世界大戦の研究(3)
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「よく来てくれた、キンスキー大佐!」
そう歓迎の声が響くのはエステライヒ共和国首都アスカニアに位置する建物のひとつ。
共和国海軍省の建物だ。落ち着いた赤レンガ造りの建物で、アスカニアの多くの建物と同じように30年前の革命後に建造されたものである。
「歓迎に感謝します、ロイター提督」
クラウスは自分を歓迎してくれた人物にそう告げる。
そう、クラウスを海軍省において歓迎したのはラードルフ・ロイター提督だった。クラウスが当てにした自分の伝手というのはラードルフのことだった。
「いや。ここで君を迎えられるのは嬉しい限りだ。共和国に数々の勝利をもたらした英雄を、自分の執務室に出迎えられる日が来るとは」
ラードルフはそう告げて、クラウスに執務室の椅子を進める。どこまでも淡白にことを進めたオトマールとは対照的な歓迎具合だ。それほど次代の指導者としてクラウスに期待しているということなのだろう。
「君が海軍の軍人ならば、いつでもここに迎えられたものを。無理解な陸軍に君を取られたのが残念でならないよ。オトマールはちゃんと君に任務を与えているかね? やる価値のある、ちゃんとした任務を」
「ええ。重要な任務を授かっています」
ラードルフが不満そうな表情で尋ねるのに、クラウスが苦笑して返した。いくらなんでもボートのひとつも操縦したことのない植民地軍の人間を海軍に入れるのは無理があるだろうと、クラウスは内心で思う。
「ウィスキーを飲むかね? いいものがあるんだが」
「いえ。勤務中ですので」
ラードルフは戸棚から琥珀色のウィスキーを取り出して見せるのに、あまり酒は好まないし、勤務中に酒を飲むなどもっての他だというクラウスは首を横に振る。
それにしても、孫にお菓子を与える爺さんの顔をしてやがるなと、クラウスはラードルフの様子を見て思った。クラウスとラードルフは年齢はかなり離れているが、流石に祖父と孫ほどには離れていないはずだ。
だが、これならば上手くいくかもしれないとクラウスが内心で考える。
「それで今回海軍参謀総長であるロイター提督にお会いしたかったのは、来たるべき世界大戦についてご相談があったからです。自分が現在オスター少将閣下の命令で世界大戦の研究をしておりまして、そこで問題にぶつかったのです」
「ふむ。それはどのような問題だろうか?」
クラウスがそう告げるのに、ロイターが尋ねた。
「世界大戦が勃発した場合、現状では我らが共和国は王国と帝国の両国を敵に回して戦うことになります。つまりは二正面作戦です。その点は同意していただけるかと」
「その通りだ。王国、帝国共に共和国の敵だ。奴らは共和国を破滅させるためならば、どんな薄汚い協定でも結ぶだろう」
ラードルフは以前から王国とも、帝国とも手を結ばず、一国だけで大陸の覇権を握るべきだと告げて回っていた。だから、クラウスが二正面作戦になると告げても、さして意を挟む様子はなかった。
「二正面作戦となりますと、なんとしても短期決戦を目指さなければなりません。共和国は動員数においても、経済力、産業力においても列強2ヶ国を何年も相手にできるだけのものではありまんせんから。同盟国がいない以上、我が国の継戦能力は限定されます」
「……現状ではそうだな」
クラウスがそう告げるのに、ラードルフが苦々しい表情で頷いた。
クラウスはここで一息つく。ここをラードルフが納得すれば、第一関門は突破したと考えていい。ここを納得させられなければ、長い時間をかけて、世界大戦における共和国の脆弱性について説明しなければならなくなる。
「だが、短期決戦を目指すとなると王国海軍の存在が邪魔になります。我々は帝国が大兵力を動員する間に、王国を倒すのがベストなのですが、その王国を倒す上で立ちはだかるのが王国海軍です。連中は30年前と同じようにアルビオン島に共和国軍が侵入するのを防ぐでしょう」
クラウスはそう説明してラードルフを見る。彼は実に不満そうな表情をしている。
「確かに現状においては我々の海軍は王国海軍に対して劣勢だ。だが、それは軍備を増強すればどうにでもなる話だ。戦艦の数で我々が負けているのであれば、戦艦を増強すればいい。ドックは開いている。予算さえ付けば、王国海軍に劣らぬ海軍を揃えられる」
ラードルフはクラウスに対してそう告げた。
確かに現状、戦艦を建造可能な造船所は開いている。新規に戦艦を作ろうとするのは、物理的に無理だという話ではない。
「閣下。戦艦は確かに作れるでしょうが、それにはあまりにも予算がかかります」
そんなラードルフを宥めるようにクラウスがそう告げる。
