作られた英雄(2)
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ヌチュワニン鉱山における勝利を祝う戦勝式典はトランスファール共和国の首都カップ・ホッフヌングの迎賓館で行われた。
「さて、戦勝祝いがあるが、出席は自由だ」
戦勝式典に先立ってクラウスは部下たちに告げる。
「式典で酒は出るが、ぐでんぐでんになるまで飲んだくれることはできない。加えて、お偉いさんからありがたいスピーチが何度もある。率直に評価して、退屈極まりない代物だ」
クラウスが告げるのに、部下たちがうんざりした顔をし始めた。流石に、元街のならず者たちを使っているだけあって、堅苦しい式典には慣れていない。植民地軍の入隊式典でも、居眠りしている奴が大勢いた。特にヘルマ。
「だが、勝利は祝うべきだ。というわけで俺の財布から金を出してやるので、式典に参加しない奴はそっちでたらふく飲み食いしてこい。そっちの方がお前たちには向いている」
クラウスの言葉に、部下たちが沸き立った。
植民地軍の給与は少尉程度では大したものではなく、羽目を外して楽しむというほどのことができる給与は誰も貯まっていないし、貯めていない。その点を実家が大富豪であるクラウスが解決してやった。
「流石はボスだ! 太っ腹だぜ!」
「植民地軍はあれだけ戦ったのにボーナスのひとつもくれねーもんな」
部下たちは口々にクラウスを讃える。彼のおかげで、思いっきり楽しめると思うと今から笑いが止まらない。
「では、今日の午後までに出欠表を出しておけ。以上だ。解散」
そして、クラウスは式典参加の出欠表を配ると、解散させた。
「私も出なくてもいい?」
ヴェアヴォルフ戦闘団の司令部でそう尋ねるのは、ローゼだ。
「馬鹿言え。お前は副隊長だぞ。欠席が許されるわけがないだろう。お前は俺のパートナーとして出席するんだよ」
そんなローゼにクラウスがそう告げる。
「はあ。私もパーティーはあまり好きではないのだけれど。何せ、自分たちがいかに落ちぶれたかを目の当たりにすることになるのだから」
ローゼは溜息交じりにそう述べた。
社交界は階級がハッキリする社会だ。身に纏っているドレス、挨拶が行われる順番。人が集まっている場所。あらゆる部位が、この植民地にも階級というものが存在するのだと示す。
ローゼは落ちぶれた貴族の家系。誰も自分のことを覚えていないことすら考えられるし、それどころか覚えられていて落ちぶれたと陰口を叩かれる可能性もあった。
そう考えると、ローゼが戦勝式典に出席したくない理由も分かるだろう。
「俺も似たようなもんだ。成り上がりの海軍下士官の息子だと、陰で散々言われているのは百も承知だ。だから、何だというんだ。俺たちは金持ちになる。社交界で俺たちを馬鹿にしていた連中全員が竦み上がるほどの金持ちになる。それで見返してやればいい。だろう?」
そんなローゼにクラウスはそう告げた。
クラウスの実家であるキンスキー家はこのトランスファール共和国という小さな社交界では名家であるが、本国の人間からすれば、所詮は成り上がりだ。本国からやって来た人間に内心で馬鹿にされていると分かることは多々あった。
だが、クラウスはそんなことなど歯牙にもかけない。どうせ自分たちは大金持ちになるのだという確信があるのだから。
「そうね。後でやり返してやる気持ちで行くわ」
「その調子だ」
ローゼが小さく頷いて同意するのに、クラウスは満足そうにそう返した。
「で、ドレスの準備は大丈夫か?」
「ドレス? 私たちの礼服はこれでしょう?」
そして、クラウスが話題を変えて尋ねるのに、ローゼが怪訝そうな顔をして、自分の纏っているフィールドグレーの植民地軍の軍服を指示した。
「それじゃダメだ。これから交渉する相手は大財閥の人間だ。軍服がふたつ揃って並んでたって興味を示しやしない。俺は勲章があるからいいが、お前の方は着飾って注意を引くようにしろ」
クラウスの戦勝式典での目的は勝利を祝うことではなく、パトリシアの手配でやってくることになるロートシルト財閥の人間に接触することだ。そのときにいい印象を抱いてもらうためには、男女のペアを意識する必要があった。
