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沸騰(2)

……………………


 トランスファール共和国首都カップ・ホッフヌング。


「ごきげんよう、キンスキー中佐」


 カップ・ホッフヌングにあるカフェで穏やかな声が響く。


「お久しぶりです、レナーテ嬢。このような店で出迎えることになって申し訳ありません。何分、植民地には本国のような洒落たカフェはないのですよ」


 訪れたのはレナーテとレベッカ、出迎えたのはクラウスだ。


 彼らがいるのはカップ・ホッフヌングでも有名なカフェで、入植が始まった当初からあると言われている。確かに建物自体は歴史を感じさせるものであり、かといって古さから来る不快感はない。歴史を上手く調和させているといっていいだろう。


 それでもクラウスが“こんな店”というのは、共和国本国にはこのカフェなど軽く超えるようなカフェがいくつも存在するからだ。このカフェより歴史のあるカフェや、逆に近代建築の技術を余すことなく取り込んだカフェやら、遥か西の新大陸から貴重な豆を大量に仕入れている店など。


「キンスキー中佐が気にすることではありませんわ。我々が気にしなければならないことはひとつだけでしょう?」

「そう。ビアフラ連邦の併合」


 レナーテが席に座って告げるのに、クラウスが返した。


「併合は成功しそうですか?」

「それは共和国植民地政府の動き次第ですね。彼らが戦争に非協力的であるならば、全面戦争にはならないことで併合はできず、戦争は国境紛争で終わってしまうでしょう。実に残念なことに」


 レナーテが尋ねるのに、クラウスが首を横に振って返した。


「その点についてはあなたが手配をしたのでしょう?」

「まあ、多少なりと工作を。世論はビアフラ連邦を討つべしとの意見で統一されつつあります。このままいけば、植民地政府も、植民地軍も、世論を受けてビアフラ連邦との全面戦争に踏み切らざるを得ないでしょう」


 クラウスはただの国境紛争だった戦争を激化させるために、自作自演の虐殺事件をでっち上げ、新聞を使って世論を誘導し、そうやって市民たちがビアフラ連邦の併合を望むようにと意見を誘導した。


 このままならば、共和国はビアフラ連邦との戦争に踏み切るだろう。


「それは結構ですわ。ビアフラ連邦には豊富な地下資源が眠っています。エーテリウム、タングステン、ダイヤモンド、プラチナ、エトセトラ。それらが我々の手に入るのであれば、それは素晴らしいことでしょう」


 レナーテはビアフラ連邦に眠っている豊富な地下資源を以前から虎視眈々と狙っていたようだ。


「我々はビアフラ連邦を手に入れますよ。共和国植民地政府にビアフラ連邦との全面戦争を引き起こさせ、勝利を手にする。後はアナトリア戦争のときと同じように、そちらの弁護士をお借りして、鉱山の採掘権を手に入れればいい」


 アナトリア戦争ではエーテリウム鉱山の採掘権を手に入れるために、SRAGの弁護士であるダニエル・ダイスラーが同行し、彼が鉱山の採掘件がSRAGに入るようにと手配を行っていた。今回もダニエルの力が必要になるだろう。


「その点は手配しておきますわ。今回も私たちが勝利すれば、巨万の富が手に入る。なんとしても勝利し、なんとしても鉱山の採掘権を手に入れなければ」


 レナーテもクラウスの言葉に頷いてみせた。


「そして、今回の作戦に成功しましたら、新たに5%の株式を譲渡しようと考えています。ですが、株式の譲渡はそろそろ終了させていただきます。株主には会社への決議件というものがありますから。いくらそちらが株式を自分のものとせず、代理人と別の名義で保有しているとしても、取締役会の中には危惧するものがいますの」

「理解しています。となると、報酬はどのように?」


 レナーテは既にクラウスに30%以上の株式を譲渡としている。これ以上、クラウスに株式を譲渡すると、クラウスがSRAGの経営に口出しすることが可能になる。


 SRAGの取締役会はそれを快く思わず、クラウスへの株式の譲渡を中止することを決定したのだった。


 まあ、クラウスはもう配当金だかで存分に儲けられるほどの株式を有しているので、ここで株式の譲渡が中止されても痛いことはない。だが、彼としては危険を冒しただけの対価は受け取りたいと思っていた。


