チャナッカレの戦い
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──チャナッカレの戦い
クラウスたちヴェアヴォルフ戦闘団は共和国本国からアナトリア地域に向かっている。
共和国本国とアナトリア地域を妨げるのは海峡。
ボスポラス・ダーダネルス海峡。
帝国黒海艦隊を封じ込めているこの海峡こそが、共和国本国の領域とアナトリア地域を分けていた。僅かにひとつの海峡が文明と野蛮の境界線を成していた。
「王国が海峡を奪取しようとしている?」
『そうだ。王国の大規模な海軍部隊が動員された。連中は海峡を目指している』
クラウスがそう尋ねる相手はノーマンだ。
「王国の連中が、本気で共和国の緩衝地帯に口出しすると思うのか? 海峡に手を出すってのは、世界大戦すら辞しませんってことになるぞ」
クラウスが有線通信先のノーマンにそう尋ねる。
クラウスたちは現在、共和国本国からアナトリア地域に向かう船を待って、ダーダネルス海峡の対岸に待機していた。今はこの海峡は共和国本国から植民地軍を送り込むための船が列になっており、いつになったら向こう側に渡れるか分からない状態だった。
クラウスのヴェアヴォルフ戦闘団も足止めを食らい、海峡の共和国本国側で待機している。クラウスが有線通信を行っているのは、海峡にある通信所のひとつで、明らかに王国に盗聴されていることを覚悟して使わなければならなければならない場所だった。
『どこかの誰かさんが王国の大動脈の緩衝地帯を脅かしたからな。向こう側もやるならやりやがれ、ってところなんだろうさ』
「クソッタレ。ルール違反のつけは支払わらせるってことか」
クラウスたちは以前のミスライム危機において、王国の大動脈である大運河の緩衝地帯たるアナトリア南部とミスライム東部を共に脅かした。それでもそれによって世界大戦は勃発しなかった。
そのことで、王国は世界大戦のハードルは高くなったと判断したようだ。互いの緩衝地帯ぐらいならば侵犯しても、世界大戦は勃発しない、という具合に。
最初にルール違反を始めたのはクラウスたちだ。王国はやり返しているに過ぎない。ただ世界大戦の勃発を考えるならばあまりにも無思慮だろうが。方やただの植民地軍の一つに過ぎず、方や責任ある大国なのだから。
『で、どうするつもりだ?』
「海峡を襲撃されるとこちらの部隊の移動に支障が生じる。今度は共和国植民地軍は本国経由で部隊をアナトリアに送り込むつもりのようだからな。よって、海峡への上陸は何としても阻止する」
ノーマンが尋ねるのに、クラウスがそう返した。
「ノーマン。お前は暗号化されたエーテル通信で司令部に事態を知らせてくれ。上陸が行われるだろうと予想される日時と上陸予定地点、上陸してくる部隊の規模について可能な限り具体的な情報を」
『了解、大将。そっちの司令部に報告しておく。幸運を』
そして、クラウスが頼むのに、ノーマンが了承して通信は終了した。
クラウスは受話器を置き、後方で列を作って待っている家族や友人との連絡を望む兵士たちに通信機を代わってやった。兵士たちはこれから戦場に向かうのに、自分のことを家族と友人たちに伝えたがっている。
「彼、なんだって?」
クラウスがそんな列を掻き分けて戻ると、ローゼがジープで待っていた。
「王国の連中は海峡を襲撃するつもりだと。俺たちはそれを阻止するために動くことになるぞ。今の状況で海峡を塞がれるのは不味い」
「海峡を? 王国は共和国の緩衝地帯を脅かしても平気ってこと?」
クラウスが尋ねるのに、ローゼが意外そうな顔をした。
「俺たちが先に連中の緩衝地帯を脅かしたのが原因だそうだ。まあ、納得と言えば、納得できる話だが。連中もとうとう世界大戦へ突っ走る崖っぷちレースに挑むのが平気になってきたようだな」
ローゼの言葉に、クラウスは呆れたようにそう言いながらエンジンを入れる。
「どっちもどっちというわけね」
「どっちもどっちというわけだ。さて、司令部に向かうぞ。司令部とて、大人しく王国の連中が上陸してくるのを待ってはいまいさ」
ローゼとクラウスはそう言葉を交わし、まずは彼らが司令部を設置しているダーダネルス海峡の共和国本国側の民家に向けて車を走らせた。
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「諸君。海峡が危機に晒されている」
