クラウス・キンスキー
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──クラウス・キンスキー
クラウス・キンスキーはエステライヒ共和国の南方植民地であるトランスファール共和国の出身であり、幼少期のほとんどをトランスファール共和国の首都カップ・ホッフヌングで過ごした。
彼をふたつの言葉で表すならば“聡明なならず者”であろうか。
彼の実家はトランスファールでも有数のプランテーション農場を運営する名家であり、幼い頃から彼は共和国、王国、帝国の列強諸国の言葉を学び、著名な文学作品や列強諸国の歩みを記した本を読み解いていた。彼には家庭教師などもおり、また彼自身の学びが恐ろしく早いということもあって、彼は幼くして本国の社交界でも通じるほどの知識を有するまでになっていた。
かと思えば、彼は街に繰り出すと、喧嘩や恐喝を繰り返す悪童だった。家庭教師たちには教えられていない植民地人の言葉で喋り、街を歩く植民地人の奴隷から金銭を巻き上げたり、酒場や商店で暴れて金銭を巻き上げたりと、碌でもないことばかりして過ごしていた。
そんな彼を慕う“舎弟”は大勢おり、彼らはクラウスをリーダーとして、カップ・ホッフヌングの街でやりたい放題に暴れていた。
もし、クラウスが警察の面倒になることがあっても、この頭の回る男は証拠は何も残さず、実家に溢れる金で警察官たちを黙らせた。よって、クラウスと彼の部下たちは、警察権力も応じられない、どうしようもないならず者どもであった。
そんなクラウス・キンスキーには前世がある。
クラウスは元は日本人だった。
彼は日本情報軍という軍隊と諜報機関のハイブリッドな──初めにこのやり方を始めたのはアメリカ合衆国だが──軍事組織に所属する“玄界宗一”という人物で、比較的若くして大佐の階級にあった。
彼が日本情報軍に入ったのはクラウスのときとは違い、実家に大学に満足に進学できるだけの金がなく、軍の防衛大学校に入るならば学費は不要で、給与が受け取れるからという理由であった。更に彼が陸海空軍のいずれでもなく、情報軍を選んだのも、できたばかりの組織であり、昇進が早く、給与が多いという理由である。
愛国心ではなく、打算で入隊した情報軍だが、彼が所属している時期に台湾海峡に端を発する戦争が勃発した。それもみるみる間に各地で戦火が拡大していき、これはかなりの大戦争になるだろうと早くから予想される戦争だった。
そんな戦争において日本情報軍は、同盟国であるアメリカ情報軍とオーストラリア情報軍と共にこの戦争において重要なふたつの作戦を実行した。
ひとつはシュライク作戦。
これは敵地の後方で反体制的な組織を支援し、武装蜂起を起こさせ、後方を撹乱。そのことによって敵が主戦線に兵力を送れないようにするという目的があった。
だが、これには大きな問題があった。
シュライク作戦で支援される予定の反体制勢力というのは、そのほとんどがテロ組織のような団体だということだ。
民主化を求める政治団体などもいたが、それは戦闘力という面で問題があり、支援して利益になると判断されたのは過激な宗教原理主義団体や、独立を求める武装した民族主義団体、そして犯罪組織であった。
地球は21世紀の冒頭に起きた911でテロとの戦争を開始した。先進諸国は口々にテロを批判し、様々な人物にテロリストというレッテルを貼って、多くの人間を裁判もなく暗殺してきた。
それが今になってテロリストを支援するような作戦を行って許されるだろうか?