「現金でお支払いしますわ。ビアフラの開発で得られる、こちらの利益の20%をそちらに渡す。それでどうでしょうか?」

「悪くないですね。それで行きましょう」


 クラウスとレナーテの報酬に関する交渉はすぐに纏まった。


 SRAGがエーテリウム鉱山ひとつで儲けることのできる金額は相当な規模だ。場合によっては列強の国家予算の10分の1に相当する額が計上されている。それだけエーテリウムには価値があり、その天井を知らない需要の高まりから暴落する気配もないのだ。


「では、戦争を起こさなければなりませんな。戦争を、全面戦争を、我々の利益ための戦争を、民衆たちの望む戦争を」

「ええ。始めましょう、戦争を。それはきっと素敵なことですわ」


 クラウスとレナーテはそう告げて、小さく笑うと席を立ち、まだ王国への憎悪に満ちたカップ・ホッフヌングの街を進み始めた。


……………………


……………………


 トランスファール共和国政府庁舎。


 それは植民地様式の建築物で、野蛮な植民地を文明の光で照らしだすのだという意味合いも含まれて、近現代的な構造物となっている。正面の構造物の高さは12階建てで、その建物から両翼に建物が伸びている。正面には共和国の有名な彫刻家が作った未開の地を探索する入植者の銅像が設置されている。


 この建物にトランスファール共和国の全ての政治機能が詰まっており、他国との外交を行う外交部も、トランスファール共和国首相の執務室も、そして南方植民地総督の執務室もここに位置している。


 そんなトランスファール共和国政府庁舎をクラウスとレナーテ、そしてレベッカが訪れていた。彼らは入植者の銅像を前に立ち、12階建ての庁舎を見上げている。


「さて、目指すべきは──」

「南方植民地総督の執務室ですわ」


 クラウスが告げるのを、レナーテが続けた。


「そうですね。首相にはそこまで権限はない。会うならば南方植民地総督だ」


 クラウスはレナーテの言葉に頷くと、トランスファール共和国政府庁舎の巨大な玄関を潜った。玄関には共和国の象徴のひとつでもあるドラゴンのレリーフが刻まれており、翼を広げたドラゴンがクラウスたちを睥睨し、飲み込んだ。


「ようこそ。どのようなご用件でしょうか?」


 トランスファール共和国政府庁舎の玄関を潜ると、その先には大理石で作られた受付カウンターがあった。ここで用事のある部署を告げ、面会なり、なんなりを求めることになるのだろう。


「南方植民地総督閣下にお会いしたい。おられるか?」

「な、南方植民地総督閣下ですか? はい、おられますが、アポイントメントはお持ちでしょうか?」


 クラウスが受付にいる若い女性に尋ねるのに、彼女はそう告げて返した。


「あらあら。アポイントメントはありませんわ。ただ、レナーテ・フォン・ロートシルトが会いに来たと伝えてくだされば結構ですの。やってくださるかしら?」

「ロートシルト女男爵閣下ですか!? 直ちにお伝えします!」


 そして、横からレナーテが告げるのに、受付嬢は大慌てで電話を握った。


「顔が広いと便利ですな」

「キンスキー中佐ももうそれなり以上に顔は広いのですよ?」


 レナーテと受付嬢のやり取りを見ていたクラウスが告げるのに、レナーテは僅かに微笑んでそう指摘して返した。


「お会いになられるそうです。どうぞ、執務室へ。執務室は10階となっております」


 受付嬢は内線で南方植民地総督──パトリシアの父親であるヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベック侯爵に連絡を取ったらしく、クラウスたちにそう告げ、エレベーターホールを指差して返した。


 南方植民地総督の執務室は10階だ。11階は大会議室などとなっており、12階は展望台になっているため、植民地政府の人間としては南方植民地総督がもっとも高い場所に執務室を持っていることになる。


 クラウスたちは受付嬢に礼を言うと、彼女が言った通りにエレベーターで10階に上った。このエレベーターの動力も秘封機関アルカナ・リアクターで、植民地で搾り取ったそれが使用されている。


「ここが南方植民地総督の執務室か」


 そして、クラウスたちは10階まで上ると、ヴィクトールの執務室の前に立った。執務室の扉にはここが南方植民地総督の執務室であることを示すプレートと、アポイントメントがない場合は会うことはできないという旨が記されていた。


