栄光ある植民地軍
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──栄光ある植民地軍
金持ちになると決意したクラウスは15歳になると植民地軍に志願した。
列強各国は植民地に植民地軍を配備している。
植民地軍とは植民地を外敵から防衛するための組織であり、植民地内の治安を維持するための組織であり、更には新しい植民地を獲得するための組織である。
植民地軍は原則として志願制であり、その地域の列強の国籍を有する入植者たちの志願を受け付けている。もちろん本国の人間も受け付けているが、ある理由で本国から志願する人間はほぼ皆無である。
その理由とは植民地軍のお粗末さだ。
植民地軍は志願制であり、入隊希望者には試験が行われる。
だが、その試験たるや、名前を呼ばれて返事ができれば合格というどうしようもないものなのだ。
植民地の識字率は、植民地人を除いた入植者だけでカウントしても25%ほど。本国の識字率がほぼ80%に近づく中で、この識字率の低さは、いかに植民地において教育制度が整っていないかを物語っている。
周囲は文盲だらけで、環境もあらゆるインフラが整った本国に比べれば劣悪な植民地軍に入隊するメリットは、植民地軍は本国軍よりも昇進の速度が速いということぐらいだろう。何せ読み書きができれば、将校に昇進できるのだから、これほどどうしようもない軍隊もない。
クラウスはそんな植民地軍に舎弟を引き連れて乗り込んだ。
形式的に行われる筆記、面接、体力試験など名家で育ち、ならず者として鍛えたクラウスには楽なもので、彼は楽々と好成績を残し、士官候補生として植民地軍に迎え入れられた。彼の舎弟も、クラウスから教育を受けたり、試験官を買収したりして、全員が士官候補生か下士官としての入隊が決まった。
「諸君は栄光ある植民地軍に入隊した!」
入隊式典ではエステライヒ共和国植民地軍司令官である壮年の男がクラウスたちを迎え入れるスピーチを行った。
植民地軍司令官は、クラウスの実家キンスキー家とも関わりのある男だ。具体的に言えば、司令官はキンスキー家から植民地運営のための財政的な支援──献金を受け取っている。
「共和国は非文明の大地を切り開き、文明の光で野蛮を照らし出すために諸君らの活躍に期待している。諸君らが栄光ある植民地軍において義務を果たし、我らがエステライヒ共和国に更なる繁栄をもたらすことを期待している」
そんな司令官の格式ばった馬鹿らしいスピーチにクラウスが欠伸を噛み殺す。
「エステライヒ共和国万歳。我らが共和国と全ての人民に栄光あれ」
スピーチは1時間に及び、最後はお決まりの文句で締めくくられた。
入隊式典後は配属される各部隊ごとに兵舎に分かれて説明があり、そこで自分の同僚であり戦友──戦争が起きるならば──となる人物と知り合うこととなる。
クラウスもそこで興味なさげに同僚たちを見渡していた。
植民地軍に志願するようなのは揃ってどうしようもない人種だとクラウスは考えていた。植民地の入植者たちはわざわざ植民地軍に入るより、農場と奴隷を買ってプランテーション農園を営むか、エーテリウム鉱山や金鉱山を探して一発当てるために山に向かうか、入植者たちにとってはエリートコースである植民地政府での就職を目指すがために。
そんなことで植民地軍に入隊する兵士たちの年齢はまちまちで、自分の名前も書けずに人に書いてもらっているような人間までいる。クラウスの引き連れてきた街のならず者が士官候補生になっているのだから質は察するだけだ。
「クラウス・キンスキー士官候補生」
と、そこで退屈そうにしていたクラウスに声がかかけられた。
声をかけたのは既に植民地軍で十数年という教育係の下士官で、彼がこの部隊に配備された兵士たちに挨拶をするように指名していた。
「自分はクラウス・キンスキーです。我らが共和国のために汗を流す入植者たちの平和が守れればと思い、植民地軍に志願しました。これから植民地軍でその軍人としての義務を果たす次第です。どうぞよろしく」
クラウスは欠片も思っていないことをペラペラと述べて、ニコリと微笑んだ。
「キンスキーってあのキンスキーか? 大金持ちの?」
「名家がなんだって植民地軍なんぞに」
クラウスが形式的な挨拶を終えると、キンスキーという家名に僅かに兵士たちがざわめいた。
それもそうだろう。キンスキー家と言えばトランスファール共和国でも指折りの名家だ。社交界でも名高く、両親ともに南方植民地総督とも知り合いであり、庶民にももっとも成功した入植者として知られている。