「戦艦は建造するだけでも莫大な資金が必要になることは閣下がよくご存じのはずです。確かに今の政府は軟弱で、軍事予算を削減する傾向にありますが、それでも多少予算が増えた程度では王国海軍と対等にやり合えるだけの海軍を揃えるのは難しいはずです」
戦艦は高価な兵器だ。戦艦1隻だけで、魔装騎士の何百倍もの資金が必要となる。
「そして、戦艦は平時においても随分と手間と金のかかるお姫様です。戦艦を運用するには少なくない数の海軍の将兵が必要になりますし、演習やメンテナンスをしなければ戦闘力は低下してしまいます」
戦艦は魔装騎士が操縦士1名と整備兵数十名で動かせるのとは対照的に、膨大な数の海軍将兵が必要になり、その戦力を維持するためにも更に大勢の人間が必要になる。そうなれば人件費は莫大なものになるだろう。
「それに王国海軍に追いつくだけの戦艦を作ろうとすれば、王国海軍が黙ってみているはずがありません。彼らは自分たちの艦隊を更に増強するでしょう。経済規模は共和国がやや優っていますが、王国の経済規模も馬鹿にできるものではありません」
仮に戦艦の大規模な建造が可能になったとしても、対抗相手である王国がぼんやりとそれを眺めているとは考えられない。
王国は海外植民地から計上される資金で、共和国に劣らぬ経済規模を維持しており、その経済柄力をフルに海軍力に振れば、共和国海軍の海軍増強速度と同じ速度で海軍を拡大するだろう。それどころか共和国よりも早い可能性だってある。王国には戦艦が建造可能なドックが共和国よりも多く存在しているのだから。
「そして、我々は王国との海軍拡張レースにだけ専念すればいいわけではありません。二正面作戦となりますと、我々は東に帝国という敵を抱えます。共和国を上回る動員数を誇る東の巨人を敵に回すのです」
世界大戦は二正面作戦になる。共和国が海軍の拡大だけに傾注してれば、その分陸軍が疎かになる。そうなることは東において帝国と戦う上で共和国を不利にさせる。
王国を叩くために海軍を増強すれば帝国との戦いで不利になり、帝国を叩くために陸軍を増強すれば王国との戦いで不利になる。これが二正面作戦のジレンマである。
「王国を叩くためだけに艦隊を揃えるわけにはいかないのです。我々は帝国も屠らねばならないのですから。その点は同意していただけますか?」
「……では、君はどうやって王国を倒すつもりかね?」
ようやくここまで漕ぎつけたぞ、とクラウスが内心でガッツポーズを取る。
だが、勝負はまだまだこれからだ。油断はできない
「自分が考えている策は航空戦力の活用です。これを他国より先に発展させ、世界大戦においては戦力で使えるよう整えておきたいと思います」
「航空戦力を?」
クラウスが告げた言葉にラードルフが戸惑いの姿勢を見せる。
「キンスキー大佐。海軍でも既に航空戦力は使っている。着弾観測のための観測気球や哨戒任務のための飛行船がそうだ。だが、私はそれが決定打になるとは思えない。飛行船では戦艦を沈めることは不可能だ。いや、駆逐艦ですら難しいだろう」
海軍は既に着弾観測用の観測気球を戦艦に備え、遠方への射撃を観測する演習を行っている。それと海上哨戒任務のために飛行船が導入されている。上空から偵察すると言う行為については海軍も有益だと理解しているわけだ。
だが、共和国海軍はそこで止まっている。
「閣下。自分が提示する航空戦力は観測気球や飛行船ではありません。全く別種のものです」
「それはどのような?」
クラウスは小さく笑ってそう告げ、ラードルフが興味を示す。
「自分の指す航空戦力とは空を駆逐艦よりも速く駆け抜け、敵の戦艦の懐に飛び込み、魚雷を叩き込むような航空機です。それならば、戦艦、いや駆逐艦よりも安上がりに製造でき、かつ敵に致命的な打撃を与えることが可能となります」
クラウスが告げるのは雷撃機。
第二次世界大戦での多くの雷撃機が、多くの軍艦を沈めている。航空戦力が戦艦よりも優位な存在だと示していた。
「そんなものが本当に実現できるのかね? 私には夢物語に聞こえるよ」
これまで航空戦力と言えば飛行船で、海戦の勝敗を決するのは戦艦だという認識で生きてきたラードルフはクラウスの告げる航空機というものが本当に実現可能なのかと疑問に感じた。
「必ずや実現させるでしょう。下地となる技術はあるはずです。それにとって障害となっているものを我々は振り払ってやればいい。それだけで我々は戦艦を屠る、軍艦にあらぬ戦力を手に入れることが可能になるのです。軍艦より遥かにローコストで運用でき、敵の戦艦を海の底に叩き込む戦力が手に入るのです」
クラウスは力強くそう説得した。
クラウスは知っている。海戦の主役が戦艦である時代は航空機の訪れとともに終わり、真に海戦の勝敗を決するのは戦艦の主砲の大きさではなく、航空優勢になるのだと。
爆撃機が戦艦の装甲を貫く爆弾を投下し、雷撃機が戦艦の弾薬庫に一撃を加え、戦闘機の編隊が彼らを敵の戦闘機から守る。
