作られた英雄
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──作られた英雄
王国がトランスファール共和国を不当な手段で奪取しようとしていたことは、関係者である王国植民地軍の兵士たちの口から明らかになった。
共和国市民と入植者たちは激昂した。彼らが野蛮な植民地人を使って何の罪もない鉱山労働者や植民地軍の兵士を殺したことに怒り、彼らの大地が狙われていることに怒った。
王国側は一切の関与を否定。植民地人の反乱は自主的なものであり、王国は一切関与していない。そして、独立を宣言したコーサ共和国の正当な支援要請があったから自分たちは越境した。そこに植民地拡大を狙う下心などは、一切存在しないと、王国政府首相は議会で証言した。
王国のそんな反応に共和国の怒りは強まったが、それを打ち消すような心躍るニュースも入ってきていた。
それは植民地軍司令官直下部隊であるヴェアヴォルフ戦闘団が“3個大隊”の魔装騎士を、圧倒的な数の不利があるにもかかわらず撃破し、後に続いただろう侵略を阻止したというニュースだ。
娯楽と言えば女と寝るか、酒を飲むか、薬物をキメるか、あるいは賭博をするかしかない退廃的な植民地に、このニュースは大きく響いた。
「クラウス・キンスキー植民地軍中尉は巧みな指揮と自ら陣頭に立つ勇気により、王国の陰謀を粉砕した。このような人物が植民地軍に存在するならば、我々の植民地は安寧のときを過ごすことができるだろう」
各メディアはそう報じ、王国も負けたのは相手の指揮官があまりに優れていたためだという責任転嫁のようにクラウスを称賛し、遠く離れた帝国でもクラウスの話題は持ち込まれた。
クラウスはたった一度の戦闘で有名人になった。
彼には第2級鉄十字勲章が授けられ、加えて大尉へと昇進した。これは彼が士官候補生から少尉になって僅かに数ヶ月のことである。
クラウスは話題に飢えているメディアの格好の標的となり、クラウスは名家の息子として紳士的にメディアに応じ、自分の活躍はもとより、ヴェアヴォルフ戦闘団の他の将兵たちの戦功にも目を向けてほしいと謙虚な態度で取材に応じた。
メディアの報道は加熱し、クラウスは英雄として祭り上げられ、その名を知らぬものなどトランスファール共和国には存在しないまでになった。
「でも、いいんッスか、兄貴。戦果を水増ししたりして」
「構わん。どうせ3個大隊で攻め込まれても、十二分に対応できるだけの状態にあったんだからな」
ヴェアヴォルフ戦闘団の執務室でヘルマがクラウスについて報じる新聞を読みながら告げるのに、クラウスは傲慢の滲む表情でそう返した。
実際に、クラウスは王国植民地軍の派遣してくる兵力を3個大隊前後と想定していた。だから、あれだけ簡単に2個大隊の戦力が壊滅してしまったのだ。
「あなたのことは有名になった。キンスキー家の息子ということもあるけれど、今回の勝利で民衆も上流階級も沸き立っている。クシュで王国に敗れた後だから、その報復ができて満足みたい、ってところかしら」
ローゼは部隊の稼動状態を示す書類から顔を上げて、クラウスにそう告げる。
「クシュじゃ手痛くやられたからな。溜飲が下がる気分だろう」
近年起きたクシュを巡る王国と共和国の植民地戦争では、共和国側が敗北し、共和国はクシュでの利権を失っていた。トランスファールに近く、エーテリウム鉱山のあるクシュを手に入れることは共和国の願いだったが、王国は一枚上手だった。
「これであなたは名声を手にした。計画通りに。そろそろ次のステップに進むべきではないかしら?」
「そうだな。民衆もいつまでのお祭りムードじゃないだろう。早めに手を打つか」
ローゼが淡々と告げるのに、クラウスが顎を擦ってそう告げる。
「次のステップって何ッスか?」
と、ここでクラウスたちが何を話しているのか分らないヘルマがキョトンとした表情で小首を傾げる。
「上流階級に斬り込むんだよ。特にある大金持ちを狙ってな」
ヘルマの問いに、クラウスは両手を広げてそう告げたのだった。
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クラウスは植民地軍の礼装であるフィールドグレイの制服をキッチリと規則通り着こなし、胸には授与された第2級鉄十次勲章を下げると、ある場所に向かった。
そのある場所と言うのは──。
「パトリシアはいるか?」
