展望台と観光と(2)
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「うわっ! あんなに船がいるッスよ! すげーッス!」
大運河の様子に大興奮なのはヘルマだ。
ローゼの次はヘルマと一緒にという約束により、クラウスはヘルマと2度目の展望台に臨んでいた。
ヘルマはエレベーターがあることから大興奮で、これでは植民地人となんら変わりないとクラウスは内心で溜息を吐いていた。
「よく地形を観察しておけ。運河にしかけるときはここが重要になる」
「地形よりも船が見たいッスよ! あのでかい船凄くないッスか?」
クラウスはヘルマに当初の目的である敵情偵察を思い出させようとするが、ヘルマの方はフリスビーを前にした子犬状態である。
「あれはエーテリウム輸送船だな。中にはたんまりとエーテリウムを抱えている。あれは王国船籍だから、このまま王国に向かうのだろう」
ヘルマが興奮している一際巨大な船はエーテリウムを輸送するための貨物船であった。クラウスが告げるように王国までエーテリウムを輸送するという任務を帯びて、この大運河を通過していっている。
「けど、ここって大変ッスよね。こんなに船がわじゃわじゃいるんじゃ、いつ他の船に衝突してもおかしくねーですし、それで船が沈みでもしたら、この運河は使えなくなっちまうッス」
ヘルマはゆっくりと運河を地中海側に向けて進むエーテリウム輸送船を眺めて、そんなことを告げた。
「確かに船が沈めば大騒動だろうな。沈んだ船を動かすのは簡単なことじゃない。そして。この一日に何百隻もの艦船が通過する運河が使用不可能になれば、王国は大損害だ」
そう告げて、クラウスはニイッと笑った。
「そうならないように祈りたいッスね。あたしたちが分捕る前に塞がれたら、分捕った意味がなくなるッス。大運河には絶好調であってほしいですよう」
ヘルマは展望台からの景色に釘付けのままにそう呟く。
「兄貴、兄貴。あの船ってひょっとして客船ッスか?」
「ああ。客船だな。それもそれなりのだ」
ヘルマが次に目にとめたのは、豪華客船だった。幾層もの客室を備えた客船がエーテリウム輸送船とすれ違うようにして、大運河に入り込んでいた。
「兄貴、ああいう船って乗ったことあるッスか?」
「ああ。あるぞ。一度トランスファール共和国から本国まで行くのに使った。船旅は退屈だぞ。やることがダンスパーティーか景色を見るかぐらいしかないんだからな」
ヘルマがクラウスを振り返って尋ねるのに、クラウスが当時の思い出を思い出して実に嫌そうな表情を浮かべてそう語った。
船旅は鉄道旅行と同じように退屈なものだ。鉄道と違って豪華客船の中にはダンスホールなどがあるのでダンスパーティーなどの催しものが行われているが、クラウスはダンスにはまるで興味がなく、1日も早く陸に着くことを祈っていた。
「そうなんッスか。あたしもあんなでかくて、豪華な船に乗ってみたいって思ったんッスけど……」
「乗れるようになる。むしろ、今貯まった金でもあれぐらいの船には乗れるぞ」
ヘルマがしょんぼりと肩を落とすのに、クラウスがそう告げる。
「そういえば最近はカジノを乗せた客船もでてきたらしい。お前が乗るならそういうのだろうな」
「うわあ! 船の中にカジノがあるんッスか! なんでもありッスね!」
クラウスは最近新聞で読んだ最近建造された客船の情報を告げ、ヘルマはパアッと表情を輝かせる。
「でも、行くなら兄貴と一緒がいいッス。ひとりで行ったって面白くないッスから」
そう告げて、ヘルマはクラウスを見つめる。
「そうだな。お前は俺が見といてやらないと有り金全部カジノで溶かして、帰りの船賃がなくなりそうだからな」
「ち、違うッスよ! そういう意味じゃないッス! 純粋にあたしは兄貴と一緒に船旅を楽しみたいんッス! そう、ロマンチックに!」
呆れたようにクラウスが告げるのに、ヘルマはウガーッとクラウスに告げる。
「どうしてだ? 上司と一緒に旅行に行くなんて最低だぞ。休暇だってのに機嫌取りをしなきゃならんなんてな」
「兄貴はあたしにとって上司とかそういう存在じゃないんッスよ。兄貴はあたしの大事な恩人で、実の両親より尊敬できる人物ッス。兄貴には本当に感謝してるんッスよ」
ヘルマはそう自分の胸を押さえて告げた。
「兄貴は大事な人ッス。やっぱり情婦にはしてくれないんッスか?」
「鏡を見て物を言え、鏡を見て」
ヘルマがクラウスの腕をぎゅっと抱きしめて、上目遣いにクラウスを見上げるのに、クラウスはポンポンとヘルマの頭を叩く。
