共同戦線か、否か
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──共同戦線か、否か
王国植民地軍によるチャナッカレ上陸作戦は、クラウスたちヴェアヴォルフ戦闘団と共和国海軍並びに共和国植民地軍の手によって阻止された。
王国海軍はこの上陸作戦において甚大な損害を被り、王国地中海艦隊の拠点のひとつであるアレクサンドリアに後退した。旧式とは言えど戦艦5隻が失われた衝撃は大きく、王国海軍地中海艦隊はこれ以上動く様子を見せない。そう、共和国植民地省市民協力局の情報要員は報告していた。
ならば、残るは王国に奪われたアナトリア地域を奪還することだ。
共和国植民地軍はアナトリア西部の都市ドリュラエウムにまで前進した。ドリュラエウムは豹人種が築いた都市で、共和国に併合されてからは共和国がエーテリウム輸送のための中継地点として発展させてきた。
都市には真新しい植民地様式の建築物が存在し、通りはエーテリウムを輸送するトラックを走らせるために舗装された道路が走っている。
肝心の豹人種は姿が見えない。
彼らは共和国の植民地支配の悪評を聞いて逃げ出したか、共和国に捕らえられて、エーテリウム鉱山での労働を強いられているか、この都市を作るための奴隷として使われていた。普通に生き延びた豹人種はここには存在しない。
だが、世界の誰もそんなことは気にしない。
王国がドリュラエウムを支配したならば、入植者たちが豹人種たちを追い払っただろう。帝国が支配したとしても入植者として送り込まれた政治犯たちが、豹人種たちを駆逐してしまっただろう。
「久しぶりじゃのう、キンスキー中佐」
そんなドリュラエウムに設置された市庁舎──共和国が設置したものだ──で、クラウスたちを待っている人物がいた。
真っ白なドレスに、扇子をパタパタと扇いでいる人物。
「これはお久しぶりです、エカチェリーナ殿下。またお会いできて光栄です」
そう、帝国第3皇女であるエカチェリーナ・ロマノフだ。
彼女と数名の帝国植民地軍の将校たちが、エカチェリーナと共にこの市庁舎にいた。今回の第二次アナトリア戦争においてはまだ共和国と帝国は敵対関係にない。
「また戦争じゃのう。嘆かわしい限りじゃ。王国がここまで無謀なことをするとは思わなかったの。アナトリア分割協定には抑止力があるものだとばかり思っていたが、存外呆気なく破られてしまったの」
「全くです。王国も無謀なことをしました」
エカチェリーナがやるせないという具合に首を竦めるのに、クラウスがそう告げた。
「そうじゃの。王国は昔から昔から無茶をするとは思ったが、ここまでのことをやるとは思わなんだ。まあ、無茶苦茶をしてきたのは、お前たちも同じことじゃろうがの、キンスキー中佐?」
「我々は節度ある無茶をしているだけですよ、殿下。ここまでの無茶をすることはしません。ましてや国家そのものが無茶をするというのはありえないことですよ」
エカチェリーナが皮肉気に告げ、クラウスは心外だという表情を浮かべる。
だが、クラウスが王国並みに無茶をしてきたことは事実だ。第一次アナトリア戦争で停戦協定を破って実効支配を行い、ミスライム危機では王国の大動脈である大運河を強襲し、ジャザーイル事件においては帝国の戦艦を撃沈した。
どれも世界大戦に繋がりかねないことだ。今、王国がアナトリア分割協定を破棄して、戦争を再発させたことと同じように、それは国際的な緊張を大きく高める事件だった。
だが、植民地軍の一部隊が暴走して行った事件と、国家が本気になって行った事件を比較すれば、おかしいのは後者であることは分かるだろう。
「まあ、そういうことにしておいてやろうかの。問題はこれからじゃ」
エカチェリーナはパタンと扇を閉じると、ぴょんと市庁舎に置いてある椅子に飛び乗った。クラウスたちや、帝国植民地軍の将校たちも、エカチェリーナが着席すると、同じようにして椅子に腰かけた。
「さて、問題はこれからどのように動くかじゃ。幸いにして今回も帝国と共和国は同盟国である。これからどのように動くかを、妾たちは決めなくてはならない」
前回の第一次アナトリア戦争では、共和国と帝国は同盟関係だった。