「行きましょう、キンスキー中佐。手早く済ませて、戦争を始めようじゃないですか」


 レナーテはそう告げ、レベッカの手を引いて、ヴィクトールの執務室の扉を開いた。


「ようこそ。先ほど連絡があったレナーテ・フォン・ロートシルト女男爵閣下ですね。レットウ=フォルベック侯爵閣下は中でお待ちになって……」


 執務室の前にある秘書の部屋に入ったレナーテに、ヴィクトールの秘書がそう告げようとして、彼女はクラウスの姿を見て、言葉を詰まらせた。


「キ、キンスキー中佐も同行されているのですか? それは聞いていなかったのですが……」

「そうだが。自分がいると何か不都合でも?」


 秘書がうろたえながらクラウスを見るのに、クラウスがそう告げて返した。


「い、いえ。問題はありません。暫しお待ちを」


 秘書はそう告げると、受話器を上げた。


「はい。お着きになられました。それが、キンスキー中佐も同行されておられて……。よろしいですか? はい、わかりました」


 秘書は小声で受話器に向けてそう告げると顔を上げた。


「どうぞ、お通りください。レットウ=フォルベック侯爵閣下は中でお待ちです」

「ご苦労様ですわ」


 秘書が告げるのに、レナーテはヒラヒラと手を振ると奥へと進んだ。


「……ようこそ、ロートシルト女男爵。そして、キンスキー中佐」


 ヴィクトールの執務室では、ヴィクトールが祈るように手を合わせて待っていた。


「ごきげんよう、ヴィクトール・フォン・レットウ=フォルベック南方植民地総督閣下。今回はお忙しい中、お会いできて光栄ですわ」


 レナーテはそう告げて、小さく頭を下げる。


「自分もお忙しいなか、お時間をいただき感謝します、閣下」


 そう告げて、クラウスも小さく頭を下げた。


「それで、単刀直入に申し上げますが──」

「ビアフラとの戦争について、だろう」


 クラウスが言葉を告げようとするのを、ヴィクトールが遮った。


「ロートシルト女男爵がいらっしゃると聞いてまさかとは思ったが、君が来たことで確信に変わったよ、キンスキー中佐。今の戦争は君にとっては今回の戦争はスコアを稼ぐのに持ってこいの戦争だからな」


 ヴィクトールはそう告げて、小さく溜息を吐いた。


「そうでしたら、話は早い。ビアフラ連邦に正式に宣戦布告しましょう。今の国境紛争という名の不完全燃焼状態から、全面戦争という完全燃焼状態へと変えましょう。ビアフラ連邦を我々の手にいれようではないですか」


 そんなヴィクトールに、クラウスがそう告げる。


「ことはアナトリアやミスライムとは異なる。我々の植民地軍は、今は完全に動けない状態にあるのだ。政治的にも、軍事的にも。そのことは君がもっともよく理解しているのではないのかね。本国政府が我々をどう見ているか知っている君ならば」


 ヴィクトールはそう告げて、クラウスを見た。


「まあ、いろいろとあったようですな」


 共和国植民地軍は帝国との植民地戦争において、多大な損害を出した。アーバーダーン要塞攻略戦においては1万人の将兵が犠牲となっている。その補充は今も十分には行われていないのが現状だ。そのため、共和国植民地軍は軍事的には満足に動けなかった。


 そして、植民地軍が政治的に動けない理由というのは共和国本国政府だ。


 共和国本国政府は植民地軍が独断で暴走して、帝国との植民地戦争を悪化させ、世界大戦の危機を招いたと思っている。アナトリアの停戦協定無視は兎も角として、ミスライム危機における大運河閉塞は一歩間違えば世界大戦だったし、帝国の戦艦を撃沈したジャザーイル事件はまさに世界大戦の崖っぷちに立っていた。


 共和国本国政府はこれ以上、植民地軍が勝手に暴走しないように政治的な圧力を掛け始めた。植民地軍がさして重要ではない場所で植民地の取り合いをしているならば許容されるが、世界大戦を招きかねない要衝を巡る争いは行わないように、と。


 こちらからは仕掛けるな。相手の攻撃に応じるだけにせよ。これ以上、列強諸国との関係悪化を招き、世界大戦を導くようなことはするな。


 共和国本国政府は万が一メディアにバレた場合に備えて、文章にはせず、口頭でヴィクトールにそう伝えていた。この圧力を掛けた張本人は共和国大統領ショーン・ジモンスに他ならない。彼は未だに世界大戦を恐れていた。


