそのように告げる。


「力強いリーダーシップを持った人間、か。とてもではないが、今の大統領ではダメだな。あいつは人の意見ばかりを気にして、自分の意見というものがない。良くも悪くも今の共和国を代表することなかれ主義者だ」


 陸軍大臣は大蔵大臣の言葉に相槌を打ちながら、彼の不満を曝け出す。


「そろそろ次の大統領選だ。次の候補者の中に我々が求める人材がいることを祈ろう。その人物が共和国を救ってくれることを」

「今は祈るしかないな。それぐらいしか我々にできることはない」


 大蔵大臣と陸軍大臣はそう言葉を交わし、大統領官邸を去った。


 共和国大統領の任期は6年。今の共和国大統領は現在4年の任期を務め終え、2年後には新しい共和国大統領を選ぶ選挙が行われる。


 それがどのような結果になるのか。


 それを知るものは今は誰もいない。


……………………

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