大統領就任式典
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──大統領就任式典
クラウスが秘封機関を体内に埋め込むという手術を行ってから僅かに3日後のこと。
まだ、腹部の縫合も取れない状況で、クラウスはこの日のために新調したブラウンのスリーピースの背広に袖を通し、勲章の類は一切身に着けず、既に軍隊を除隊したのだということをアピールするように軍隊の色を一切出さない恰好をあつらえた。
「キンスキー大統領閣下」
エステライヒ共和国首都アスカニアは、中心部に位置する大統領府。
そこでクラウスがゆったりと歴代の大統領たちが腰かけて来た椅子に座りながら、共和国親衛隊の告げる声を聴いていた。
「時間か?」
「はっ。既に民衆は大統領府の前に詰めかけています。皆が閣下を待っています」
クラウスが尋ねるのに、大統領親衛隊の兵士は頷いてそう告げた。
「では、始めるとするか」
クラウスはそう告げると、椅子から立ち上がり、大統領府に面する大通りが目にできるバルコニーへとゆっくりと足を向ける。
クラウスが共和国大統領に正式に当選してから7日間が過ぎた。既に政権の座を追われたショーン・ジモンスの影は形もなく、前政権から一新されたということがハッキリと分かっている。
「ここまで来るのに随分と遠回りをしたな。もともとなる気もなかった大統領なんかになるってことで、渋々と引き受けたからだろうが、もっと手短に済ませられただろうに」
クラウスはそんなことを呟きながらバルコニーに向かう。
「レナーテ、ラードルフ、ヴェルナー、右派の政治家たち。様々な連中が俺のことを祭り上げたが、俺は祭り上げられるだけじゃない。祭り上げた連中を利用してやる」
クラウスはバルコニーに向かう。
「できることならば、この日をヴェアヴォルフ戦闘団の連中と迎えたかったな。あの連中は一緒にいて楽しい連中だった。あの連中と一緒にあの場所に立てなかったのは残念でならんな」
クラウスの心の中には未だにヴェアヴォルフ戦闘団がいる。あの頼もしい連中と共に戦ってきたことが、彼にとっては名誉なことであり、愉快なことだった。できるならば、この共和国大統領として就任する日を、ヘルマやローゼと共に迎えたかった。
「まあ、連中もトランスファールでこの様子をラジオで聞いているはずだ。それにもう少しの時間だ。もう少しの時間で全てを取り戻せる」
クラウスはそう呟くと、バルコニーに通じる扉を開いた。
「大統領! 大統領!」
「クラウス・キンスキー! クラウス・キンスキー!」
「我らが戦争の英雄! 共和国の勇者!」
バルコニーの窓からは大通りに集まった民衆の姿が見えた。
人、人、人。そこら中が人で満ちている。そして、誰もがクラウスを歓喜の声で出迎えている。辺り一帯でクラウスを歓迎する声が鳴り響き、ここにいる誰もがクラウスを支持しているのが分かった。
クラウスは集まった共和国市民に向けて笑みを浮かべると、そのまま歓声が鳴りやむのを待った。こんなに騒がしくては、いくら拡声器があってもクラウスが何を言っているのかさっぱり分からないはずだ。彼は自分の声に注意が向くまでに、ジッと待った。
そして、次第に歓声の声が鳴りやみ、クラウスの様子を民衆たちが見つめる。
「共和国人民の諸君」
そこで初めてクラウスは声を発した。
「今の時代において、自分が求められたことを理解している。共和国人民の誰もが、世界大戦の恐怖を前にして、力強いリーダーシップが発揮できる人間を求めたことは、しっかりと理解している」
共和国市民は融和を唱えるショーンではなく、右派のクラウスを選んだ。それはこれからの時代においてショーンよりもクラウスが必要だと判断したためだ。戦争はもはや避けることは難しく、共和国には力強い指導者が、30年前と同じような軍事指導者が必要だと判断されたためだ。
「期待には応える。自分はこの身を賭けて共和国のために尽くすつもりだ。どのようなことがあろうとも、共和国大統領としての職務を、共和国の生命と財産を守るための義務を全うするつもりだ」
クラウスは言わなかった。本当に世界大戦が勃発するならば、大勢の人間が無情にも死んでいき、共和国の財産は共和国の戦争のために接収され、全てが戦争に投じられるのだということを。
「だが、自分の力だけでは全てを成すことはできない。共和国を救うためには、全共和国人民の協力が必要となる。全ての共和国市民が団結してこそ、勝利が手に入るのだ。そうでなければ、待っているのは敗北だ」
クラウスがそう告げるのに、大統領府前に集まった市民たちが沈黙する。皆が楽観的に考えていたのだろう。クラウスが大統領になるならば、全ての問題は解決すると。
「共和国は危機にある。建国の父たちが革命の旗をかかげ、革命戦争を戦い抜き、現在のエステライヒ共和国を建国した時以来、最大の危機にある。我々は東で、西で、南で、北で、敵に囲まれている」
もはや世界大戦は避けられないであろうし、共和国は二正面作戦を強いられる。そのことは市民も知っておかなければならない。
「敵は言うだろう。我々には世界大戦を戦い抜くための力がなく、攻撃を受ければもろくも崩れ去ると。敵は言うだろう。共和国は世界大戦を恐れるがあまり、あらゆることで譲歩するだろうと。敵は言うだろう。共和国の理念は世界大戦を以てして潰えるのだと」
クラウスは静かに、淡々と言葉を続ける。
「しかし、我々はそんな惰弱なる国家ではない! 全ての共和国人民は世界大戦であろうとなんであろうと戦い抜くことができる! 共和国人民の諸君! 勝者の名は何だ! 王国か!? それとも帝国か!?」
クラウスはそう共和国市民たちに問いを投げかける。
「エステライヒ! エステライヒ! エステライヒ!」
「共和国! 共和国! 共和国!」
クラウスの問いに、共和国市民たちが答える。
狂信的に、熱狂的に、熱烈に。
「そうだ! 共和国だ! 最後に勝つのは我々共和国だ! どのような戦争であろうとも最後に勝つのは共和国だ! 我らが共和国に、そして全ての人民に栄光あれ! 世界大戦において勝利するのは我々だ!」
クラウスはその情熱を煽るようにそう告げる。
「エステライヒ! エステライヒ! エステライヒ!」
「共和国! 共和国! 共和国!」
「我らが共和国と全ての人民に栄光あれ!」
共和国市民たちはひたすらに熱狂し、万歳の声を上げる。
「我々に勝利を! 共和国に栄光を! 共和国の敵に死を!」
「我々に勝利を! 共和国に栄光を! 共和国の敵に死を!」
共和国の思想は統一された。クラウスの望むように。
「共和国万歳。我々は勝利する」
クラウスは最後にそう告げて、共和国市民に向けて握り締めた拳を掲げた。
第7代共和国大統領クラウス・キンスキーの就任式典は、かつてない熱狂に包まれて終わった。彼の就任時の支持率は共和国史上最高の92%を記録し、ほぼ全ての国民がクラウスが大統領の座に就いたことを熱烈に歓迎した。
そして、世界は確実に世界大戦という殺戮に向けて降下を始めていた。
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