トラップ(4)
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「デミレル族はどうかしている!」
そんな叫び声が上がるのはアナトリア地域西部のとある集落だ。
この集落を収めているのはセンカル族で、センカル族の部族の男たちが机を囲んで、デミレル族の暴挙に意見していた。
「いったいいくつの部族が奴らの手にかかったというのだ。常軌を逸しているとしか思えないぞ。あの狂人の集まりめ」
「静かに。これを聞かれたら俺たちの部族も皆殺しにされる」
4つの部族が皆殺しにされた後、ダーマードは他の部族に自分たちに対して絶対的な恭順の意志を示せと告げた。そうでなければ、他の部族と同じように、血と鉄による制裁を加えると宣言して。
「しかし、このままでは連中のやりたいがままではないか。女子供たちは怯えている。いつデミレル族が自分たちに襲い掛かるのかと」
「これでは共和国の目を逃れても、デミレル族と王国に支配される。結局、我々に未来などないとでもいうのか」
このセンカル族もデミレル族が銃火器で脅迫するのに屈して、彼らに恭順の意志を示したものの、内心は不満で満ちていた。
彼らは共和国の奴隷にされることからは逃れたが、結局はデミレル族という新しい暴君に支配される羽目になっていた。これでは子供たちも、将来においてデミレル族の奴隷という立場に甘んじなければならなくなるだろう。
「我々の代だけならば屈辱にも耐えよう。だが、子供たちまでもが……」
「何か手はないのか? 何かデミレル族に対抗できる手は?」
センカル族の男たちはこの状況を打破できる手段を探すものの、状況をどうにかできる手段は思い浮かばなかった。
デミレル族は王国の支援を受けており、王国の銃火器で武装している。そんな相手をまだ初歩的なマスケットすら持たないセンカル族がどうこうできるはずがなかった。デミレル族の力は残酷なまでに強大だ。
「や。お困りのようだな」
と、不意にセンカル族の男たちが話し合っていた集会場の入り口から声がかかった。
「誰だっ!?」
センカル族の男たちはまさかデミレル族が現れたのではないかと、弓や山刀を手に立ち上がって、集会場の入り口に一斉に視線を向ける。
「おいおい。そこまで警戒するなよ。別に俺はデミレル族でも、王国でもない。お前さんたちの友人としてここにやってきただけだ」
現れたのはサファリジャケットにサファリパンツ姿の中年の男だった。
一見すれば何の脅威でもないように見えるが、その目の鋭さはどこか油断ならないものがある。そんな男だ。そんな男が、集会場の入り口で大きな荷物を背負って、センカル族の男たちを眺めていた。
「友人だと?」
「王国ではないということは共和国か?」
現れた男の言葉にセンカル族の男たちが警戒する。
「ドンピシャリ。俺は共和国の人間だ。そして、お前さんたちの友人だ」
「友人だと。我々の同胞を奴隷にしておいてよくそんなことが言えるな」
サファリジャケットの男──ノーマンが小さく笑ってそう告げるのに、センカル族の男のひとりが吐き捨てるようにそう返した。
「同胞を奴隷にしようとしているのは俺たちだけじゃないだろう。お前さんたちのお仲間も王国の力を借りて、お前さんたちを奴隷にしようとしているじゃないか。そっちの方は別に問題ないってわけか」
「そ、それは……」
ノーマンの言葉に、センカル族の男たちの言葉が詰まる。
「俺は選択肢を提供しに来た。お前さんたちに生き残るための選択肢を提供しに来た。それを選ぶかどうかはお前さんたち次第だ」
ノーマンはそう告げると、背負っていた重そうな荷物を下ろした。
「さて、デミレル族が暴君のごとく振舞えるのは、背後に王国がいるからこそだ。ならば、こっちにも王国に相当する何かがあればいい。列強に対抗するには列強の力が必要だ。そうだろう?」
「お前たちの力を借りろというわけか?」
ノーマンが告げるのに、センカル族の男が尋ね返した。
「その通り。俺たちの力をどんどんと借りてくれ。俺たちは全面的にそちらをサポートする準備がある」
「その代償に何を求める? 我々に奴隷になれとでもいうのか?」
これまで共和国はアナトリア地域において豹人種を奴隷にしてきた。今回も、デミレル族を倒す手助けをするのに、共和国が奴隷を欲するのではないかとセンカル族の男たちは考えていた。
「まさか。何も求めないよ。利害の一致だ。お前さんたちの敵はデミレル族で、俺たちの敵は王国だ。俺たちはお前さんたちの敵の敵。つまりは味方だ。味方を助けるのに、奴隷にするはずがないだろう」
ノーマンはそう告げて、センカル族の反応を見る。
彼らはノーマンの言葉を信用し始めている。もうひと押しだ。