 大統領からの圧力ともなれば、その大統領から任命されている南方植民地総督であるヴィクトールも屈せざるを得ない。


「その件でしたら、私が解決して差し上げますわ」


 そんな状況の中でレナーテがそう口にする。


「解決というのは……?」

「政治的問題の方は私にお任せください。数日中に解決しますわ。いい加減、あの人にも我々にとって植民地が如何に必要なのかをしっかりと理解していただかなくてはならないですからね」


 ヴィクトールが尋ねるのに、レナーテがそう告げて返す。


 レナーテの告げる解決というのは、植民地軍に圧力を掛ける大統領に、逆に圧力を掛けるということだ。要はアーバーダーン要塞攻略戦において、大統領がヴェアヴォルフ戦闘団を投じないように圧力を掛けたのを撤回させたように、レナーテが動くのだ。


 レナーテは世界三大財閥の一角にして共和国の生み出す富の4分の1を牛耳るローシルト財閥の総帥。大統領にも多額の政治献金を送り、少なくない影響力を有している。そんな彼女が動くならば、大統領の圧力など容易に撤去できるだろう。


「ふむ。政治的な問題を解決していただけるならば、それはありがたい。今の共和国本国政府は弱腰を通り越して、骨が抜けたような状態になっていますからな」


 ヴィクトールはフウと息を吐くと首を横に振ってそう告げた。


 共和国本国政府が弱腰なのは、植民地政府の誰もが、いや本国政府の人間ですら感じていることであった。


 現大統領のショーン・ジモンスは世界大戦ばかりを恐れ、他の方法で国が亡びるということを考えていない。外交において自分たちが譲歩して、世界大戦を避けられればそれは成功だと考えているような人間であり、先代たちが築き上げたエステライヒ共和国植民地帝国を危機に晒している。


 そんな彼に失望している人間は多い。軍部の右派を束ねるラードルフ・ロイター提督は彼を売国奴だと思っているし、レナーテは献金を送って影響力を保持しながらも本心としては彼を風見鶏と忌み嫌っている。そして、南方植民地総督であるヴィクトールも自分たちの行動を妨害する大統領を鬱陶しく思っていた。


「だが、軍事的な問題が残っている。我々のトランスファールに駐留している部隊は、メディアで少なくない損害を出している。それをどうにかしなければ」


 サウードとメディアに投入された部隊は、トランスファール共和国に駐留していた部隊だ。彼らは実戦経験のある有力な部隊であり、戦争の切り札として投入され──そして、少なくない打撃を受けた。


 連隊のいくつかは戦闘力を喪失しており、軍は再編の途上にある。


「ビアフラ連邦に駐留してる部隊は4個師団に過ぎません。こちらには損耗している部隊を除いても4個師団以上はあります。このまま国境で小規模な部隊だけを投入して損耗を増やし続けるよりも、全軍を投じてケリをつけるべきでしょう」


 だが、クラウスはそれでも戦争を実行するべきだと告げた。これ以上、ビアフラ連邦との国境での小規模だが、激しい戦闘によって損害を増やし続け、広がった傷口を抉るような真似をするよりも。


「……勝算はどれほどだ、キンスキー中佐?」


 そして、暫しの沈黙の末にヴィクトールがそう尋ねた。


「90%以上。早期に始めれば勝ちましょう。我々が投入されれば、必ずしや共和国を勝利させます。勝つことは軍人の義務ですので」


 ヴィクトールの言葉にクラウスがニイッと笑う。


「ならば、言うことはないな。どうせ、この世論だ。いつかは戦争を始めるか何かをしなければならなかった。君が早期に始めるべきだというのならば、そうしようではないか。何せ君が何度も勝利してきたのだからな」


 クラウスの自信に満ちた態度に、ヴィクトールも小さく笑って返した。


「それから、パトリシアにもたまには顔を見せてやってくれ。あの子は君が何をしているのか随分と心配していたぞ。君はあの子と昔から仲がいいから、これからも仲良くやってもらいたい。あの子はああ見えてなかなかの人見知りだからな」

「畏まりました、閣下。お姫様にも顔を見せておきます」


 ついでのようにヴィクトールが告げ、クラウスは頷く。


「では、南方植民地総督としては戦争を許可する方針でいく。ビアフラ連邦との全面戦争だ。軍事的な問題についてはファルケンハイン元帥と話し合っておいてくれ。これでいいかな?」

「結構です。戦争を始めましょう。我々が勝利する戦争を」


 最後にヴィクトールがそう告げて、クラウスを見るのに、クラウスは口角を歪め、犬歯を覗かせた笑みを浮かべてそう返した。


……………………

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