そんなはずはない。たとえ敵国に打撃を与えるためだろうとテロリストを支援するなど論外だ。アフガニスタンのときのように戦争が終われば、テロリストは不安定要素となり、自国に牙を剥く可能性も現実としてあるのだから。
だが、それでも各国情報軍はシュライク作戦を実行した。そうしなければ、犠牲となる自国の兵士たちの数が増えるとして。
そして、もうひとつの重要な作戦が実行された。
ミダス作戦。
シュライク作戦は発覚すれば国際社会からの批判も免れないし、何より自国の政治家たちがこんな作戦のために予算を通過させるとは思えなかった。
だが、シュライク作戦には膨大な金が必要だ。反体制勢力を武装させ、訓練し、テロリストとして敵国にぶつけるには、莫大な資金が必要とされていた。それも、正規に通過した予算とは別の資金が。
つまり、非合法な作戦には、非合法な金が要るということ。
ミダス作戦はその資金を調達するための作戦であり、玄界があの戦争で従事した作戦だった。
ミダス作戦は“あらゆる手段”を使って、シュライク作戦のための資金を調達することが目的とされていた。麻薬の密売だろうと、人身売買だろうと、戦争に乗じたインサイダー取引だろうとなんだろうと。
玄界は日本情報軍においてもっとも優れた──そして薄汚れた部隊である第101特別情報大隊と共に、東南アジアに拠点を有する麻薬カルテルを乗っ取り、それを使って資金調達を開始した。
最初は麻薬カルテルが有していたささやかな密売網を利用して、それなりの資金を作戦のために計上していた。
だが、日本情報軍はその程度の戦果では納得しなかった。
もっと多くの金を。もっと多くの武器を買う金を。もっと多くの兵士を雇う金を。
玄界はその要望に応じるために、ついに軍の輸送機を使って密売を始めた。戦争中にアジア各地に展開していた各国空軍の輸送機を使って、あらゆる国に麻薬を移送し、売り捌いた。日本とて例外ではない。
彼は求められる過大な要求の中で次第に倫理観が麻痺していき、あろうことか戦死者の棺の中に麻薬を詰め、そうやって本国や他国に麻薬を密輸するということまでやっていった。
そして、彼は計上される利益の中の数%をちゃっかりと着服した。どうせ、麻薬取引の監査などできるはずがないし、ただの大佐の給与では今の作戦のリスク──国家による麻薬密売の罪で逮捕される──にあっていないと考えて。
そんな彼は戦争の只中で死んだ。
急速に勢力を伸ばした玄界の麻薬カルテルに危機感を覚えた他の麻薬カルテルが、交渉を行うという振りをして、交渉の場で彼の腹に年代物のトカレフから3発の銃弾を叩き込んだ。
「玄界大佐! 玄界大佐! 大丈夫ですか!?」
玄界と彼の部下はその場でその麻薬カルテルの暗殺者たちを皆殺しにしたが、玄界の死は避けられなかった。
「畜生が……」
玄界は死の淵で悔やんだ。これならばもっと多くの金を着服して、遊んでいればよかった。貯め込んだ金をしっかり使えばよかった。そして、もっと上手に麻薬を売りさばくべきだった、と。
彼の意識が暗転したのと、目に光が差し込んだのは同時だった。
玄界は気づけば、一面の緑に覆われた畑の中におり、当時3歳のクラウス・キンスキーとなっていた。
いや、ここは気付けば、というよりも思い出せばというべきだろう。玄界の記憶はずっとクラウスの頭の中にあったが、それが目覚めたのが3歳のときだったということなのだから。
玄界改めクラウスは些か混乱したが、すぐに順応した。
「ここに我々の祖国エステライヒ共和国がある。遠く離れていれど、我々の心は共和国に向けられているんだぞ、クラウス」
クラウスが玄界の記憶を取り戻してから、父親であるアーサー・キンスキーは、世界地図を指さしてそう告げた。
時代は19世紀後半ごろと思われる文明レベルで、自分たちの暮らしているのが本土から遠く離れたトランスファール共和国という南方植民地のひとつ。
世界地図はほぼ地球のそれに類似しており、トランスファール共和国が位置するのは南アフリカ共和国のそれ。エステライヒ共和国はフランス・ドイツ・イタリアを中核とし、欧州諸国をほぼ取り込んだ巨大国家。アルビオン王国はイギリス・スペイン・ポルトガル、そして数多くの海外植民地からなる海上帝国。ルーシニア帝国は全盛期のロシア帝国のそれに匹敵するもの。
生活の質は現代の地球に比べればどうしても劣るものの、ここには現代の地球ではできないことがある。
植民地支配だ。
今は帝国主義の全盛期と呼べる風潮であり、列強はどこも植民地獲得に精を出している。本国から兵器と入植者を送り込み、切り開くべき野蛮の大地を支配し、莫大な利益を上げている。
植民地支配で儲かるのは何も本国だけではない。入植者たちも、土地の権利と植民地人という奴隷を得て、日々多大な利益を懐に入れている。
キンスキー家も本国からの入植者であり、今では大規模なコーヒー豆などのプランテーション農園を得て、植民地トランスファール共和国においては、指折りの名家となっている。元はただの海軍の下士官であったのに。
「いいねえ。実にいい」
クラウスは使い損ねた金のことばかり考えて、粗暴に過ごした数年間を終え、自分の置かれた状況を完全に把握すると、ニタリと笑った。
ここは強者が弱者を支配することを全面的に肯定する世界。強者は富みに富み、弱者から思う存分搾り取ることができる世界だ。
「何がいいんです、ボス?」
12歳になったクラウスがニタニタと笑っているのに、彼が引き連れているならず者仲間であり、舎弟のひとりが怪訝そうにそう尋ねる。
「この俺の人生がだよ。俺は今以上の、世界に誇るような金持ちになってやる。そう、俺のための植民地帝国を築こう。お前たちも俺についてくれば分け前を与えてやるぞ。ついてくるか?」
クラウス・キンスキーは12歳において人生を決めた。
自分はこの帝国主義の世界において、己のための植民地帝国を築き、両親たちが築いた農園以上の金持ちになる。あの使い損ねた金の分だけ、いやそれ以上に金を使って人生を謳歌するのだと。
かくて、ひとりの男の野望が始まった。
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