だが、エカチェリーナが告げるように今回の第二次アナトリア戦争では、共和国と帝国が同盟関係と言えるかどうかは、正直なところ不透明なところだった。
「我々は共同戦線を張ることを求めますが、受け入れていただけるでしょうか?」
「妾としては認めたいのだが、少々事情が込み入っていてな」
クラウスが告げるのに、エカチェリーナが渋い表情で自分に同行してきた帝国植民地軍の将校たちに視線を向ける。
「我々はそう簡単には共同戦線は張れません。王国の狙いは前回とはことなっている。王国の狙いは我々ではなく、共和国──あなた方に奪われたアナトリアの領域を奪い返すことにある」
帝国植民地軍の将校はクラウスに向けてそう告げる。
「脅威に晒されているのは我々もあなた方も同じでしょう。王国は我々だけではなく、帝国の支配している地域も狙っている。だから、王国は帝国の足止めを中央アジアで行っていたのでしょう?」
「確かに我々の領域も王国は狙っているが、僅かなものだ」
クラウスが告げるのに、帝国植民地軍の将校がそう告げて返した。
事実、王国が帝国のアナトリア地域における支配領域を奪ったのは、僅かな規模である。帝国植民地軍が有している3割の支配領域を王国はそこまで必死になって奪おうとはしていないようだった。
「だが、これからどう戦局が動くかは分かりませんよ。王国は我々共和国を撃破したら、次は帝国を狙いかもしれない。つまりは各個撃破を狙って、王国が行動している可能性はあるというものです」
クラウスは帝国植民地軍の将校を諭すような口調でそう告げた。
「だが、今狙われているのは共和国だ。共和国を助けるために、帝国の将兵が血を流すというのは考えられない。そのようなことは帝国臣民も、皇帝陛下も、そのようなことはお認めにならないだろう」
それでも帝国植民地軍の将校は共同戦線を否定する。
「先のことを考えぬのじゃな。短絡的じゃぞ。長期的な視野を持たねば、どのような戦争にも勝利することはできぬというものじゃ」
エカチェリーナは呆れたような表情でそう告げた。
「短絡的ではありません。帝国の将来のために必要なことをしているだけです。アナトリアは確かに帝国にとって重要な場所。それを守るためには、不必要なリスクは冒したくはないのです」
帝国としては共和国と王国の戦争に下手に首を突っ込んで、自分たちが大きく巻き添えを食うというのは避けたいところだった。それは帝国にとって全くの利にならない行為なのだから。
「危険は確かに存在するじゃろう。だが、この戦争が勃発した段階で危険は存在しているのじゃ。その危険を最小限に抑えることが、真の帝国と皇帝陛下への忠誠というものではないのかの?」
「危険を押さえるために共和国との同盟を軽はずみには決められないということです」
エカチェリーナが告げるのに、帝国植民地軍の将校がそう返した。
「ふうむ。分からぬ奴じゃの。共和国と同盟するならば、妾たちは力強い援軍を得る。王国が攻撃を仕掛けてきたとしても、立ち向かえるだけの力がな。共和国と協力することのデメリットとメリットを比較すれば、後者が大きいのではないかの?」
エカチェリーナは納得できないという風に、帝国植民地軍の将校にそう告げる。
「しかし、それは……」
「共和国は全力で戦います。共和国植民地軍は帝国がアナトリア分割協定で保障された地帯を奪還するために力をお貸しするでしょう」
言葉を濁らせる帝国植民地軍の将校を前に、クラウスがそう告げる。
「妾たちは王国にそのまま領地を明け渡すことはない。何としてもアナトリア分割協定で保障された地域を守るために、全力を挙げるじゃろう。それには共和国との同盟というものも含まれていると考えていい」
エカチェリーナは畳みかけるようにそのようなことを口にする。
「……限定的な同盟を結びましょう。我々が自分たちの領域を奪還するまでの同盟関係です。そちらのことについてはそちらで責任を取って貰いたい。そもそも戦争の発端は、そちらが当初結ばれていたアナトリア分割協定を無視して実行支配を拡大したことにある」
帝国植民地軍の将校は不愛想にそう告げた。
「それで結構です。そちらは帝国本土側から攻撃を、我々は共和国本土側からの攻撃を。これによって王国を挟み撃ちにしましょう。さしもの王国も二正面作戦を行えるだけの戦力はないはずです。何せ既に4個師団を喪失していますからね」
