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ロートシルト財閥

……………………


 ──ロートシルト財閥



 戦勝式典は予定通り、トランスファール共和国の首都カップ・ホッフヌングの迎賓館で開かれた。迎賓館は植民地様式の建物であり、本国エステライヒ共和国の威光を輝かせるだけになっている。


 戦勝式典に参加するのはヴェアヴォルフ戦闘団から、クラウスとローゼの2名だけ。他は堅苦しい式典を避けて、クラウスの財布から出された金で、気ままにヴェアヴォルフ戦闘団初めての戦勝を祝っている。


「この度の戦いの意義は、王国軍を撃退した以上に大きくある」


 そして、クラウスが予期したように式典は植民地軍司令官のフランク・フォン・ファルケンハイン元帥のスピーチから始まった。


 この勝利が王国の陰謀を阻止し、共和国が開拓してきた植民地をいかに守り抜いたかをファルケンハイン元帥は語り、次のこのような企てがあろうとも植民地軍は万全の態勢で叩きのめすという威勢のいい言葉を告げた。


 次にスピーチを行ったのはパトリシアの父親であるヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベック侯爵だ。彼は植民地軍の活躍によって共和国の植民地が防衛されたことに感謝の意を表明し、今後も植民地軍が共和国の植民地を防衛してくれることを願うと告げた。


 それから数名のお歴々がスピーチを行い、この戦勝式典の自由時間がやってきた。


 自由時間といってもクラウスたちにとっては自由な時間などない。彼は上官であるフォン・ファルケンハイン元帥に挨拶をし、ヴィクトールに挨拶をし、お歴々のひとりひとりに挨拶を行った。


 相手もクラウスがトランスファール共和国有数の名家であるキンスキー家の子息であり、今回の勝利を演出した人物だと知ると無下にはせず、クラウスは着々と上流階級に人脈を築いていった。


「クラウス!」


 そんな挨拶をクラウスがローゼを連れて行っていたとき、彼に声をかける人物が現れた。クラウスが声の方向を向かなくとも、誰だか分る声だ。


「どうした、パトリシア。頼んでおいたロートシルト財閥との接触はできそうか?」

「あなたってば顔を合わせるたびに仕事の話ね、たまにはプライベートの話をしなさいよ。例えば、私のこのドレスが似合っているかどうかとか」


 クラウスがそう尋ねるのに、パトリシアは憤然とした様子でそう返す。


「似合っているぞ。いつもは朱色の系統を選ぶのに、今日は青色の系統を選んだんだな。イメージチェンジか?」

「そういうところ。いつも同じ色ばかりじゃ飽きるから。でも──」


 クラウスの言葉に、パトリシアの視線がローゼに向けられる。


「あなたも青色の系統なのね。クラウスのパートナーに選ばれているようだけど、本当にそれだけの地位があるのかしら。レンネンカンプ家は落ちぶれた、と聞いていたけれども」


 パトリシアはジロリとローゼを見つめて、彼女にそう告げる。


「このドレスは彼が選んだもの。彼に買ってもらったの。それ以上でも、それ以下でもないわ、パトリシア嬢」


 パトリシアの挑戦を、ローゼはいとも簡単に受け流した。


「クウッ……。あなたは不誠実よ、クラウス。本当なら私と、その親しくするべきでしょう。この私が親しくしてあげているのだから。それを落ちぶれた貴族なんかと親しくするなんて」

