世界大戦に向けて(2)
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「クラウス! 相変わらず無茶苦茶をするのね!」
ノックの後に入ってきたのはパトリシアだった。
「無茶はやっていないぞ、パトリシア。成功する見込みもあることしかしていない」
「もう。あなたって人は。首都が兵隊の管理に置かれたときに、私も外務省に閉じ込められたんだからね。怖かったわ」
パトリシアはクラウスが大統領となってから暫くして、大学を卒業し、外務省の正規の職員となっていた。クーデターが起きたその日も外務省におり、各省庁が制圧される中で外務省も制圧され、パトリシアは外務省に閉じ込められる羽目になっていた。
「外務省ではクーデター──革命への反発はやはり大きいか?」
クラウスがパトリシアを大統領府に招いたのは。自分に親しい人物から、外務省の状態を訊くことにあった。クラウスによる粛清を恐れて、おべんちゃらを述べる人物ではなく、ありのままを話してくれる人物からの意見を。
「ちょっと大きいわね。外務省の上層部はこれで帝国と同盟するのはかなり困難になったって考えられているから。今度の政権は過激な冒険を恐れず、目的のためには何だろうとやる政権だって帝国に思われたってレポートがあるわ」
外務省は帝国との関係を改善し、世界大戦において帝国と同盟することを望んでいた。
だが、今度の大統領はクラウスだ。帝国の戦艦を何隻も撃沈した人物であり、ロートシルト財閥とも繋がっている。加えて、クラウスは歴代の大統領でもやらなかったような自己クーデターを引き起こして、大統領に強力な権限を与えた。これで帝国に警戒するなという方が無理な話だ。
帝国との同盟が上手くいきそうにないという事実に、外務省は落胆し、ことを招いたクラウスを恨んでいるということだった。
「まあ、構わんな。元々軍部は帝国と同盟できるなど考えていなかった。連中は二正面作戦に備えている。帝国に望むことは向こうから殴り掛かってこないことぐらいだ」
共和国陸軍参謀本部も帝国にいる共和国の駐在武官マテウス・マイジンガーも、帝国が同盟国になるなどとは思っていなかった。彼らは帝国と王国を敵に回した二正面作戦を想定し、そのための準備を行っている。
「大統領としてはそれでいいの?」
「どの道、30年前の革命戦争のときに生き残った連中が政府上層部にいる限りは、共和国は連中に目の仇にされる。連中とはいずれ戦うことになるだろう。ただ、王国とほぼ同時に仕掛けられるのはおいしくないという話だ」
帝国上層部は30年前の革命戦争のことを未だに根に持っている。彼らは共和国の侵攻によって自分たちの国土が焦土と化し、そのことによって屈辱の時代を強いられたことを未だに恨んでいる。
そんな政府では同盟など望めないだろう。共和国派であるエカチェリーナも、宮廷の大多数は王国派で占められていることを認めているのだから。
これから30年前の革命戦争を覚えている人間がいなくなり、代わりにバーラトを巡る植民地戦争を体験した貴族たちが政府の座を占めるならば希望はあるかもしれないが。
「そうね。それに問題はニコライ皇太子殿下もよ。彼は共和国も王国も敵視してる過激派で、今の皇帝であるアレクサンドル4世が崩御されたら即位することが決まっている。彼が皇帝になるならば、世代が入れ替わっても共和国は敵視される」
「ただし、王国と同列にだ。帝国が勝手に孤立してくれることは望まし限りだ」
パトリシアが頷いてそう告げるのに、クラウスがそう付け加えた。
「外務省としては帝国との関係改善をこれからも図ってくれるように促してくれ。外務大臣にもそう言ってはあるが、外務省上層部は今回の件でやる気を失っているようだからな。現場にいるお前が率先して実行してくれ」
「目的は帝国側から先制攻撃を受けないようにするだけでいいのね?」
クラウスが告げるのに、パトリシアが尋ね返した。
「そんなところだ。帝国側から先に殴ってきて、王国に背中を刺されるのは、二正面作戦を想定しているとしてもありがたいことじゃない。可能ならば、王国と帝国を各個撃破できる方が望ましい。連中が息を合わせて共和国を攻撃するのは望ましいことじゃない」
確かに共和国軍は王国と帝国を敵に回した二正面作戦を想定している。
だが、想定したからといって対処できるかどうかは別問題だ。
共和国軍は王国と帝国の二正面作戦を想定して、作戦を練っていたが、王国と帝国に同時に殴り掛かられた場合は、30年前の革命戦争で帝国がそうしたように国土を戦場とし、焦土とし、戦わなければならないという演習の結果が出ていた。
焦土とするのが、王国側の領土か、帝国側の領土かは不明だが、どちらにせよ共和国にとっては手痛い打撃になる。可能ならば、帝国と王国にはバラバラに動いて貰う方が望ましい。
