当選確定(2)
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「おめでとうございます、キンスキー次期大統領」
右派の政治家たちとヴェルナーがクラウスへの挨拶を終えると、次にやって来たのはクラウスを大統領の座まで引き摺り上げた人物──レナーテだった。
いつものようにすでに死んでいる双子の姉のレベッカと手を繋いだ彼女が、シャンパンのグラスを片手に、クラウスの前に姿を見せた。
「ありがとうございます、閣下。これもあなたの協力があってのことです」
「いえいえ。これはあなたが自分で勝ち取られた勝利ですわ。あなたでなければ、私たちがいくら支援したところで、大統領にはなれませんでしたもの」
クラウスが一礼してそう告げるのに、レナーテは首を横に振った。
「この勝利のおかげで共和国の未来は明るいものになりますわ。無能なジモンスが政界から追放され、真に正しきものが大統領の座についたことで、共和国は更なる発展を見せるでしょう。それは確かですわ」
レナーテは満足そうにそう告げて、レベッカと握っている手の指を更に絡める。
「さあて、自分にそれが成せるのかどうか。これからもご支援をいただかなくては難しいものかと思います。特に経済の専門家たちの知恵は、これからもお借りしなくてはなりません。何名かは閣僚に入っていただかなくては」
クラウスの方は肩を竦めてそう返した。
「その点でしたら問題はありませんわ。これからも我々はキンスキー次期大統領を支援いたしますことを確約いたします。どれだけでも閣僚に抜擢してください。共和国は今やあなたのものなのですから」
レナーテは小さく微笑むとそう告げた。
「とは言えど、あまり私たちが前に出るのは望ましいことではないでしょうね。あのような報道がデマとしてでも流れた以上は、ある程度の距離は保っておくべきです。下手に勘繰られては困りますから」
「まあ、それも一時的に心配ですがね」
レナーテが打って変わって渋い表情でそう告げるのに、クラウスは小さく笑った。
「あの計画を実行されるのですね?」
「ええ。当然です。議会と大統領が対立するのが明白な以上は、手を打っておくべきでしょう。自分は議会に足を取られて、思うように動けない、などという間抜けな事態は望んでいませんから」
レナーテの問いに、クラウスが声を落としてそう返す。
「それは大変素晴らしいことですわ。それは共和国のためになるでしょう。しかし──」
「一代限りの限定されたもの、ですね。理解しております」
クラウスがレナーテが告げようとした言葉を引き継ぐ。
「ご理解いただけて感謝しますわ。でしたら早急に実行を。この手の計画は相手に対応する暇を与えずに奇襲することが重要です。軍人であるあなたに私が講義するようなことではありませんけれど」
「奇襲については問題なく進められるかと。自分も奇襲の必要性は理解していますから。特に軍部にも自分に反感を持つ人間がいることを考えますと必然となります」
レナーテとクラウスは何を話しているのだろうか? 世界大戦の計画か?
「それから自分が必要としているのは、これです」
クラウスはそう告げると、自分の眼球を失った左目を指さした。
「ええ。約束は果たされたことですので、ブリギッド・メディカルが準備しましょう。素敵な左目をご用意いたしますわ」
「左目が健康的に見えるのであれば何でも構いませんよ」
俺は眼球をカラーコンタクト代わりにするつもりなどないぞ、とクラウスはレナーテの言葉を聞きながら内心で思った。
「では、活躍を期待しますわ、キンスキー次期大統領。あなたが大統領府から民衆に手を振る日を待ち望みます」
レナーテはそう告げるとクラウスの下を去った。
「どこまで本気に捉えていいものやらな」
去っていくレナーテの背中を見ながらクラウスが呟く。
「あれはある種の怪物だからな。俺以上に富に固執するドラゴンだ。冷たい金塊のベッドに横たわるのを至上とする竜だ。そんなモンスターを俺なんかがどこまで相手にできるのか見ものじゃないか、ローゼ?」
クラウスはそう告げて、ふと背後を振り返った。
だが、そこには誰もいない。無人だった。
「ああ。クソ。変な癖が付いちまっている。ローゼはいないんだったな」
クラウスはヴェアヴォルフ戦闘団にいた時の感覚でローゼを呼んでいた。無意識のうちにあの不愛想でいて、可愛げのある女性の名を呼んでいた。
「ま、もう少しの間だ。もう少しでこの状況も打破できる」
クラウスが何をするつもりなのかは不明だが、彼は彼に忠実なヴェアヴォルフ戦闘団がいないという状況を打破するために必要な措置を取るつもりらしい。
だが、何のために?
