帝国という国家(3)
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「クラウス。植民地軍はどんな感じ?」
パトリシアの自宅がある高所得者向けの住宅街に向かうまでの道のりで、パトリシアが第1植民地連隊から借りたジープ──パトリシアの車は銃弾で蜂の巣にされてとてもではないが公道を走れなかった──の車内で、クラウスに尋ねる。
「軍隊は軍隊だ。敵と戦って、相手を殺して、生き延びて、目標を達成して、勝利する。それだけの場所だ。別段、これといって珍しいことはない。お前が嫌っているように野蛮な場所さ」
パトリシアの問いにクラウスがそう返す。
「でも、あなたのはただの植民地軍の部隊じゃないでしょう。独立した部隊で、危険な賭けを何度もやってる。不安になることはないの? 生き延びれるかどうか不安になることは全くないの?」
クラウスのヴェアヴォルフ戦闘団は植民地軍司令官直轄の独立部隊だ。だからこそ、アナトリア戦争では勝手にベヤズ霊山を強襲して強奪し、その後は停戦協定を破って戦果を拡大した。ミスライム危機でも、共和国植民地軍が戦闘に突入する前に独断専行で大運河を奇襲し、王国に大打撃を与えた。
「命の心配はしてるさ。金をいくら貯めても、使わなければ何の意味もないことは理解している。嫌になるほどに、な」
クラウスは前世において、麻薬取り引きで得た収入を横領し、私財を蓄えた。だが、その金を使う前に彼は殺され、折角蓄えた金も使うこともなく、無意味なものへと変わってしまった。
だから、クラウスは部下の生存にも気を配っているが、自分が生き残ることにも細心の注意を払っている。今回も大量の金を蓄えたのに、それを使って人生を謳歌する前に死んでしまっては何の意味もないのだ。
「私は不安に思ってる。あなたは何度も危険な戦場に向かうし、トンでもない無茶をするから。あなたが戦場に向かうたびに、あなたが死ぬんじゃないかって心配になる」
パトリシアはそう告げて運転席に座っているクラウスの足に手を置いた。
「これからも生き残ってくれるわよね、クラウス? あなたは死んだりなんかしないわよね? 王国や、帝国を相手にしても、また勝利して、生きて帰ってきてくれるわよね?」
パトリシアは僅かに瞳を潤ませてクラウスにそう尋ねる。
「ああ。俺は生き延びる。生き延びて金持ちになる。この野望は誰にも邪魔はさせない。王国だろうと、帝国だろうと、立ちはだかるものは蹴散らすだけだ」
クラウスはいつもの傲慢さと自信に満ちた口調でそう返す。
「あなたは強いわね。私は……今回の件でも思い知ったけど、あなたほどの自信は持てないわ。今日は死ぬ事を覚悟して、世界大戦が勃発することを覚悟してた。あなたみたいになりたい」
「お前はお前でよくやってるぞ、パトリシア。貴族令嬢が俺たち軍人のように振舞う必要はない。今回の皇女殿下をエスコートしたのは完璧に近かったんじゃないのか?」
パトリシアは溜息を吐いてそう告げ、クラウスは僅かにパトリシアに視線を向けてそう返す。
「ダメよ。全然ダメ。私は始終怯えてばかりだった。エカチェリーナ殿下が気の強い方だったから大丈夫なように見えたけど、ホストとしては失格よ。あれだけの大騒動が起きてしまったんですもの」
パトリシアはホストとして予め市民協力局第1課に過激な社会主義者たちを検挙させ、カップ・ホッフヌングの街を“清掃”したが、それでも暗殺未遂事件は起きた。エカチェリーナは命の危機に晒され、一歩間違えば世界大戦だった。
「それはお前だけの過失じゃないさ。相手は社会主義者じゃなくて、帝国だった。まさか帝国が自分たちの皇族を暗殺しようと思っているなど、俺だって想像できなかったことだ」
「そう言ってもらえると、少し安心する。あなたは優しいのね」