クラウス自身はもっとも成功した入植者の項目を自分の名前に書き換えるつもりだったが。
「キンスキー士官候補生は入隊試験の成績が最優秀だったと聞いている。今年の士官候補生は期待できそうだな」
いつもは入隊試験など形式的に行われるだけで、てんで役に立たないものなのだが、今回ばかりはクラウスという例外がいたようで、教育係の下士官が満足そうに頷く。
クラウスも自分がもっとも優秀な士官候補生だという事実を告げられて、心の中で口笛を吹いた。作戦の第一段階は成功だとして。
「次はローゼ・マリア・フォン・レンネンカンプ士官候補生」
そして次の名前が告げられるのにまた兵士たちがざわめいた。
そのフォン・レンネンカンプという名前からして明らかに貴族だと分った。貴族が植民地軍に入隊することなどまずあり得ないことだ。
そして、ローゼと呼ばれた少女はこの野蛮が支配する植民地軍に相応しくないほどの美少女だった。長い睫に縁取られた青色の瞳は鈍く輝き、金糸のように輝くプラチナブロンドの髪は飾り気のないポニーテイルにして纏められているが、それでも凛とした美少女だと分った。
「自分も軍人としての義務を果たしたいと考えています」
ローゼはそう実に短い挨拶を終え、すぐに着席した。
「レンネンカンプ士官候補生も入隊試験において優秀な成績を残している。体力面では成長の余地ありだが、勉学に関してはなんら問題はないだろう。これからの活躍に期待する」
教育係の下士官は優秀な士官候補生がふたりも自分の部隊に配属されたことに喜びを隠せないようだった。
「貴族様、か」
クラウスはローゼの方を見ながらそう呟く。
この時点で彼はある計略を考えていた。それはある意味において植民地軍を震撼させるような計略であった。
それには植民地軍でも秀でて優秀な人間と彼に絶対の忠誠心を持った人間が必要だった。忠誠心のある人間は彼の部下でカバーできるが、優秀な人間と言われると彼の部下は些か落第点である。
「面白い。使える奴だといいけどな」
クラウスは席に座ってまた愛想もこそもない無愛想な表情を浮かべているローゼに視線を向ける。
「これでオリエンテーションは終了する。各自兵舎に戻り、軍人として名誉を損ねることなく行動すること。以上だ」
その後の自己紹介はさして目に付くものもなく、終わった。
クラウスはオリエンテーションが終わると、植民地軍の基地内にある食堂にやってきていた。
植民地軍の食堂で提供される料理というものは、兵士の質にあわせたようなものであり、実家の料理と比べれば質は明らかに劣るものの、クラウスは気にすることなく、遅めの昼食を取った。
そんな食堂で働いているのは植民地人で、安い給料で使われ、社会的に底辺に位置する植民地軍にすら、その存在は見下されている。
「クラウスの兄貴ー!」
クラウスが昼食に手をつけようとしていたとき、少女のハスキーな声が響いた。
「ヘルマ、まさかもう問題を起こしたのか?」
「ち、違うッスよ! ただ、思っていた以上に植民地軍ってのはうざったらしいというか、堅苦しい組織でして、あたしなんかがやっていけるかどうか不安になってきたんですよう」
クラウスがヘルマと呼んだ少女の年齢は、植民地軍に提出された書類上はクラウスと同じ15歳だがそれより幼く見えるのは実年齢が12歳だからだ。
その外見は栗毛色の髪をボーイッシュなショートボブにして纏め、その顔立ちは美人というより小動物的な愛嬌に満ちている。彼女が微笑むならば、他の人間も釣られて微笑んでしまいそうな顔立ちと性格だ。
「問題ない。植民地軍は年中人員不足だ。特に士官はな。お前がちょっとばかり努力して戦功を上げるなら、あっという間に昇進して、自由だ。だが、忘れるなよ。誰がお前をまともな道に進ませてやったかを」
「もちろんッスよ、兄貴。兄貴から教育を受けて、士官候補生とかいう偉い地位で入隊できた連中たちは、兄貴のことを親以上の恩人だと考えてるッスから」
ヘルマ・ハントはスラム街の生まれで、昔から手先が器用であり、幼い頃からスリや窃盗に精を出していた。
クラウスと出会ったのも、彼女がクラウスのポケットから財布を盗もうとしたからだった。彼女はクラウスのポケットから財布をスリとることには成功したものの、クラウスにはすぐに気付かれ、その場で取り押さえられた。
クラウスはヘルマに全ての指の骨を折られるか、それとも彼の部下になるかの選択を迫り、ヘルマはクラウスの部下になった。
