意外な客
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──意外な客
「で、俺に何の用事なんだ、パトリシア?」
フーゴとアリアネがニーズヘッグ型の整備について話し合っていたとき、クラウスはこの第16植民地連隊の駐屯地を唐突に訪れたパトリシアに会っていた。
パトリシアが乗ってきた車は駐屯地の正面ゲート前に停められており、クラウスは車に乗り込むなり、パトリシアにそう尋ねた。
「た、大変なのよ、クラウス! 途轍もなく大変なことなの!」
「落ち着け。まずは何が起きたか、俺にそれがどう関わっているのかを教えてくれ。そうじゃないと何が大変なのかさっぱりだ」
パトリシアはクラウスが車に乗り込むと同時にクラウスの肩を掴んでガタガタと揺さぶり、クラウスはなんとかしてパトリシアを宥めようとする。
「ご、ごめん。でも、本当に大変なの。本当に、本当に、本当に大変なことになってるのよ」
クラウスの言葉に一先ずはパトリシアはクラウスから手を放した。
「で、何が大変なんだ? どこかで戦争でも起きたか?」
「場合によっては戦争になるわね。それも世界大戦よ」
クラウスが冗談めかして尋ねるのに、パトリシアが呟くようにそう告げる。
「クラウス。エカチェリーナ殿下は覚えているわよね?」
「ああ。あのアルハンゲリスキーで会ったちんまい皇族だろう。それがどうかしたのか?」
エカチェリーナのことはクラウスの記憶に残っている。あのアルハンゲリスキーの条約調印式で、クラウスに突然話しかけ、ロートシルトとの件を探ってきた油断ならない少女のことは。
「彼女が今からトランスファール共和国に、ここに来るの。それもあなたに会うためによ」
「はあ?」
パトリシアの言葉に、クラウスが思わず言葉を失った。
「それは、帝国の外交使節か何かとしてか? それなら俺に会うよりももっと会うべき連中がいるだろう。それこそお前の親父さんとか、もしくはファルケンハインの親父とかな。一介の植民地軍中佐になんかに会ってどうするんだ?」
「知らないわよ。さっきエーテル通信が植民地政府にあって、今からここを訪問して、あなたに会いたいから受け入れの準備を頼むって一方的に告げてきたんだから」
帝国の外交使節としてエカチェリーナがトランスファール共和国を訪問するならば会うべき人物はクラウスではない。
南方植民地総督であるヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベックか、植民地軍司令官であるフランク・フォン・ファルケンハイン元帥か、もしくはトランスファール共和国の首相ないし外交部部長かだ。
わざわざ帝国の皇族が遥々海を渡って、このトランスファール共和国までやってくるのに、会うのはただの植民地軍の中佐とは道理に合わない。
「まさか、ロートシルトの件を疑っているのか?」
クラウスの思いついたのは、ロートシルト財閥との癒着について、エカチェリーナが探っているということだった。
あの調印式の場でも、エカチェリーナはクラスとロートシルト財閥について口にしていた。彼らが繋がっているのだろうと、明らかに確信を持った口調で告げていた。
「帝国はロートシルトを敵対視しているからな。俺がロートシルトとつるんで何をするつもりなのかを探りに来たか?」
「もう。それだったら最悪よ。帝国の情報機関が探っているなら兎も角、皇族が直接疑っているなんて。あなたのことだから証拠は残してないと思うけれど、皇族がその疑いがあるっていうだけで、共和国市民まで信じちゃうわよ」
クラウスが顎に手を置いて考え込むのに、パトリシアが天を仰ぐ。
「共和国市民が帝国の皇族がいうことを信じるか? 俺たちは王室を片っ端から断頭台に送ったんだぞ。共和国にとっちゃ皇室や王室なんて、時代遅れで、反動的なものだろう」
「クラウス。今の共和国市民は昔とは違うのよ。確かに共和国の世論は帝国のツァーリズムに反対しているけど、皇室そのものを否定してはいないわ。むしろ、中所得層は歴史ある皇室があることを羨んでいるわ」
クラウスがそう告げると、パトリシアは溜息交じりにそう返した。
共和国政府がかつてのような積極的に革命を推進しようという意欲を失ったのと同じように、共和国市民も以前ほど王室や皇室というものを憎まなくなった。
それは今の中所得層が自分たちが歴史ある王室を絶滅させてしまったことを嘆き、王国や帝国のように歴史ある血筋が存在すれば国の権威になるのにと考えているほどだ。共和国国民議会上院を構成する貴族たちも、他国の皇室と王室には敬意を払っている。
