とある戦場、とある悲劇
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──プロローグ
夜の闇の中で炎が燃えている。
家屋が燃えている。畑が燃えている。生命が燃えている。
ここはアナトリア地域のとある村落。
本来はアナトリア地域というまるで政府や国家が存在しないような名前で称され、扱われるのではなく、いくつかの国家や部族集団の存在を認め、その国家の名において統治を行っているものとして扱われるべきだった。
だが、ここは非文明の大地。
いくら統治を行っていると叫ぼうと。いくら歴史を持った国家が存在すると訴えようと。いくらそこに守るべき人民と資産が存在するのだと知らせようと。全ては文明国たる列強諸国によって無視され、統治されぬ野蛮の大地──所有者のいない開拓するべき土地として扱われる。
「どうしてこんなことに……」
そんなアナトリア地域で少女が炎上する自分たちの村を見る。
炎上する村の炎に炙られるようにして、10メートル近くある巨大で、無骨なフルプレートアーマーを纏った騎士のごときシルエットが見える。
魔装騎士。
死霊術の原理を利用した人工筋肉によって駆動し、錬金術によって生み出された生体装甲を有し、エーテリウムを燃料とする秘封機関を動力とし、魔道式演算機という頭脳によって制御される、この世界最強の戦力。
巨大な騎士の姿をした傍若無人な怪物。
魔装騎士を保有しているのは列強だけだ。他の非文明国家は未だにエーテリウムを原始的な魔術の触媒として利用する術しか知らない。彼らが魔装騎士のようなエーテリウムを燃料として利用し、死霊術から錬金術、生物工学及び魔道工学までの複雑な要素が絡み合った文明の英知の結集を作り上げるのは不可能だ。
そんなこの世界の人類が作り上げた怪物が村を焼いている。
この村に暮らしてたのは豹人種たちで、彼らは炎上する村落の中を巣を荒らされる蟻のように逃げ回り、逃げ遅れたものが炎に包まれ、決死の覚悟で魔装騎士に挑んだものが踏み潰されて血と肉の染みと化す。
魔装騎士は抵抗するものたちを嘲笑うように、腕部に装着された口径88ミリ突撃砲から砲弾を放ち、焼夷弾と榴弾とが夜の闇でチカチカと花火のように瞬き、それと同時に轟音が響き渡る。
魔装騎士を見上げる少女の傍にも榴弾が着弾し、近くにあった簡素な木製の建物を薙ぎ払った。
「う、うう……」
少女は呻き、よろめく足で立ち上がり、傍若無人に振る舞う魔装騎士を睨む。手にはエーテリウムの嵌められた杖を握りしめている。それは彼女が魔術師であるということの証だ。
「イクヌル! イクヌル! 逃げるんだ! 早く!」
「でも、村が! 私たちの村が!」
そんな少女を呼ぶ声が響くが、少女は燃え盛る村を指さして叫ぶ。
何もかもが理不尽だった。
彼女たちはただこの土地でささやかな農地を耕し、家畜を育てて平穏に暮らしてただけだというのに。誰かを害そうと思ったことなどないのに。まして列強に逆らうなどというつもりなど露もなかったのに。
なのに、列強の魔装騎士は村を焼いている。村人たちを、少女の友人たちを殺している。無慈悲に、冷徹に、理不尽に、全てを破壊している。
「何故? 何故なの? 何故、私たちがこんな目に……」
少女は怒りと絶望の混じった瞳で、炎に照らし出された巨人を見上げる。
これまでアナトリア地域は列強──アルビオン王国、ルーシニア帝国、そしてエステライヒ共和国からまだ“刈り取り”を受けていない大地だった。列強諸国は港湾都市などは占拠して、そこを貿易の中継拠点にすれど、内陸部にまで手を出そうとは思っていなかった。
だが、状況が変わった。
アナトリアで大規模なエーテリウム鉱山が見つかったのだ。
魔装騎士の燃料であり、その他の魔道機器の動力源であるエーテリウムは、その加工技術によってもたらされる恩恵を受けている列強にとって、まさに生命線だ。現代の地球で言えば、石油とレアメタルの両方の価値を併せ持つ魅惑の鉱物資源だった。
エーテリウムは文明国家にとっての動力源。
そんなシンプルな理由で列強はエーテリウムを奪い合っている。
列強が各地に軍隊を送り込んで大規模な植民地を支配しているのも、列強本土で
はあまり採掘することのできないエーテリウムを搾り取り、それによって本国経済を豊かにし、同時に噂される“世界大戦”に備えてのことだ。
ただエーテリウムという鉱物資源を奪うため。ただそれだけの目的のために、列強は何十万という植民地で抵抗する現地住民たちを虐殺し、生き残りを鉱山奴隷とし、悪辣な植民地支配を行う。