「このままデミレル族に支配されていいのか? デミレル族の奴隷でいいのか? 自分の代から子供の代、孫の代までデミレル族の奴隷という立場でいいのか? それでいいなら、この話はなかったことにして、俺は帰るさ」
ノーマンはそう述べ、荷物を再び背負おうとする。
「待て! 理解した。我々のは共和国の援助が必要だ」
そこでセンカル族の男のひとりが声を上げた。
「だが、どのような支援を与えてくれるのだ? デミレル族のように武器を渡してくれるのか?」
「それもあるが、もっと便利な手段がある」
センカル族の男が尋ねるのに、ノーマンがニッと笑った。
「デミレル族はここら辺をうろうろしている。奴らは恭順を誓った部族の集落を利用して、寝床と食料を手に入れている。族長のダーマードもな。狙いはそこだ。そこを狙って、獲物を仕留めるんだよ」
ノーマンはそう告げると、彼の作戦を説明し始めた。
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デミレル族の族長であるダーマードは些か不機嫌だった。
その原因は同胞だと思っていた他の豹人種の部族が、敵であるはずの共和国に寝返っていたということだ。
この裏切り行為にはダーマードは衝撃を受けた。
軍事顧問である王国秘密情報部の準軍事作戦要員が動きが読まれているようだと告げ、捕虜になった部下たちから共和国に寝返った部族の手によって先の待ち伏せが迎撃されたと知り、彼は激しい怒りを覚えた。
彼は報復を実行した。裏切ったと思しき部族を皆殺しにし、他の部族には自分たちに恭順の意志を示さなければ同じ目に遭わせると警告した。
この警告が意味を成したのか、豹人種の部族は相次いでダーマードたちに恭順の意志を表明し始めた。彼らはデミレル族の戦いに全面的に協力することを約束し、決して裏切らないと誓った。
「次の攻撃地点はここだ。そろそろ共和国植民地軍も本気になって対応してくるだろう。これまで以上に次々と攻撃地点を変更していかなければ、連中に捕捉される。捕捉されたらお終いだ」
そう告げるのは王国秘密情報部の準軍事作戦要員だ。彼は軍事顧問として、ダーマードを支援していた。彼らに銃火器の扱い方を指導したのも──トーマス・タールトン準男爵の命令で派遣されたこの準軍事作戦要員だった。
「フン。共和国の連中は臆病者の集まりだ。そこまで神経を使う必要はない」
「だが、先の攻撃では手酷くやられただろう。油断はするな。これまでは上手くいったからと言って、油断できる相手ではない」
ダーマードが不満そうに小さく鼻を鳴らすのに、準軍事作戦要員がそう返した。
「あれは罠だったからだ! 卑怯な裏切りによる罠だったからだ! もう、あのような裏切りは起きない! 俺が十二分に他の部族の連中を教育してやったからな!」
準軍事作戦要員の言葉を聞いたダーマードが激怒した。
「あの手のことを続けていると、本当に裏切られるぞ。俺たちが戦い続けるにはどうしても現地の人間の支援が必要になる。現地の人間の支持を失ったら、俺たちは戦い続けることはできなくなる」
「この土地のことはお前よりも俺たちの方がよく知っている。俺のやり方で、十二分に部族の裏切りは防止できた。何の問題もない」
諭すようにそう告げる準軍事作戦要員に、ダーマードがそう返した。
「そうだといいのだが……」
この準軍事作戦要員には、どうにもダーマードの手が上手くいくとは思えなかった。あのように部族を見せしめに皆殺しにするようなことは、逆に部族の反感を買うように思えてならなかった。
「次の攻撃がこの地点ならば、今日はここら辺で夜を明かすか。この付近にはどこかの部族の集落があっただろう?」
「センカル族ですね、族長。センカル族の集落があります」
ダーマードが尋ねるのに、デミレル族の男がそう返した。
「センカル族は俺たちに恭順すると言っていたか?」
「はい。族長が恭順の意志を示しています。我々と共に戦うと」
ダーマードは疑り深く地図を眺めてそう尋ね、彼の部下がそう応じる。
「ならば、結構だ。今夜はセンカル族の持て成しを受けるとしよう。奴らもアナトリア解放のために命を賭けている俺たちの頼みを断ることはしないだろう」
そう告げるとダーマードは部下たちを率いて、センカル族の集落へと向かった。
この時点で共和国植民地軍第7軍の司令官ジークムントがクラウスに告げてタイムリミットまで残り3日となっていた。
残り3日で共和国植民地軍はアナトリア地域において、大規模で、時間のかかるゲリラ掃討作戦を始める。
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