共和国陸軍参謀本部諜報局
……………………
──共和国陸軍参謀本部諜報局
クラウスが参謀本部に出頭する日が訪れた。
彼は共和国陸軍の紺色の軍服を身に纏い、大佐の階級章を付け、共和国の中枢に位置している陸軍省の門を潜った。共和国陸軍参謀本部は、この広大な陸軍省の敷地の中に位置している。ここで世界大戦の日に部隊をどう動かすかの相談が行われている。
「あまりいい気分にはなれないだろうな」
クラウスはそう呟いて陸軍省に足を踏み入れた。
彼は所詮は植民地軍の英雄気取りと扱われるだろうことを覚悟していた。階級こそ大佐だが、この階級章がどういう経緯で手に入ったのかが分からない以上は、自分の力で手にしたものではないと考えておくべきだった。
だから、クラウスはこの自分のような植民地軍からの成り上がりに、本当のエリートたちである参謀本部の将校たちが嘲り、罵り、排除しようとするだろうと予期していた。とてもではないが、温かい歓迎は期待できないだろうと。
だが、その予想は裏切られた。
「クラウス・キンスキー大佐ですか!?」
「おおっ! 凄い! 本物だ!」
クラウスは陸軍省に入るなり、熱い歓声に迎えられた。
「あれが植民地戦争の英雄か……」
「本物の軍人と言う奴だな」
年配の将校から、若手の将校まで、クラウスに向けてくる眼差しは何かを期待するようなものだ。熱い視線としか形容のしようがない視線が、クラウスに降り注ぎ、クラウスは予想が大きく外れたこともあって、呆然としてしまった。
「おっと。人事課だ、人事課」
クラウスは思わぬ歓迎に我を忘れそうになったが、やるべきことを始めた。
まずは人事課に言って、正規の配属手続きを行う。
これは何の問題もなく終わった。そして、人事課でもヒソヒソ話と例の視線がクラウスを出迎え、クラウスは不可解な気分になりなりながら、諜報局局長のオトマール・オスター少将に挨拶をするために陸軍省の階段を上った。
件の諜報局は陸軍省の6階に位置していた。ここではクラウスを歓迎するような声はない。ただ各々が黙々と仕事を進めていた。タイプの音だけが響き、時折小声で話す声が聞こえてくる、実に静かな場所だ。
「失礼。オトマール・オスター少将閣下にお会いしたいのですが、どこいいけば?」
「この部屋の奥の執務室だ。先ほど客が入ったから待たされるかもしれないぞ」
クラウスが自分より先任だろう年配の大佐に尋ねるのに、彼はこの6階のフロアの奥にある部屋を指さした。
「客、ね」
オトマールはクラウスを忌み嫌っているヘンゼルの友人だという。ならば、クラウスに対して嫌がらせのひとつ、ふたつはしたところでおかしくはない。客との会話を長引かせて、クラウスが着任の挨拶を行うのを困難にするという子供染みた嫌がらせなど。
クラウスはそんなことを考えながら、オトマールの執務室に向かった。
そして、扉をノックする。
「どうぞ」
響いてきたのは若い男の声。
「失礼」
クラウスが扉を開くと、そこは秘書室になっており、軍曹の階級章を付けた若い下士官が机に座って何やらタイプしていた。この秘書室の先の部屋こそが、オトマールの執務室ということなのだろう。
「オスター少将閣下にお会いしたいのだが、来客中だと聞いた。今は難しいか?」
「いいえ。オスター少将閣下からはクラウス・キンスキー大佐が来られたら、すぐにお通しするようにと聞いております。どうぞ、中へ」
またしても意外な反応。
来客中でもクラウスを通すとは、それほどクラウスに早く会いたかったのか、それとも件の客というものにクラウスを会わせたいのか。
「失礼します」
クラウスは扉をノックすると、ドアを開いた。
そこで全ての疑問が氷解した。
「また会えたな、キンスキー大佐! 共和国本国で君を迎えれる日が来るとは素晴らしい!」
オトマールの執務室にオトマール以外の人間がいた。
ラードルフ・ロイター海軍大将だ。
軍部内の右派を束ね、政治的な集会を軍の中で行い、かつては大統領選に出馬するのではないかと囁かされた共和国海軍参謀総長。そして、今はクラウスに大統領選に出馬することを要請している人物である。