共和国植民地軍において共和国本国側から派遣される戦力を束ねたものは、共和国植民地軍第7軍と呼称された。戦力は6個師団。トランスファール共和国から派遣された部隊や、他の共和国植民地から派遣された部隊で構成されている。
実戦経験豊富とは言い難い部隊も混ざっているが、共和国植民地軍としてはそれなりの戦力を集めたと考えて間違いない。
「海峡を狙って王国が攻め込む可能性が出てきた。狙いはこのダーダネルス海峡だ。彼らは海峡のアナトリア側を狙って攻撃を仕掛けるつもりだ」
第7軍の司令官はジークムント・フォン・ザンデルス大将。トランスファール共和国生まれの老齢の軍人であり、第一次アナトリア戦争でも共和国植民地軍の指揮を執っていた。あれだけ敗北寸前だった共和国植民地軍を、クラウスたちヴェアヴォルフ戦闘団の活躍があったとは言えど巻き返したのだから、実力を備えた将官だ。
「我々は全力を挙げて王国が海峡に上陸することを阻止する。全力だ。全力の中には海峡における本国側の要塞を使用することも含まれている」
ジークムントが告げた言葉に、第7軍の指揮官たちがざわめいた。
「本国側の要塞には要塞砲が存在する。連中が上陸しようとするならば、それを使って艦艇を撃沈することも辞さない。我々はアナトリアを守るために、なんとしても上陸を阻止することが必要となるのだ」
ジークムントはかなり攻撃的な指揮官らしく、防衛戦闘においても、かなりの無茶をするようであった。
海峡の共和国本国側には、海峡防衛のための要塞が存在している。それは帝国海軍が海峡を強行突破することを防ぐためのものであり、王国が共和国本国を脅かすのを防ぐためのものであった。
だが、その本国側の要塞を使用するということは、敵に本国への攻撃を容認することを意味する。敵も要塞から一方的に殴られるのはよしとしないだろう。必ず反撃するはずだ。共和国本国から攻撃されたならば、共和国本国に対して。
このことからジークムントがかなり攻撃的な指揮官だと分かる。彼は植民地戦争において本国を巻き込むことも辞さず、どうあってもアナトリア地域における共和国の利権を守るつもりなのだ。
「更に海軍が機雷を敷設する。既に共和国海軍地中海艦隊の駆逐艦が海峡周辺に機雷を撒いている。王国が無策に機雷源に突っ込むならば、そこは笑うところだろうな」
ジークムントはそう告げて小さく笑った。
「よく海軍が動きましたね。海軍は植民地戦争では動かないものだとばかり」
そこでクラウスが意外そうにそう告げた。
海軍はこれまで植民地戦争において己の役割を果たしてこなかった。ミスライム危機においては共和国植民地軍を支援せず、ジャザーイル事件においては帝国海軍の戦艦がアンファに入港するのをそのまま見過ごした。
「その点はロイター提督が力になった。彼が力強く共和国本国政府に対して働きかけ、海軍を動員することを可能にしてくれた。感謝するならば、ロイター提督に感謝せねばならないだろう」
だが、今回は話が違う。
あの共和国本国軍の右派の軍人たちを纏めるラードルフ・ロイター提督が海軍を動員することを共和国本国政府に認めさせた。
彼の働きかけによって海軍は地中海艦隊の一部を動員することを認め、機雷を敷設するために防護巡洋艦2隻と駆逐艦8隻を派遣した。今頃は派遣された地中海艦隊の艦艇が、海峡の付近に機雷を敷設していることだろう。
「ロイター提督が。なるほど、そうでしたか」
クラウスとしてはラードルフがあまり動き回るのは望ましいことではない。クラウスは多少の世界大戦のリスクは恐れないが、ラードルフは世界大戦をするつもりなのだ。両者の間には決定的な差がある。
「では、防衛計画について伝える」
クラウスの質問が終わるとジークムントが改めて作戦の確認を始めた。
「防衛計画は水際防衛だ。予想される上陸地点に強固な野戦陣地を築城し、そこで王国を迎え撃つ。この手の上陸作戦は防衛側に利があるのは、相手は何の遮蔽物もない海から兵士を送らなければならないのに対して、防衛側は陸地であらゆる防護手段を行使しておくことができるからだ。その利を活かす」
ジークムントの防衛計画は水際防衛戦。
相手が上陸するところを、その上陸する時点で叩く。そのような計画だ。
海上から上陸する際の兵士たちはジークムントが告げるように脆弱だ。彼らは何の遮蔽物もない場所から、敵に向けて進まなければならないのだから。
