停戦破り
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──停戦破り
共和国、帝国、王国は停戦協定を結び、アナトリアの分割交渉に入った。
共和国は現在支配している地域の領有権を主張し、帝国も同じような意見を主張した。王国は最初に自分たちが発見したベヤズ霊山の権利を主張したが、列強2ヶ国の圧力に負け、ベヤズ霊山は手放し、他にエーテリウムの採掘が見込める場所を、共和国と帝国の国境での緩衝地帯を認めるのと引き換えに要求した。
会議は難航したが、更に難航する事態が勃発した。
共和国植民地軍の一部の部隊が勝手に動いているという事態だ。
共和国植民地軍の部隊──ヴェアヴォルフ戦闘団は停戦協定を破り、アナトリア地域はミスライムとの緩衝地帯であるシリア、イスラエルに相当する部分に攻め込み、それに呼応するようにして植民地軍の他の部隊が動き始めていた。
ヴェアヴォルフ戦闘団はベヤズ霊山の警備を他の植民地軍に任せ、アナトリア地域で停戦協定を無視し、共和国の支配領域を拡大していった。
「共和国です! 共和国植民地軍の攻撃です!」
「まさか! 停戦協定が結ばれたはずだぞ!?」
王国植民地軍はヴェアヴォルフ戦闘団の奇襲に近い攻撃を前に大混乱に陥った。
停戦協定を守って、ヴェアヴォルフ戦闘団の行動を見過ごすのか、それともこちらも停戦協定を無視して、攻撃に応じるのか。
部隊ごとにまちまちの結論が出て、まちまちの攻撃が行われ、ヴェアヴォルフ戦闘団は容易にそれを叩き潰した。
「この地域は確実に確保しておけ。次のステップで必要になる」
ミスライムとの緩衝地帯である地域で暴れながら、クラウスはそう告げる。
既に王国は本国軍を撤退させており、残っているのは植民地軍だけ。第2世代型の魔装騎士で武装したクラウスたちにとってはいいカモであり、彼らは次々に敵の魔装騎士を撃破し、支配領域を拡大した。
「貴国の軍隊が停戦協定に違反している! これはどういうことかっ!?」
そんな状況の中で、アナトリア地域分割の会議の場では、王国の全権大使が共和国の全権大使を非難する。
「レットウ=フォルベック南方植民地総督。どういうことだ?」
「はて、なんのことでしょうか。そのような動きは確認できていませんが」
共和国の全権大使はヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベック南方植民地総督に確認するも、彼は知らぬ存ぜぬを貫くのみ。
「ですが、我々の支配している地域が拡大していることは確かです。これを逃す手はないでしょう。分割交渉の際には、この拡大のことを考慮に入れるように手配なさってください」
そして、ヴィクトールはニヤリと笑う。
「そのようなことができるか。停戦協定を破って、拡大した支配地域の支配権など同盟国である帝国とて認めようとはするまい。貴公も、植民地軍にしっかりと首輪をつけておきたまえ」
だが、共和国の全権大使は相手にせず、交渉を継続した。
「それは残念なことです。全く以て残念なことです」
ヴィクトールは全権大使の言葉に肩を竦めた。
共和国、王国、帝国はヴェアヴォルフ戦闘団による停戦破りが続く中で交渉を継続し、アナトリア地域の分割について話し合った。
結果、共和国が5割、帝国が3割、王国が2割という分割案が成立し、全権大使たちが条約に署名した。
その分割は定規で線を引いたような分割であり、その地に暮らしている現地の住民のことなど欠片も考えていない。これよりアナトリア地域の住民たちは、列強が引いた線に従って暮らすことになる。
だが、これでようやくアナトリア地域の問題は終わる。各国があまりに熱狂し、世界大戦の危機すら招いた戦争はようやく終わる。
少なくとも本国から派遣されてきた全権大使はそう考えた。
しかし、南方植民地総督であるヴィクトールには、そしてクラウスには条約での植民地の分割などどうでもいい話であった。
ヴェアヴォルフ戦闘団は条約が締結されたその日も、王国植民地軍を追撃し、支配地域を拡大していた。そして、支配地域が拡大される度に、王国が試掘中であったエーテリウム鉱山を手にし、ダニエルがSRAGによる領有権を主張する。
本国から派遣されてきた全権大使には異常な光景に見えただろうが、これまでの植民地戦争ではよくある光景だった。
