アナトリア地域
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──アナトリア地域
アナトリア地域。
エステライヒ共和国南方植民地に属するそこには、大して入植は行われていなかった。共和国だけではなく、アルビオン王国やルーシニア帝国でも同じようなものだ。
というのも、他の植民地と違って、アナトリア地域に暮らす植民地人たちは組織されており、一応は国家というものを持っているからだ。
アナトリアには全部で9の国家と部族連合が存在し、彼らが列強の帝国主義からアナトリア地域を守っていた。
列強が本気になれば、簡単に踏み躙ることのできるものだが、列強はそこまでしてアナトリア地域を手に入れようとは思わなかった。
アナトリア地域は土地が痩せ、植民地人の数も少なく、わざわざ植民地にして支配するメリットが見当たらなかったのだ。
だが、あることを契機に状況は変わることになる。
「ここの植物は平常のものより大きく育っているな。ここならばエーテリウムが見込めるかもしれない」
そう告げるのは王国の資源開発企業で、地質調査を行っている学者ジャック・マルルーニだ。彼は王国政府と資源開発企業の要請を受けて、未開の大地であるアナトリア地域の地質学的調査を行っていた。
彼は軍の下請け工場で働き、学費を稼ぎながら通った大学で地質学の学位を取得してから植民地で生活してきた男だ。植民地の“非文明”には慣れ切っている。それどころか、それが心地よいぐらいだ。
本国──アルビオン王国にはない広大で、神秘的ともいえる大自然。自然を信仰し、自然と共に生きる素朴な人々。そして、地質学者にとっては夢のような手つかずの地下資源。
ジャックは植民地人たちと言葉を交わし、植民地人たちと酒を交わし、彼らの中に溶け込み、彼らが決して本国で言われているような劣った存在ではないことを理解していた。
口さがないものは、ジャックのことを“植民人化”したと言うが、ジャックは大して気にはしない。ジャックにとって植民地人たちは友人であり、彼らと同一視されたところで、不満はないのだ。
そんなジャックがアナトリア地域に派遣されたのは、3年前。そのころ、王国は共和国との熾烈な植民地戦争が続く南方植民地の奪い合いを続けながらも、新しい植民地の獲得を目指していた。
そこで目が付けられたのはアナトリア地域だ。
地球の地図でいうならばトルコとシリア、イスラエル付近に相当する場所である。共和国及び帝国と直接国境を接する地域であり、王国にとっては東方植民地までの海路を維持する上で必要になるミスライム──エジプトに相当──の大運河を共和国から防衛するための緩衝地帯として扱われていた場所だった。
共和国及び帝国と国境を接し、かつ王国が緩衝地帯として求めているだけあって、これまで積極的な入植は行われてこなかった。迂闊に手を出せば、植民地戦争では終わらない可能性があるのだ。
だが、植民地戦争は激化の一途を辿り、共和国と王国の関係も冷え切った。
ならば、アナトリア地域に手を出しても構わないではないか。どうせ両国の関係は既に取り返しがつかないほどに悪化しているのだ。今更、何を恐れようというのだ。
かくして、王国はアナトリア地域の本格的な植民地化に着手することを決定した。そして、まず送り込まれたのが、エーテリウムを初めとする地下資源の探索を行うための人員であるジャックだった。
危険地帯であるアナトリア地域に手を出した王国だったが、それでも彼らは一応共和国と直接国境を接する地帯は避け、慎重に調査を行っていた。流石の王国も世界大戦は望んでいないのだ。
──少なくとも今は。
「ここは何という名前の山脈だっただろうか?」
視点は再びアナトリア地域を探索するジャックの下に戻る。
ジャックはアナトリア地域の有力な国家と部族に王国の名品を納めて調査の許可を受け、ジャックは部族の男たちの中から20名ほどを雇うと、アナトリアの調査に着手した。
当初の調査は難航した。
アナトリア地域には鉄道どころか、碌な道路もなく、王国においては地図すらも未完成だった。ジャックはまずは地図の作成に着手し、アナトリア地域の測量をこの世界で初めて行った。
移動には野外でも利用可能な秘封機関を動力とするトラックを使い、ジャックはアナトリア地域の地図を作製した。
そして、2年あまりの年月をかけて簡素ながら地図を作り終えたジャックは、山岳地帯に乗り込み、ついに地下資源の探索を開始した。
だが、アナトリア地域はこれまで列強が手出ししなかったのも納得できるほどに、資源に恵まれない土地だった。いくら探せど、探せど、エーテリウムも、金も、他の貴金属も見当たらない。
それでも、ジャックは探索を続け、ついにそれらしきものを発見した。
他の樹木よりも遥かに大きな木々が麓に生い茂る山脈。山そのものは、薄く樹木に覆われているだけで、それは山脈に樹木の大きな成長を阻む何かが、大地に水を吸湿させない何かが存在することを窺がわせた。
「ここはベヤズ霊山だ」
「霊山? 宗教的な意味のある?」
ジャックが興味津々にエーテリウムが眠るだろう山脈を眺めるのに、現地で雇った植民地人の豹人種の男がそう告げた。
「ああ。この山は部族の守り神が宿っていると言われている。だから、木々はよくよく生い茂り、山は決して崩れないのだと」
豹人種の男はそう告げたが、ジャックはこれがエーテリウム鉱山であることに確証を抱いていた。間違いなくここにはエーテリウムが眠っているのだと。それも周囲の樹木の生い茂り方からみて、かなりの規模の。
「では、ここでの調査は諦めて他の場所を探そう」
ジャックはそう告げて、今回は諦めると告げた。
しかし、彼は後になって自分だけで、その霊山と崇められる山に乗り込み、山の表面を採掘用の錐を使って削り取った。
「見つけた」
山の表面の土砂にはかつてエーテリウムが噴き出したことを示す、小さな青いエーテリウム鉱石が混じっていた。表面だけでもかなりの数のエーテリウムを発見し、彼はここがエーテリウム鉱山であることに確証を抱いた。
そして、彼はそのことを本国に知らせた。大規模なエーテリウム鉱山を発見し、これだけの規模の鉱山があるならば、この他にもエーテリウムの眠っている山脈があるだろうと。彼はそう本国に打電した。
王国は知った。アナトリア地域にはエーテリウムが眠っている。まだ列強の手に触れていないエーテリウムが眠っている。
そして共和国と帝国も知った。彼らは王国が世界中に張り巡らせている有線通信網を傍受しており、ジャックが本国にアナトリア地域にエーテリウムが眠っていることを打電したことも盗み聞きしていた。
動かねば。一刻も早く動かねば。他の列強が動く前に動かねば。
列強は植民地軍を総動員し、アナトリア地域の確保に向ける。何十万もの侵略者たちが、船で、鉄道で、車で、馬で、魔装騎士でアナトリア地域を目指す。
ジャックは植民地人たちを見下さず、彼らの文化に理解を示す人物だったが、彼の引き起こしたことは現地の植民地人に多大な苦難となって降りかかることとなった。
そう第一次アナトリア戦争という形で。
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本日20時頃に次話を投稿予定です。




