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共和国大使館

……………………


 ──共和国大使館



 クラウスたちは共和国を出発し、帝国の帝都アルハンゲリスキーに到着した。


「冷えるな」

「本当。帝国は冬か冬じゃないかしか季節がないって言ったものね」


 まだ季節は秋だというのに、空気は冷たい。長らくトランスファール共和国で過ごしてきたクラウスにはもう冬のように感じられていた。


「さて。まずは大使館だな。お前は大使に挨拶しておかなければならないし、俺は大使館にいる武官から粛清の影響について聞いておかなければならない。オスターの親父も現地にいる武官が一番信用できると言っていたしな」

「そうね。私はまだ正規の外務省職員じゃないから、ここで活動するのには大使閣下の許可をいただいておかないと」


 クラウスが告げるのに、パトリシアが頷く。


 クラウスたちがまず目指したのは共和国大使館。


 クラウスは粛清の影響を武官から聞くため、パトリシアはクラウスに同行することの許可を大使から得るため、アルハンゲリスキーにある共和国大使館を目指した。


 クラウスたちはタクシーに乗り、共和国大使館に向かう。


「街は前に見たのとさして変わらんな。粛清されたのは軍人だけだからか?」


 クラウスは粛清が行われた影響で市民の生活も委縮したのではないかと思ったが、アルハンゲリスキーの様子は、王国とのミスライムを巡る植民地戦争を終わらせた際に訪れたときとさして変わりない。


 ただ、いつものように民衆の生活は苦しいようで、アルハンゲリスキーは帝都だというのに、共和国の首都であるアスカニアのような賑やかさはない。人々はただ淡々と、この寒さの厳しい国家で自分の生活を送っているようだ。


「寒々しい街。季節のせいだけだとは思えないわ」


 クラウスの隣に座っているパトリシアがそんなことを告げる。


「秘密警察が常に市民を見張っているんじゃな。いつ逮捕されてツンドラに送られるかと思えば、アスカニアのように伸び伸びとは暮らせんだろう」


 帝国には皇帝官房第3部という秘密警察が存在する。第1課は国内における不穏分子を監視するもので、かつてのように共和革命を目指す活動家が現れないかと厳重に監視し、出版物やエーテル・ラジオを検閲している。


「共和国に生まれてよかったって思うわ」

「共和国にも秘密警察はいるがな。国家保安省という化け物だ。こいつらが見張っているのは、海外のスパイどもと社会主義者だから俺たちは気にしなくてもいいが」


 パトリシアが心の底からそう思って告げるのに、クラウスがそう告げた。


 共和国国家保安省。


 共和国憲法の擁護者という看板を掲げた警察組織であるが、実際は共和国内外で活動する情報機関だ。


 列強各国に忍び込んで対外諜報を実行し、逆に国内に忍び込んだ海外のスパイを取り締まる防諜を実行し、国内に潜む共和国憲法を脅かす不穏分子を“排除”する。事実上の共和国における秘密警察に位置づけられる組織だ。


 植民地における共和国植民地省市民協力局の国内版、と言えば非常に分かりやすいものだろう。そう、市民協力局と同じように暗殺も実行し、そのための準軍事作戦部隊を有している。


 もっとも、共和国は植民地では市民協力局、本国では国家保安省という縄張りを決めてあるため、国内でも植民地でも自由に動ける王国の秘密情報部や、帝国の皇帝官房第3部と比べると規模で劣るのが実情だ。


「着きましたよ、お客さん」


 クラウスたちがそんな会話をしている間にタクシーは共和国大使館の前に停まった。


 現在の共和国大使館はかつて帝国が、共和国がエステライヒ王国だったときに贈呈した建物であり、歴史の長い建物だ。旧ゴシック様式の建物で、荘厳さを感じさせる。


「大使はどんな奴なんだ?」

「聞くところによれば人がいい人みたい。詳しくは教えて貰ってないの。外務省の機密にはまだ自由に触れられる立場じゃないから。もしかすると、国家保安省の作戦に加わってる人だったりするかもね」


 クラウスがタクシーから降りて尋ねるのに、パトリシアが首を傾げてそう返した。


「そっちの武官はどんな人なの?」

「元参謀本部諜報局の人間だ。諜報局にいたときには帝国を担当していた。だから、オスターの親父が当てにしろっていったわけさ。早い話がこっちの身内だ」


 今度はパトリシアが尋ねるのに、クラウスがそう返した。


 クラウスはパトリシアにはハッキリと言わなかったが、今もその武官が諜報局のために働いている可能性はあった。帝国における粛清を報告したのが、その武官である可能性は十二分にあった。


