送別会(2)
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「兄貴ー! 飲んでるッスかー!?」
クラウスとローゼ、ナディヤがそんなやり取りをしていたときに、ジョッキを片手に握ったヘルマが乱入してきた。
「飲んでるぞ、ほどほどにな。お前は飲み過ぎてないだろうな?」
「えへへ。飲み放題なのに飲まないのは損ッスよ?」
クラウスが尋ねるのに、ヘルマはニコニコした笑みでクラウスに抱き着く。
「全く。若いうちから阿呆みたいに飲んでると、体を崩すぞ。体を崩したらヴェアヴォルフ戦闘団からも、植民地軍からも追い出されるからな」
「うへえ! それは困るッス! 適量にするッス!」
クラウスが小言を告げるのに、ヘルマがあわあわとする。
「クラウス。ヘルマさんはそこまで大量には飲まないわよ。ちょっと飲んだら酔いつぶれてしまうもの」
「そうだったな。こいつは酒の味は分からず、酒に弱いのに飲むやつだった」
クスリとローゼが笑って告げるのに、クラウスが呆れたように告げた。
「それより、兄貴、兄貴。あたしの水着を見てくださいッス!」
ヘルマはフンスフンスと興奮した様子でそう告げると、無造作に纏っていた植民地軍のフィールドグレーの制服をポイッと脱ぎ捨てた。
ヘルマが制服の脱いだ下には、紺色の水着があった。
セパレートタイプの水着で、フリルで飾られている。小柄でやや平坦なヘルマでも、こういう格好をしていると女の子だということがよく分かるというものだ。特にフリルの可愛らしさが、ヘルマの普段の行動とのギャップがあって、より可愛らしい。
「まあまあだな」
「ええっー! ローゼ姉と張り切って選んだんッスよ! もっと褒めて欲しいッス!」
だが、クラウスは大して関心を示さずそう短く告げ、ヘルマは唇を尖らせてクラウスの腕に抱きつく。ヘルマの膨らみ始めた胸がクラウスの腕にグイグイと押し付けられ、ヘルマの漂わせる少女の香りがクラウスの鼻を刺激するものの、それでもクラウスは興味を示さない。ヘルマはどうあってもヘルマだとクラウスは心の中で念じている。
「しかし、その水着はローゼと選んだのか? お前にしてはセンスがいいと思ったが、そういう仕組みか。ということはローゼも今日は水着というわけか?」
クラウスはそう告げてローゼの方を向いた。
「一応は。見る?」
「見せたいなら」
ローゼが軍服のボタンに指をかけて尋ねるのに、クラウスが肩を竦めてそう告げる。
「ずるい人。そういうことを言われたら、見せにくいじゃない」
ローゼはそう言いながらも、ボタンを外し、軍服をハラリと脱いだ。
ローゼの軍服の下にあったのはローゼの瞳と同じ水色のワンピース型の水着だ。ヘルマのと比較すると地味に見えるが、ささやかながらフリルで飾られたそれは、ローゼの女性的な体格と相まって実に魅力的だ。
「どう?」
「似合ってるぞ。ある意味ではお前らしいな」
ローゼが感想を求めるのに、クラウスがそう告げて返す。
「ああー! あたしのときと反応が違うッス! ずるいッス!」
「文句があるならお前もローゼくらいにはなって見ろ」
ヘルマがブーブーと文句を告げるのに、クラウスはローゼを指差す。
ヘルマがアルコールで顔を真っ赤にしているのとは対照的に、ワインを僅かにしか飲んでいないローゼは軽く化粧した顔立ちがそのまま美しく残っている。体形にしたところでようやく成長が始まったばかりのヘルマと比べればローゼは遥かに女性的だ。
「ローゼ姉はちょっと段違いッス……。あれだけになるのは無理ッスよ。ローゼ姉は普段何をどうしたら、そうなるッスか?」
「別に変わったことはしてないわよ。普通に過ごしているだけで」
ヘルマがローゼをジッと見つめて告げるのに、ローゼは微笑んでそう返した。
「だ、そうだ。お前もローゼを見習ってみろ。普通に過ごすだけであれが維持できるだけの生活をな」
「無理ッスよう。あたしはあたしッスから。兄貴には素のままのあたしを好きになって欲しいッス!」
クラウスがそう告げるのに、ヘルマは上目遣いでクラウスを見る。
「あたしじゃやっぱりダメッスか?」
そう告げて、ヘルマは目を潤ませてクラウスに告げる。
「……愛人候補のリストには入れておいてやると言っただろう」
「わあい! 兄貴の情婦になって愛して貰うッス!!」
クラウスは溜息交じりにそう告げ、ヘルマがニコニコしてクラウスの腕に抱きつく。そんなヘルマの様子をローゼが微笑みながらも、警戒した視線を向けていた。
「ナディヤ。お前は水着ではないのか?」
「ん? 一応は着ているが、洒落たものではないぞ。海水浴場に行くと聞いたから、着て来たのだが……」
と、ここでクラウスがナディヤにそう尋ね、ナディヤは頬を描きながらそう返す。
「だが、一応私もここでアピールしておくか」
そう告げてナディヤも軍服を脱いだ。
ナディヤの軍服の下は、共和国植民地軍が水泳用に定めた支給品の水着だった。色は白でフリルで飾られるなどということはないシンプルなものだ。
だが、その白とナディヤの褐色の肌が美しいコントラストを成しているし、ナディヤの引き締まった体が水着で強調されているのが、実に健康的な色気を出している。
「支給品か? 水着ぐらいは買っておいた方が便利だぞ」
「水着を着る機会など、それこそ軍で必要とされるときぐらいだと思っていたからな。お前たちは他のものと対等に扱ってくれるが、入植者の中には植民地人と一緒の海を泳ぐということに嫌悪感を示すものもいるそうではないか」
