世論形成
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──世論形成
「片付いたな」
クラウスの皆殺しの命令から1時間後。
基地にいる王国植民地軍の兵士は全員が死体に変わっていた。
あるものは榴弾の破片を受け、首が皮一枚で胴体に留まっている状態になっている。あるものは焼夷弾の粘着質な炎で全身を焼かれ、筋肉が熱で委縮し、特徴的なポーズとなるのと同時に、関節から骨が突出している。あるものは機関砲弾の掃射を受け、手足がバラバラの方向に飛び散っている。あるものは対装甲刀剣で引き裂かれ、胴体から腸を零れ落している。あるものは魔装騎士のその重量で踏み潰され、地面で赤黒い染みとなっている。
皆殺しだ。クラウスは王国植民地軍の後方基地にいた負傷者たちを皆殺しにした。誰ひとりとして逃がさず、徹底的に殺し尽くした。彼らは満足に動くことすら困難で、何の脅威にもなりえなかったというのに。
『兄貴、こいつらはどうするんッスか?』
ヘルマが血を帯びた対装甲刀剣で指し示すのは、この基地にいた王国植民地軍以外の人間たちだ。
「ソルフェリーノか。面倒な連中が残っていたな」
クラウスは心底面倒くさそうな顔をして、ヘルマの指し示すものを見る。
軍服ではなく白衣を纏った一団。この基地において負傷者たちの治療を行っていたものたち。戦闘員ではない人種。
彼らはソルフェリーノ協会の人間だ。
ソルフェリーノ協会とは地球における赤十字社と同じで、国籍の区別なく戦場や災害現場での医療に従事するものたちだ。植民地戦争においても彼らが登場する機会は多く、彼らは共和国も、王国も、帝国も、そして植民地人も、区別なく治療する。
今、ビアフラ連邦とトランスファール共和国の間で戦われている、この国境紛争にも彼らが出動していた。王国側にも、共和国側にも、両陣営にソルフェリーノ協会の医師や看護師たちがいる。
『殺しちまうッスか? 残しておいても邪魔じゃないッスか?』
ヘルマはそう告げてクイクイと対装甲刀剣をソルフェリーノ協会の看護師に突き付ける。看護師は自分に巨大な鋼鉄すら引き裂く刀剣が突きつけられているのに恐怖し、震えているのが分かった。気を失わないのは、それなりに修羅場を潜っているということだろう。
「ちょっと待て。ソルフェリーノの連中を殺すと面倒なことになる。こいつらは確かに邪魔だが、国際条約で守られている。俺たちはいろいろと国際条約を無視してきたが、この条約を無視すると俺たちの側もそれなりの損害を受けることになる」
クラウスはヘルマに対してそう告げる。
ソルフェリーノ協会の医療従事者たちは列強各国が批准した国際条約によって保護されている。たとえ戦場においても、彼らを殺傷してはならないし、彼らの活動を妨害することがあってもならないと。
これを無視してソルフェリーノ協会の医療従事者たちを殺すと、ソルフェリーノ協会は殺した側の国に猛烈に抗議し、それは国際世論の反発に繋がる。最悪の場合は、ソルフェリーノ協会が対象の国家で活動しなくなることすらありえる。
そうなってしまうと。本国から睨まれているクラウスはまた問題を起こしたとして幾分かの権限を剥奪されるかもしれないし、共和国でソルフェリーノ協会が活動しなくなるのは共和国植民地軍において打撃だ。
『皆殺しにしておけば分からないんじゃないッスか。死人に口なしって奴で』
「トランスファールと戦争している王国の基地が襲われて、そこで兵士と一緒にソルフェリーノの連中が殺されてれば疑いが向くのは間違いなく共和国だよ。それぐらいのことは馬鹿にだって理解できる」
ヘルマが退屈そうにそう告げるのに、クラウスが溜息交じりにそう返した。
「ああ。そうだ。こいつらはメッセンジャーにしてやろう。ここで起きたことを王国に伝えさせる役割を任せる。俺としては王国に早くここでのことを知ってもらい、怒り狂ってほしいからな」
クラウスはそう告げて、ニッと笑うと機体を駐機状態にし、操縦席のハッチを開くと地面に飛び降りた。
周囲には濃い血の臭いと肉と髪が焦げる悪臭が充満している。死の臭いだ。戦場の臭いだ。クラウスが嗅ぎ慣れた臭いだ。
「やあ、ソルフェリーノの皆さん。分かっているかと思いますが、我々は共和国植民地軍です。あなた方を害するつもりはありませんのでご安心ください」