戦艦の時代は終わる。戦艦大和が沈むよりずっと前に戦艦の時代は終わっていた。
そして、航空機の時代がやってくる。
「……君の瞳は実に力強いな。私はかつてこの国を率いていた軍事指導者から勲章を授けられたことがあるが、その時に見た彼の瞳とそっくりだ。人を惹きつけてやまず、軍人たちに勇気を思い出させる。敗北の淵にあろうともその目を見れば、戦意が心の底から湧き起ってくる」
ラードルフはそう告げてクラウスの瞳をジッと見つめる。
「その瞳の持ち主である君の提案になら私は賭けよう。何か私に力になれることはあるか、キンスキー大佐?」
成功だ。ラードルフクラウスの提案を受け入れた。
「では、海軍において航空機採用を目指す航空機委員会を設立してください。そこで必要とされる航空機についての検討を行い、メーカーに必要なスペックを伝えましょう。ただし、航空機委員会は航空機の採用が前提の組織であり、航空機は不要だと考える方は委員から外していただけると助かります」
クラウスが目的としていることの“一部”はこれだ。
まだこの世界の海軍がどのような航空機を必要としているかは分からない。クラウスのは19世紀末の開戦における航空機の立ち位置を完全には把握していない。
だから、当事者である海軍にスペックはどのようなものが必要かを検討して貰う。もちろん、採用するための委員会なのであり、到底無茶なスペックを押し付けようとしたり、航空機不要論を掲げるような輩にはご退場いただく。
「ふむ。それは構わない。私が直ちに組織させよう。だが、問題は海軍将校たちは君が告げるような航空機のイメージを有していないということだ。これだと君が望むような航空機は求められないかもしれない」
「それにつきましてはこの資料を。自分が纏めた実用に即す航空機のスペック一覧となります」
ラードルフがそう告げるのに、クラウスが一冊の資料を手渡した。
「なるほど。雷撃機の例。兵員3名。兵装は7.92x57ミリ機関銃を後部と前部に1丁ずつ。搭載量延べ680キログラム。魚雷を1本抱え、作戦行動距離は半径600キロメートル、と」
クラウスがラードルフに渡した資料には必要となる航空機のスペックの例や、運用方法の例が示されていた。それはクラウスが地球での記憶を思い起こして作った第二次世界大戦初期の航空機のスペックであり、クラウスが地球で学んだ歴史に基づく運用方法だ。
「航続距離や速度などはあくまで理想に過ぎませんので、細かな部分はメーカーと話し合って決定してください。ただし、必ず運用に耐えうる航空機を。見せかけのスペックだけで、運用が困難なものは避けてください。そういうものは役に立ちませんから」
「もっともだ。どんな兵器でも素晴らしいと言えるのはどんなときでも動くものだ」
クラウスの渡した資料のスペックは地球の内燃機関を利用した航空機のスペックであり、秘封機関を使った航空機はまた別の性能が発揮されるだろう。
だが、重要なのは使える兵器であることだ。求められる戦場まで、求められる時間に到達でき、求められる任務を果たせる航空機でなければ、世界大戦に勝利することはできない。
「だが、この君が示した運用方法は……些か過激だな」
ラードルフはクラウスの資料の一部を指してそう告げた。
「仕方がないことです。我々には王国海軍本国艦隊の拠点を空襲することはできません。奴らに航空機の洗礼を浴びさせようとするならば、どこかで決戦を求める必要があります。間違いなく本国艦隊が出撃するだろう状況は自分が示した一例などです」
「ああ。どこかで決戦を行い、敵海軍を撃滅しなければ、30年前と同じようにアルビオン島には辿りつけないで終わるだろう。だが、君の指すこの状況は本当に起きえると考えたものなのかね?」
決戦において敵軍を撃滅する。
古今東西戦争を決定づけてきた方法だ。将軍たちはどうにかして自分に優位な場所で決戦を行おうと策を張り巡らせ、その過程で勝者が決まる。
だが、ラードルフはクラウスが示した決戦予定図のひとつに疑問を持っているようだ。
「起こせますよ。少なくとも自分ならば確実に起こして見せましょう」
ラードルフの問いにクラウスはハッキリと、疑問の余地もなくそう返す。
「流石だ。流石は植民地戦争の英雄だ。君がいれば世界大戦においても我らが共和国が勝利することだろう。間違いなく勝者は我々だ」
「そう言っていただけるのは光栄です、閣下」
俺はそこまで楽観的にはなれないけどな、とクラウスは思う。
「しかし、そのような君が提案する航空機を陸軍は採用しないのかね? 君はオトマールに研究結果を報告し、それで航空機が採用されるということかな?」
ラードルフが疑問だったのはクラウスが自分が所属する共和国陸軍ではなく、共和国海軍に持ち込んだことだった。既に陸軍では航空機採用に向けて海軍より一歩先を進んでいるのか?