訪れたのはトランスファール共和国首都カップ・ホッフヌングの西部地区にある金持ち向けの住宅街だ。閑静な住宅街で、ここに暮らす人間の富を示すように、途方もなく大きな屋敷が軒を連ねている。
クラウスの実家もここに邸宅を持っているので、この地区に来ること自体は慣れたものである。
ただし、今回の目的である住宅は一筋縄ではいかない。なにせ、クラウスの実家の豪邸に並ぶものであり、何より南方植民地総督ヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベック侯爵の邸宅であるのだから。
「お嬢様はお部屋におられます。お会いになるか確認して参りますので、暫しの間お待ちを」
クラウスが玄関で老メイドに告げるのに、老メイドはパトリシアと呼ばれた少女の部屋へと向かっていった。
それからバタンと激しく部屋の扉が開く音が響き、ドタドタと階段を駆け下りてきた音が聞こえてきたのは、それから僅かに数秒後のことだった。
「クラウス!」
「よう。パトリシア。変わりはないか?」
現れたのは黒髪の混じったブロンドの髪をツインテールに纏めたクラウスよりも僅かに幼い少女で、クラウスの前まで来ると、その勝気な顔立ちを引き締めて、コバルトブルーの瞳でキッと彼を睨み付けた。
「あなた、一体何をしているの? 植民地軍なんかに入って。勉学に問題がなかったあなたならば、植民地政府の道に進むことも不可能じゃなかったでしょう」
この少女の名前はパトリシア・フォン・レットウ=フォルベック。ヴィクトールのひとり娘である貴族令嬢だ。
「俺には俺の野望があるんだよ、パトリシア。どこかでゆっくり話さないか?」
「なら、こっちに来なさい。精々持て成してあげるわ」
クラウスが玄関に立ったまま告げるのに、パトリシアは彼を客間に案内した。
「それにしても大活躍だったわね、クラウス。でも、こんなに派手な活動はそんなにしないでよ。王国との外交関係が悪化するし、ほんのついでだけどあなたの身も心配ではあるんだからね」
「そうはいかんさ。これからはドンドンと戦果を拡大せにゃならん」
成り上がりの名家であるキンスキー家と本国での歴史あるレットウ=フォルベック家のふたりの娘と息子は親友が話すように砕けた口調で話している。
というのも、パトリシアとクラウスは幼馴染なのだ。クラウスがレットウ=フォルベック家との縁を保とうとする両親に連れられて、社交界の場でパトリシアに出会ったのが最初のことだった。
パトリシアは最初の態度で分るように、貴族であり、南方植民地総督の娘であるというプライドから、高慢な態度に出やすい。だが、ゆっくりと話をしてみれば、彼女が自分の感情を素直に表に出せないだけの人物だと分る。
それを理解しているクラウスは、パトリシアのプライド感に溢れる発言は聞き流しておき、時折相槌を打ったり、同意してみせることで、パトリシアに気に入られた。なにせ、パトリシアにはその立場上、年齢の近い友達はいなかったのだから、パトリシアは何だかんだと言いながら、クラウスになついていた。
「はあ。あなたってば恵まれた環境にいるのに、それを台無しにしてるわよ。大人しく両親の農園を継いでおけば、何の問題もなく名家でいられるのに……」
「なあに。ただ単に今以上の地位と金を求めているだけだ。心の底から幸せになれるほどのな」
パトリシアが溜息を吐きながら告げるのに、クラウスは肩を竦めて返す。
「全く。勤勉というより貪欲ね。まあ、そういうあなたを理解してあげられるのは私ぐらいのものだと思うけど」
パトリシアはそう告げて、使用人のいれた紅茶に口を付ける。
「ところで頼みたいことがあるんだが」
「何? どんなお願い? 言ってみなさいよ」
クラウスがそう告げると、パトリシアが目を輝かせて尋ねた。どうやら自分がクラウスに頼りにされているというのが嬉しいらしい。
「まずは今度開かれる戦勝式典に出席してもらいたい。父親と一緒にな」
「お父様と、ねえ。あなたがパートナーを務めてくれるんじゃないの?」
普通、格式ばった式典では男女のペアで出席することになっている。男性が女性をエスコートし、パーティーに出席するのだ。
パトリシアはクラウスが自分のパートナーをやってくれるものだと思っていたようだが、クラウスは怪しげな笑みを浮かべているだけ。
「お前をパートナーにすることも考えたが、ちとばかり問題があってな。それは次の頼みに関係するんだが」
「まだ何かあるの?」
クラウスの言葉に、パトリシアはパートナーに選ばれなかったこともあって、ちょっと拗ねた様子でぶっきらぼうに尋ねる。ぶっきらぼうと言ってもローゼほどのものではないが。
