市民協力局
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──市民協力局
その男とクラウスの接触はトランスファール共和国の首都カップ・ホッフヌングで行われた。鉱山労働者たちが屯するやや治安の悪い都市の西部で、安酒場が接触場所に指定されていた。
クラウスは植民地軍のフィールドグレーの制服ではなく、この街に似つかわしいと言える安物のスーツ姿で、仕事を終えて娯楽を求める鉱山労働者たちとすれ違いながら、その安酒場を目指した。
「いらっしゃい」
安酒場は仕事帰りの鉱山労働者たちで繁盛しているようだった。誰もが早くも酔っ払い、大声で喧しく、そして賑やかに会話している。もっとも入植者の多い植民地らしい賑やかさだ。
確かにここならば、誰に接触しても目立たないな、とクラウスは思いながら、カウンターの席に向かった。
「何にされます、旦那?」
「適当に蒸留酒を。なるべく強い奴を頼む」
この手の安酒場で一番無難なのは、度数の高い酒だ。度数の高さで、安酒の不味さを誤魔化すことができる。
接触に指定された時間までは残り10分はある。クラウスはお世辞にも美味いとは言い難い安物の蒸留酒をチビチビとやりながら、予定されている接触までの時間を待った。
「いらっしゃい」
そして、10分がきっちり経ったとき、酒場のドアの開く音と店主の声が聞こえた。
クラウスはここで馬鹿みたいに扉の方に視線を向けるということはせず、何事もなく、自分にはまるで興味もないというように蒸留酒の杯を傾ける。
「何にされます、旦那?」
「隣の奴と同じのを」
ドンと隣の椅子に乱暴に腰かける音が響き、同時に野太い男の声が聞こえた。ここで騒いでいる鉱山労働者と似たような野生的な声で、早くもこの安酒場の喧騒さに溶け込んでいる。
「よう、大将。そっちは順調か?」
「そっちはどうなんだ、ノーマン?」
そこで初めて隣に座った男がクラウスに対して声をかけ、クラウスもそちらの方を向いた。
隣に座ったのは高身長──180センチほどはあるクラウスと同じくらい大柄の30代ほどの男だった。太い眉毛に落ち窪んだ目をしており、その無精髭も合わさって、実によくいる入植者的な顔立ちをしている。
その格好は山師がエーテリウム鉱山や金鉱山を探すときに纏っているカーキ色のサファリジャケットにカーゴパンツで、この鉱山労働者たちが屯しているカップ・ホッフヌングの街によく溶け込んでいた。
「こっちは上々だ。一応は第2課の作戦主任にまで出世したしな」
男はそう告げて、クラウスと同じ蒸留酒をグイッと呷った。
「そっちはどうなんだ? 噂じゃあ、植民地軍の中に私兵集団を作ったって聞いているぞ。いよいよやろうって気か?」
「そういうことだ。そろそろビジネスを始める」
男がニッと笑って尋ねるのに、クラウスがグラスをクルクルと遊ばせてそう返した。
「あの街で碌でもないことばかりしていた悪餓鬼が植民地軍の将来を嘱望されたエリート士官になって、私兵集団まで組織するとはな。人生ってのはどうなるのか分らないものがあるな」
「その悪餓鬼のおかげで随分と助かっただろう?」
男はカウンターにいるバーテンダーに更なる蒸留酒を注がせ、クラウスももう1杯の蒸留酒をオーダーした。
この男の名前はノーマン・ヘルムート・ナウヨックス。
エステライヒ共和国植民地省市民協力局の職員だ。
市民協力局とその名前だけを聞けば、いかにも平和的な活動を行っているかのように思える部署であるが、実際の活動は大いに異なっている。
この市民協力局の活動は、まずは植民地政府に反抗的と目される植民地人の監視及び“排除”であり、次が植民地における各国の情勢を調査する情報活動だ。いわば、植民地省が抱えている情報機関である。
かなり黒い組織であり、植民地人のリーダーたちを容赦なく暗殺し、他の列強植民地でも反乱工作に関わり、加えて本国の世論が植民地支配に疑問を覚えないようにメディアを買収して世論操作までをも行っている。
ノーマンは元は本国軍の情報部に勤務していた共和国陸軍少佐であり、そこでの経験──特に言語と非合法な情報工作の腕前を買われて、市民協力局の職員になった経緯がある。
そんなノーマンと何故クラウスに接点があるのか。
それはノーマンが南方植民地でも最大の都市であるカップ・ホッフヌングでの秘密工作の工作員としてクラウスの部下をリクルートしたからだ。
トランスファール共和国首都カップ・ホッフヌングには、王国、帝国の情報要員たちが跋扈しており、それらに対処するのが、ノーマンの所属している市民協力局第2課の使命のひとつであった。
時には他国の情報要員を拉致して拷問する必要もあり、そのための手足としてノーマンは当時カップ・ホッフヌングの街で有力なならず者集団を率いていたクラウスに接触したのだった。