「これも俺の野望のためだ。俺の事を思ってくれているならば、協力してくれ」


 パトリシアが苦虫を噛み潰したような表情でそう告げるのに、クラウスは何でもないというような口調でそう返した。


「……はあ。全く、あなたって人は。だけど、いいわよ。没落貴族風情なんて気にしないから」

「私も妹扱いを受けているような人物は気にしないわ」


 パトリシアはそう告げ、ローゼは肩を竦めてそう返す。


 両者の間には見えない火花が散っている。


「ところで、件のロートシルト家の方はどうなっている?」


 と、ここでクラウスが話題を転換した。


「あなたのご要望どおり、今のロートシルト家を束ねている人物を呼んだわ。感謝してよね。あの人は滅多なことでは社交界の場に姿を見せない変わり者なんだから」

「感謝しているさ。心の底からな。例の旅行の話も忘れてないぞ」


 パトリシアが恩着せがましくそう告げるのに、クラウスはにこやかに微笑んでみせた。


「それにしても何を企んでいるの? わざわざロートシルトの人間とあって何をするつもり?」


 クラウスはパトリシアには目的を話していない。彼が何をして、何を手に入れるつもりなのかを。


「なあに。俺が金持ちになるために必要なことをするだけだよ」

「もう十二分に金持ちじゃない。それに、ロートシルトから揺すろうとしたって無駄よ。あそこの財布は野砲の砲撃でも開けられないくらいに固いんだからね」


 クラウスがそう告げるのに、パトリシアがクラウスを上目遣いに見る。


「そ、それに、下手なことをしてあなたの名誉が傷つくと、あなたと付き合っていた私の名誉まで泥が付くでしょう。心配なのはうちの信頼であって、あなたの信頼じゃないのだからね!」


 と、パトリシアは頬を赤らめてそう喚く。


「心配するな。誰の名誉も傷つかん。俺はそこまで間抜けじゃない。で、そろそろロートシルトに会わせてくれるか。どこにいる?」

「も、もう、あなたって人は、言葉もない……。もう、いいわ。こっちよ」


 クラウスは悠然と尋ね、パトリシアは彼の案内を始めた。


「彼女よ」


 そして、この戦勝式典が開かれている迎賓館の一角で、パトリシアがひとりの女性を指さした。


 年齢は17、18歳ほど。アッシュブロンドの髪にウェーブのかかった女性で、紫色の瞳には人のよさそうな優し気な色が浮かんでいる。ドレスもゆったりとしたものを纏っており、全体的にぽややんとした雰囲気を受ける女性だ。そして、傍らには彼女にそっくりでありながら、どこか冷たい印象を受けるひとりの若い女性。


 彼女お名前はレナーテ・フォン・ロートシルト女男爵。ロートシルト財閥を支配している人間である。


 彼女が若くして財閥を支配するに至ったのには、不幸な経緯がある。


「あれが世界三大財閥の一角たるロートシルト財閥の長か」


 クラウスも女性──レナーテを観察したが、ふんわりほんわかした印象以上の感触は掴めなかった。


「ああ見えて、とんだ狸よ。共和国の主要な事業を買収して、今や共和国の生み出す富みの4分の1を握っているんだから」


 パトリシアは過去に自分の家が、レナーテによる買収の損害を被ったのか、僅かに憤然とした様子でそう告げる。


「狸ぐらいでないと困る。これからやる取引は狸にしか務まらない代物だ。狸は大歓迎だよ」


 クラウスはそう告げると、ローゼとパトリシアを引き連れて、レナーテの方に向かった。


「ごきげんよう。この度は遠い本国から、式典に参加していただき感謝しますわ、ロートシルト女男爵閣下」


 パトリシアは流石に貴族だと感心できるほどに、自分の感情を全く表に出さず、非常に愛想よく、そして礼儀正しくレナーテに声をかけた。


「いえいえ。私もちょっと旅行に出かけたい気分だったから、丁度よかったんですよ。植民地というのはなかなか刺激的で、異国情緒のある場所だと再認識しましたわ。このような場所をちゃんと統治できるというのは南方植民地総督はかなりの手腕を発揮されたのでしょうね」


 レナーテは実にのんびりした感じで、パトリシアの挨拶に応じる。


「父もそのお言葉には喜ぶでしょう。ところで、紹介したい人物がふたりいるのですが、よろしいでしょうか」

「ええ。どうぞ、構いませんわ」


 パトリシアがそう告げるのに、レナーテが頷いて返した。


「こちらは植民地軍司令官からも紹介があったヴェアヴォルフ戦闘団の隊長クラウス・キンスキー植民軍大尉。今回の王国の陰謀を粉砕し、共和国の大地を守った英雄と呼べる人物ですの」


