ジャザーイル事件
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──ジャザーイル事件
それを最初に共和国が観測したのは、沖合での訓練に当たっていた共和国海軍大洋艦隊に所属する第8水雷戦隊の1隻の駆逐艦──Z-14が偶然にもそれの航路上にいたからである。
「艦長、東の方角から不明艦が接近中」
「どこの馬鹿だ。この海域は今日は海軍の訓練に使うと言ってあるだろう。警告を発して追い払え」
共和国海軍大洋艦隊は事実上の共和国海軍の主力である。そんな彼らは共和国の海の防人であり支配者だという自尊心があり、民間の商船や、他の艦隊の艦艇などを馬鹿にしている。
「国際航海周波数で警告を発していますが、返答ありません」
「魚雷でも叩き込んでやるか」
海軍というのは大型艦の艦長ほど暢気なもので、小型艦の艦長ほど気が荒いという俗説がある。まあ、分厚い装甲に守られ、駆逐艦からすればノロノロした速度で撃ち合う戦艦の艦長と、装甲などないに等しく、海を駆けるように疾走し、隙を見て相手の巨艦に魚雷を叩き込む駆逐艦の艦長が同じ性格をしていても困るだろう。
「あ、あれは……」
不意に東の方向に目を向けていた見張りの水兵が目を見開く。
「艦長! 接近中の艦艇は戦艦です! 戦艦4隻と巡洋艦2隻を確認! 繰り返します! 戦艦4隻と巡洋艦2隻が当海域に接近中!」
「どこのだっ! 王国か!?」
水兵が叫び、艦長も双眼鏡を手に取って東に目を向ける。
「帝国海軍の海軍旗。バルチック艦隊か。一体、ここに何の用だ」
「どうしますか、艦長?」
艦長が迫りくる戦艦のマストに翻る帝国の青と白の海軍旗を確認して告げるのに、副長が指示を求めた。
「直ちにティルピッツハーフェンの艦隊司令部に通報。それから戦隊司令官に演習中止を意見具申する。これからやるべきはあの連中がどこにいって、何をするつもりなのかを確かめることだ」
艦長はそう告げて、エーテル通信機が慌ただしく大洋艦隊司令部と第8水雷戦隊司令部に向けてメッセージを送る。
「そうです。ボロジノ級戦艦4隻とパルラーダ級装甲巡洋艦2隻を確認しました。こちらの領海のギリギリを航行しています。おそらくは大陸海峡を抜けるつもりでしょう」
『帝国海軍の戦艦がこの時期に一体何を……』
この世界において戦艦は海上における最強の戦力であり、国家によっての力の象徴だ。現代で言うなら原子力空母のようなものだ。そんな海の王者たる戦艦を理由もなくうろつかせるはずもなく、帝国のこの動きには何かしらの理由があるものだと思われた。
「こちらとしては、これから何をするつもりなのか監視を行うべきだと思いますが」
『待て。大陸海峡の航行許可は帝国も有している。彼らの邪魔をするわけにはいかない。下手に刺激するとどうなるかは君にもわかるだろう?』
帝国海軍の艦隊を発見したZ-14の艦長が告げるのに、艦隊司令部はそう告げて返した。
『今は帝国との関係を悪化させるわけにはいかないのだ。第8水雷戦隊には直ちに、こちらの領海に入らないかの監視任務だけを命じる。彼らが大陸海峡を抜けるまでだ。以上』
そう告げて艦隊司令部は通信を打ち切った。
「クソ! 艦隊司令部の腑抜けどもが! 連中が俺たちの植民地に向かうならどうするつもりだ! ここで阻止しておけばよかったと後になってから考えても知らんぞ!」
Z-14の艦長は怒り狂ってエーテル通信機が壊れんばかりに机を殴る。
「確かに我々海軍は慎重になり過ぎていますね。この間のミスライム危機でも地中海艦隊は、植民地軍を何ひとつ支援しなかったそうではないですか」
副長も溜息混じりに艦長に同意する。
「全くだ。何のために俺たちが存在するというのだ」
海軍の戦闘は世界大戦に繋がる。
そう言われているが、王国海軍が仮装巡洋艦を使って共和国植民地軍の動きを妨害したことは既に知れているし、ミスライム危機においては王国海軍の駆逐艦3隻が共和国植民地軍の魔装騎士と交戦して撃破されている。
それなのに共和国海軍の上層部は世界大戦を恐れるがあまり自分たちの手足を縛り、積極的な行動を行わない。これでは、何のために巨額の費用を投じて艦隊を整備したのか分からなくなってくる。
「前回の大統領選挙でロイター提督が大統領に就任していたならばことは変わっていただろうが」
「ロイター提督は出馬を拒否されましたからね。残念なことです」