「そ、そりゃあ、今はちょっと男か女か分からないような格好してるッスけど」
ヘルマの容姿は中性的だ。顔は年齢より幼く見える童顔で、少年とも、少女とも言える愛嬌に溢れた顔をしている。髪は短めのショートボブで、これも中性的な容姿に拍車をかけていた。
そして、今クラウスの腕に押し付けている体も、体つきこそ少女のそれだが、いろいろとフラットで残念な部分が多く、ハッキリと女性的とは言えない。
こんな容姿のヘルマが情婦という言葉を使うこと自体、おかしなことである。
「これからしっかりと成長するッスよ! ローゼ姉に教わったんッスけど、今はあたしはせいちょーきって奴なんッス! 胸もお尻もこれからどんどん大きくなるッス! 兄貴だって惚れさせてやるッスよ!」
「はいはい。成長期な、成長期」
平坦な胸をぎゅーとクラウスの腕に押し付けてヘルマが宣言するのに、クラウスは微笑ましいものを見る目で、ヘルマの頭を撫でてやる。
「しかし、お前も実年齢は15歳で兵隊をやっているわけだよな。よくついてこれると感心するな」
ヘルマは植民地軍に提出された書類では15歳になっていたが、実年齢は12歳だった。クラウスがノーマンに頼んで書類を弄り、自分の信頼のおける部下を入隊させたのだ。
「本来なら高校に通っているような年齢で、命のやり取りができるんだから、大した根性だよ、お前は」
「えへへ。褒められたッス」
地球で15歳ならばまだ未成年として学校に通っている年齢だ。それをヘルマは誰にでも平等に死が訪れる戦場で戦っている。元がスラム育ちで、危険には慣れているのもあるだろうが、確かに感心するべきことだ。
「帰りにお菓子でも買ってやろう。ローゼと東地区を見て回ったとき、美味そうな焼き菓子を売っていた店があったからな。そこに案内してやる」
「わーっ! 嬉しいッス! 兄貴、大好きッス!」
クラウスがそう告げるのに、ヘルマは満面の笑みでクラウスに抱き着いた。
「さ、じゃあいくぞ。他に見たいものがあるか?」
「ないッス! お菓子食べに行くッス!」
ヘルマはもう待ちきれないという具合に、トトトとエレベーターまで駆けていき、ボタンを連打し始めた。
ヘルマは分かり易くていいな。そう、ローゼとの不可解な時間を過ごしたクラウスは思ったのだった。
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「大運河、か」
最後にクラウスと展望台を訪れたのはナディヤだ。
もう時刻は夕刻を過ぎようとしている時間帯で、夕日がオレンジ色の光を放って沈みつつあるのが見えた。
だが、商船の数は変わる様子がない。大運河会社は夜間も大運河の利用を認めており、これから夜になっても商船や軍艦が通行することだろう。
「大地を掘り返して、このようなものを作ったのだよな?」
「そうだな。元々運河の作りやすい土地を選び、そこの土を掘り返して、この大運河を作ったわけだ。大勢の労働者が動員されたと聞いている」
ナディヤが注意深く魔道灯で照らし出され始めた大運河を観察するのに、クラウスが展望台においてあったパンフレットを読みながらそう返した。
「脅威だな。これほどの人工の川を作り出すなど。列強は今や地形すらも自在に変えられるというわけか。驚くばかりだ」
ナディヤはそう告げて、自分たちの祖国サウードと列強の間にある確かな技術力の差に唸った。
「自在には変えられんさ。あくまで自然が許す限りのことだ。本当に地形を自在に変えられるなら、世界はもっと面白おかしく、更に背徳的なものへとなってるぞ」
クラウスはそう告げて、パンフレットをナディヤに投げ渡した。
「フム。そういうものなのか。列強の人間からはあまり自然を慈しんだり、思いやる気持ちが感じられなかったが、彼らとて大いなる自然には逆らえないというわけか」
ナディヤはパンフレットを受け取り、目を通す。
「ああ。この地帯にサウス・エルフがやけに多いと思っていたが、彼らは大運河建設の際に連れてこられたものたちなのだな。サウードからも共和国がサウス・エルフを“輸出”している」
展望台のパンフレットには如何にして王国がこの偉大なる大運河を建設したかが記されている。運河建設のために動員された植民地人たちのことも、僅かにだが触れてあった。
「憎いか、列強が?」
「昔ならばそう思っただろうが、今はそこまでの感情はない。列強は進んだ文明を持った大国であることに間違いはない。自然が弱者が絶え、強者が生き残るように、我々の世界の摂理もそういうものなのだろう」