 パトリシアはまるで自分のことのように自慢げにクラウスを紹介する。


「クラウスです。どうぞよろしく、ロートシルト女男爵閣下」

「レナーテで結構ですわ、クラウスさん。あなたのような英雄に会えるなんてとても素敵なことですわね」


 クラウスが演技染みた笑顔を浮かべてそう告げるのに、レナーテもニコリと微笑んで返した。


「そして、こちらはローゼ・マリア・フォン・レンネンカンプ植民地軍少尉。ヴェアヴォルフ戦闘団の副隊長ですわ」


 と、パトリシアはクラウスのときとは対照的に素っ気なくローゼを紹介する。


「ローゼといいます。以後、お見知りおきを」

「まあ! 女性の軍人さんだなんて珍しいわ。それもこんな戦果を挙げた部隊の副隊長だなんて。あなたとは是非ともお知り合いになりたいわ」


 ローゼがスカートの裾をチョイと掴み、儀礼的なお辞儀をするのに、レナーテはやや興奮したようにしてそう告げた。


「ところで、そちらの方は?」


 と、ここでクラウスがレナーテと瓜二つでありながら、酷く冷たい印象を受ける女性に目を向けた。女性はクラウスたちが挨拶をしていても、まるで無反応に佇んでいる。


「彼女はレベッカ。私の双子の姉よ」

「双子の姉? ですが、確か……」


 レナーテが若くしてロートシルト家の全財産を継承し、ロートシルト財閥の支配者になったのには悲劇的な経緯がある。


 彼女と彼女の家族がボートで旅行に出かけた際に、そのボートが過激な社会主義者の仕掛けた爆弾によって爆破されたのだ。社会主義者にとって、ロートシルト家は富みの均衡な配分を妨げていると考えられていたが故に。


 彼女の家族は爆発によって死亡し、船が沈んだことで死亡した。ただひとりだけ、レナーテだけが奇跡的に救助されて一命をとりとめた。


 レナーテは家族が全員いなくなったことで、残された遺言状を基にロートシルト家の全財産を引き継ぎ、若くしてロートシルト財閥の支配者となった。


 そのような経緯があることはクラウスも事前に把握していた。レナーテの家族が全員死んでいるのだと。


 だが、レナーテは隣に佇む女性を、自分の双子の姉だとして紹介している。


 レナーテには確かに双子の姉がいたはずだが、それは船の事故で死んでいるはずであった。


「さあ、レベッカ。英雄さんたちに挨拶して」


 そんな困惑を促す状況にもかかわらず、レナーテは死んだはずの双子の姉に告げ、レベッカはコクリと頷くと、クラウスたちに手を差し出した。


 クラウスは礼儀としてレベッカの握手に応じたが、それは冷たかった。生きている人間の体温ではなかった。


「……失礼ですが、死霊術ネクロマンシーで?」


 クラウスはレベッカの体温の低さから、そう察して尋ねる。


「そうよ。心臓のあった場所に小型の秘封機関アルカナ・リアクターが埋め込んであるの」


 クラウスの言葉に、レナーテはクスクスと笑う。


「だけれど、レベッカは死んでるわけじゃないのよ。一時的に魂が離れているだけなの。お父様たちは爆破でバラバラになってしまったけれど、レベッカは溺れただけだから」


 レナーテはその雰囲気を不気味なものに変えつつそう告げる。


「同じように溺れた私が助かったのに、レベッカが助からないはずがないの。レベッカはちょっと魂が離れているだけ。死んだように見えるけど、だからと言って死体を埋めてしまったら本当に死んでしまうわ」


 イカレてやがる。クラウスは心の中でそう呟いた。


 大財閥の支配者にして、数多くのビジネスを成功させている人間だからまともだろうと思っていたが、これでは完全に気狂いだ。


 これを相手に交渉できるだろうかと、クラウスは心の中で舌打ちする。


「レベッカは必要なときには魂が戻ってきて、私に助言してくれるのよ。そのおかげで助かったわ。私とレベッカはいつでも一緒。いつだって一緒。私たちの間を裂くことは誰にだってできない」