クラウスもローゼも、心の中のことを表に出さなければ、文句なしの容貌を持っている美男美女の組み合わせだ。話題のクラウスが勲章を下げたフィールドグレーの制服を纏い、ローゼがドレスで着飾るならば、全く注目を集めないということはあり得ない。
「ドレスは古いものしかないわ。サイズが合うかどうかも不明よ」
「なら、俺が金を出すから作ってこい。立派な奴をこしらえておけ。これから何度かこの手の式典をこなす必要があるからな」
ローゼが肩を竦めるのに、クラウスはそう告げて彼の財布を投げた。財布にはかなりの額の紙幣が詰まっていた。社交界用のドレスひとつどころか3つは揃えられそうだ。
「あなたって金遣いが豪快ね。それじゃ大金持ちになる前に、借金する羽目になるわよ?」
ローゼは渋い顔をして、クラウスに財布を投げ返した。
「金持ちになるには、金を使わなければならんのさ。賢く使っていれば、投資となって後々多額の金額が戻ってくる。それを繰り返せば大金持ちだ」
クラウスはただ節制を貫き、金をケチるのでは金持ちになれないのだと理解していあった。大金持ちになるのは、大きな賭けに投資し、その報酬で金をふくらませなければならないのだと。
だから、彼は部下たちに豪快に金を使わせてやるし、ローゼのためにドレスを作ってやる。全ては自分が金持ちになるというひとつの理由のために。
「なら、遠慮なくドレスを作らせてもらう。その代り、あなたが出来栄えを評価してくれない? 私はここ最近の社交界についてはさっぱりだから」
「そんなもの服屋の店員に聞けばいいだろう」
僅かにどこか悪戯気な笑みを浮かべてローゼが告げるのに、クラウスが渋い表情を浮かべる。
「店員は買わせたい服を褒めるだけよ。身近な人間の客観的な意見が欲しい。だめなら、ドレス作りは諦めるから」
「分かった、分かった。俺が見ておいてやる」
ローゼが告げるのに、クラウスがとうとう降参した。
「あー! ズルいッス!」
と、ここでバンッと司令部の扉を開いてヘルマが飛び込んできた。
「ああ。ヘルマ。お前も式典は欠席だったな?」
「出席するッス!」
クラウスが集めた出欠表を見て問うのに、ヘルマがそう告げた。
「おい。あれは退屈な代物だと教えておいただろう。入隊式典のスピーチは居眠りしてても別に構わなかったが、今回のスピーチで居眠りされると俺に顔に泥を塗られることになるんだぞ」
「それでもあたしも兄貴とパーティーに出たいですよう! キラキラしたドレスで着飾って、兄貴にエスコートしてもらいたいですよう!」
クラウスが改めて戦勝式典がいかに退屈なのか告げるのに、ヘルマはローゼの隣に立ってそう告げた。
「大体ズルいッス! 貴族令嬢だから兄貴のパートナーだなんて! 自分の方が兄貴と長い時間すごしてるッス!」
そして、ヘルマの怒りの矛先はローゼに向かった。
「こう言ってるけど、パートナーを交代する?」
「冗談もほどほどにしておけ」
ローゼが告げるのに、クラウスが眉を歪めた。
「ヘルマ。お前の能力は買っているし、お前は間違いなく俺の相棒だ。その点に間違いはない。俺はお前を信頼している」
クラウスがそう告げると、ヘルマの顔がパアッと明るくなった。
「だが、お前にないものもある。ローゼは貴族令嬢で社交界での礼儀について熟知しているだろうが、お前は入隊式典で居眠りするような奴だ。残念だが、ここはローゼを選ばざるを得ない」
そして、クラウスがそこまで述べると、ヘルマはしょんぼりと肩を落とした。
「後日、戦勝式典での交渉が上手く行けば、俺も参加して酒と料理の美味い店で馬鹿騒ぎをする。そのときはお前をパートナーに選んでやるし、ドレスも買ってやる。それでいいか?」
「うう、兄貴は優しいッス。感激したっス。実の両親でもここまではしてくれなかったですよう……」
クラウスが宥めるように告げるのに、ヘルマがヨヨヨと涙を浮かべてみせた。
「そこまで感動することか?」
「戦争は理解できても、女心は分からないみたいね」
クラウスの方はローゼの方に尋ねるのに、ローゼは肩を竦めた。