「キンスキー大佐!」
と、クラウスがそんなことを呟いていたとき、声がかけられた。
「これはロイター提督。自分はもう大佐ではなく、元大佐ですよ」
「なあに。予備役に編入されているはずだ。共和国の危機がくれば、また君は大佐だ」
クラウスに声をかけてきたのはご機嫌な様子のラードルフだった。
今回のクラウスの勝利をもっとも祝っているのは彼だろう。彼はクラウスが勝利したことで忌々しいショーン・ジモンスを大統領の座から追放でき、かつ自分がもっとも大統領に相応しいと考えていたクラウスを大統領の座に導けたのだから。
「そうならないことを祈りたいですね。我らが名誉ある共和国には平穏な未来を過ごして貰いたい。危機など起きないに越したことはありません」
「全く以てその通りだ。だが、そう簡単にはいかないだろう。帝国と王国のハゲワシどもが共和国を虎視眈々と狙っている状況においてはな」
クラウスが肩を竦めるのに、ラードルフがそう告げて返した。
「確かに世界大戦は目の前に迫り、状況は危機的なものへとなりかねません。そこで閣下にいくつかの頼みがあるのですが」
「なんだろうか?」
クラウスが尋ねるのに、ラードルフが首を傾げる。
「まずは自分の政権において閣下に海軍大臣の地位について貰いたいのです。自分の軍事に関する知識は陸戦に限られておりますので、海軍に関しては専門家の知識を借りたいのですが」
クラウスが最初に求めたのは、ラードルフに海軍大臣の地位について貰うこと。
クラウスには海軍の知識はほぼない。この世界の戦艦がどのように撃ち合うのか、どのような機動を描くのか、どのような港が母港に相応しいのか。
なので、クラウスは海軍の知識についてラードルフの力を借りることにした。思想的には問題のある人物だが、その思想でありながら海軍参謀総長の座まで上り詰めた人物だ。実力は備えているだろう。
「それならば喜んで引き受けよう」
クラウスの求めにラードルフは笑顔で応じた。
彼としては断る理由など欠片もない。海軍大臣の地位には現役武官であっても就任することができたし、何よりクラウスの頼みだ。これがショーンの求めならば断わっただろうが、クラウスの頼みとあれば断る理由などない。
「感謝します、提督。次の願いは来るべき世界大戦に備えて、王国海軍との決戦の準備をしていただきたいということです。世界大戦において王国海軍を撃破しなければ、我々に未来はありません」
次に必要なのは王国海軍を撃破するということ。30年前の革命戦争のときと違って、今回は王国海軍を撃破して、アルビオン島に上陸し、王国を撃破しなければならない。そうでなければ、帝国と戦っている間に背中を突かれる。
「了解した。私も王国海軍を撃破せねばならないと考えている。君の発案した航空機を使った戦術も駆使し、必ずや連中の忌々しい艦隊を撃滅してみせよう」
ラードルフにとっても王国海軍は宿敵だ。彼が少尉として戦い、左手の指を失った時の相手は王国海軍であり、王国海軍は常にラードルフの敵であった。
「では、最後に。あの計画について動員できる兵力の準備を願います。レナーテ嬢と話し合いましたが、早期に実行した方がいいという点で意見は一致しています。自分が大統領として就任したら、迅速に計画を実行に移す予定です」
「ああ。理解した。協力しよう」
そして、また謎の単語だ。クラウス、レナーテ、ラードルフの企んでいる計画とはいったい何のことなのだろうか?
「では、よろしく願います、提督」
「任された。共和国の未来のために」
クラウスは最後にラードルフに一礼し、ラードルフは敬礼を送って去った。
「これで一段落か。後は閣僚を決めていって、世界大戦に備えるだけだ」
レナーテとラードルフへの手回しは終わった。後はクラウスが大統領としての職務を遂行すればいいだけだ。そして、着々と迫りくる世界大戦に確実に備えておけばいいだけの話である。
「クラウス!」
と、クラウスが安堵の域を吐いていたとき、賑やかな声がかけられた。
「パトリシア。見事に当選したぞ」
「正直、びっくりしたわ。ラジオで知らせを聞いた時、ひっくり返りそうになった」
クラウスがニッと笑って告げるのに、パトリシアも微笑んで返した。
「おいおい。お前がやってみろと言ったから、大統領に立候補したんだぞ。そんなに驚くものじゃないだろ。ここまで来たのもお前のおかげだ」
「それでも驚くものは驚くわよ。だって、大統領よ? ついこの間までは植民地軍の将校だったのに!」
そう、クラウスはついこの間までは植民地軍の中佐だったのだ。それが本国軍に配属され、参謀本部諜報局の大佐となり、そしてついには共和国の頂点である共和国大統領となった。驚くべきサクセスストーリーである。
「ああ。正直なところ、あまり実感がないぐらいだ。大統領になったらしいが、共和国のトップになったような気はしない。まだ、ヴェアヴォルフ戦闘団の指揮官であるような気分がしてくる」
「もう。あなたは大統領よ。これから共和国のために頑張らなくちゃ」
クラウスとしてもまだ大統領になったような気分はしなかった。当選はあまりに呆気なく決まり、クラウスは大統領になったという気分もしないままに、この場にいる。まだ国民たちを導く立場になった気はせず、ヴェアヴォルフ戦闘団を率いているときのような気分がするだけだ。
「そうだな。我儘なお姫様たるお前に言われたことだしな」
「私の言葉で大統領になったっていうなら、私を大統領夫人にしてくれる?」
クラウスが小さく笑って告げるのに、パトリシアがクラウスを見上げてそう告げた。
「いや、それはやめておいた方がいいだろう。お前のためだ」
「なんで? まだ貴族がどうのって話をするつもり?」
と、クラウスが真剣な表情をして告げるのに、パトリシアが怪訝そうな表情を浮かべる。
「違う。これから俺は共和国の歴史に最低の大統領として名を遺すからだ」
そして、クラウスはそう告げるとシャンパンのグラスを傾けたのだった。
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