休暇(3)
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カップ・ホッフヌング中央美術館は普段は閑散としている場所だ。
本国の美術館と比較すれば、所蔵している作品の数は少ないし、質に関しても期待できるものではないというのがその理由である。
もっとも美術館そのものは素晴らしい近現代建築であり、建物全は流線形で優美な外観をしており、大きな一面のガラスから美しい庭を眺めながらコーヒーを楽しめるカフェや、それそのものが作品のようなオブジェで彩られた正面玄関などがある。
だが、今回はどういうわけか、いつもは閑散としているはずの美術館に大勢の人々が押しかけている。彼らはどうしたというのだろうか?
「ルートヴィヒ・リーバーマン博覧会、ね」
「そうだ。俺が気に入ってる画家だ」
パトリシアがパンフレットを広げて呟くのに、クラウスが横から告げた。
「印象派の絵が好きなの?」
「逆だ。印象派の絵ぐらいしか理解できない。抽象絵画はまるで価値が分からん」
パトリシアが尋ねるのに、クラウスが肩を竦めてそう返す。
「まあ、純粋にこの画家の絵は好きでな。植民地の光景を描いた作品が多いんだが、戦場を描いた絵もある。そういう絵を描く画家は珍しい。俺は好きだぞ」
「へえ。戦場の絵をね。確かに珍しいわね」
クラウスとパトリシアはそんなことを言いながら、長い列を抜けて美術館の門を潜った。今日はやはり人が多く、普段なら待つこともなく、すぐに入れる美術館も、今日は30分待ちであった。
「さて、展示は2階の特別ホールだとさ。常設展示の代物は大して見る価値もないし、さっさと2階にいこうか」
「まともな美術品がないのも植民地の悲しいところよね」
件のルートヴィヒなる画家の作品展示会は、2階の特別ホールで開かれるとのことだった。そのためクラウスたちは人混みに揉まれながらも、2階を目指す。
「けど、このルートヴィヒ・リーバーマンって人、結構有名な画家でしょう? 私も本国にいたとき何度か名前を聞いたことがあるもの。そんな有名な画家がどうして、カップ・ホッフヌングなんかで展示会をやってるの?」
と、パトリシアは疑問に感じたことを口にする。
確かに本国でも有名な画家ならば、わざわざトランスファール共和国のような植民地で展示会をする意味などないように思えた。有名な画家ならば、本国のもっと立派な美術館が展示を誘致するだろうからにして。
「このリーバーマンはトランスファール共和国の出身なんだよ。だから、ここで展示会をやることになったらしい。故郷へのせめてもの恩返しというところだろうさ」
その疑問はルートヴィヒがこのトランスファール共和国の出身であるということで解決した。彼は自分の故郷に自分がどのような作品を描いてきたのかを見せに戻ってきたというわけだ。
「ふうん。植民地もちゃんと人材を輩出するのね」
「入植者は何百万といるんだ。全員が屑ってこともないだろう」
パトリシアが感心するのに、クラウスがそう告げた。
「さて、いよいよ作品が拝めそうだが」
人の列も2階の特別ホールに達した。いよいよ作品を閲覧するときだ。
「わあ。奇麗な海の絵」
最初に目に入ったのは海を描いた絵だった。トランスファール共和国の穏やかに波打つ海と白い砂浜は描かれている。海は透き通っているかのような色使いで、今にも動き出しそうな感じすらする
「こっちが例の戦場の絵だ」
クラウスが見ているのは戦場の絵だった。
撃破されたラタトスク型魔装騎士が膝を突いて倒れ、共和国植民地軍の歩兵たちがその脇を行進して進んでいっている。タイトルは“無名戦士の墓標”というものだった。
「無名戦士の墓標か。言ったものだな。俺たちの乗っている魔装騎士は、そのまま操縦士の棺桶になっちまうんだからな」
「悲しい絵ね。他の絵と違って暗い感じがして、線も儚げ」
クラウスとパトリシアがそれぞれの感想を言い合う。