「じゃあ、ドレスを買いに行くッス! あたしもお供します!」
「私も選んでもらおうかしら」
ヘルマがキャイキャイと騒ぐので、クラウスは演習などの午後のスケジュールはキャンセルして、カップ・ホッフヌングの街に繰り出した。
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結果から述べると、ローゼとヘルマの洋服選びは非常に難航した。
クラウスとしてはローゼは貴族令嬢として相応しいだけの品格があるドレスを、ヘルマにはこれからちょくちょく着れる軍服以外の礼服を、と考えていた。
だが、どちらの選ぶドレスも滅茶苦茶だった。
ローゼは自分の持ち前の美貌を埋めてしまうような落ち着きすぎて、地味すぎるものしか選ばないし、ヘルマは売春婦ぐらいしか着ないし、小柄で少年のような彼女の体には合わない露出度の高いドレスを選んでくる。
「お前らは俺を馬鹿にしたいのか?」
買い物開始から1時間。まだ1着もドレスは決まっていない。
「まず、ヘルマ。お前は一体何をするつもりだ。これから買うのは馬鹿騒ぎをやる場所で着るドレスだぞ。そんな売春婦みたいな格好して、お前はそんなに男に飢えてるのか」
「ひーん! だって、なるべく色っぽい方がこれぞ大人の女って感じでいいじゃないッスかあ……」
また背中が大きく開け、胸元も開けたドレスを持ってきたヘルマにクラウスに説教されている。
「お前が大人を語るのはもう5年は早い。それにその残念な体で色っぽいドレスを着てもドレスが浮くだけだ。馬鹿に見えるし、いらんところが見えるぞ」
ヘルマは書類を弄って15歳ということで植民地軍に入隊しているが、実年齢は12歳だった。あれから2年あまりの時が過ぎたが、ヘルマはまだ14歳であり、大人を語るにはまだ時間が必要だ。
それにヘルマの選んだ胸の開けたドレスは、ある程度胸のある人間に向けたものであり、平坦なヘルマが着るとベロンと捲れてしまう恐れがあった。
「お前に合ってるのはこういうのだな。堅苦しくなくて、最近の流行にも沿ったものだ。色的にもいいだろう」
そう告げてクラウスが選んだのは真紅のワンピースドレスだった。コルセットが緩めという最近の流行を取り入れたものであり、布地が覆う面積は活動的なヘルマに程よく、出過ぎず、隠し過ぎずといった具合だ。
「こういうのがあたしに似合うドレスッスか? もうちょっとこう露出があった方が兄貴の視線を引けるような……」
「文句言うなら買ってやらんぞ」
ヘルマがクラウスの選んだドレスをしげしげと見て、ブツブツと呟くのにクラウスが一言。
「うへえ! じゃあ、これにするッス! あたしが買ってもらった服の中で一番上等な奴ですよう! 何かあったらこれを着て、あたしが兄貴のお気に入りだってことを示すッス!」
ヘルマはコロリと態度を変え、ウキウキとドレスを試着室に持っていった。
「次にローゼ。何だって、お前はそんなに地味なのばかり選ぶ。俺たちは葬式に行くんじゃないんだぞ。これから会う人間は俺たちに金を出してくれるだろう重要な人間だ。そんな人間に、そんな地味なドレスを着ていったら、金がないと思われて信用されないだろう」
「そうは言われても、貧乏なのは当たってるから……」
クラウスが次はローゼの方を向いて告げるのに、ローゼは手にドレスを持ったままクラウスにそう告げる。
ローゼの手には古式然としたきついコルセットで腰を締め上げ、色合いも刺繍もパッとしないドレスがある。恐らくは自分に似合うかどうかよりも、値段で選んでいるのだろう。
「金なら俺が出す。この店で一番の奴を選べ。そうだな──」
クラウスはそんなローゼの細い手を掴み、店の奥に進む。
「フム。これなんて上等じゃないか」
クラウスが見つけたドレスは、先ほどヘルマに買ってやったようなコルセットの緩いモデルで、銀糸の詩集が上品に施された鮮やかな藍色のドレスだった。コルセットはないが、布地全体が起伏しており、着る者の体のラインを浮かび上がらせるだろう。
「これを着せるつもり? いくらなんでも私にこれは似合わない」