クラウスはいつもの模範的な士官面をして、ソルフェリーノ協会の医師たちに話しかける。表情こそいつものにこやかで紳士的な笑みを浮かべたそれだが、この男がここにいた王国植民地軍の兵士たちを皆殺しにしたかと思うと、ゾッとする笑みだ。
「だが、君たちは我々が治療中だった患者たちを殺した」
ソルフェリーノ協会の医師は怖気づくことなくクラウスにそう指摘した。
「ええ。殺しましたよ。彼らはあなた方の患者である以前に、我々共和国を脅かす敵なのです。そして、敵はどうあっても無力化しなければならない。負傷者であろうと戦場において安穏としていられる場所などないのですよ」
ソルフェリーノ協会の医師の言葉にクラウスは肩を竦める。
「だが……」
「王国と帝国が争っている中央アジアでも、ソルフェリーノ協会が治療中だった患者が殺されているでしょう。帝国の負傷者が王国によって、王国の負傷者が帝国によって。我々の世界──戦争の世界はそういうものなのです」
医師が反論しようとして言葉を詰まらせ、クラウスは事実を告げた。
事実だ。
帝国と王国が東方植民地の一部であるバーラト──インドに相当する──を巡って、地球におけるアフガニスタンで繰り広げている植民地戦争では、両軍でソルフェリーノ協会が活動していたが、その活動は満足なものではない。
帝国は王国の野戦病院を襲撃すれば、そこにいる負傷兵が戦線に復帰する前に殺すことを選んでいた。そして、王国も同じように帝国の負傷兵がソルフェリーノ協会で治療中にもかかわらず、殺害している。
このことは新聞でも報じられたが、王国は戦場での当然の行為だと首相が見解を発表し、帝国も同じような声明を枢密院が発表し、また列強の2ヶ国が揃って同じことをしているのだから、もはや当然のこととして扱われた。それだけ中央アジアを巡る戦争は激しいのだろうとして。
ソルフェリーノ協会は一応は王国と帝国の両者に対して抗議したものの、民間の組織では列強2ヶ国を相手にすることはままならない。
ソルフェリーノ協会を巡る条文のひとつはこうして無意味なものとなっていた。
「我々も心が痛いのですよ。敵とは言え満足に戦えない敵を殺すのは」
クラウスは今度は全くの虚偽を告げる。彼の良心はこの後方基地で起きたことに欠片も揺らいでいない。
「ですので、せめてあなた方くらいは保護しようかと思います。我々はあなた方の身の安全を保証し、ここから去ることを認めましょう。ここにはまだ動くジープも、トラックもある。それに乗って、近くの街まで行って王国に保護を求めるといいでしょう」
クラウスはそう告げて、後方基地で破壊を免れていた王国植民地軍のジープとトラックを指差した。あれだけ激しい戦闘があっても、何体かの修理中のエリス型魔装騎士と同様に、無事に残っていた。
「……ここでのことは王国に話すぞ」
「ご自由にどうぞ。我々はこれ以上、ソルフェリーノ協会の活動を妨害するつもりはありません。今回の件は不幸な衝突なのですから」
医師が告げるのに、クラウスはそう告げて返す。
「さあ、我々の気が変わる前に行ってください。我々の気が変わったら、どうなるかは分かりませんよ」
「い、行こう。ここを出て、コールマンスコップまで行き、そこで王国植民地軍の保護を受けよう」
クラウスが小さく笑て告げるのに、医師は看護師たちを引っ張って、トラックへと向かっていくと、そのままトラックに飛び乗ると慌ただしく、この後方基地から去っていった。医師の言葉からして、彼らはダイアモンド鉱山で栄えている都市、コールマンスコップまで行くのだろう。
「これでよし。連中はここで起きたことを全て王国植民地軍に話してくれることだろう。俺たちが如何に残忍に負傷兵たちを皆殺しにしたかを、な」
去っていくトラックを見ながら、クラウスはそう呟く。
「何を考えているの、クラウス?」
「俺たちに必要なのは戦争を激化させることだ。ただの国境紛争を、国を奪い合う全面戦争に変える。そのためには共和国植民地軍に、王国植民地軍に、植民地政府に、両国の入植者たちに憎悪を抱いてもらわなければならん」
クラウスと同じように魔装騎士を降りてきたローゼがクラウスの隣に立って尋ねるのに、クラウスは何か悪巧みをしているときの表情でそう返した。
「わざわざ戦争を激化させるなんてあくどいことを考えるのね」
「俺たちのビジネス自体があくどいものだからな。自然とそうなる」
ローゼが肩を竦めるのに、クラウスも肩を竦めた。
「で、必要なものがあるんだが……」