もっとも水際防衛も万能ではない。敵も水際防衛が行われることに備えて、そして自分たちの兵士が脆弱なことを理解して、あらゆる手を尽くす。
上陸地点を偽装すること。激しい艦砲射撃で敵に反撃を行わせないこと。そういったことで水際防衛の利を無力化しようと努力するのだ。
「上陸地点は予想できたのですか?」
ここで第7軍の指揮官のひとりがそう尋ねた。
「ある程度はな。このダーダネルス海峡のアナトリア側──チャナッカレで、上陸可能な地点は限られている。3ヶ所だ。他は上陸自体は不可能ではなくとも、後続の部隊を進ませて橋頭保を確保することが困難であったり、物資の揚陸が不可能であったりと、上陸には適さない」
ジークムントは指揮官の問いにそう返した。
市民協力局で王国植民地軍の動きを見張っているノーマンからの報告もあるだろうが、軍事的にもチャナッカレにおいて上陸可能な場所は限定されていた。
それは僅かに3ヶ所。それを守り抜きさえすれば、王国は海峡を奪取することを諦めなければならなくなる。
「さて、全力で防衛に当たると言ったばかりで申し訳ないのだが、我々6個師団の中で防衛任務に当てることができるのは3個師団だけだ。残りの3個師団は、王国がアナトリアを進撃してくるのを阻止するために投じなければならない。王国は既にアナトリアのほ全域を支配せんばかりの勢いであり、この海峡も陸路から攻略されかねない状況にあるのだ」
と、僅かに申し訳なさそうにジークムントはそう告げた。
アナトリア地域で不意打ちを仕掛けた王国は共和国と帝国の両方を打ち破り、破竹の勢いで進軍していた。共和国は海峡とサウードにむけて追いやられ、このダーダネルス海峡も陸路からの王国の脅威に晒されているのが現状だった。
故にそれを阻止するための部隊として3個師団は海峡の向こうで戦わせなければならない。そうしなければ、この海峡への上陸を阻止できたとしても、何の意味もなくなってしまう。
「閣下。我々はどう動くべきでしょうか? 我々は陸路での王国の進撃阻止に?」
クラウスがジークムントに向けて、そう尋ねる。
「いや。実を言うと、君たちの部隊は動かすなと共和国本国からお達しが来ているのだ。今回の第二次アナトリア戦争が勃発した要因は、君たちが無策に停戦協定後も実効支配地域を拡大し、大運河の緩衝地帯を脅かしたからだと」
「またですか」
クラウスの問いにジークムントが険しい表情でそう告げた。
メディアにおいてアーバーダーン要塞を攻略しようとした際にも、司令部は共和国本国政府から圧力を受けて、クラウスたちの投入を渋った。そして、共和国本国政府は懲りずにまたクラウスたちを投じるなという圧力を掛けている。
クラウスは呆れ果てたような気分で、ジークムントの言葉を聞いた。
「だが、私はそんなことは知ったことではないと考えている。君たちほど実力のある部隊を、投入しないなど指揮官としては愚鈍すぎる決断だ。私は共和国本国政府が何を言おうとも、君たちを投入する」
ジークムントはそう告げて、ニッと笑った。
「では、我々は?」
「君たちは上陸阻止任務に当てたい。君たちだけは水際防衛のための張り付け部隊ではなく、機動部隊として活用するつもりだ。敵の上陸部隊の動きに応じて、君たちを投入する地点を決定する。まあ、植民地軍司令官直轄である、君たちが私の意見に賛同してくれるのであれば、だが」
クラウスも小さく笑って尋ねるのに、ジークムントが肩を竦めて尋ねた。
「もちろん同意します、閣下。それが最適な我々の運用方法です」
クラウスとしてもジークムントの告げるヴェアヴォルフ戦闘団の運用方法に異論はなかった。魔装騎士だけで構成されたクラウスの部隊がもっとも効率的に威力が発揮できるのは、その機動力を活かしてこそだ。
「結構。ならば、作戦は決まりだ。具体的な配備については参謀長が説明する。我らが共和国と全ての人民に栄光あれ」
ジークムントはそう告げて、自分の話を終えた。
王国地中海艦隊の主力艦5隻と駆逐艦複数、そして輸送船団からなる上陸部隊が出撃したという知らせが入ったのはこれから2日後であり、ダーダネルス海峡はチャナッカレにおいて上陸作戦が始まったのは4日後のことだった。
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