「理解したわ。私もできることをする。幸い、エカチェリーナ殿下が積極的に動いてくださっていて、共和国としては帝国を完全に敵に回すまでの状態には至っていないの。まあ、共和国への好感度がそれなりなのはエカチェリーナ殿下を支持する民衆と若手貴族だけで、政府上層部の方はコチコチだけど」
パトリシアはそう告げて、肩を竦めた。
「ところで、なんでここにヴェアヴォルフ戦闘団の副隊長がいるの?」
と、ここでパトリシアが胡乱な目でローゼを見た。
「私は彼のパートナーだから」
「クラウスのパートナーは私よ。幼いころからクラウスとは一緒だったし、本国での一時期はいつも一緒に食事をしてたんだから」
ローゼがサラリと告げるのに、パトリシアが噛みついた。
「パートナーは私よね、クラウス?」
「もちろん私よ。そうよね、クラウス?」
パトリシアとローゼが同時にクラウスにそう問いかけてくる。
「お前ら……世界大戦が起きるかもしれなくて、それに備えているんだぞ。何を暢気なことを言っているんだ。俺だって今は遊ぶのを控えて、クソ真面目に大統領の職務を遂行してるだ。そっちも真面目にやれ」
クラウスは大きく溜息を吐くと、どうでもいい話を始めたふたりにそう告げる。
「わ、悪かったわ。けど、どっちをパートナーにするかは選んでおいてよね。私だって心の準備が必要なんだから」
「私は真面目に聞いているのだけれど、ね」
パトリシアは顔を赤くして謝り、ローゼは悪びれない顔でそう返した。
「女性関係のトラブルには注意されてくださいね、大統領閣下。女性関係のトラブルはゴシップ誌の恰好の標的になりますわ。今の大統領閣下の支持の要因は、大統領閣下が浮世離れしたカリスマ性をお持ちだからです。女性関係のトラブルなんて俗っぽいことが起きたら支持率が低下してしまいますわ」
「ご忠告感謝します、閣下」
俺だって好きでふたりを振り回しているわけじゃない。むしろ、自分がふたりに振り回されているんだぞ、とクラウスは内心で毒づいた。
「私としてはやはり長年の戦友であるローゼさんを推したいところですが、外務省で女性として非常に稀有な外交官として活躍されているパトリシアさんも捨てがたいですわ。どちらがパートナーになられても、実にお似合いですわね」
レナーテは他人事のようにそんなことを告げる。いや、実際に他人事か。
「フウ……。兎も角、戦争に備えてくれ。あまり残された時間はないぞ」
世界大戦はいつ起きてもおかしくはない。その足音は着実に列強の背後で鳴り響いている。
「そういえば、面白いものを開発したそうね、クラウス? 飛行機とかいう」
「ああ。あれか。あれには期待してる。俺が見る限りでも、だいぶ洗練されてきたところだ。後少しばかり時間があれば、共和国にとって二正面作戦を勝利するための切り札になるかもしれん」
不意にローゼが尋ねるのに、クラウスがそう告げて返した。
「レムリア重工でも全力を挙げて、航空機の開発を支援していますわ。秘封機関についても最適化されたものを提供しています。一部の航空機には人工筋肉製の制御装置も」
航空機開発には、ロートシルト財閥のレムリア重工が深く関与している。レムリア重工そのものは航空機開発には着手していないが、航空機メーカーに必要な軍用規格の秘封機関や人工筋肉を提供しているのはレムリア重工に他ならない。
「気になる。見に行けないの?」
「見れんことはないが……」
ローゼがそんな航空機に関心を示すのにクラウスが渋い表情を浮かべる。
「思っているほど派手なものではないぞ。今はまだ実用化できるかどうかを模索している最中だからな。退屈すると思うぞ?」
「興味がある。あなたと一緒に見に行きたい」
まだ航空機は複葉機と初期の単葉機がそれなりの速度で飛行するだけのものだ。爆弾や魚雷を搭載し、敵を攻撃する攻撃機と、上空から地上の状況を把握する偵察機、敵の基地や都市を爆撃する爆撃機、相手の航空戦力を妨害する戦闘機、そして兵士たちを輸送する輸送機の実用化が見込まれている。
「そこまで言うならちょっと見に行くか。俺としては完成してから見た方が言いと思うんだがな」
クラウスは渋々という具合にそう承知する。
「なら、私も連れて行ってよ、クラウス。私も航空機って奴を見たいわ」
と、ここでパトリシアが参戦した。
「あなたは外務省だから関係ないでしょう?」
「閣僚でも官僚でもないのにここにいる人が何を言ってるの?」
ローゼが胡乱な目でパトリシアを見るのに、パトリシアが鼻を鳴らしてそう返した。
「ふたりとも連れて行ってやるから喧嘩するな。ただ航空機を見に行く。それだけなんだからな」
そんなふたりを見て、クラウスはフウと溜息を吐いたのだった。
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