「これはロイター提督。お久しぶりです」
どうりで、やけに和やかな歓迎が行われたわけだとクラウスは内心で思う。
先のラードルフが陸軍省を訪れていたから、陸軍省内にいる彼の支持者が表に出てきていたのだ。つまりは右派の軍人たちが、今日はラードルフの出迎えのために、ズラリと揃っていたわけである。
ラードルフがクラウスに好意的であるように、右派の軍人たちもクラウスに好意的だ。彼らにとってクラウスは停滞した共和国の現状を打破してくれる人物なのであり、植民地戦争という国の威信を争う場で勝利し続け、共和国の名誉を守ってくれた人物なのだから。
クラウスにとっては半分はありがた迷惑だ。軍にコネクションができるのは嬉しいことだが、右派の政治闘争に巻き込まれるのは全くおいしくない。政治闘争は金にならない。
「クラウス・キンスキー大佐。ようこそ、陸軍参謀本部諜報局へ」
と、クラウスとラードルフが挨拶をしている間に、この部屋の本来の主が声を上げた。
「歓迎に感謝します、オスター少将閣下」
クラウスはこの部屋の主であるオトマールに一礼する。
「しかし、意外でしたね。ロイター提督とオスター少将閣下の間に交友があられたとは」
クラウスはひとつだけ氷解しなかった疑問をオトマールに尋ねた。
オトマールはヘンゼルの友人だからにして、恐らくは軍は施政者の道具であるべきという立場のはずだ。道具が勝手に動き出し、持ち主を無視して動き回ることを嫌う。そんな思想の持主のはずだった。
だが、ここにはその道具こそが共和国の将来を決定し、力強く共和国を動かしていくのだという、全く相いれない思想の持ち主であるラードルフがいる。
これはどういう関係なのだろうか?
「残念だが、オスター少将と私は友人とは言い難い」
「実に残念なことに」
ラードルフとオトマールはまるで感情の篭ってない棒読みでそう告げる。
「私がここにいるのは君を出迎えるためだよ、キンスキー大佐。君の本国でお活躍を祈って、激励を送りにここに来たのだ。君は参謀本部諜報局の所属になると聞いたからね」
「そういうことだ、キンスキー大佐。君は既に本国軍に友人がいるのだな」
ラードルフが笑みを浮かべて告げるのに、オトマールが冷たくそう告げた。
「だが、君ならば作戦局などの方が向いていると思うのだがな。君の卓越した戦術、戦略的な知識を活かすには、来たるべき世界大戦においてどのように動くかの研究を続けている作戦局の方が向いているはずだ」
と、ラードルフは今回の人事に不満を述べる。
「キンスキー大佐はこの諜報局に配属されました。これからは私の部下です。勝手に私の部下を他所にやろうとはしないでください、閣下」
「フン。諜報局でキンスキー大佐を十二分に扱えるかね」
オトマールはそんなラードルフに対してそう告げ、ラードルフは不満そうに鼻を鳴らす。
「扱えますよ、閣下。諜報局は参謀本部でも優秀な人間が揃っている。キンスキー大佐でも働き甲斐のある職場となるでしょう。もし、私に扱いこなせないようなら、海軍参謀本部にでもお譲りしますよ」
オトマールはそう告げて、挑発的に小さく笑った。
「彼はこれからの共和国の将来を担う人材だ。飼い殺しにはしてくれるなよ」
そう告げてラードルフは立ち上がった。
「キンスキー大佐。何かあったら、いつでも私に言いたまえ」
「光栄です、閣下」
ラードルフとクラウスは握手し、ラードルフは扉に向かう。
「君のその左目を潰した人間についても、我々ならば手助けできる」
「!?」
去り際にラードルフが告げた言葉に、クラウスが硬直した。
クラウスはこの左目の傷を負わせ相手──ウィルマ・ウェーベルを殺すことを諦めてはいない。いつか必ず、自分の手で殺してやると決意していた。
そのためにはウィルマがどこにいるのか、どこでなら殺せるか、どうやれば戦いに向かえるかという様々な問題が積み重なるが、ラードルフの助力というのは、これらの問題のどこまでを解決してくれるものなのだろうか?
