世界大戦の研究(2)
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「さて、と」
オトマールから世界大戦の研究を命じられたクラウスがまず調べたのは動員可能な共和国、王国、帝国の戦力であった。
動員可能な戦力は共和国が現在の法律で約1200万人が動員できる。王国は約700万と推定され、帝国は恐らく約1500万人が動員可能ということだった。
「数でまともに勝負してたら負けるな。帝国と殴り合うだけでもリスキーだ」
動員可能な兵力においては共和国が王国と帝国の両国を敵に回した場合、間違いなく負けるというものだった。共和国は豊富な人口を有するが、それでも帝国のような巨大国家を相手にしては劣る。それに王国までもが加われば、敗北は決定的だ。
「法律を変えれば動員可能な戦力をもうちいとばかり増員できるが、基礎となる人口の差からして数で勝負することは無理と思うべきだな。それに動員しすぎて経済が破綻したら元も子もない」
クラウスはそう呟いて、動員数を推測した諜報局の資料を机の上に投げる。
動員可能な戦力は、実際に動員した場合に耐えられる数字というわけではない。該当する年齢の男性を国勢調査で把握し、それに現在の動員比率をかけただけの数字で、経済と軍事の両方が耐えられるかどうかはまた別の話だ。
経済もそうだが、動員で兵士を山ほど集めてもそれを指揮する士官、下士官がいなければ何の意味もない。
「大動員で殴り合う選択肢はなしだ。長期戦は厳禁。スピード勝負だ。王国を殴り、帝国を殴る。相手が対応する前にケリをつける」
クラウスが各種資料を見て結論したのは短期決戦。
長期戦となると、動員数において共和国は不利だ。また海軍力で優位な王国による海上封鎖は避けられず、共和国は植民地に頼っているエーテリウムの供給を遮断されることになる。そこを帝国に殴られれば、終わりだ。
「問題は王国海軍だ。こいつらは面倒な相手だ」
王国海軍の存在は短期決戦を決めようとするクラウスにとって障害だった。
30年前の革命戦争においても王国を陥落させることを邪魔したのは王国海軍だ。海軍力において優勢である王国は、その海軍力を使って共和国のアルビオン島上陸作戦を粉砕し、結局共和国は王国を落とせず、帝国遠征に失敗して疲弊した間に王国は大陸領を奪い返した。
30年前はそれで終わったが、次の戦争はそうなるとは限らない。次の世界大戦では王国は生き延びれば、帝国と共和国とが本格的に争っている間に、背後を刺して共和国に致命的な打撃を与えるかもしれない。
「動員数の少ない王国を先に薙ぎ倒しておきたいが、海軍が妨害してそれを阻止する。第二次世界大戦のドイツだな、まるで。これは負けるぞ」
王国と帝国の二正面作戦。どちらかを先に倒して背後を確保したいが、王国を倒すには海軍力が邪魔になり、帝国を倒すにはその膨大な国土と人口が邪魔になる。まさに第二次世界大戦におけるドイツの立ち位置だ。
「どうにしかして王国を倒したいが……」
クラウスはそう呟いて、海軍力について分析された資料を見る。
王国海軍本国艦隊と共和国海軍大洋艦隊の主力艦の差は45対40。数において共和国海軍大洋艦隊は王国海軍本国艦隊に劣っている。王国が各地に展開している主力艦を結集させれば、この差は更に拡大することになる。
数だけではなく、質においても共和国海軍は劣っている。
共和国海軍が未だに多くの旧式戦艦──前弩級戦艦を使っているのに対して、王国海軍は既に多くの新型戦艦──弩級戦艦を導入している。そう言った質の差は両国の海軍力に大きく影響を及ぼしていることは明白だ。
「戦艦の差をどうにかしなければならないが、どうする?」
潜水艦で雷撃する? 相手が相当油断している状況でない限り駆逐艦が駆け付けるだろう。
港を閉塞する? そんな作戦が上手く行けば日本軍は旅順で苦労していない。
「戦艦、巡洋戦艦、沿岸砲。ダメだな。まるで勝てる要素がない。真正面から相手にすれば質も量も優っている王国が勝つ。こっちは海軍力にしたところで、帝国のバルチック艦隊を抑え込むために一定数をバルト海に配備しておかなければならないのに。旧日本軍のように夜間に水雷戦隊で敵を漸減するしか方法は──」
クラウスがどうやってもひっくり返らない海軍力の差に呻いていたとき、彼の頭にひとつの発想が閃いた。どうして自分がこれを忘れていたのかと疑問に思うほどの常識的な解決手段が。
「航空機だ。何故俺はこれを忘れていた。航空機があるじゃないか」
そう、クラウスが思いついた解決手段とは航空機による攻撃だった。
「この世界にはまだ航空機はないらしいが、これだけの文明があるのに航空機が作れないことはないだろう。魔装騎士の数十トンはある重量を動かせる秘封機関という化け物染みた動力があるんだ。航空機のひとつやふたつは軽く上げられる」