もっとも、低所得層や共和国で未だに主要な発言権を有する左派の社会主義者たちや、右派の国粋主義者たちは共和国の理念に反する王国の王室や、帝国の皇室を憎み、彼らが断頭台に送られることを望んでいる。
そして、共和国の生み出す富の4分の1を牛耳るロートシルト財閥の主であるレナーテも同じように。
「そんなもんか。だとすると面倒だな。消えてもらうか?」
「ダメ―! そういうことは絶対にしないで! お願いだから! 私が心配してるのはそれなんだからねっ!」
自分とロートシルト財閥のことについて騒ぎ立てられると困るクラウスが呟くようにそう告げるのに、パトリシアがまたクラウスの肩を掴んでガタガタと揺さぶる。
「もし、エカチェリーナ殿下がここで何かしらのトラブル──たとえば暗殺されたりなんてすれば、真っ先に疑われるのは共和国よ。帝国は共和国がエカチェリーナ殿下を暗殺したと考えるわ。そうなれば世界大戦よ」
パトリシアが大変だと思っていたのはこれだ。
帝国の第3皇女であるエカチェリーナが、もしこのトランスファール共和国において殺されたとすれば、犯人として疑われるのは共和国だ。何せ、ここは共和国の植民地なのだから。
「分かった、分かった。俺も世界大戦は望んでないから、下手な手は打たない。殺すなら、ここを出てからにする」
「だから、殺そうとするのをやめなさいって! ちょっとでも関与が疑われた全員が身の破滅の上に、世界大戦がドカンよ!?」
クラウスが勝手に納得するのに、パトリシアがまた叫ぶ。
「なら、なんとか言いくるめるか。俺たちはホワイトだと思ってもらう。ナイフではなく、言葉で」
「あなたはそれでいいけれど、まだ問題はあるのよ」
クラウスの言葉に、パトリシアは深く溜息を吐く。
「まだ問題があるのか?」
「警備。向こうは侍従武官をひとり連れてきているだけみたいなの。それで、こっちで警備を準備しますって言ったら、目立つからそれはいいって」
クラウスが怪訝そうな顔をして尋ねるのと、パトリシアがそう告げた。
「皇族が王族殺しの共和国の植民地を訪れるのに警備はほぼなし、か。殺してくださいって言ってるようなものだな。植民地には本国の中所得層と違って、上流階級に殺意を抱いている連中が掃き捨てられてるからな」
「だから、困ってるの」
トランスファールを初めとする植民地の入植者たちは、本国での失敗者たちが多い。クラウスの実家も元々は碌な給与を貰えない海軍の下士官の家庭だったし、実家が改正農地法で破綻しかけたローゼもそうだ。ここは基本的に本国の低所得層が集まっているのだ。
そんな場所に帝国の皇族が護衛もなく訪れる。それは腹を空かせたライオンの檻の中に裸ではいるようなものだ。どうぞ殺してくださいと言っているようなものである。
「世界大戦を避けたいなら、今からでもこちらで警備することを認めさせるか、市民協力局に掃除をさせた方がいいぞ。市民協力局は過激な社会主義者たちをマークしてる。皇族を殺しそうな連中をな」
「そうする。お父様に迅速に市民協力局を動かすように頼んでおくわ」
市民協力局は植民地内にいる社会主義者たちをマークしている。彼らがその過激な思想から、本国政府に逆らって蜂起し、勝手に独立を宣言したり、植民地が社会主義者の養殖場にならないようにするために。
「で、その皇女殿下がやって来たとして、俺はどうすればいいんだ?」
「向こうが会いたいって言ってるんだから会わせるしかないでしょう。私がパートナーとして付いているから、無礼がないように、慎重に話を進めてよね」
エカチェリーナはクラウスに会いに来ている。彼を名指しで指名して、このトランスファール共和国を訪問するのだ。
「会談を拒否はできないのか? 俺との会話から軍事機密を盗みに来ているのかもしれんぞ」
「無理。お父様が受け入れを決定したもの。お父様はこれを機会にトランスファールに帝国の投資も呼び込もうってつもりだけど、能天気すぎるわ」
クラウスが尋ねるのに、パトリシアが額を押さえる。
トランスファール共和国への投資は何も共和国の企業だけに限定されているものではない。国家戦略で必要となるエーテリウムを除く鉱山資源や、プランテーション農園への投資は王国や帝国からも集っている。
というのも、共和国の金だけでトランスファール共和国を完全に開拓しきるのは困難だからだ。共和国本国政府はトランスファール共和国全土に本国並みのインフラを整えるだけの金を出す気はないがために。