帝国植民地軍の将校の言葉にクラウスが微笑む。
「そうじゃったの。上陸作戦を行おうとした王国植民地軍は殲滅されたのであったな。それも貴官たちの活躍じゃろう?」
クラウスがそう告げたのに、エカチェリーナが怪しく微笑む。
「数においては全くの劣勢で、戦局を引っくり返したのはこれで何度めじゃ? このような部隊が同盟国になるというのは心強いぞ」
「全ては共和国植民地軍が一体となったことの結果ですよ」
エカチェリーナがクスクスと笑ってそう告げるのに、クラウスがいつもの模範的な士官づらをしてそう告げる。
確かに上陸作戦を阻止できたのは共和国植民地軍が、そして共和国海軍が協力した結果だ。潜水艦が戦艦を撃沈していなければ。今頃はまだ地点ベルタで戦っていたかもしれない。
だが、勝利できたのは自分たちのおかげだとクラウスは思っている。あの状況で機動打撃力として働き、上陸してきた王国植民地軍に一撃を加えた自分たちがいたからこそあの状況で勝利できたのだと。
「それでは我々の二度目の共同戦線を祝うとしよう。もっとも戦争になったのは残念なことであるがな」
エカチェリーナはそう告げて、椅子から立ち上がった。帝国植民地軍の将校たちも立ち上がり、エカチェリーナと共に退席する。
「さて、と。これで王国は共和国本国側からと帝国本国側からの二正面作戦を強いられることになる。実に結構なことだ。王国の連中は長期戦になれば、確実に不利になるわけだからな」
「そうね。でも、帝国植民地軍の将校たちはあまり同盟に賛成しているようじゃなかったわよ?」
クラウスが大きく伸びをして告げるのに、ローゼがそう尋ねた。
「そりゃそうだろさ。この間までは連中と戦争をしていたんだぞ。アーバーダーンを強襲して、帝国海軍バーラト海艦隊を撃滅したのは俺たちだ。恨まれもするだろう」
帝国はこの第二次アナトリア戦争において王国という共通の敵ができたからこそ共和国と同盟しているが、共和国と関係か改善したわけではない。共和国植民地軍はジャザーイル事件から始まる一連の戦争で帝国に大打撃を与えており、そのことを恨んでいる帝国の人間は少なくないのだ。
「それでも同盟できたってことは喜ぶべきかしら?」
「あまり喜べぬぞ、レンネンカンプ大尉」
ローゼが首を傾げて問うのに、不意に少女の声が響いた。
「これは殿下。一体どこから?」
「窓からじゃ。この市庁舎の窓は高いところにあるから大変じゃったぞ」
現れたのは退席したはずのエカチェリーナだった。彼女がいつの間にか市庁舎の中に戻ってきていた。今度は帝国植民地軍の将校たちはなしで。
「さて、帝国と共和国は再び同盟したわけじゃが、外交関係はあまり進展にしておらぬ。メディアの共同開発やらも進めておるのに、帝国上層部は未だに王国を同盟国に選ぶべきじゃと思っておる」
「今回の戦争で帝国の意見も変わるかと思ったのですが」
エカチェリーナがそう告げるのに、クラウスが肩を竦めた。
「そこが王国の上手いところじゃよ。連中は帝国の支配領域にはさして手を出していない。帝国がアナトリア分割協定で受け取った地帯には巧妙には手を出さんのじゃ。そうであるが故に、帝国上層部はアナトリア分割協定が破棄されたというのに、そこまで怒りを覚えてはおらぬのじゃよ」
王国が攻撃しているのはほぼ共和国の支配領域だ。ベヤズ霊山を初めとする共和国にとって重要な場所を奪い、帝国の方にはあまり手を出していない。
その巧妙な目標選択によって帝国が王国の暴挙を半ば他人事のように見ており、彼らの蛮行に怒りを示すこともなかった。
「それで帝国上層部は未だに王国派は優勢なのですね」
「その通りじゃ。連中は直近で起きている中央アジアでの戦争や今回の第二次アナトリア戦争のことは知らぬ存ぜぬで、共和国と戦った30年前の戦争の方をひたすらに気にしている。そのせいか共和国との戦争だけには怒りを示すという偏り振りじゃよ」
帝国上層部は王国と同盟を結ぶべきだという王国派が数において優勢であり、エカチェリーナの派閥である共和国派の貴族たちはそこまで優勢ではなかった。
そして、エカチェリーナが目指す立憲君主制への移行を支持する貴族たちも、やはりまた少数であった。