クラウスはそう告げて、基地内を見渡した。
「ああ。あったな。やはりここにならあると思っていたぞ」
そう告げてクラウスが見るのは王国植民地軍が装備するエリス型魔装騎士──それが3体であった。既に修理はほぼ終わった状態で、操縦士がいないために戦うことができなかった機体だ。
「ヘルマ。ちょっと来てくれ」
『了解ッス』
クラウスが携行型のエーテル通信機でヘルマを呼ぶのに、ヘルマが自分の魔装騎士から飛び降りて、クラウスの下へとトトトと駆け寄ってきた。
「ヘルマ。フーゴ特務中尉からエリス型の起動方法も教わっていたはずだよな。やれるか?」
「もちろんですよう。ちゃんとマスターしたッスからね。エリス型も、サイクロプス型も自由に起動させることができるッス!」
クラウスは以前、ヘルマに王国植民地軍が使用している魔装騎士の起動キーなしでの起動方法について習熟しておくようにと命じていた。そして、ヘルマはフーゴから魔装騎士の機動メカニズムを教わって、それをマスターしていた。
「なら、この魔装騎士を起動してくれ。ちょっとやることがある。そう、この戦争で俺たちが儲けるためにやるべきことがな」
クラウスはそう告げて、ニッと笑うと3体の魔装騎士を指さした。
「お安い御用ッス! でも、一体何をするんッスか? このエリス型よりあたしたちが装備しているニーズヘッグ型の方が圧倒的に性能が上なんじゃなかったんッスか? わざわざ分捕ってもやることはないと思うッスけど……」
ヘルマはそう告げて首を左右に傾けた。
「前にやったことの応用だ。やってみれば分かる。とりあえず、こいつらを起動して動けるようにしてくれ。整備が必要ならば、なんとかする。エリス型の中身は一応暗記してきたからな」
クラウスはそう告げると、整備施設に置きっぱなしになっているエリス型をトントンと叩いた。彼は何をするのかは不明だが、その何かをするに当たって、敵国の魔装騎士であるエリス型の中身について習熟してきたようだ。
「じゃあ、立ち上げるッスね」
ヘルマはそう告げると、駐機状態になっているエリス型に乗り込んでいった。
「わっ。兄貴、見てくださいよ。この魔装騎士って湯沸かし器が付いてッスよ。王国の連中は戦場でお茶でも飲むんスかね」
「それは戦闘糧食を温めるための代物だ。まあ、王国の連中のことだから確かにお茶も沸かして飲んでるかもしれないがな」
王国臣民の紅茶好きは大したもので、遥々東方植民地からお茶を運んで飲んでいる。魔装騎士についている湯沸かし器も本来は戦闘糧食を温めるための代物だが、茶渋が付着しているところから見て、本来の用途外で使用しているようだ。
「戦争なのに暢気なものね」
「戦争でも気晴らしは欲しくなるだろう。戦争で戦闘ばかりしてたら、頭がおかしくなるぞ。共和国の戦闘糧食も無駄に豪勢だしな」
ローゼがエリス型を見上げて告げるのに、クラウスがそう告げて返した。
王国の魔装騎士には湯沸かし器がついており、冷たく、本来ならば暴動が起きるぐらい不味い戦闘糧食を温めてから食べることができる。
それと同じように共和国も兵士の食事には気を配っている。共和国の戦闘糧食はおいしい──比較的──ことで有名で、缶詰の質も良く、野菜の缶詰も、肉の缶詰も、普通の料理と同じような味がすると評判だった。野菜はちゃんと味付けされており、肉は柔らかく、塩っぽくないと。
なので、植民地戦争で王国や帝国が共和国の基地を奪うと、彼らは真っ先に戦闘糧食と共和国名産のワインを奪いにいくのだった。
「これをこうして……。よし、と!」
クラウスとローゼがそんな会話をしていたとき、ヘルマが1体目の魔装騎士を機動させることに成功した。秘封機関が起動する低音が響き、人工筋肉に多大な魔力が行き渡り、機体がガクンと揺れる。
「兄貴! どうッスか! ちゃんと起動できたッスよ!」
「流石だ、ヘルマ。よくやった。その調子で全ての魔装騎士を起動しておいてくれ。1体だけじゃちとばかり足りんからな」
ヘルマが嬉しそうに操縦席から手を振るのに、クラウスがそう告げて返した。
「クラウス。まさかとは思うけど、あなた……」
「そのまさかだと思うぞ。俺たちはこの戦争に油を注いでやる。この戦争が全面戦争に変わるように、な」
ローゼが険しい表情で告げるのに、クラウスは愉快そうに笑いながらそう返したのだった。
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