クラウスたちは君主制度に反感を持つ社会主義者がエカチェリーナを狙うのだと思い込んでいたが、実際にエカチェリーナを狙ったのは皇帝官房第3部だった。帝国の内情を知らないパトリシアたちには想像もできないことだ。
「あなたは頼りになる人。私が幼い頃からずっと頼りになってた。私が社交界で我が侭を言えば、あなたが穏便にことを収めて、諌めてくれたし、遊びに出かけるときも私の身を守ってくれた」
パトリシアはそう告げて、クラウスを見つめる。
「北方の視察に行ったときか。あそこでお前は南方植民地総督の娘ってことで植民地人たちに囲まれたからな。あれは危ないところだった」
クラウスがパトリシアと付き合って、10年と数年が経つ。
その中でもパトリシアが父親であるヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベック南方植民地総督の娘として、トランスファール共和国の各地を視察していたときに、パトリシアは退屈になってひとりで植民地を見て回っていたことがある。
その際に、パトリシアは自分たちに圧政を強いる南方植民地総督の娘であることが植民地人たちに割れ、怒りに燃える植民地人たちに囲まれ、危うく命を落とすところだった。
「そう。そこで助けに来てくれたのは、あなた。あなたが警備を引き連れて、怒り狂った植民地人たちを追い払ってくれた。あのときのことは今でも鮮明に覚えているわ」
怒り狂った植民地人たちを蹴散らしたのは警備の植民地軍を引き連れてやってきたクラウスだ。クラウスが植民地人たちを次々に銃撃し、植民地人たちは恐怖にかられて、慌しく逃げ去っていった。
「ねえ、クラウス。これからも私の騎士でいてくれない? 私にはあなたが必要なの。弱い私には、あなたのような強い人が必要なのよ」
パトリシアはそう告げて、クラウスの青色の瞳をジッと見つめる。
「パトリシア。残念だが、俺には俺の野望がある。お前の事は大事に思っているが、お前の騎士にはなれない。俺は俺のために働き、最も成功した植民地の人間となり、これまで成り上がりの海軍士官の息子と馬鹿にしてきた連中を見返さなきゃならん」
クラウスの野望は巨万の富を手に入れること。
そのためには植民地軍を私兵化したし、ロートシルト財閥とは癒着したし、独断専行で作戦を実行した。あらゆるリスクを冒して、クラウスは自分の野望のために生きている。
「お前の騎士の座は、いずれお前が結婚するだろう、どこかの貴族のためにとっておけ。俺のような平民上がりには過ぎた地位だ」
「そんなことはない。あなたは本国でのうのうと過ごしている貴族たちよりも、ずっと行動的で、実行力があって、実力がある。本国の貴族なんかよりも、あなたはずっと偉いわ」
クラウスが告げるのに、パトリシアがそう断言した。
「でも、結婚するのはその貴族だろう? 婿養子を貰って、レットウ=フォルベック侯爵家を存続させなければならない。それが貴族って奴だ」
「そうね……。貴族ってのは本当に嫌になる。今はこれといった権力もないのに、義務ばかりが積み重なって割に合わない」
ヴィクトールの子供はパトリシアだけ。レットウ=フォルベック侯爵家が存続するには、どこかの貴族から婿養子を貰い、そうやって侯爵家を存続させなければならない。
だが、今の貴族の権力は共和国政府によってジリジリと削り取られている。改正農地法で領地を失ったローゼ然り、優秀な平民の登用を積極的に進める共和国政府の方針然り、貴族は以前の権力を喪失した。
今でこそ、貴族はまだ政治的影響力を有し、政治的な要職に就いているが、貴族が名前だけの存在になることは、もはや時間の問題といえる話だった。恐らくは数年後には貴族の権力が及ぶ範囲は共和国国民議会の上院だけになることだろう。そして上院の存在は、選挙で選ばれる下院の下に位置づけられており、その上院でも共和国政府が一代限りの準男爵の地位を与えた人間が入っていることで、昔ながらの貴族の権力は萎む一方だ。
