扇動(2)
……………………
「入隊の儀式は終わったのか?」
ボーア自由国は人里を離れたジャングル。
そこにふたりの男がいた。
ひとりは落ち着いた感じの服装をした中年の男で、メガネの先にいるもうひとりの人物を眺めている。もうひとりの人物は、まだ学生ほどに若く、あちこちに傷が残る体をしているものの、目には決意の色が込められていた。そして、中に何が入っているのか分からない袋を下げている。
「終わった。これだ」
そして、若い男が中年の男に袋を差し出す。
「確認する」
中年の男は袋を開いた。
袋の中に入っていたのは耳だ。耳が2枚。袋の中に入っていた。
「殺してから切断したわけでも、モルグに忍び込んで死体から切り取ってきたわけでもないようだ。合格だ。いきたまえ」
中年の男は検視官だったのか耳の断面や血の量を見てそう告げると、若者に道を開けた。若者はこの瞬間を待っていたというように、ジャングルを奥へ、更に奥へと進んでいく。
そして、現れたのは──。
機関銃の唸るけたたましい音。小銃が奏でる乾いた発砲音。手榴弾の炸裂する轟音。
その先に遭ったのが軍の訓練キャンプだった。射撃レーンが設けられ、そこで小銃や機関銃を持った兵士が的に銃弾を叩き込んでいる。
そして、その的には“クソッタレな王国野郎ども”と書かれ、そんな人型の的が降り注ぐ銃弾で瞬く間に蜂の巣に変えられていっていた。
「すいません! 俺、入隊の試験にパスして、ここに入隊したんすけど、どこにいけばいいんですか? 銃は撃たせて貰えますか?」
先ほどの若者は射撃レーンを見渡せる場所に立っている軍曹の階級章──共和国陸軍のものだ──を付けた男にそう尋ね、軍曹はうんざりした顔をすると、グイとこの軍事キャンプ北端にある施設を指さした。
「失礼します! 本日から入隊したデニス・ドーフラインです! 我々の存続のために戦います! よろしくお願いしますっ!」
若い男──デニスがそう告げて建物の中に入った。
「ようこそドーフライン三等兵。入隊したということは入隊テストはちゃんとパスしたというわけだな? ズルはしていないだろうな?」
そう告げるのは30代のサファリジャケット姿の男だった。鋭い目度していて、あの目に睨まれるならば、全てを見通されてしまいそうに感じるものだ。
「ちゃんとパスしました! 王国の連中──いけすかない支配階級の耳を切って、持って来ました! クソみたいに騒ぐので数発ぶん殴ってやったところです!」
「そいつは頼もしいじゃないか、ええ」
サファリジャケットの男はそう告げて小さく笑う。
この軍隊のような組織への加入条件はどうやら人間の耳を引き千切って持ってくるということであった。それも王国の人間に限って、だ。
これだけみても、この組織が碌でもない組織であることは容易に分かる。
「ドーフライン三等兵には悪いがそっちのことは一応調べさせて貰った。ボーア自由国南西部で農家の三男として生まれ、ごくごく平凡に育つ。だが、初等学校で、王国の連中に共和国は裏切りものだと言われて苛められたって? それが志願の理由か?」
サファリジャケット姿の男は、すらすらとデニスの経歴を告げ、デニスはそこまで自分が調べられていたことに戦慄している。
「まあ、どうでもいい。それからは元共和国国籍の市民とつるむようになり、王国の連中に嫌がらせをする側に回った。もっとも人の数は向こうが上だから、ボロボロになる日が多かっただろ」
そう告げると、サファリジャケット姿の男はデニスの前に立った。
「さて、ドーフライン三等兵。今お前は三等兵だ。試験にはパスしたが、また重要なものをパスしていない。それをパスできたら、晴れて戦闘に参加できるし、銃だって撃てる二等兵に昇進させてやろう」
「何をやればいいのでしょうか!?」
サファリジャケット姿の男が椅子に腰を下ろして告げるのに、デニスが尋ねる。
「簡単だ。人を殺すんだよ。人が殺せれば一人前だ」
サファリジャケット姿の男──ノーマンはそう告げると、ノーマンの言葉に衝撃を受けているデニスを連れて、建物から出た。
……………………
……………………
「諸君! 新隊員だ! 名誉ある新隊員の名はデニス・ドーフライン!」
ノーマンは建物に備え付けてあるスピーカーでそう告げる。
「だが、まだ新人は三等兵だ。この男は殺人処女だ。殺人処女が戦争で役に立つか?」
ノーマンはそう告げて基地にいる男たちに尋ねた。
「立つわけねえ!」
「ケツを拭く紙にもなりゃしねえよ!」
男たちは口々に殺人処女を罵る声を上げる。
「その通りだ! 殺人処女は軍隊には必要ない! そこでドーフライン三等兵には、今ここで殺人処女を卒業して貰う!」
ノーマンがそう告げると、射撃レーンにある木材にひとりの若い男女が縛られて、固定された。どちらも目隠しをされており、猿轡を噛まされているために、何が言いたいのかは分からない。