そんな経緯でクラウスの部下になったヘルマだが、忠誠心という面では他の部下たちよりも頭ひとつ抜けて信頼できる人間だ。
というのも、クラウスは身内には比較的優しい人間であり、遊ぶための金は巻き上げた金から、実家から持ってきた金まで、思う存分部下たちに使わせていた。そのおかげでヘルマも随分と楽しい思いができた。
それにヘルマがスリに失敗して警察に捕まったときは、弁護士を雇ったり、警察を買収するなどして、すぐに釈放されるように手配しており、そのことでヘルマはクラウスに頭が上がらないほどに彼を尊敬していた。
「でも、なんだってわざわざ植民地軍なんかに入るんです、兄貴? 植民地軍の給与なんてそんなにいいものじゃないって話を聞きますけど。あたしとしては兄貴には、あの広大な農園を継いでもらって、それであたしを兄貴の情婦にしてくれると嬉しいんッスけど」
「前から思ったが、お前は情婦って言葉の意味を分って使ってるか?」
髪は色気の欠片もなく短く、体の起伏は平坦で、まるで中性的な少年のごとき外見のヘルマがそう告げるのに、クラウスが溜息混じりにそう返す。
「いいか。植民地軍に入隊するのには大きな利点がある。俺があのちっぽけな農園を継ぐ以上の利点だ。難しい話だから、お前に話して聞かせてやっても無駄だろうが、俺に付いてくれば分け前は与えてやる」
「えへへ。兄貴の考えている難しいことはあたしにはさっぱりですけど、兄貴は太っ腹だから大好きですよう!」
クラウスは植民地軍という武装組織で何かを企んでいる。植民地を防衛し、維持し、更に植民地を獲得する植民地軍において、クラウスは自分が豊かになるための計略を企てている。
「それから、前にも言っておいたが、志望する兵科は魔装騎士科にしておけよ。何としても魔装騎士の兵科に配属されろ」
「え、ええ。魔装騎士ですね。あたしなんかがあんなエリート兵科に配属できるか不安ッスけど……」
魔装騎士科はエリート兵科だ。
魔装騎士は高価な兵器であると同時に、取り扱いも難しい。読み書きができることは最低条件であり、魔装騎士を動かすための専門書を読み解いて、2、3年に及ぶ訓練を受け、初めて実戦的な魔装騎士の操縦士になれる。
過去の戦争では騎兵がエリート兵科だったが、今は魔装騎士に取って代わられている。騎兵にはない装甲を有し、騎兵並みの機動力を有する魔装騎士は騎兵の完全な上位互換なのだから。
「大丈夫だ。俺の農園で重機を使って訓練しただろう。読み書きも教えてやった。それがあるならば、他の有象無象の候補者たちよりも俺たちは優位な位置に立っている」
植民地軍の入隊に先立って、クラウスは部下たちに農作業用の重機を使って、魔装騎士を取り扱うための訓練を行っていた。重機は魔装騎士と同じ二足歩行型のもので、基本操作は魔装騎士とよく似ている。違いは魔装騎士の方が高機動であり、兵装が備わっているということだ。
「うー……。なんか難しそうですけど、兄貴のために頑張るッス! 兄貴の野望のために!」
「おい。俺は品行方正な士官候補生ってことになってるんだ。いらんことを言って、周囲の注意を集めることはいうな。少なくとも今はな」
グッとガッツポーズを決めてそう告げるヘルマにクラウスが釘を刺す。
「さて、お前はこの入隊式典ごときで音を上げてるが、軍隊ってのはこれ以上に格式張って、スパルタな場所だぞ。お前はどうにも怠け癖があるから心配だが、落ち零れて、俺の足を引っ張るなよ」
「了解ッス、兄貴」
実際に日本情報軍という軍事組織にいたクラウスは、軍隊がどのようなものかをちゃんと理解している。規則が徹底され、訓練は苛めの如く厳しく、時に理不尽だと感じるほどのものだと。
「それにしてもここの飯ってどうにも不味いッスね、兄貴。これなら街の食堂の飯のほうがよっぽどいいッスよ。植民地人どもに料理させてるんじゃ、仕方ないのかもしれないッスけど」
「文句言うな。戦場の飯はまだ不味いぞ」
スラム育ちのヘルマも自然体で植民地人たちを見下している。貧困層である自分たち以下の存在であり、列強の国民に奉仕する卑しい奴隷の身分しかないのだと。
「それにしても面白い人間がいたぞ。貴族様だ」
「へえ。それ、マジッスか。貴族様がえーこーある植民地軍に入るなんて、天変地異の前触れッスかね」
クラウスがパンを千切りながらそう告げるのに、ヘルマが目を丸くした。
エステライヒ共和国には未だに貴族制度がある。貴族たちは本土に領地を持ち、力のあるものは共和国国民議会において上院の議員になる。