 レナーテは上機嫌にそう告げ、レベッカは静かに佇んでいる。


「ご姉妹がいるのは羨ましいですね。私はひとりっ子でしたから」


 と、そんな状況でローゼが微笑んでそう告げる。


「姉妹がいるのはいいものよ。ひとりでは乗り越えられないものも、血の繋がった、信頼のおける人間が傍にいてくれるなら乗り越えられるから」


 ローゼの言葉にレナーテは機嫌をよくしてそう告げる。


 そして、ローゼは視線でクラウスに合図した。話題を切り出せという合図だ。


「なら、ひとつビジネスの話をいいでしょうか?」

「ビジネスの?」


 クラウスがついに本題を切り出し、レナーテが首を傾げる。


「王国、帝国との植民地戦争は激化を辿る一方です。今回の鉱山の襲撃のような事件がこれからも起きるでしょう」

「ええ。私の会社のひとつも植民地戦争の影響を受けているわ。そちらには、今回の鉱山を防衛してもらって、お礼を言わなければならないわね。今回は共和国の植民地が守られたのと同時に、我が社の資産も守られたのだから」


 レナーテの告げている会社とはSRAG(シュトラテギー・レスルセン・アクティエンゲゼルシャフト)だ。ロートシルト財閥の傘下にあり、エーテリウム鉱山を初めとする鉱山開発を行う企業であり、列強でも有数の規模を誇る資源メジャーだ。


「戦争は非常に悲惨です。ですが、ある種のチャンスを生み出します。そのことについては同意していただけるかと」

「……確かに戦争は残念なことだけれど、投機的なチャンスはあるわね」


 植民地戦争では、列強がエーテリウム鉱山を奪い合っている。戦争に勝利すれば新しいエーテリウム鉱山などが手に入り、負ければ手に入っていた、得ていたものを失う。実に投機的だ。


「戦争をある程度管理できれば、これは非常にいいビジネス環境になると、そう思いませんか?」

「できれば、ねえ」


 クラウスの言葉に、レナーテが頬を摩る。


「できるのですよ。自分のヴェアヴォルフ戦闘団は独立した部隊。植民地軍のあらゆる部隊より戦闘力があり、あらゆる部隊より即応性に優れた部隊なのです。我々には他の部隊にはできないことができます。例えば──」


 クラウスが僅かに口角を歪めて、笑う。


「植民地戦争において優先的にエーテリウム鉱山を手に入れ、その開発権をそちらの会社に最優先で渡す、などということを」


 クラウスの言葉にレナーテの眉が小さく動いた。


 クラウスの計画は独立部隊を手に入れ、それを使ってエーテリウム鉱山などの地下資源の眠る王国や帝国の植民地を襲撃し、それを特定の会社に渡すということを考えていた。


 クラウスにはそれだけの実力のある部隊を有している。指揮系統的に独立し、練度も植民地軍で有数の魔装騎士部隊を手にしている。


 この戦勝祝いの場でも証明されているように、クラウスの部隊は実力がある。並みの王国、帝国の植民地軍では相手にならないだろう。彼らは自分たちが望むように、鉱山を手に入れることができるはずだ。


 そして、その権利を手に入れられるならば、それは巨万の富を生む。


「それは植民地軍の私兵化と私的利用ではないかしら」

「全ては共和国のためです。共和国の人間が富むのであれば、植民地軍はその責務を果たしたと言えるのです」


 レナーテが指摘するのに、クラウスはそう告げて返す。


 確かにこれは完全な植民地軍の私的利用であり、ヴェアヴォルフ戦闘団の私兵化だ。そんなことは、いくら規律が乱れている植民地軍でも大っぴらにやっていいものではない。


「それにこれだけのビジネスチャンスを、あなたは規則だけを名目に台無しにはなさらないでしょう?」


 クラウスはそう試すような視線をレナーテに向ける。


「そうね。戦争が本当にコントロールできるなら、我が社は儲けられるわ。でも、その前にちょっと相談させて」


 レナーテはそう告げると、レベッカを手招きして傍に引き寄せ、耳元で何事かを呟く。そして、次はレベッカがレナーテの耳に何事かを呟くようなジェスチャーをしてみせた。


「いいわ。そのビジネスに乗ってあげる。そちらは戦争をコントロールして我が社──SRAGが鉱山の採掘権を得られるようにする。それで、その見返りにあなたは何を求めるの?」


 レナーテは奇妙な相談の後に、クラウスに向けてそう尋ねた。


「ふたつ。SRAGの株と新型の魔装騎士を」


 クラウスは交渉が上手く行きつつあることに、心の中で拍手をしながら次の話題を切り出した。


……………………

本日20時頃に次話を投稿予定です。

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