条約が結ばれたその日に条約破りを行って、植民地軍が支配地域を拡大する。そして、条約が認めていようといまいと、実効支配することによって、その地域の支配権を確立する、
王国とて、条約が共和国によるトランスファール共和国の支配を認めているのに何度もトランスファール共和国を脅かしているのだ。王国が共和国を協定破りと罵ることはできない。
クラウスもそのような植民地戦争の実態を知っていたからこそ、停戦協定を無視し、条約を無視して、強引に支配地域を拡大した。それこそが彼の野望を実現するのだから。
かくて、アナトリア分割協定は結ばれたが、ヴェアヴォルフ戦闘団の条約無視の戦闘によって、それは有耶無耶になった。
ヴェアヴォルフ戦闘団はアナトリア地域のシリア、イスラエルに相当する部分まで支配地域を拡大し。そこでようやく停止した。
アナトリア地域においてミスライムの大運河への干渉地域を欲していた王国はこれに激怒したが、これ以上戦闘を拡大すると、再びアナトリア地域が戦争に突入し、王国が辛うじて確保していたエーテリウム鉱山まで失う恐れがあることから、彼らとの交戦を避けた。
こうしてヴェアヴォルフ戦闘団は共和国の実効支配地域を拡大し、SRAGはこのアナトリアの1度の戦争だけで、巨万の富を手にした。
ヴェアヴォルフ戦闘団はアナトリア地域の戦闘終結後も、アナトリア地域にそのまま駐留。クラウスは部隊をアナトリア地域のイスラエルに該当する部分へと動かしたまま、沈黙した。
それはそうとして、クラウスのヴェアヴォルフ戦闘団はこの“一度目”のアナトリア戦争における英雄として讃えられた。
僅かに1個大隊の戦力で、王国本国軍の連隊規模の魔装騎士を退け、共和国にとって重要なベヤズ霊山のエーテリウム鉱山を手に入れたという働きに、共和国市民は誰もが熱狂した。
植民地軍司令官のファルケンハイン元帥はクラウスを少佐に昇格させ、彼から直々にクラウスに第1級鉄十字章を授与し、彼の部下たちも第2級鉄十字章を手にした。第1級鉄十字章を20歳になる前に得るのは共和国史上初のことであり、クラウスは最年少で第1級鉄十字章を得た男となった。
アナトリア地域における共和国の勝利を祝う晩餐会は何度も開かれ、クラウスたちは各地で引っ張りだこになった。
「今回も随分と無茶したわね、クラウス。気が気がじゃなかったわよ」
と、晩餐会の場でそう告げるのは植民地総督ヴィクトールの娘である、パトリシアだ。彼女も父親がアナトリア地域に移動したのに合わせて、戦闘終結後にアナトリア地域入りしていた。
「勝利したんだから、植民地総督としちゃ文句はないだろう?」
「あなたはやり方が滅茶苦茶なのよ。1個大隊で王国本国軍の魔装騎士連隊に挑んだとか、停戦協定を無視して支配地域を拡大したとか。前者なら物理的に首が飛ぶし、後者は人事的に首が飛ぶかもしれないのよ?」
クラウスがワインを片手にくつくつと笑って告げるのに、パトリシアが渋い表情を浮かべる。
「戦いじゃ負けんさ。そのために必死になって訓練してるんだ。そして、人事的に首が飛びそうになったときは、お前に泣きつくよ、パトリシア」
「もう。私を当てにしないでよね。私だってできることには限りがあるんだから。け、けど、私にできることならやってあげてもいいわよ!」
クラウスがパトリシアの肩に手を置いて告げるのに、パトリシアが顔を赤くしながらそう返す。
「分かってる。無理は頼まん。できることだけを頼むさ。だが、お前にできることってのは意外に多いんだぞ。気付いていないだけでな」
「なにその気になる言い方」
植民地総督の娘という肩書だけで、植民地政府の人間の一定数──昇進を目指しているものは動く。そして、彼女が父親に頼むのならば、それが祖国の利益に反していない限り、植民地総督の言葉が発され、植民地の全てが動く。
パトリシアを、そして植民地総督を味方に付けているということは、クラウスが植民地で何をやってもいいということを意味するわけだ。
「それにしても今日のドレスはまた新調した品か? やっぱりお前には朱色のドレスが似合うものだ」
クラウスはパトリシアの纏っているドレスを見てそう告げる。肩が見え、胸元が僅かに覗いている以外は露出度のないドレスだが、パトリシアのようなもうすぐ大人という少女が着ていると似合っている。
もっとも、体の成長の方は身長こそ同年代の少女たちに並んでいるものの、胸の発育に関しては同年代の少女たちから大きく後れを取り、フラットな状態であったのだが。