「その絵が気に入ったかね、クラウス・キンスキー中佐」
と、クラウスが絵を眺めていたとき、声がかけられた。
「これはこれは。ルートヴィヒ・リーバーマン先生にお目にかかれるとは光栄です」
クラウスは声の方向を向くとそう告げて、被っていたベレー帽を脱ぐと軽く頭を下げた。
現れたのは40代ほどの中年の男性で、頭髪は完全にスキンヘッドにし、顎髭を僅かに蓄えている。今の世界の流行りのスタイルでないことだけは確かだ。
そして、その人物をクラウスはルートヴィヒ・リーバーマンと呼んだ。
「え、え? この方がこの作品を描いた人?」
「そうだ、お嬢さん。今日は私の作品の展示会に来て貰って嬉しく思う」
目の前の奇麗な絵とスキンヘッドの男を結び付けられずに混乱するパトリシアに対して、ルートヴィヒが儀礼的に頭を下げた。
「そして、かの有名なキンスキー中佐がここに来たことには驚きだ。あなたは芸術に関心を持つような人物だとは思ってもみなかったからな」
「センスはありませんが、芸術を理解しようと努力しているところです。先生の作品は非常に感性を刺激されるので好んでいますよ」
ルートヴィヒが告げるのに、クラウスが演技染みた笑いを浮かべて返す。
「では、あの商談は転売目的ではないと?」
「自分は純粋に先生の絵を買い取りたいだけです。自分や友人たちとそれを見て、心を豊かにするために。転売や脱税のためのものではありませんよ」
ルートヴィヒが奇妙なことを告げるのに、クラウスはそう返した。
「クラウス。商談って何?」
「先生の絵を買い取りたいと申し出たんだ。俺が気に入った作品を3点な」
クラウスは貯まりに貯まった金の使い道を考えるのに、最近嵌った画家に投資することを決めた。このルートヴィヒに彼の保有する3点の作品──どれも戦場を描いた作品──を買い取りたいとバイヤーを通じて頼んだのだ。
「作品を売ることは考えている。だが、その前に聞いておきたい。あなたは噂されているような戦争屋なのか? 人殺しを愉悦とする人間なのか? 戦争のために戦争をしているような戦争狂なのか?」
ルートヴィヒは鋭い視線でクラウスを見てそう尋ねた。
「どこでそのようなお話をお聞きになったのか不思議ですね。メディアはそのようなことは報じていないかと思いますが」
「主要なメディアは次期大統領候補に媚びているからな。私が読むのは、主要な新聞社の新聞ではなく、社会を斜めから観察して意見を述べることを是とする新聞社の新聞だ」
クラウスが微笑みながら尋ねるのに、ルートヴィヒがそう告げた。
「そういう新聞社は信用なりませんよ」
「彼らも事実を記す。世論に媚びた意見をフィルターを通じていない事実を」
ルートヴィヒが告げているのは弱小新聞社のことだ。大手メディアに取材力などでは勝ち目がないと考えた彼らは反体制的で、過激な論調を売りにして、一定数の読者をえることに成功していた。
だが、そういう新聞紙はあまり信用ができない。彼らは今の体制を批判するために、偏向した報道を行っているのだから。
「そうですか。では、私が戦争屋かどうかが気になるのですね?」
「そうだ。その答えの如何によっては売却の件は断らせていただく」
クラウスが尋ねるのに、ルートヴィヒがそう告げた。
「では、お答えしましょう」
クラウスがそう告げる時には、この展覧会の主であるルートヴィヒと共和国植民地軍であるクラウスの姿に気づき、大勢の人物がその姿を見ていた。
「はっきり言いましょう私は戦争屋です」
クラウスは最初にそう述べた。
「ですが、好き好んで戦争をやっているというのは酷い誤解だ。多くの人間は自分のやりたいことを職業にできていない。自分も同じことです。私は渋々としかたなく、戦争屋をやっているだけです」
クラウスはそう告げて、ルートヴィヒを見る。彼はまだ沈黙している。
「共和国のため。共和国の植民地の開拓に勤しむ入植者のため。そして、なにより自分が生き残るために自分は戦ってきました。死んでしまっては皇帝であろうと、乞食であろうと何の意味もない。自分が目指したのは自己の生存」