「いや。似合う。着てみればわかることだ。試着してこい」
ローゼが地味なドレスを盾に首を横に振るのに、クラウスはトルソーから藍色のドレスを分捕り、ローゼの手の中の地味なドレスと交換してしまった。
「一応着るけど、似合わなかったからと言って笑わないでね」
はあとひとつ溜息を吐き、ローゼは藍色のドレスを手に試着室に向かう。
「兄貴! 兄貴! どうッスか!?」
ローゼが渋々と試着室に向かった頃、先に試着室に向かっていたヘルマが戻ってきた。
「似合ってるぞ。男どももびっくりすることだろう」
ヘルマは軍服を着ていると中性的な少年のように見えるが、このドレスを纏っているヘルマはそうではない。ちゃんと女性だと分かるように体の柔らかなラインが浮かび上がり、彼女を真紅の色が飾り立てている。
まあ、色気こそさしてないものの、礼服としては十分だ。
「兄貴に選んでもらった服ッスからね。大事に着るッス!」
ヘルマはまだサイズ合わせをしておらず、ややぶかぶかしたドレスの裾をふわりと浮かべて、ニマニマと笑った。
「着てきたわよ」
と、ヘルマが自分のドレスを披露していたとき、ローゼが戻ってきた。
「おお! すげーっス! 貴族様みたいッスね!」
あの藍色のドレスは見事にローゼの魅力を引き出していた。
あの柔らかな布地はローゼの体のライン──ヘルマとは違って、かなり女性的だ──をなぞり、落ち着いた銀糸の刺繍はローゼ本来の美貌を妨害することなく、品格を上げる。そして、全体を覆う鮮やかな藍色は、ローゼのプラチナブロンドの髪を引き立て、彼女をハッキリと浮かび上がらせていた。
「貴族様みたいというより、貴族なんだけれど。それにしてもおかしなところはない?」
「あたしが見る限りなしッスね。クウッ、体が成長してるのが羨ましいッス!」
ローゼが尋ねるのに、ヘルマが悔しそうに拳を握りしめてそう返す。あれだけのプロポーションがあれば、自分だってあのドレスを着ることができるだろうにととても悔し気だ。
「悪くないな。見立て通りだ。似合っている」
「そうかしら?」
クラウスが告げるのに、ローゼは改めて自分の姿を見る。
思ったより悪くはない。体のラインが出過ぎているのが気になるが、鮮やかな藍色が爽やかさを演出しているために、売春婦のように自分の体を売り物にするようなことにはなっていない。
「なら、あなたが選んでくれたのだから、これにする。思ったよりもいいものを得られたみたいだし」
「決まりだな」
ローゼは最後に一度鏡を見てそう告げ、クラウスは服屋の店員にこのドレスそのものの値段とサイズ合わせのための紙幣を手渡した。
「それにしてもあなたってこういうことにも慣れてるのね。ちょっと意外。普通、男っていうのは女性の買い物は傍観を決め込むか、逃げるかだと思っていたのだけれど」
「餓鬼の頃、パトリシアの買い物に散々付き合わされたからな。それで慣れた」
ローゼが意外そうに告げるのに、クラウスは肩を竦めた。
クラウスは幼馴染であるパトリシアの買い物に散々付き合わされており、どのようなドレスがどのような女性に似合うかを教え込まれていた。それ以前のクラウスはローゼの告げるように女性の買い物に忌避感を示す人物だったが、今やすっかり慣れきっていた。
「パトリシア、ね。南方植民地総督の娘とはそれなり以上に親しいの?」
「腐れ縁だな。両親が打算で付き合い始めたのがきっかけで、向こうが懐いたものだから、そのまま交流が続いている」
僅かに目を細めてローゼが尋ねるのに、クラウスはそう返した。
「その子のこと、あなたはどう思ってるの?」
「妹みたいなものだ。それ以上でも、それ以下でもない」
ローゼが続けざまに尋ねるのに、クラウスは肩を竦めた。
「そう。なら、いいけれど」
「何がいいんだ?」
ローゼが告げた言葉に、クラウスが怪訝そうに尋ねる。
「あなたを狙っているのはひとりじゃないってこと。それだけ」
ローゼはそうとだけ告げると、服屋の店員にドレスのサイズ合わせを頼みに言ったのだった。
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