「さ、挨拶を済ませちまおう。俺たちにはやらなきゃならんことがたくさんある」

「そうね。時は金なり、というもの」


 クラウスが促すのに、パトリシアが大使館の玄関を潜った。


 大使館の敷地内は共和国の法律が支配する。大使館は共和国陸軍の兵士によって警備されており、最近付けられたのか大使館を囲う塀には有刺鉄線が張り巡らされている。周囲には警備の固さを物語る大型の魔道灯が複数設置されていた。


「要塞みたいだわ」


 パトリシアはそんな大使館の様子を見てそう呟く。


 実際にここは要塞だ。共和国憲法が謳う自由、平等、博愛のモットーを、ツァーリズムが支配する帝国において維持する要塞だ。


 クラウスたちは共和国陸軍所属であることの証と研修中の外務省職員であることの証を衛兵に提示すると、要塞のごとき大使館内に通された。


「じゃあ、俺は駐在武官に会ってくる。俺の分まで大使閣下によろしくと伝えておいてくれ」

「任されたわ。はあ、ちょっと緊張する」


 クラウスとパトリシアは大使館のカウンターで、大使の部屋と駐在武官の部屋を聞くと、正面ホールで左右に分かれた。パトリシアは大使館の正面玄関から右手にある大使の執務室に、クラウスは左手にある駐在武官の執務室に。


「失礼します」


 クラウスは駐在武官の執務室の扉をノックして入室した。


「よくきたな、キンスキー大佐。よろしく頼む」


 駐在武官の名前はマテウス・マイジンガー共和国陸軍准将。


 落ち窪んだブラウンの眼には、情報要員たちが漂わせる独特の色があり、やはりこの男はまだ諜報局の人間なのではないかと思わせた。


「こちらこそよろしく願います。それで本題に入っても?」

「構わんよ。俺は無駄話は好きじゃない。この仕事をしてると嫌でも無駄話に付き合わされるがな」


 どうやらこのマテウスという人物はあまり駐在武官という仕事を気に入ってはいないようだ。大使館の一員というならば、要人との会話に付き合うのも仕事の一つのはずなのだが。


「では、単刀直入にお尋ねします。粛清の影響はどうなっていますか?」


 クラウスは実にシンプルにそう尋ねた。


「粛清の影響、か」

「ええ。そうです。粛清について諜報局に報告されたのは閣下だと思っていますが」


 マテウスが顎を擦って感が込むのに、クラウスがそう告げる。


「確かに粛清について報告したのは俺だ。俺の持っている帝国軍内の資産が軍で大量の将軍たちが逮捕されたという情報を送ってきて、それで判明した。だが、このことは外部に漏らすんじゃないぞ。俺がまだ諜報局の人間だと知れたら、ペルソナ・ノン・グラータに指定される」


 やはりまだマテウスは諜報局の人間だった。


「理解しております。それで、粛清の影響は?」

「市民生活のは何の影響もない。新聞は検閲されているらしく粛清について一切報じていない。市民たちは、この国で何が起きているかの知る術はないというわけだ」


 改めてクラウスが尋ねるのに、マテウスがそう答える。


「ああ。この国では市民ではなく、臣民というのだったな。この国じゃ、民衆も皇帝の所有物というわけだ。ゾッとするな。俺はこのクソのような国に生まれなかったことを神に感謝するね」


 マテウスは鼻を鳴らしてそう告げた。


 共和国は帝国との関係改善を目指しているってのに、こんな人間を駐在武官にしておいて大丈夫なのか、とクラウスは心の底から疑問に思った。この駐在武官は関係改善には役に立たず、宣戦布告の文章を渡すときにしか役に立ちそうにもないと。


「俺が駐在武官には向いてないと思っていているだろう。特に関係を改善しなければならない国の駐在武官にしておくには不適合ではないか、と」

「いえ。そのようなことは」


 マテウスが問うのに、クラウスは小さく首を振る。


「実際のところ、軍は関係改善が成功するとは思っていない。外務省は期待しているようであるが、軍としては帝国は仮想敵国のままだ」


 陸軍国家であり、本土と地続きの帝国は、共和国にとって最大の仮想敵国だ。動員数も共和国を上回っており、そのことは脅威度に拍車をかけていた。


「帝国を仮想敵国とするならば、その動向を探らなければならん。どうでもいい植民地の小国なんぞは適当な連中を左遷しておけばいいが、帝国においてはそれはダメだ。きちんと仮想敵国の軍備について情報取集ができる人間が必要になる」

「それが諜報局に所属するあなたというわけですね」


 マテウスが告げるのに、クラウスが頷いて返した。


「まあ、そういうことだ。自分の能力をひけらかしたいわけじゃないが、正式に諜報局にいたときから、帝国に関してはそれなりの事情に精通していた。今回の作戦でオスター少将閣下が俺を駐在武官に選んだのはそういうことだ」


 マテウスはそう返し、窓の方向を向いた。窓には二重にカーテンが引かれており、帝国の寒々しい外の光景は見えない。


……………………

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