だから、共和国植民地政府は植民地戦争では競争相手である王国や帝国の企業などにもトランスファール共和国への投資を呼び掛けていた。もっとも、王国はトランスファール共和国そのものを狙っているために投資しないし、帝国は遠く離れすぎていてトランスファール共和国に興味はなかったが。
「それに今の共和国の方針は帝国との友好関係の構築なの。アナトリア戦争での同盟が上手く行ったのから、共和国本国政府は帝国との友好関係が築けると思っているらしいのよ」
「帝国と同盟する気か? 30年前に自分たちが何をしたのか本国の連中はさっぱり忘れ去ったわけじゃないよな」
パトリシアの言葉に、クラウスが眉を歪める。
「忘れているかもね。自分たちが共和革命を世界全土に広げるんだって革命戦争を始めて、王国も帝国も敵に回したってことをさっぱりと。帝国は革命戦争で甚大な損害を受けてるし、革命未遂で帝政を度々脅かされてるってのに」
共和国は30年と数年前の共和革命で王室を断頭台に送り、当時の急進的な共和国政府は革命戦争を布告した。
最初は王国が攻撃を受け、次に帝国が攻撃を受け、共和国の拡大と共和主義の広まりに危機感を覚えた王国と帝国は反共和制同盟を締結し、列強2ヶ国で共和国との戦闘に臨んだ。
この戦争でもっとも被害を出したのは帝国だ。
共和国には優秀な軍事指導者がいたために常勝状態で勝ち進んでいたのに対して、帝国の軍事指導体制は旧体制のそれで、共和国との戦いにおいて有効な手を打てずにいた。
最終的に帝国は国境線での防衛を放棄し、自国領内に共和国軍を招き入れ、焦土作戦によって自分たちの大地を焼き払って、帝国の冬という過酷な環境を使って共和国軍を撃退した。
帝国遠征に失敗した共和国政府はようやく和平交渉のテーブルに着き、国境線を現状維持することで同意し、軍を各地から引き揚げた。
結局、その後起きた王国や帝国での革命は相次いで潰え、共和革命が普及したのは共和国だけに終わり、事実上の共和国の敗北と言える戦争だった。王国と帝国からすれば、実に傍迷惑な戦争だ。
そんな戦争を起こし、帝国の大地に攻め込み、彼らが自分たちの大地を自分たちで焼き払わなければならないまでに追い詰め、その後の帝国内での革命未遂事件を陰で支援してた疑惑のある共和国が帝国と同盟する。
全く以て普通に考えればありえないと思えるだろう。
「30年前といえば、まだ関係者の一部は生きてる。そいつらは共和国と同盟するなんてことには同意しまいよ。それに下手に共和国と同盟して、国内の共和主義者たちに間違ったメッセージを与えても困る」
「私もそう思うわ。でも、本国政府も植民地政府も、帝国との友好関係の構築を行うことで決定したの。帝国は植民地を僅かにしか持っていないから、植民地戦争になる可能性は低いし、帝国とは膨大な国境線で結ばれれてて、国防上に問題があるんだって」
クラウスは首を横に振るが、パトリシアはお手上げだというように両手を小さく上げて、クラウスに共和国政府の思惑を語った。
帝国が有する植民地は小さなものが南方と東方に数ヵ所と、もっとも大きな植民地であるメディア──地球で言うイランに相当する場所──がひとつだ。規模として比べれば圧倒的に王国や共和国に劣る。
これまで帝国とは僅かな植民地戦争しか経験していない。メディアの国境線を巡る紛争が何度かと、帝国が小さく持っている植民地を拡大しようとして起きた戦争程度。王国と共和国の植民地を巡る苛烈な争いに比べれば、それは実に穏やかな限りだ。
もっとも、東方植民地では南下してくる帝国に対し、南下を阻止しようとしている王国が競り合い、地球におけるアフガニスタンに近い場所で激しい戦争になっているのだが。
そして、国境線。
帝国の国土は全盛期のロシア帝国のそれである。それに対する共和国は、帝政ドイツの領土とオーストリア=ハンガリー二重帝国の領土と、その他東欧諸国の領土が、帝国と国境を接している。
それは地球におけるスペインとフランスの地理で国境を接している王国とは比べものにならないほどに膨大な長さの国境線だ。
これだけ膨大な長さの国境線を守るには大規模な兵力が必要になる。悪夢のような兵力が必要となり、悪夢のような軍事費が突きつけられる。
もし、帝国は共和国に友好的になれば、この問題は消え去るとは言わずとも頭を悩ませずに済むようになる。そして、世界大戦においては共和国は帝国に背後から刺される可能性を気にせずに、王国を叩くことができるようになる。