「どうにかなると思いますか? 我々が来たるべき世界大戦において帝国と同盟を結ぶという点においての障害を排除することが」
「分からぬ。帝国上層部の頭の固さは魔装騎士の装甲並みじゃ。強力な砲弾を叩き込んでやらぬことには意見を曲げぬじゃろうて」
クラウスが尋ねるのに、エカチェリーナが苛立たった様子で答える。
「それは困りましたね。我々としては帝国と同盟したいと思っているのですが。だから前回の戦争もメディアの共同開発権で手を打ったというのに」
「おや? 一介の植民地軍士官が外交交渉に口出ししたのかの?」
クラウスの言葉に、エカチェリーナが意地悪そうに笑って告げた。
「正確には手を打ったのは自分の友人ですよ。外交に影響力を発揮しても問題のない人物です。その人物がメディアの共同開発権が手に入れば、あの不毛な戦争は終わりにしていいと考えたのです」
「それはロートシルトではないじゃろうな?」
クラウスがそう告げるのに、エカチェリーナが目を僅かに鋭くして尋ねる。
「ロートシルトは帝国を脅かした。今もどう思っているのかは分からぬ。あの財閥の総帥は代々、帝国の皇帝たちを憎んできたからの。30年前の革命戦争においてもロートシルトは皇帝を断頭台に送ることを望んだ」
「30年前の話でしょう。今は違いますよ」
エカチェリーナが告げ、クラウスは宥めるようにそう返した。
「分からぬよ、キンスキー中佐。正直なところロートシルトだけは、その思惑が謎のままじゃ。妾の目指す立憲君主制に納得するのか、共和国と同じように皇室をひとり残らず断頭台に送ることを望むのか。妾は30年も昔のことは気にしないつもりじゃが、現在においても30年前と同じ思想で動いているものは警戒せざるを得ないのじゃ」
ロートシルト財閥は、その総帥であるレナーテは、帝国の専制君主制を忌み嫌い、それを象徴する皇帝たちを憎んでいる。彼女は良くも悪くも共和国の人間であり、特に急進的な共和主義者なのだ。
故にエカチェリーナもロートシルト財閥を警戒せざるを得なかった。エカチェリーナが目指す立憲君主制では皇帝は政治的な象徴として残ることになっている。ロートシルト財閥が目指したような完全な共和主義──皇族を皆殺しにする──とは決定的な差が存在しているのだ。
「キンスキー中佐。帝国と手を結びたいのならばロートシルトとは距離を置くことじゃ。帝国上層部は妾以上にロートシルトを警戒している。そんなロートシルトとつるんでいては同盟など夢もまた夢じゃよ」
「肝に銘じておきます、殿下」
エカチェリーナが告げるのに、クラウスは頷いた。
「では、そろそろ失礼するかの。パトリシア嬢によろしく伝えておいてくれ。この戦争が終わればまた会う機会があるじゃろうからの。それではの」
エカチェリーナは最後にそう告げると、クラウスにヒラヒラと手を振って、市庁舎から出ていった。
「ロートシルトと距離を取るって本気?」
「まさか。俺たちが儲けているのはロートシルトとの関係があるからだぞ。今更ロートシルトを裏切っても、俺たちには何の恩恵もない」
エカチェリーナが出ていくのを確認してからローゼが尋ねるのに、クラウスは小さく頭を振ってそう告げた。
「でも、世界大戦では帝国を味方にしておきたいんでしょう?」
「世界大戦のことを考えるのは俺たちの仕事じゃない。本国のお偉方が考えることだ。ただの植民地軍の一部隊がどうこうしたところで、同盟が結べるわけがないだろう。そんなに外交が簡単だったら外務省なんてのは必要なくなる」
確かにクラウスのヴェアヴォルフ戦闘団は一介の植民地軍部隊に過ぎない。彼らがロートシルト財閥とどのような距離の関係にあろうとも、帝国との外交関係にそこまで大きな影響を与えられるとは思えなかった。
「そう。なら、いいけれど。どうせ世界大戦なんてまだ先の話よね」
「そういうことを言っていると、ボンと炸裂するものだ」
クラウスとローゼはそう告げて市庁舎を出た。
共和国と帝国が第二次アナトリア戦争において“限定的”な同盟を結んだことが公表されたのはこれから6時間後のことで、列強たちはアナトリアを舞台に蠢き始めた。
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