クラウスが問うのに、ナディヤは首を横に振って返した。
「本国の植民地省の役人みたいなことを言うな。その弱肉強食を社会進化論と俺たちは呼んでるんだよ。強い文明が生き残り、弱い文明は淘汰されるという仕組みのことをな」
クラウスはそう告げて、夜に沈みつつある大運河を眺める。
「だが、この社会進化論って奴は手抜きをしてる。本当に強者が生き残るなら、植民地戦争ではなく世界大戦をやって、本当の生存競争の相手を、列強を潰すべく動くべきだろう。植民地だけに適用して、自分たちの社会は例外なんてのはズル臭いと思わんか?」
そうクラウスは試すような視線をナディヤに向けた。
「私には分からんよ。ただ、誰もが世界大戦を恐れているのは不思議だ。植民地であれだけ戦争をしているのに、何故世界大戦を恐れるのだろうか。植民地軍の人間も列強の人間だろうに」
ナディヤはそう告げて、クラウスにパンフレットを返した。
「植民地軍の兵士の命と本国軍の兵士の命は等価じゃないってことさ。俺たち入植者は植民地人を差別し、本国人は入植者を差別する。人は誰かを貶めておかないと落ち着かないらしい」
「ああ。古い社会でも被差別階級が存在したな。共和国というのは人民は皆平等であると謡う先進的な国家だと思っていたのだが」
入植者たちは本国での食い詰めものか、生活に窮した上、一縷の望みを植民地に託したギャンブラーだ。そんな彼らを本国で満足に生活できている人間たちは嘲り、軽蔑する。
「共和国の政治的な謳い文句のうちで実行できてるのは半分以下だ。連中は大層なことを宣伝するが、それが実行されるのは数世紀先になりますってすっかり言い忘れている」
現代日本でも政府がスローガンとして掲げるもののうち、本当に実行できてるものは少ない。自殺防止、差別防止、健康促進、あらゆるモットーが掲げられてはそのまま無計画に放置されている。
共和国も似たようなものだ。彼らは確かに人民の全てに平等な権利を与えた。生まれが物を言う最たるものである王政を──ギロチンで廃止し、普通選挙を施行し、誰にでも投票できる権利を与えた。他にも様々な公民権運動を推進している。
だが、それは現代日本の掲げたスローガンと一緒で、完全に実行されているとは言い難い。共和国は万民の平等を確かに目指しているのだろうが、その裏では入植者の命を軽視する植民地戦争を続けているのだから。
「敗者の楽園はどこにもないってことだ。実に愉快なことにな。だが、どの世界でも勝者は報われる。勝者の楽園はどこにでもある。俺はこの時代で勝者の側に立つつもりだ。本国が価値のない植民地軍の兵士と見ようが構うまい。俺は、俺の手で、俺のための楽園を作るだけの話だからな」
いつもの傲慢な口振りで、クラウスはそう語る。
今は弱肉強食の最たる帝国主義の時代。
クラウスはそんな時代が野蛮だと嘆くよりも、そんな時代の風潮に乗り、自分を勝者の側に立たせるつもりだった。そして、この時代で得られる勝者の恩恵を余すことなく受けるつもりであった。
「お前は自信があっていいな。どうすればそれほどの自信を持てるだろうか」
ナディヤはそんなクラウスに小さく微笑みかけ、人の少なくなってきた展望台でクラウスの傍に寄る。
「そうだな。野心を持っておくことだ。できるだけ大きな野心を。お前には野心はあるか、ナディヤ?」
「私の野心」
太陽はほぼ沈み、地平線に薄っすらと残滓が残るだけになった。
「お前の傍にいること、では小さすぎるだろうか?」
ナディヤはそう告げて、切なげに笑った。
「私は所詮は植民地人だ。お前の妻になれぬことぐらいは分かっている。だが、お前のいる場所が私にとっての楽園のように思えるよ」
ナディヤが語る言葉に、クラウスは黙り込んで視線を大運河に向けた。
「でかい野心といえば、でかい野心だな」
クラウスはそうとだけ返し、運河を進む船を眺める。
「俺は率直に評価して、誰かを幸せにするような人の出来た人間じゃない。俺の傍にいたところで、碌な目には遭わんぞ。それでもいいのか?」
「お前は特別だからな。だから、私は純潔を捧げた」
目を細めてクラウスが告げるのに、ナディヤはソッとクラウスに寄り添った。ナディヤからはあのクラウスに自分の正体を明かし、純潔を捧げた夜と同じ香水の匂いがしている。
「そうか。自由にしろ」
クラウスはそうとだけ告げ、暫しナディヤと夜の闇に沈んだ大運河を眺めていた。
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