それなのに貴族たちは家名と爵位を重視し、今も権力を失う前と同じようなことをしている。権力はないのに、看板だけを維持するというわけだ。
「俺は平民でよかったよ。平民は自由だ」
「羨ましい。私も平民だったなら、あなたと……」
クラウスが小さく笑って告げるのに、パトリシアが言葉を濁らせた。
「さあ、着いたぞ、お嬢様。愛しの我が家だ。今日はゆっくり眠って、明日の接待に備えておけ。明日はお前の親父さんにも出てきてもらうようにしっかりと頼んでおくんだぞ」
「部屋まで送って」
クラウスがパトリシアの自宅の前で車を停めるのに、パトリシアがクラウスの服の袖を掴んでそう告げる。
「随分と甘えん坊になったな。いつものお前らしくないぞ」
「これが私の素なの。いつもは無理をしてるだけ。今日は疲れて、疲れて、疲れ果てて、強情になる余裕もないの」
珍しくパトリシアがクラウスに甘えてくるのに、パトリシアがそう告げた。
「分かった。ベッドまで送ってやろう」
クラウスはそう告げると、パトリシアの乗っている助手席の扉を開き、パトリシアの手を引いて、彼女を車から丁重に降ろす。
「クラウス。抱っこして。昔みたいに。今日は疲れすぎてもう歩けない」
「はあ。お前は本当に我が侭だな」
車から降りたパトリシアがクラウスの胸に身を委ねて告げるのに、クラウスは呆れたような口調でそう告げる。
「そら。これでいいか」
クラウスはパトリシアをお姫様抱っこという形で抱きかかえた。
「本当に昔みたい。昔はもっとあなたは私のことを構ってくれたのに」
クラウスに抱きかかえられて、広い邸宅の中を進むパトリシアはクラウスの軍服を掴んでそう告げる。
「俺も昔と比べて忙しくなったからな。植民地軍の仕事もあるし、俺の野望のための仕事もある。時間が金で買えない以上は、スケジュールを切り詰めて行動するしかない」
クラウスはヴェアヴォルフ戦闘団の指揮官としての仕事が山ほどあった。これから第8植民地連隊の駐屯地に帰ったら、ヘルマたちからニーズヘッグ型を動かしてみての感想を聞き、整備についてフーゴと話し合わなければならない。
「嫉妬する。あなたの関心を集めている植民地軍に」
クラウスがパトリシアをベッドに下ろすと、パトリシアはそう告げた。
「あなたの関心は植民地軍とビジネスだけ。もっと私にも興味を持ってほしいわ」
「お前に関心がないとは言ってない。優先順位の問題だ」
実際にクラウスはパトリシアへの関心を失っていない。
彼女は南方植民地総督の娘だし、自分のことに好意を抱いている人物だ。クラウスはそれなり以上にパトリシアに関心を持っている。そうでなければ、多忙な彼がパトリシアの我が侭に付き合って、家まで送ることなどしない。
「私に一番興味を持ってほしいというのは過ぎた願いなのね」
そんなクラウスの考えにパトリシアが小さく溜息を吐く。
「なら、植民地軍での活躍について聞かせてくれない? アナトリア戦争での勝利から、ミスライム危機での勝利まで。あなたがどう戦ってきたか、とても興味がある」
「いいぞ。一部は軍機で放せないが、それ以外のことは教えてやろう」
パトリシアの申し出をクラスは快く受け入れ、彼は植民地軍で、ヴェアヴォルフ戦闘団で戦ってきた戦争について語り始めた。
「アナトリア戦争は、まず障害になったのは王国海軍の仮装巡洋艦だ。奴らが不意打ちを食らわせてきて、俺たちは絶体絶命のピンチに陥った」
「そうなの!? それでどう対応したの? 教えて!」
クラウスの語るヴェアヴォルフ戦闘団の活躍にパトリシアは目を輝かせ、クラウスの話に聞き入った。
結局のところクラウスはミスライム危機までのヴェアヴォルフ戦闘団の活躍についてパトリシアに語ることとなり、彼が第16植民地連隊の駐屯地に帰ったのは翌朝のことであった。
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