「戦勝式典にロートシルト財閥を呼んでほしい。お前の家ならできないことじゃあないと思うが、どうだ?」
「ロ、ロートシルト財閥? あの世界三大財閥の?」
クラウスがさらりと述べたことに、パトリシアの目が見開かれる。
「そうだ。あのロートシルトだ。俺の計画では、そいつに接触する必要があるんだよ。頼む。お前にしか頼めないことなんだ。できるよな?」
「で、できないとは言わないけど、ロートシルトの誰を呼ぶの?」
クラウスが縋るのに、パトリシアは困惑しながらもそう尋ねる。
「一番偉い奴だよ。あのロートシルト財閥の全財産を手に入れた」
「彼女を呼ぶのね。不安だわ。噂ではどうもぽわぽわした人らしいし、あなたみたいな獰猛な人を相手にできるのか。あなたの相手ができるのなんて、私くらいしかいないんだから」
クラウスはそう告げ、パトリシアは溜息を漏らす。
「相手の心配をする必要はない。心配するべきはこっちの方だ。招待したからと言って相手にされると決まったわけじゃない。お前には件の財閥の主が、ちゃんと俺の話を聞いてくれるように根回ししてほしい。ホストのひとりとして、俺のことを紹介してもらいたい」
「いいわよ。できる限りのことはしてあげる。けど、教えなさい」
クラウスの頼みをパトリシアは存外あっさりと受け入れ、逆にクラウスへの要求を突き付けた。
「パーティーであなたのパートナーを務めるのは誰? まさか、街のならず者のひとりとかじゃないでしょうね。あのヘルマっていう女の子だか、男の子だか分からないようなのとか」
パトリシアはクラウスが街で碌でもないことをしていたならず者のリーダーだったと知っている。彼自身が“冒険譚”として、パトリシアに面白おかしく語って聞かせているからだ。そして、パトリシアはヘルマとも面識があったのだった。
「安心しろ。俺もそこまで馬鹿じゃない。パートナーにはそれなりのを用意してある。レンネンカンプ家って知ってるか?」
「レンネンカンプ? レンネンカンプ子爵家の?」
クラウスがそう述べるのに、パトリシアはここでどうしてレンネンカンプの名前が出てきたのだろうかと怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうやら改正農地法で領地をなくしたらしくてな。植民地にお家再建のチャンスを求めて植民地に出てきたそうだ。で、娘の方は植民地軍に入隊している。今は俺の部下だ」
「へえ」
クラウスがローゼのことを語るのに、パトリシアの目が細まる。
「その子は美人?」
そして、パトリシアはクラウスの表情をジッと見つめるとそう尋ねた。
「まあ、悪くない見た目をしているぞ。いかにもな貴族令嬢って感じのな。ただ、愛想もこそもないから、可愛げはないがな。お前には劣るよ、パトリシア」
クラウスはニイッと笑って、そう告げる。
「まあ、それならいいわ! 協力してあげる! あなたのために、この私が協力してあげるのよ! 精一杯感謝しなさいよ!」
「ああ。感謝している。次に休暇が取れたら本国に旅行にいくか、ふたりで」
パトリシアはやや起伏のない胸を堂々と張ってそう告げ、クラウスは呈された紅茶を飲み干すとそう告げた。
「本国旅行。いいわねえ。いい加減に植民地にも飽き飽きしてきたもの。けど、あくまで植民地から離れることが嬉しいのであって、別にあなたと旅行するのが楽しみなわけじゃないのよ。勘違いしないでね」
「はいはい」
クラウスはパトリシアの父親であるヴィクトールの覚えもいいので、彼からは娘を任せても大丈夫な人間として扱われている。彼女を害するようなことはないだろうと。
そして、事実、南方植民地総督の地位にあるヴィクトールとのコネを維持するためにクラウスはパトリシアを害したりはしない。妹のように可愛がってやるだけの話である。
そう、妹のように。恋人ではなく。
「なら、ロートシルトの件、頼んだぞ。俺が金持ちになるために必要なことなんだ。なんとしても頼む」
「任せなさい。この私がロートシルトの2、3人は連れてきてあげるわ」
こうして、クラウスは着実に駒を進めた。
独立部隊ヴェアヴォルフ戦闘団の設立。ヌチュワニン鉱山での大勝利。そして、戦勝式典でのロートシルト財閥という巨大財閥への接触。
クラウスは己の野望のために邁進していた。
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本日20時頃に次話を投稿予定です。