市民協力局の正規職員が、非合法に潜入している“使い捨て”の情報要員たちを拷問するのはさほど外交問題にはならないが、正規のルートで入国し、まっとうな身分を持ち、裏で密かに情報活動を行っている情報要員を拷問したり、暗殺するのは外交問題に発展しかねない。最悪、植民地戦争の口実になる。
そこでノーマンは街のならず者たちを金で雇い、市民協力局とは無関係の立場の人間を使って情報要員たちを拉致し、拷問し、暗殺した。
クラウスもかなり市民協力局とノーマンには協力しており、彼から活動資金を得て、王国や帝国の情報要員たちを部下に拉致させては、死体を事故に見せかけて処理していた。
流石に日本情報軍という軍隊と情報機関のハイブリッドな組織で働いていただけあって、クラウスの工作は完璧であった。そして、ノーマンは度々クラウスを頼るようになり、ふたりの間には確かな接点が生まれていた。
クラウスは街のならず者を率いていたのは、最初からこれが目的と言うわけでもなく、前世で使い損ねた金のことで腹を立てて八つ当たりしていただけだったのだが、ノーマンの言うように人生とはどう動くか分らないものである。
「それで何を聞きたい? お使いにヘルマを寄越さなかったということは、俺から重要な情報を聞き出したいように思えるんだがな」
そう告げるノーマンの目に獣のような光が灯る。
「ビアフラ連邦とうちの国境付近で、王国が動いているんだろう。どうなってる?」
「ああ。あれか」
クラウスは事前にヘルマに入手させておいた情報を告げて尋ねる。
「動いているのはトーマス・タールトン準男爵って秘密情報部の男だ。こいつは随分と油断ならない男でな。植民地人の事はよく把握しているし、王国政府との繋がりも強い。こいつが扇動した部族の反乱はかなりの数になる」
ノーマンはトーマスが狼人種の部族に接触したらしいという情報を、ビアフラ連邦に潜入させている市民協力局の情報要員から入手していた。彼が長期間旅行に出かけ、そして王国植民地軍が僅かにだが動いた情報から、そう推察していた。
「暗殺はしないのか?」
「表向きは王国陸軍の軍人だし、何せ準男爵だ。使い捨ての情報要員と違ってホイホイと殺すわけにはいかん奴なんだよ。それに、こいつは暗殺にも警戒していて、そう簡単には殺せそうにない」
市民協力局は数多くの暗殺を行っているが、その対象のほとんどは殺しても外交問題に発展しない植民地人のリーダーや、非合法で使い捨ての情報要員たちだ。綺麗な身分を持ち、王国政府とも繋がりのある人間を消すという荒業は市民協力局の上層部がおいそれと許可しない。
「そのトーマスって男の狙いは、植民地人どもに反乱を起こさせ、それに乗じて王国植民地軍を動かす、ってところだろう。間違いはないか?」
「ああ。植民地人の中に潜伏させている情報要員が、ここ最近ヌチュワニン鉱山から追い出された狼人種が銃を使った軍事訓練を行っているって情報を手に入れてる。どれほどの規模になるかは不明だが、ちとばかり厄介な問題になるだろうな」
ヌチュワニン鉱山はエステライヒ共和国最大の資源開発企業SRAG(シュトラテギー・レスルセン・アクティエンゲゼルシャフト)によって開発が行われているエーテリウム鉱山だ。
ヌチュワニン鉱山はトランスファール共和国でも有数の規模を誇るエーテリウム鉱山であり、トランスファール共和国とエステライヒ共和国を豊かにしている重要な鉱山であった。
「ヌチュワニンの警備を見てきたが、あれはお粗末極まりなかったぞ。配属されている植民地軍は1個歩兵中隊程度であり、機関銃も装備していなければ、魔装騎士もいない」
「植民地軍もSRAGもあそこで問題が起きるとはもう思っていないのさ。数年前までは植民地人の攻撃に晒されて、警備はかなり強化されていたが、その後の殲滅戦で植民地人たちはジャングルに逃げ出した。もう誰も攻撃が起きるとは思っていない」
クラウスはヘルマからビアフラ連邦とトランスファール共和国の国境付近で問題が起きる可能性があると聞かされてから、すぐにヌチュワニン鉱山を視察していた。
そこに配属されているのはやる気がない植民地軍の歩兵中隊が1個だけで、彼らは鉱山労働者や鉱山奴隷の反乱に備えた武装は装備していても、外部から攻撃を受ける可能性については全く考えている様子がなかった。
それもそうだ。
ヌチュワニン鉱山が攻撃に晒されていたのは、もう5年も前までの話。植民地軍が徹底した対反乱作戦を実行したことで、狼人種の部族は追い払われ、彼らはジャングルに逃げ延びたまま、何もしてくることはなくなった。
植民地軍はヌチュワニン鉱山への攻撃の可能性はなくなったと判断し、ただでさえ人員不足の植民地軍を引き上げさせていた。