「キンスキー大佐」
クラウスがラードルフが去り際に残した言葉を理解しかねているうちに、オトマールが背後から声をかけてきた。
「君の上官は私だ。君は海軍の軍人ではない」
「失礼しました、閣下」
小言を告げるオトマールに、クラウスが素直に謝罪する。
「君についてはいろいろな噂を聞いた。共和国を救う英雄だとも、世界秩序を破壊する怪物だとも。どれもこれも両極端だ。現実的なものとして君を見た噂は少ない」
「自分は一介の軍人にしか過ぎません」
オトマールが淡々と告げるのに、クラウスが肩を竦める。
「一介の軍人が共和国を動かした時代もあった。革命戦争時代は政府は軍人によって動かされてきた。帝国において敗北し、急進的な革命勢力が没落するまでは」
オトマールの告げるように共和革命が成された共和国では暫しの間、軍人たちによる政府が続いた。カリスマ的で恐ろしく有能な軍事指導者が実権を握り、彼の率いる軍隊こそが共和国だった。
「今の時代にそんなことはありえないでしょう?」
「そうとは言い切れんな。現に、目の前にいる一介の共和国陸軍大佐は大統領に立候補すれば、7割の市民が指示するという世論調査の結果がある」
僅かな笑いを含んだクラウスの言葉にオトマールが淡々とそう返す。
「かつて共和国は強権的な軍事指導者によって動かされていたころがあるのは、君も知っているだろう。ひとりのカリスマ的な軍人によって共和国が動かされ、大陸全土を巻き込んだ革命戦争に突入したことを」
先ほど述べたが、共和国は軍事指導者によって国家が動かされていた時代がある。共和革命の直後にして、まだ民衆が革命の熱から冷めず、この偉大なる変革を大陸全土に広げるべきではないかと考えていた時期だ。
そんな共和国で軍事指導者は革命戦争を始めた。
緒戦は実に共和国が優勢だった。軍事指導者は卓越した軍事的才能を有しており、王国を大陸から駆逐し、アルビオン島への侵攻が頓挫すると、帝国に向けて前進を始めた。
帝国との戦いも緒戦は実に優勢だった。共和国軍は帝国の防衛線を食い千切り、帝国の内側へと卵の殻を割るように攻め入り、帝都アルハンゲリスキーは目前だった。
……だが、共和国軍は帝国の厳しい冬の寒さと補給物資の途絶から、アルハンゲリスキーを前にして、撤退せざるを得なかった。
この帝国侵攻の失敗で共和国は多大な損害を出し、奪ったはずの王国の大陸領も奪還されたため、軍事指導者は失脚した。その後、より民主的な政府が樹立され、今の第二共和政エステライヒが存在するわけである。
「あの軍事指導者は戦争に勝利していれば、皇帝に即位するつもりだったとも聞く。私が恐れているのはそういういうことだ。一介の軍人が持ち上げられて、我らが共和国を戦争に突き進ませ、民主主義をぶち壊し、夥しい犠牲を払って敗北するということを私は心配している」
オトマールはそう告げて、クラウスの瞳をジッと見つめる。
「では、それは杞憂だと言って差し上げましょう。自分はあの軍事指導者ほど優秀な軍人ではないし、今現在の共和国の民主主義に不満はないし、戦争を──少なくとも世界大戦をするつもりもありませんので」
オトマールの言葉にクラウスはそう告げて肩を竦める。
「本当に私の心配は杞憂かね?」
「杞憂ですよ。自分は今はメディアに注目されていますが、ちょっとすれば別人がメディアに取り上げられて、民衆はそっちに夢中になりますよ」
念を押すオトマールに、クラウスはそう返す。
メディアがどれほど飽きっぽいかはクラウスとてよく知っている。昨日アナトリアでの戦争に付いて注視するべしという記事を載せ、明日には俳優の不倫について一面で報じているようなどうしようもない連中なのだと。
「ならば、君は噂されている大統領選への出馬も断るかね?」
またこの話か、とクラウスは内心で溜息を吐く。
「今のところ、自分は大統領になることに何のメリットも見いだせないのですよ。どちらかと言えば、自分を植民地軍に戻し、再びヴェアヴォルフ戦闘団の指揮官にしてくださった方が嬉しいですね」
クラウスは大げさに手を広げて、そう告げた。
今のところは、クラウスは大統領になっても、自分が得をすることはないと思っていた。レナーテは自分たちの資産を守る──世界大戦から──ために、共和国に強力な指導者が必要だと告げており、クラウスもそれには納得していたが、それは自分でなくとも務まるだろうと考えていた。自分がわざわざ大統領になる必要はないのだと。