ルートヴィヒの無反応を無視してクラウスは言葉を続ける。
「自分が生き延びるためには何が重要か? それは自分自身の確かな技術。それは自分を支えてくれる部下たち。それは自分を間接的に支えてくれる市民たち。私は自分が生き延びるために彼らを大事にした。彼らが生き残り、自分が生き延びるために」
クラウスはそう告げて口を閉じた。彼はここでルートヴィヒの反応を窺っている。
「理解できた。君は私の作品を受け取るべき人物だ」
ルートヴィヒは暫しの沈黙の末にそう告げた。
「自己が生き残る。それは当然のことだ。生物であるならば必然だ。だが、そのために自分を支えてくれている人物に視線を向け、彼らの保護も自己が生き残るためだとするのは普通の軍人にはない態度だ。普通の軍人は自分が得た勝利は、自分だけの功績だと誇る」
ルートヴィヒはそう告げて頷く。
「君は周囲に視線を向けた。軍事的には無力であるが、実際には有力な人々に視線を向けた。それは重要なことだ。それは君が噂されるような戦争屋でないことを意味している。君が戦争屋ならば、他の人間には目も向けなかっただろうから」
そう告げるとルートヴィヒは片手を差し出した。
「君ならは私の作品を理解して貰えるだろう。私の作品を受け取ってくれたまえ、キンスキー中佐」
「感謝します、リーバーマン先生」
そして、クラウスはルートヴィヒの握手に応じた。
実際のところクラウスが戦争で考えているのは利益のことばかりだ。どうすれば利益を上げ続けることができ、どうなれば利益が不利益に変わるかの計算ばかりをしている。
彼が自分以外のことを考えいているのは事実だ。ただ、それは周囲の人間をどう利用して自分が利益を上げるかを考えているだけであり、周囲の人間の安全や幸福というのは二の次の話である。
「では、展覧会を楽しんでくれ。君が楽しめることを心から──」
ルートヴィヒが見当違いの解釈でクラウスを信頼し、そう告げようとしたとき、彼の頭が爆ぜた。額がマッシュルームのように広がり、辺り一面に脳漿と頭蓋骨の破片が撒き散らされた。
「え、ええ!?」
「伏せろ、パトリシア! 狙撃だ!」
軍人であるクラウスの動きは速かった。彼はルートヴィヒの額が爆ぜたと同時にパトリシアの肩を掴んで地面に押し倒した。
「も、もしかして、また暗殺?」
「かもしれんな。わざわざ画家先生を狙撃して殺そうと思っていない限りは、狙いは俺かお前だ。どうもこっちのスケジュールが漏れてたか、尾行されていたか」
エカチェリーナの訪問の際にも暗殺未遂事件に巻き込まれたパトリシアが疲れた口調で告げるのに、クラウスはそう返して用心深く周囲を見渡した。
「窓ガラスが外から中に向けて割れている。銃撃は外からだな」
窓ガラスの破片は美術館の館内に広がっている。銃撃が外から加えられたのは冷静になってみれば分かることだ。自分が殺されかかったのに冷静になれれば、の話であるが。
「ク、クラウス。どうするの?」
「考えている。今の状況では狙いが誰かは分からんからな」
地面に伏せているパトリシアが声を震わせて尋ねるのに、クラウスがそう返す。
「あの画家先生と直線距離にあったのは俺かお前だ、パトリシア。どちらが狙われていてもおかしくはない。俺も、お前も、いろいろと恨みを買っているからな」
「そうね……」
クラウスはヴェアヴォルフ戦闘団の指揮官として王国や帝国から恨みを買っているし、パトリシアは彼女の父親であるヴィクトールが南方植民地総督として植民地人たちの恨みを買っているはずだ。
「ここは俺が狙われたと仮定する。そこで──」
クラウスは床に伏せた状態のままに頭を撃ち抜かれて倒れてるルートヴィヒの力ない腕を抱える。
「ちょっと試してみるとしようか」
クラウスはそう告げてニイッと笑った。
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