この世界で航空機が発展していない理由は、秘封機関を軍が機密だとして民間に全面的に開放していないためだ。その他の技術的な障害はほぼないに等しい。
「航空機があれば話は変わってくるぞ。航空機──雷撃機や爆撃機を以てして、港に停泊中の無防備な戦艦を襲撃し、全て撃沈する。そうすれば戦力差は解決する。トラトラトラだ」
クラウスはニヤリと笑って、王国海軍本国艦隊の母港であるスコットランド北端の地図を見る。
「だが、今まで航空機が影も形もなかった世界で、いきなりここまで襲撃できるだけの航続力がある航空機を期待するのは些か期待が過ぎているな。となると、航続距離を補うために空母が必要になってくる、と」
共和国本土から王国海軍本国艦隊の母港まではかなりの距離がある。これまで航空機が存在しなかった世界で、これだけの航続距離を有する──往復することも考えれば──航空機を期待するのはクラウスが告げるように、期待が過ぎている。
となると、必要になるのは航空機の航続距離を補うための手段──航空母艦だ。広大な海で航空機を活用するために生み出された航空母艦こそ、クラウスの考える航空機による敵戦艦群の撃滅に必要になってくるものである。
「だが、なあ。俺には空母を運用するノウハウも、空母の構造そのものへの知識も乏しいからな。いきなり空母を作ろうとしても挫折するような気がしてならんな」
クラウスの有している空母の知識は僅かだ。平甲板に、アングルドデッキに、カタパルトに、アレスティング・ワイヤーに、その他少々の常識的な知識だけ。
それもそうだろう。情報軍と海軍の関係は情報収集任務を除けば希薄だし、そもそもクラウスが日本情報軍に在籍した間にも日本は空母を保有していなかった。クラウスが空母に接する機会は皆無であった。
クラウスの知識としてあるのは、第二次世界大戦での日本とアメリカの空母機動部隊に関する基礎的なものだ。空母を機動部隊として集中運用し、相手の空母機動部隊を撃滅する。だが、その知識は広大な太平洋を舞台にしたものであり、クラウスが想定している狭い北海での戦いに向いているのかと言われれば疑問だった。
「空母が仮に作れて、運用できたとしても、戦時下のアルビオン島の哨戒態勢が問題になってくるな。連中も潜水艦やらなにやらに警戒して、戦時では哨戒を密にするだろうし、そんな状態でこの王国海軍本国艦隊の母港まで接近できるか」
日本が真珠湾を奇襲できたのは戦争開始とほぼ同時に同地を攻撃したからであり、真珠湾に至るまでの道程に広大な太平洋と言う霧が広がっていたからである。
それに対して、クラウスたちは状況がまるで異なる。
クラウスたちはどの国も自分たちから積極的に世界大戦を起こすつもりはない。ならば戦争開始と同時に王国海軍本国艦隊を空襲することは不可能だ。そして、北海は狭くはないが、広大な海というわけでもなく、王国が艦艇と飛行船を総動員して警戒に当たればこちらの空母機動部隊が発見される可能性は極めて高くなる。
「いいアイディアだと思ったが、問題が多すぎるな。俺たちのご先祖たちはよくよくあんな曲芸染みた作戦を成功させられたもんだ。まあ、その後がグダグダなのはしょうもないが」
クラウスは自分が思いついた空母機動部隊による王国本国艦隊の母港空襲のアイディアを没にして、脳内のゴミ箱に放り投げた。
「ともあれ、航空機は必要だ。海軍力で劣勢ならば、航空戦力で補うしかない。空母がなくて、王国海軍本国艦隊の母港を襲撃できなくともやりようはいくらでもある」
航空機は現代戦にか欠かせない要素だ。三次元の高い機動力を有する戦力がなければ、現代戦は成り立たないと言っていい。
「だが、問題はどうやって航空機を共和国に装備させるかだ。俺の研究はあくまでただの資料に過ぎない。俺が航空機が必要だという報告書を出しても、参考にされるだけで、採用されない可能性は十分にありうる。それは最悪だ」
クラウスは世界大戦を望んではいないが、もし世界大戦が起きるならば絶対に勝ちたいと考えていた。自分の築いてきた富を守るためにも、共和国が敗北することは望んでいなかった。
「レナーテにロビー活動をさせるのは、些かロートシルトを当てにし過ぎているな。それにレナーテがロビー活動をしても、軍が絶対に航空機を導入するという見込みはないし、世界大戦までに間に合わない可能性もある」
クラウスはまずレナーテの権力を頼ることを考えたが、今回の件ではロートシルトは絶対的に役に立つとは言えず、保留になった。
「そうだ。あのいつもは迷惑な伝手を頼ろう。向こうは随分と俺に絡んできているんだ。俺が向こうを頼っても文句は言われないだろう」
クラウスはそう呟くと、タイプライターを持ち出し、ここまで考えた内容を纏め始めた。
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