「生憎だが君を植民地軍に戻すわけにはいかん。特にヴェアヴォルフ戦闘団には。ヘンゼルとそう約束しているのだ」
オトマールは小さく笑ってそう告げた。
「君はかつて共和国を混沌に突き落とした軍事指導者になるつもりもなく、もうすぐ行われる大統領選に立候補するつもりもない。そうあれば、君を公平に評価しなくてはならないな。政治的な軍人ではないならば、そうするべきだ」
オトマールがそう言って、机の引き出しから書類を出す。
「クラウス・キンスキー。生まれも育ちもトランスファール共和国首都カップ・ホッフヌング。本国において軍事的な教育を受けたことは一度としてない。それでいて、数多くの作戦を成功させてきた卓越した戦術的才能を有する指揮官」
オトマールは書類を見ながらそう告げる。この書類は恐らくは彼が部下たちに命じて纏めさせたクラウスについての資料だろう。
「第一次アナトリア戦争においては大胆な機動戦によって敵地後方に回り込み、王国植民地軍の指揮系統と兵站線と撹乱。ベヤズ霊山の戦いでは王国本国軍を相手に勝利を収める。これが君を一躍有名人にした戦争だな」
第一次アナトリア戦争。王国がベヤズ霊山でエーテリウムを発見したことから始まった典型的な植民地戦争。
「ミスライム危機においてはヴェアヴォルフ戦闘団は単独で大運河を強襲。大運河を閉塞し、かつ王国の後方連絡線を撹乱することで、友軍の勝利に繋げた。大運河を独断専行で攻撃したことは非難されるべきだが、作戦そのものはお手本にしたいほどよくできている」
ミスライム危機。クラウスたちがクシュの利権を狙い、王国のにしかけた植民地戦争。クラウスたちは大運河を強襲し。王国は自分たちの東方植民地までの大動脈が塞がれていることに危機感を覚えて、講和した。
「ジャザーイル事件から始まる一連の植民地戦争。魔装騎士で戦艦を強襲するという大胆な戦い。砂漠の中を現地協力者と共に駆け回って敵の兵站線を遮断する魔装騎士を使ったゲリラ戦。アーバーダーン要塞攻略における全兵科の共同作戦。全て合格点以上だ」
ジャザーイル事件。帝国は戦艦4隻と装甲巡洋艦2隻で共和国を恫喝しようとしたのをヴェアヴォルフ戦闘団が粉砕し、それに激怒した帝国はサウードに侵攻したことによる植民地戦争。
「ビアフラ戦争、ボーア戦争。ここでは新たに設立された第800教導中隊を上手く使いこなし、他の戦争と同じように敵の後方に打撃を与えている。これによって共和国の手によって南端は統一された」
ビアフラ、ボーア戦争。クラウスが南端の統一を目指して引き起こした戦争だ。この一連の戦争で南方植民地の南端は共和国の手によって統一された。どちらの戦争も開戦の口実を作ったのは共和国側だが、そのことはオトマールは把握しているのだろうか?
「そして、第二次アナトリア戦争。君の部隊は縦横無尽の戦いぶりだったな。友軍と共同でチャナッカレへの上陸を試みる王国植民地軍を撃滅し、更には後方を脅かす王国のゲリラ部隊を殲滅し、王国の防衛線突破のための作戦を立案し、自らの手で成功させた」
第二次アナトリア戦争。アナトリア分割協定に不満を持っていた王国が引き起こした戦争。海軍と本国軍が堂々と動員され、ことは世界大戦の前哨戦のごとき状態となった。だが、勝利したのは共和国だ。共和国はアナトリア地域のほぼ全てを手に入れ、戦争に勝利した。
「もっとも勝利の代償、というものも取られたようだが」
そう告げてオトマールはクラウスの左目の眼帯を見る。
「やむを得ません。我々は戦争を戦っていたのですから」
「割り切っているな。それはいいことだ。戦争は国家のためのもの。そこに私情が挟まるのは望ましくない」
実際はクラウスは自分を殺そうとしたウィルマを、今すぐ殺してやりたいほど憎んでいる。
「私はこれらの君の活躍を見て、君には確かな軍事的才能があると判断した。だが、君は一体どこでこれだけ高度な軍事的才能を発揮できる教育を受けたのかね。君の両親ではないことは分かっている。君の父親は軍人ではあるが、陸軍ではなく海軍の下士官だからね」
オトマールが疑問だったのはこれだ。
クラウスは最新の陸軍ドクトリンを研究している共和国本国で教育を受けた形跡はない。彼の軍事的な経験は全て、共和国植民地軍に由来するものだ。そしてオトマールは共和国植民地軍で、これだけ優れた戦術が生み出されるのはあり得ないと思っていた。
「昔から戦史を読むのが好きでして。ほとんど独学ですよ」
そんなオトマールの疑問にクラウスは苦笑いを浮かべて返した。
まさか前世で教育を受けた、などとは言えない。そんなことを言えば、精神病院送りである。