「これ、お母様が選んだドレスよ。私はもうちょっと落ち着いたドレスがいいんだと思うけど、お母様は早く私に合う男性を見つけようって気みたいで」
そう告げて、パトリシアはフウと溜息を吐いた。
「なら、俺と結婚するか」
「はいはい。そうね結婚……はあっ!?」
クラウスがこともなげに告げたのに、パトリシアの目がまん丸になる。
「そ、そういうわけにはいかないでしょう。一応は貴族だから、貴族同士の結婚じゃないといけないし。何せ、私はひとり娘だから。だから……」
パトリシアはあわあわしながらも、徐々にテンションが落ちていく。
「だから、あなたとはダメなの、クラウス。私はあなたのことが嫌いじゃない。あなたがならず者と関わっていても、あなたが植民地軍で何を企んでいても受け入れるつもりはある。それでも、お母様とお父様が反対するから」
パトリシアは悲しそうな顔をして、クラウスにそう告げた。
「そんな顔するな。結婚できないことぐらいは分かってる。そっちは侯爵令嬢で、俺は海軍下士官の息子だ。そこにある大きな差ぐらいは分かっているさ」
クラウスはそう告げて、パトリシアの露わになっている肩を掴む。
「だが、愛人にすることぐらいはできるぞ。俺は大金持ちになる。愛人の数十人は囲えるぐらいのな。そうしたら、お前も愛人にしてやるぞ」
そう述べて、クラウスはカラカラと笑った。
「もう! あなたって最低よ! 人がとっても真剣な話してるのに! デリカシーなさすぎでしょう!」
パトリシアはそう喚くと自分の肩に回されていたクラウスの腕をぎゅっと摘まんだ。
「その調子だ。お前が落ち込んでる姿は似合わないぞ。いつも通りの元気と傲慢さに溢れている姿の方がお前らしいよ、パトリシア」
クラウスはそう告げて、ポンポンとパトリシアの頭を撫でる。
「子供扱いしないでよね。私だってもう立派なレディーなんだから」
そう返しながらも、パトリシアはクラウスの腕を跳ね除けようとはしない。
「けど、ありがとう。ちょっと元気が出たかな。あなたにこうやって意地悪されて励ましてもらうのって久しぶり」
パトリシアはそう告げて、クラウスの方に体を小さく寄せる。
「昔は私が泣く度にあなたがもっと意地悪して、私のこと怒らせて、それで元気になったって言ってた。植民地政府の人間も、入植者も、誰も、植民地総督の娘を苛めようだなんて思わないのに、あなただけは違ってた」
パトリシアの告げるように幼少期のパトリシアとクラウスは一緒に遊ぶ関係であり、パトリシアがしょげていれば、それを励ますのがクラウスの役割だった。
パトリシアが家で怒られたというならば、その理由を聞き、その理由からパトリシアを散々馬鹿にし、パトリシアが逆上して怒ったら、好きなようにさせておいてやった。
当時のクラウスには、まだ植民地を巡る陰謀を企んでおらず、彼の行為は純粋にパトリシアのために行われていた行為だと言えるだろう。からかえば面白い反応を示すパトリシアをクラウスが弄っているだけでなければ。
「俺は特別だからな。他の人間どもとは違う」
「そうね。それは認める」
パトリシアはクラウスの胸元から顔を見上げてそう告げる。
「でもね、クラウス。どんな特別な人間だって、死ぬときは死ぬんだよ。それもあっさりと。うちの国で国王一家が断頭台に送られたように、特別な人間であったとしても死からは逃れられない」
どんな人間も、死からは逃れられない。
名誉ある王族も。誇り高き騎士も、武勇名高き軍人も、死ぬ時はあっという間に死んでしまう。地球と同じように、死から逃げ続けられる人間など、この世界には存在しない。
「だから、無茶はしないでよね! 心配になるんだから! あなたは私まで巻き込んでロートシルトと関わっているんだから、あなたが死ぬと私までその巻き添えを食らうのよ! 心配している理由はそれだけだからね!」
そして、パトリシアはポカポカとクラウスの胸を叩く。
「分かっている。無茶はしない。俺が絶対に勝てると判断したときしか動かないと約束する」
「本当に?」
クラウスは降参だというように両手を上げて告げるのに、パトリシアが訝しむような目でクラウスを見た。
「もちろんだとも。勝てない勝負に金を投じて損をするのは俺だって御免だ。俺は俺が勝てると思った勝負にだけ賭ける。今回のように、な?」
そして、クラウスは口角を歪め、犬歯を覗かせて笑った。
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