帝国が友好国になることには多大なメリットがあるというわけだ。
「まあ、今更王国と組むのは無理だな。あいつらとは植民地で戦いすぎている。帝国は30年前のことと、今も共和国の理念に反したツァーリズムを維持していることをどうにかできれば同盟国にできる、と。世界大戦が本当に起きるならば、帝国も王国も敵に回すのは避けたいところだからか」
「そういうこと。本国政府の外務省も、植民地政府の外交部も帝国に関しては神経質になるくらい丁重に扱い始めてる」
世界大戦。
それはもはや起きることが確定したかのように噂されている。
アナトリア戦争で共和国と帝国の本土が危険に晒されたとき、新聞は世界大戦の危機迫ると報じた。大運河を巡るミスライム危機において、共和国海軍と王国海軍が睨み合いを続けていたとき、市民はついに世界大戦が勃発するのだと覚悟した。
どちらも政府と外交官たちの落ち着いた対応によって世界大戦には至らなかったが、ちょっと間違えば世界大戦となっていたことは確かだ。
迫り来る世界大戦の危機において共和国は同盟国を求めた。とてもではないが、列強2ヶ国を敵に回すなどという愚行を犯してはならぬという考えから、彼らは同盟国が必要だと考えた。
そして、その同盟国に選ばれたのが帝国というわけだ。
「こっちが友好をアピールしても、向こうが無視すれば全てパーだぞ」
「それでもやらないよりマシなの。世界大戦が本当に起きたとき、王国と帝国の両方から攻撃されたら、共和国は滅亡するわよ?」
クラウスが白けた様子でそう告げるのに、パトリシアがそう返す。
「共和国が滅亡したら、あなたがいくらお金持ちになっていても、その金は全部王国と帝国に奪われるわよ。何せ、あなたのお金は共和国の植民地で稼いでいるSRAGの株式から来るものだし、そのSRAGの親玉であるロートシルトは帝国から嫌われているのだから」
パトリシアは真剣な表情でクラウスにそう告げた。
「それもそうだ。祖国の危機は俺の危機。俺も祖国のために働きましょう。その皇女殿下の機嫌を取っておけばいいんだろう?」
「そうね。向こうがあなたを指名した理由は恐らくあなたがヴェアヴォルフ戦闘団の指揮官だからだと思う。ヴェアヴォルフ戦闘団は良くも悪くも有名になったから。けど、なんとか機密は漏らさずに、機嫌よく帝国に帰ってもらえるようにして。お願い、クラウス」
クラウスがパチンと指を鳴らして告げるのに、パトリシアがクラウスを上目遣いに見つめて頼み込む。
「安心しろ。いつもはそっちに助けてもらってるんだ。たまにはこっちが助けないとな。皇女殿下が共和国との同盟を考えてくれるようになんとか誘導してみるさ」
「ありがとう。これに失敗したら、お父様が責任を問われるし、世界大戦は起きちゃうかもしれないし、兎に角大変で、不安で、落ち着かなかった」
クラウスはニッと笑ってパトリシアの頭をポンポンと叩き、パトリシアは安堵した表情を浮かべて、クラウスにされるがままになっている。
「でも、今は落ち着いている。あなたのいつもの自信に溢れた姿を見てたら、とても安心できたわ。これなら大丈夫だって思えるようになった。本当にありがとう、クラウス」
パトリシアにとってエカチェリーナを出迎えるというのはよほどの重圧だったらしく、彼女は照れ隠しをするような余裕もなくなっていた。
「さて、皇女殿下はいつ到着するんだ?」
「9時間後にカップ・ホッフヌングの埠頭に到着する。迎えに行かないといけないわ。ここからなら間に合うわよね」
クラウスたちがいる第16植民地連隊の駐屯地はトランスファール共和国北西部に位置している。トランスファール共和国の首都カップ・ホッフヌングまでは、距離にして400キロ弱だ。車を飛ばせば十二分に間に合う。
「ああ。では、皇女殿下を出迎えに参りましょうか。市民協力局を動かしておくのを忘れるなよ。この車、エーテル通信機ついているだろう。それで親父さんに連絡しておけ。それから万が一の場合に備えて、カップ・ホッフヌングの第1植民地連隊にも連絡を」
「分かったわ。本当は何も起きないのが望ましいのだけれど」
クラウスとパトリシアはそう言葉を交わし、車を飛ばして、第16植民地連隊の駐屯地から、エカチェリーナを出迎えるためにカップ・ホッフヌングに向かった。
まさか、これが波乱の幕開けだとはこの時点では、誰も予想していない。
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