ロイター。ラードルフ・ロイターは共和国海軍大将の地位にある人物だ。
かつての革命戦争で少尉として従軍し、装甲艦クリーガーの右舷3番砲の指揮を執り、艦が集中攻撃を浴びても怯むことなく砲撃を続け、王国海軍の装甲艦を撃破したことで騎士鉄十字勲章を授与された。
その後も海軍のエリートコースを進み、今は共和国海軍参謀総長の地位に就いている。参謀総長という地位は事実上の海軍のトップだ。
そして、その軍歴は確かだが、政治的な人物でもあり、海軍内の右派を取り纏め、研究会や学習会と称した政治的集会を軍の中で行っている問題のある人物でもあった。
問題はあるが、海軍及び陸軍内での人気は高く、彼が共和国大統領になるならば、かつての強大な共和国が蘇ると信じている士官たちは多かった。
だが、その彼は前回の共和国大統領選への出馬を拒否している。理由は軍務に専念するためだと告げているが、本当の理由を知るものはいない。そして、もし彼が出馬したとしても当選はしなかっただろうというのが、多くのメディアの予想であった。彼は兵士に人気はあっても、一般大衆にはそこまで人気がなかったのだから。
「海軍に入隊したときは祖国のために働くのだと気合を入れたものだが、現実はこの有様か。情けなくなってくる。何故、我が国の海軍だけが他国の海軍の顔色を窺って行動しなければならないのだ。これでは祖国のために働くことなどできやしない」
艦長はそう愚痴りながら再び艦橋に戻る。艦橋からは我が物顔で共和国の領海ギリギリを航行する帝国海軍の戦艦と装甲巡洋艦の姿が見えた。
「腹立たしい。何かあったとしても、俺たちはどうせまた蚊帳の外だ」
「彼らが植民地に向かうならば、相手にするのは植民地軍でしょうね」
艦長が苛立たしげに双眼鏡で帝国海軍の戦艦の姿を眺めるのに、副長がそう告げる。
「植民地軍、か。昔は入植者の掃き溜めだと思っていたが、最近は違っているようだな。何でも英雄的な活躍をした将校がいるそうじゃないか」
「それはクラウス・キンスキー植民地軍中佐のことですか? 彼の事は新聞で報じられていますね。アナトリア戦争とミスライム危機の件で、共和国の英雄だとして本国でも持て囃されていますよ」
クラウスの話は遠く離れた大洋艦隊の駆逐艦まで響いていた。
共和国のメディアは植民地戦争における過去最大の勝利として、アナトリア戦争とミスライム危機を挙げており、その勝利に貢献した英雄としてクラウスのことを話題にしていた。
もちろん、メディアの中にはクラウスが悪戯に王国との関係悪化を招き、危うく世界大戦を引き起こすところだったとして、この冒険的な植民地軍の将校を批判する記事を載せたものもある。
だが、ほとんどのメディアはクラウスに好意的だ。彼が平民出身であることや、自分の戦功を自慢して回らない謙虚な性格であることや、彼の成し遂げた勝利によって共和国経済が好転したこともあって、各新聞の論調はクラウスのことを共和国を救う英雄だとまで評していた。
「植民地軍の連中の方がよっぽど祖国のために働いているな。こんなことならば俺も植民地に行って、植民地軍に入ればよかったよ」
「艦長。海軍にも必ず使命を果たすときがきますよ」
艦長は溜息を吐きながら双眼鏡を下ろして帝国海軍の戦艦から視線を逸らし、副長は艦長を慰めるようにそう告げた。
「そうだな。では、お見送りを続けるとしよう。帝国の連中が大人しくしてくれることを祈って、な」
艦長はそう告げると艦隊司令部から指示されたように、帝国海軍の艦隊が大陸海峡に入るまで追跡し、その後は追跡を止めて、大洋艦隊の本拠地であるティルピッツハーフェンに帰還した。
帝国海軍バルチック艦隊から派遣された4隻の戦艦──旗艦クニャージ・スヴォーロフ、インペラトール・アレクサンドル3世、ボロジノ、オリョール──2隻の装甲巡洋艦───パルラーダ、アヴローラ──は、英仏海峡に相当する大陸海峡を通過し、北海を抜けて北大西洋に入った。
そこからは王国海軍の巡洋艦が出撃し、彼らが何をするつもりなのかを確かめるために追跡を続けたが、彼らの狙いはほどなくして明らかになった。
帝国海軍の艦隊は共和国の植民地であるジャザーイルに向けて進み、ジャザイール最大の港湾都市アンファに入港するとそのまま停泊したがために。
帝国は共和国の植民地に戦艦という海上最強の戦力を突きつけたのだ。
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