とは言えど、かつてほど貴族たちの権限は強くない。共和革命において、国を支配していた王族を断頭台に送ったエステライヒ共和国は、貴族たちの力を削ぐことも重視していたのだから。
今の貴族は上院に参加する権限を持つ以外は、精々地主程度の扱いであり、その政治的な権力は共和国政府によって制限されていた。かつてのように貴族が大きく政治を左右することなどない。
それでも貴族は貴族だ。高貴な血筋の人間であり、歴史と伝統ある家系の持ち主である貴族たちは、今もある程度の尊敬を集めている。熱心な社会主義者を除けば、ヘルマのように貴族を特別視する。
「噂をすればなんとやらだ。件の貴族様が来たぞ」
と、クラウスが食堂に入ってきた人物に目を向ける。
それはあのクラウスの部隊で、ローゼ・マリア・フォン・レンネンカンプと名乗った貴族であることは間違いない少女だった。
「うわっ。美人さんッスね。貴族ってのはなんだって美形なんでしょう?」
「醜い貴族もいるぞ。豚みたいな奴とかな」
ヘルマはローゼをジロジロと観察し、クラウスは小さく笑うと、食事をそのままに食堂に入って、食事を受け取ったローゼの下に歩み寄っていった。
「ごきげんよう。貴族様がこんな安食堂の食事で満足できるのか?」
「金ならないわよ」
クラウスが挨拶するのに、ローゼはぶっきらぼうにそう返した。
「こう見えても金には困ってない。それに落ちぶれた貴族様から金をたかるほど俺は馬鹿じゃないんだ」
「……落ちぶれてるのは分かってるわけ」
クラウスがローゼの対面に座ってそう告げるのに、ローゼは苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべてクラウスを見る。
「貴族様が植民地軍なんぞに入るのは、落ちぶれている証拠だろ。本当なら、プランテーション農園でもやるか、鉱山の採掘権を買って、働かずに過ごすはずだ。それかエリートコースである植民地政府を目指すかだな」
「まあ、その通りよ。我が家は落ちぶれた貴族の家系」
本国から貴族が植民地にやってくることはたまにある程度で、そのほとんどが投資のために農園や鉱山を買ったり、植民地を支配する植民地政府での出世を目指す。
ローゼのように植民地軍に入る貴族は珍しいにもほどがある。
「どうして落ちぶれた? 領地の経営で失敗したか?」
「改正農地法。あれのおかげで、我が家の領地のほとんどは失われた」
改正農地法。これまで地主として農場を管理していた貴族たちから、実態の伴わないものを、没収し、農民に分け与える法律だ。これも共和国政府が貴族の政治的影響力を削ぐために実行したものだ。
これによって、数多くの貴族たちが先祖代々の領地を失い、明日の生活にも困窮するような状況に陥った。
「それで賭けとして植民地に出てきたってこと。植民地にはやり直す機会があるとお父様が考えたから。今は小さなプランテーション農園を営んでいるけど、それだけじゃ食べていけないから、私が植民地軍に志願したの」
植民地には一攫千金のチャンスが眠っている。
もちろん植民地に出てきた全ての人間が成功するわけではないが、中にはクラウスの両親のように海軍の下士官から、トランスファール共和国でも有数の名家となり、財力と政治力を有するまでになる可能性があった。
「へえ。だが、植民地軍なんぞに入らなくとも、植民地政府を目指す道だってあっただろう。あっちの方が堅実だぞ」
「向こうは昇進が遅いし、最初の給与は植民地軍以下だから。それに植民地軍は戦功を上げれば、簡単に昇進できるし、そうなれば給与は植民地政府よりも高いものになるでしょう」
植民地政府はエリートたちの向かう道だが、ローゼの指摘するように昇進が遅い。その点は読み書きができれば将校に抜擢され、植民地を巡る戦争で戦功を立てれば特別昇進のある植民地軍の方が──賭けではあるが、金を稼ぐという点では向いている。
それに植民地政府と違って植民地軍は命のやり取りをしている。その点は、給与という形で存分に報われるのだ。
「つまりは金のために植民地軍に入隊したわけだ。名誉や、国防意識、愛国心からではなく」
「……否定はしない。我が家に今必要なのは金。名誉や誇りなんかは、金がなければ何の意味もないから」
クラウスが意地の悪い笑みを浮かべて尋ねるのに、ローゼが割り切ったような口調でそう返した。
「なら、俺の計画に乗らないか。大金持ちになれるぞ」
クラウスはローゼに向けて、そう告げたのだった。
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