「フム。そのトーマスって男はどれほどの支援を植民地人どもに与えたと思う?」
「植民地軍基準の歩兵の一般的な装備だろう。小銃に手榴弾くらいってところだ。こちらで把握している狼人種の部族の規模は1000名程度だから、それが一斉に襲い掛かってきたら、ヌチュワニン鉱山はどうしようもないな」
クラウスの問いに、ノーマンは再び蒸留酒を呷ってそう告げた。クラウスはこんな不味い酒をよくよく美味そうに飲めるものだと感心する。
「植民地軍のお粗末さは、植民地軍に入ってよくよく理解している。相手が非文明の植民地人であろうとも装備の差がなければ、やられるな」
「で、それを聞いてどうするつもりだ?」
クラウスがそう告げるのに、ノーマンが僅かに赤らんだ顔でそう尋ねた。
「俺の部隊には実績が必要なんだよ。独立部隊というものを勝ち取ったが、所詮は実家の権力で手に入れたもの。他の連中からは兵隊ごっこだと思われている。だから、この反乱を初陣にし、功績を手に入れる」
「相変わらずの野心家だな」
クラウスはヴェアヴォルフ戦闘団を手に入れたが、ヴェアヴォルフ戦闘団には今のところ何の実績もない。ただ、植民地軍総司令官直轄部隊という異例の立場を手に入れ、その即応性から、あらゆる事態に対処するという役割を担っているのみ。
クラウスの計画では、そのままではいけなかった。彼の計画ではヴェアヴォルフ戦闘団を植民地軍きっての優秀な部隊とし、その部隊を使って、彼のビジネスを始める必要があった。
「ノーマン。反乱の可能性の情報はどこまで伝わっている?」
「今のところは俺だけだ。まだ確証性の高い情報とは言い難いし、何よりそっちが上に報告するなって言ってただろう?」
クラウスの問いに、ノーマンが今度はゆっくりと蒸留酒の杯を傾けて返す。
「上等だな。反乱の可能性については、一応目立たない形で報告しておいてくれ。情報が上に届いていないと、そっちの信頼を損ねるだろう。それは困る」
「おっ。俺の事を心配してくれてるのか。嬉しいね」
そう告げるクラウスに、ノーマンがケラケラと笑った。
「俺の計画には市民協力局の中に協力者が必要なんだよ。植民地軍の情報部はお粗末過ぎて使い物にならないからな」
「計画、か。それは、まだ俺も乗っていることになってるよな?」
クラウスの計画。
植民地軍で魔装騎士を主体とする独立部隊を手に入れ、更には薄汚い情報機関である市民協力局の支援を必要とするような計画。
それは一体何なのだろうか?
「まだ乗ってることになってるぞ。そっちが上手く協力してくれれば、計画が成功した暁には莫大な分け前を与えてやる。市民協力局で勤めているだけじゃ、稼げないような大金だ」
「そいつは楽しみだ。その計画が上手くいく事を願うとしよう」
クラウスの計画にはそれなりの人間が関わっている。
ヘルマを初めとするクラウスの部下たち。ローゼ。そして、ノーマン。
「願うのではなく、行動してくれ。具体的な反乱の日程を割り出して、俺にだけそれを報告してもらいたい」
「お前さんだけに? まさか、単独で反乱を鎮圧するつもりか?」
クラウスの言葉に、ノーマンが目を細める。
「その通り。戦果は俺の部隊が全ていただく」
「大した自信だ。まあ、成功する見込みがないということはないだろうが」
クラウスはニイッと犬歯を覗かせて笑い、ノーマンは肩を竦めた。
「だが、用心しろよ。植民地人どもの反乱が起きたら、すぐに王国植民地軍が動くはずだ。王国植民地軍は植民地人どもと違って、魔装騎士も装備している。簡単にやれる相手じゃないぞ」
ノーマンはトーマスの動きを探っている過程で、王国植民地軍の魔装騎士部隊が動いていることを突き止めていた。彼らが国境付近に移動し、そこで演習を行っていることを。
「どうせ植民地軍だ。三流だろう?」
「それがそうでもなくてな。どうも本国軍からのてこ入れがあったらしく、本国軍から軍人が派遣されていた。名前は不明だが、アルビオン王国陸軍少佐だという事は分かっている。それから優秀な魔装騎士乗りらしいと」
クラウスが軽蔑した様子で告げるのに、ノーマンは用心深くそう告げた。
「なるほど。まあ、ただの雑魚を相手にしても功績とはいえん。ここは相手にも少しばかり頑張ってもらうさ」
「おうおう。自信に満ちてるな。だが、その自信に驕って、失敗するなよ」
クラウスはグラスに残っていた蒸留酒を飲み干し、ノーマンも同じように安酒の味を誤魔化すように大きな素振りで酒を飲み干した。
「誰に言ってるんだ。この俺が失敗することなんぞない」
クラウスは最後にノーマンにそう告げると、肉食獣のような笑みを浮かべて、この安酒場から出て行ったのだった。
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