「さあ、殺してこいよ、ドーフライン三等兵。殺して銃が撃てる愉快な二等兵に昇格しろ。大したことじゃねーかなら」
そう告げてノーマは刃渡り長いマチェットをデニスに握らせる。
「あ、あいつらは王国の連中なんですか? 俺たちのことをスパイだとか、裏切り者だとか呼ぶ、薄汚い王国の連中なんですよね? 王国の連中なんですよね?」
デニスがノーマンにそう尋ねるが、ノーマンは縛られた男女を指さすのみ。
「やるか。やらないのか? やらないなら、お前に死んで貰うぞ。ここの場所を知られた以上は生きて外に出て貰っては困る。死にたくないなら、それであの豚の喉を掻き切ってやれ。行け、兵隊!」
「はいっ!」
ノーマンが告げるのに、デニスが走った。
「あいつらは屑だ」
「クソに沸く蛆虫以下の存在だ」
「俺たちと同じ空気を吸ってるだけで嫌気がする」
「あんな豚はさっさと首を掻き切って、臓腑を引き摺り出してやるに限る」
走っていくデニスの脇で男たちがざわざわと声を上げる。どれもあの木に縛り付けられているふたりの男女を罵るものだ。彼らは男女を罵り、決して人間だという扱いをしようとはせず、嫌悪の視線を向ける。
「さあ、ドーフライン三等兵。やっちまえ。豚どもを殺せ」
デニスがそんな言葉の輪の中を抜けると、射撃レーンでは別の男がデニスを待っていた。共和国陸軍の中佐の階級章を付けた男だ。そしてあろうことか彼は男女にしっかりと嵌められていた猿轡と目隠しを取り去ってしまった。
「だ、たすけて! こいつら共和国のスパイなの!」
「たすけれくれ! なんでもするから殺さないでくれ!」
訛りに共和国のものはない。王国の人間だ。
「殺せ、ドーフライン三等兵。ただし、相手の目を見てナイフを振るえ。目を瞑ったりするんじゃないぞ。相手の生命が消える瞬間を肌で、音で、色で感じ取れ。最初の殺しでは人の生命が燃え尽きるその瞬間を徹底的に感じ取れ」
中佐はそうつげ、デニスを女の前に引っ張っていく。
「や、やめて、お願い。こんなのって冗談でしょう。こんなのあうはずがないわ。夢なのよ、夢……。早く覚めてよ……。お願い、神様」
女はそう告げて必死に神に祈るが、デニスは動かない。
彼女は人間だ。それも泣いている哀れな人間だ。それを殺すなど非日常すぎるではないか。……いや、自分は非日常を求めてここに来たのだった。自分たちを虐げてきた王国の腐った豚どもにやり返すために。
「ドーフライン三等兵。殺れ、この豚を殺せ。命令だ」
「分かりました」
中佐がついに強い口調でそう告げるのに、ついにデニスの手が動いた。
彼は慣れない仕草で、マチェットの刃を女性の胸に思いっきり突き立てた。女性の声が途切れ、ゼーゼーという音に変わると、その口から気泡の混じった血液がボロボロと零れ落ち始めた。
女性はまだ生きていて「どうしてこんなことをするのか」という目で、デニスを暫し見つめた末に、そのまま項垂れ、動かなくなった。
「次の豚も殺せ」
「了解」
中佐が指示するのに、デニスは迷うことなく、女性からマチェットを引き抜き、泣きわめいている男の前まで来た。
「何でこんなことをするんだ! 私は善良な市民だぞ! 共和国にも投資している! 共和国の友達だった大勢いる! そんな人間を殺してもいいと言うのか! いや、殺すべきではないはずだ!」
男は涙を零しながらもそんなことを喚く。
「解放してくれても、君たちのことは喋らないから、ここは私を開放──」
ズンと肉の裂ける音が響き、男の胸にマチェットが突き立てられた。デニスの手で。
「ああっ! ああっ! やめろっ! 医者を呼んでくれ──」
デニスは男の口を塞ぐと、マチェットを強引に上に向けて動かし、マチェットの刃は男の肺と心臓と大動脈を滅茶苦茶に切断すると、男が息をしなくなってから抜き取られた。
デニスが男の口から手を放すと、そこからゴボリと血が溢れ出てきた。生温かい地。この人間が生きていたという証拠。自分がこの男を殺したのだという証明。
「よくやったな、ドーフライン三等兵。これを以て、お前は二等兵だ。これから山ほど王国のクソどもを殺してやれ」
「はいっ!」
処刑を監督していた中佐はそう告げドーフラインに二等兵の階級章を手渡した。
「そして、ようこそコボルト旅団へ! コボルト旅団はお前を歓迎する!」
「おおっ!」
王国を憎むだけの一般市民であるデニス・ドーフラインが入隊を試み、陰で共和国植民地省市民協力局のノーマンの影がチラつき、残虐な加入テストが行われる武装組織“コボルト旅団”。
今はボーア自由国において銀行を襲撃して資金を奪ったり、王国の人間を拉致し、殺害したりする程度に収まっているが、これはクラウスの考えている次の戦争において、もっとも重要な役割を果たすことになる。
……………………