「残念ですがオスター少将閣下の言われるには自分の研究は資料のひとつだそうでして。自分が研究を提出しても航空機が採用されるという確証はありません」
「なんということだ。オトマールは君の才能を無駄にしている。これだから陸軍は」
クラウスが大げさに肩を落として見せるのにラードルフが憤った。
「ですが、ご安心を、閣下。海軍が航空機の採用に動き始めれば、そして実際に航空機が空を飛ぶようになるならば、陸軍も海軍には負けまいと航空機を導入します。むしろ航空機の奪い合いになることでしょう」
クラウスはニッと笑ってそう告げた。
クラウスの第二の狙いはこれだ。
海軍において世界大戦に勝利するために航空機を導入させるのが第一の目的。第二の目的は海軍に対抗意識を持っている陸軍が、海軍が航空機を導入したのを見て、同じように航空機を導入することだ。
共和国は陸軍国家であり、軍備は陸軍が優先される。だが、30年前の革命戦争での苦い思いから王国海軍本国艦隊を仮想敵にした大洋艦隊が設立されると、海軍にも少なくない軍事予算が流れ込み始め、陸軍は自分たちの予算を横取りする海軍をライバル視するようになっていた。
クラウスが利用を試みたのは、この陸海軍の関係。
海軍が航空戦力を導入し、そのための予算を獲得したならば、陸軍も同じように航空機を導入して予算獲得を目指すはずだ。そうすれば自然と陸海軍の両方に航空戦力が導入される。
「感服するな。そこまで考えているとは。やはり君こそ共和国大統領に相応しい」
「いえいえ。これぐらいでは政治家の腹芸に勝てませんよ」
またクラウスを大統領にしようとするラードルフにクラウスが苦笑いを浮かべる。
「ところで、キンスキー大佐。左目の調子はどうかね?」
と、不意にラードルフが話題を変えた。
「痛みはありませんが、やはり片目でも目がないのは不便ですな」
クラウスはそう告げるが、彼の思いはそのようなものではなかった。
彼は自分の左目を潰し、彼を殺そうとしたウィルマ・ウェーベルを憎んでいる。左目の傷は不便であるという以上に、屈辱だった。そして、ウィルマを殺せないことで復讐を果たせないのが憎くてならなかった。
ウィルマはどこに逃げたのだろうか。今頃はまたどこかの植民地戦争に首を突っ込んでいるのだろうか。自分はいつあの阿婆擦れを殺すことができるのだろうか。
「私も装甲艦クリーガーで王国海軍と戦ったときに負傷してね。左手の人差し指と中指を失った。暫くは不便でならなかったよ。指ですらそうなのだから、君のように目を失うというのは更に不便なことだろう」
ラードルフはそう告げてクラウスに左手の手袋を外して見せた。
確かに人差し指と中指がなくなっている。彼が勲章を授かった装甲艦クリーガーでの戦いは激しかったようだ。
「だが、今の世の中には失った体の部位を取り戻す手段がある。今や私の指も、君の左目も元通りに近い状態にすることができるのだ」
「それはまた。夢物語のようですね」
ラードルフが告げるのに、クラウスが肩を竦める。
クラウスはこの世界の──魔装騎士関係の除く──技術はまだ19世紀末のそれだと思っていた。そんな世界で体の欠損をどうにかできると言われても、さしていい手段はないだろうとクラウスは考えていた。この世界にはiPS細胞が発見されているわけではないのだから。
「夢物語ではないのだよ、キンスキー大佐」
そう告げてラードルフが立ち上がる。
「君に未来を見せよう。未来は我々を祝福してくれている」
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