「独学でここまでのものを完成させた、か。並外れているな、君は」
オトマールは僅かな猜疑の視線をクラウスに向けただけで、存外あっさりとクラウスの言い分を信じた。
そもそも疑いようがないのだ。クラウスがスパイだとしても海軍に注力している王国が陸軍ドクトリンで共和国を上回るはずがないし、帝国は古びた軍事機構が軋みながら稼働しているような状態だ。どちらの国もクラウスのような人間は生み出せない。
疑うとすれば未来人かどうかという具合だ。
「正直に評価しよう。君は優秀な軍人だ。その才能を共和国のために役立てて欲しい」
オトマールはそう告げて、クラウスの目を見る。
「意外な申し出ですね。てっきり自分は飼い殺しにされるものだとばかり思っていましたよ。少将閣下のご友人はあのヘンゼル・ヘルツォーク大佐ですからね。ここに送ったのは飼い殺しにするためだとばかり」
確かに意外な申し出だった。
クラウスは本国軍に配属されても碌な任務は与えられないだろうと思っていた。彼を本国軍に送ったヘンゼルはクラウスを忌み嫌い、彼からヴェアヴォルフ戦闘団を、金儲けのための手段を、そして任務を取り上げたがっていたのだから。
だから、その友人だというオトマールがクラウスを高く評価し、かつ任務を与えるというのはクラウスにとってとても意外なことであった。
「私はヘンゼルの友人だが、だからと言って彼と同じ意見というわけではない」
そんなクラウスにオトマールが語り始める。
「私が忌み嫌うのは、軍の英雄として人気のある君の周りにハエのように集まる連中の方だ。政治家にはならないという君を政治的に利用しようと考えている連中の方に私は危機感を覚え、かつ嫌悪している」
オトマールはそう告げる。
「ロイター提督、レナーテ・フォン・ロートシルト女男爵。こういう人間たちこそ警戒されてしかるべきだ。ロイター提督は政治的な軍人という最悪の手合いだし、ロートシルト女男爵は金儲けのためには国だって売りかねん」
ラードルフ・ロイター、レナーテ・フォン・ロートシルト女男爵。ヘンゼルが警戒し、部下に監視させているのは、このような人物たちであった。
前者は政治をする軍人という、オトマールの軍人は祖国に忠誠を誓い、中立であれという心情に大きく反している人物。後者は共和国の生み出す富の4分の1を牛耳り、それでもなお富に固着する怪物。
オトマールはこのような手合いが、クラウスの人気に便乗し、勢力を伸ばすことを警戒していた。クラウスの民衆への人気は確かなものであり、クラウスを利用すれば、軍部内の右派が大きく躍進することも、ロートシルト財閥が更に巨大化することもありえるのだ。
「特にロイター提督は警戒するべきだ。あの男は君を利用してクーデターを起こしても不思議ではない。既に陸軍──それも参謀本部内にロイター提督に協調する人間がいるのは、君もここに来るまででみたはずだ」
「ええ。ロイター提督は結構な有名人のようですね」
オトマールが告げるに、クラウスが肩を竦めた。
「危険な有名人だ。あの男の言葉ひとつでこれまで共和国が築いてきた民主主義が終わるかもしれない。名誉ある共和国軍人が国家に反逆するかもしれない。とてもではないが、油断のできる相手ではない」
オトマールはよほどラードルフのことを警戒しているのか言葉を強くそう告げる。
「君の方はそういう危険な人物と関わらなければ、ただの優秀な共和国軍人として認められるものだ。危険視する必要はない」
「それは評価されている、と考えていいのでしょうか?」
ただの優秀な共和国軍人という言葉にクラウスが困ったような笑みを浮かべる。
「評価している。私がこれほどまで高く評価する人間はそう多くはない。500人に1人もいれば多い方だ。それほどまでに私は君のことを高く買っている。君は間違いなく優秀な軍人だ」
オトマールはそう告げて腕を組む。
「では、その評価に感謝します。で、自分は何をすればいいのでしょうか?」
ここでクラウスが疑問に思ったことを尋ねる。
オトマールはクラウスを飼い殺しにするつもりはないと告げたが、実際のところはクラウスに何を期待し、何をなにをさせるつもりなんだろうか。
「君にやって貰いたいことはひとつだ」
オトマールはそう告げて、机の中から数枚の書類を取り出した。
「世界大戦に備えて欲しい。もう世界大戦は避けようがないほどに近づいている」
書類をクラウスの方に押しやり、オトマールはそう告げた。
……………………