クラウスがそう告げるのに、ナディヤが肩を竦めてそう告げた。
入植者──つまりは列強の人間は、植民地人に対して差別的な感情を抱いているものが多い。彼らは劣った文明に属する植民地人たちを見下し、彼らが自分たちの生活圏に入り込むことを嫌う。彼らを奴隷のように扱っているにもかかわらず。
ヴェアヴォルフ戦闘団では隊長であるクラウスがナディヤを認め、ナディヤ自身も共和国本国の国籍を有していることもあって、部隊内で差別的な使いが行われていることはない。むしろ、ナディヤは部隊内でファンクラブができるほどに好意的に扱われている。
それでも、部隊の外に出るとそうでもない。他の植民地軍の部隊は、ナディヤが植民地軍の制服を着て、自分たちと戦列を並べていることに不快感を示すことが多々ある。例外はそういうことを気にしないホレスぐらいだ。
植民地軍外でも、ナディヤは植民地人として差別的な待遇に会うことがあった。ナディヤを擁護してくれるクラウスたちがいない場合は。
「気に入らんな、そういうことは」
クラウスはナディヤの言葉に嫌悪感を示す。
「何の役にも立ってない植民地人を差別するなら兎も角として、植民地軍で命を賭けて戦っているお前を、大して役に立っておらず、植民地人を見下すことでしかプライドが維持できない連中が侮蔑するというのはムカつく話だ」
クラウスは植民地人を山ほど殺してきたが、彼が殺すのは敵である植民地人だ。味方である植民地人にはそれなりの敬意を払っている。ナディヤは当然として、クライシュ族の王子であるバスィールなどにも。
クラウスの前世は曲りなりにも21世紀の人権意識が教育される日本人だ。そのため、彼は19世紀の住民たちと同じような差別意識は持たなかった。いや、持っている。それは自分の敵への侮蔑と、役立たずへの軽蔑というものだ。クラウスは敵と役立たずを嫌う。植民地人だからという理由ではなく、無能だからという理由で人を差別する。
植民地人から彼らの住処を奪って平気なのも、彼らが無能であるからだ。彼らが上手く立ち回り、上手く独立を得ようとするならば、クラウスは彼らに敬意を払い、敬意を以てしてその試みを叩き潰すだろう。そのためのヴェアヴォルフ戦闘団なのだから。
「お前は義務を果たしている。他の役立たずの愚図な入植者たちよりも。それを差別するというのは俺は気に入らんな。大多数の入植者なんぞ本国の威を借りて、植民地軍に守って貰えていることでようやく植民地人にでかい顔ができるだけの立場だろうに」
クラウスはそう告げてビールのジョッキを傾ける。
「確かにナディヤさんが差別されるのはちょっと気に入らないわね。私たちの戦友を侮辱されるっていうのは、私たちが侮辱されている気分になる」
そう告げるローゼも、ナディヤは他の植民地人とは一線を画することを認めていた。彼女がクラウスに接近することは警戒していたものの。
「植民地人ってのは不便ッスね。あたしもスラム暮らしのときは金のある連中に馬鹿にされたもんッスけど。そういうものッスかね」
と、ヘルマもスラムの浮浪児だったときに差別されたことからそう告げる。
「気遣って貰えるだけ、私は幸せ者だ。庇ってくれる仲間がいるだけ、他の植民地人たちと比べれば、遥かに恵まれている」
ナディヤはクラウスたちの言葉に小さく微笑む。
「俺は本国軍に言っていなくなるが、俺がいなくともローゼやヘルマを頼れ。腹の立つことがあればヴェアヴォルフ戦闘団の隊員たちに言え。そうすれば袋叩きにするはずだ」
「ちょっと過激だが、いざというときは頼らせて貰う」
クラウスはそう告げ、ナディヤは頷いた。
「じゃあ、俺は他の隊員たちにも挨拶をしてくる。他の隊員たちも俺が本国軍にいきなりいくことになってそれなり以上に動揺している。このまま動揺しているのはあまり都合がよくない。戦闘に影響がでるからな」
「戦闘をするつもりなの? あなたなしで?」
クラウスの言葉にローゼが尋ねる。
「ロートシルトの、SRAGの、資産が危機に晒されたらそれを守るのが俺たちがロートシルトから株式を譲渡される条件であり、利益を譲渡されている条件であり、俺たちが金持ちであることを維持する条件だぞ?」
「けど、その資産に手を出しそうな勢力は揃って沈んだでしょう。王国はアナトリアで大損害だし、帝国はメディアの件で共和国に手を出すことに警戒してる」
クラウスがそう告げる通り、レナーテとクラウスの取り引きにはSRAGの資産を保護することも含まれている。SRAGが有するエーテリウム鉱山が、第二次アナトリア戦争のときのように、他国に奪われるのを阻止することが。
「列強が直接手出ししなくとも、植民地人が反乱を起こす恐れだってある。列強が援護した植民地人が、ヌチュワニンのときのように反乱を起こす可能性はあるだろう」
「反乱ぐらいなら植民地軍の通常部隊でも鎮圧できそうだけど」
クラウスが告げるのに、ローゼは肩を竦めた。
「兎に角油断はするな用心しろ。油断してこれまで築いたものをパーにはするな」
「肝に銘じておく」
クラウスはそう言って椅子から立ち上がる。
「さて、と。俺の紳士と悪餓鬼どもは俺がいなくともやっていけるか?」
クラウスは既にかなりのテンポでアルコールを消費している部下たちを見て呟いた。
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