今は帝国主義時代。強者が弱者を支配することは、社会進化論的に正当なことと看做され、列強たちは弱肉強食と自然淘汰の名において全てを正当化する。
少女の村においても、近くに聳えるちょっとした山脈からエーテリウムの鉱脈が発見され、その領有権を“発見者”であるアルビオン王国が主張していたところだった。
だが、少女たちにとってはそんなことは無関係なはずだった。自分たちは農民であって、鉱山で働くものではないし、アルビオン王国とも無関係なのだ。ただ、近くで鉱山ができるという話を聞き、水が汚染されないか心配していたぐらいだった。
それなのに。それなのに、列強は少女の村を焼いている。
よく遊びに出かけた友人たちの家が燃えている。お祭りの時にはみんなが集まる集会所が燃えている。自分の家が燃えている。
そして、友人たち“だった”焼死体が転がっている。物言わぬ黒焦げの骸となって、冷たい地面に転がっている。中には榴弾の破片を浴びて、腹部から体液を帯びた腸を漏らし、手足が引き裂かれた死体もある。
「ああ……」
少女の瞳から涙が零れるが、それはすぐに拭い取られ、瞳には怒りの色が浮かんだ。
「このっ! このっ! こんなことが認められるかっ!」
少女はこのエーテリウム、列強、帝国主義の全てがもたらす理不尽への怒りに叫び、手に握った杖に力を込めて、魔術を生成する。
杖に嵌め込まれたエーテリウムが、少女が本来有する魔力に感応して真っ赤に輝き、少女が親から教えられた通りに詠唱を行えば、それに従って事象が改変され、オレンジ色に輝く炎が生成された。
「やめろ、イクヌル! そんなことをすれば──」
兄弟の叫ぶ声を無視して、少女は魔装騎士にオレンジ色の炎を放った。
炎はグルグルと螺旋を描きながら魔装騎士に向けて突き進み、その灰色に塗装された生体装甲に命中した。
轟音。激しい衝撃音が響き、少女の攻撃を受けた魔装騎士の姿がもうもうと立ち上る黒煙によって見えなくなる。
「村から出ていけ! ここは私たちの村だ!」
直撃を受ければ魔装騎士とて耐えられまいと考えて少女が叫ぶ。
「……え?」
だが、現実は冷酷だ。
魔装騎士は少女からの攻撃を受けても、焦げ跡ひとつついていなかった。依然として戦場の王者として君臨し、そのギョロリとした生物的な印象を受ける人工感覚器が少女の方に向けられる。
「そんな……」
少女が絶望したのと、魔装騎士が跳躍したのは同時だった。
魔装騎士はその重量を感じさせぬ勢いで大きく跳躍し、そのまま少女の眼前にズウンと重低音の着地音を響かせて着地した。
狼のエンブレムが刻まれた機体。無機質で、無慈悲な機体。
『植民地人にも随分と気概のあるのがいるみたいだな』
魔装騎士から男の声が響いた。
低い男の声。死神の声だ。
「あ、ああ……」
『だがな、それぐらいじゃどうにもならんのだよ。悲しいことに、な』
少女は絶望に染まった瞳で魔装騎士を見上げ、魔装騎士は足を振り上げた。
グチャリ。魔装騎士の数十トンある重量に踏み潰された少女は原型を留めぬ肉の塊となり、そのまま何も感じなくなった。故郷を失う悲しみも、帝国主義と植民地支配に対する理不尽も。
『キンスキー中佐。大丈夫ですか?』
見た目とはことなり戦闘機の操縦席のような魔装騎士の操縦席で、先ほど肉塊になった少女から魔術攻撃を受けた機体の操縦士であり、この襲撃を企画した男を心配する声が響いた。
「問題ない。それからキンスキー“中佐”はやめろ。俺たちは自発的な意志で、たまたま魔装騎士でうろついていたところを現地住民にぶつかった民間の旅行者だ。エステライヒ共和国植民地軍とは一切無関係ということになってる」
『すいません、ボス』
エーテル通信機にそう声を返すのは20代ほどの男だ。
切れ長の油断ならない目をしており、まさに軍人然とした線の太い顔立ちをしている。ゴールドブロンドの髪はオールバックにして纏め、僅かに顎髭を蓄えているが、彼を見たものの多くは彼の事を“狼”と呼ぶ。
この男の名前はクラウス・キンスキー。
列強の一角たるエステライヒ共和国の植民地軍中佐であり、この集落を襲撃しているかの悪名高いヴェアヴォルフ戦闘団を指揮する男だ。
「それにしても、よく焼けたもんだな」
クラウスは人工感覚器──文字通り人工的に作られた視覚・聴覚を担う魔装騎士の感覚器官だ──が拾った外の光景を眺めてそう呟く。
村は半分が榴弾と焼夷弾によって焼き払われている。村人たちは右往左往しながら逃げ惑い、炎が轟々と音を立てて燃え盛る音に混じって、子供の泣き叫ぶ甲高い声を人工感覚器は拾っていた。
「村を焼くのはそこら辺でいいぞ。ある程度財産を残しておいてやらないと、連中がここから移動しちまうからな。特に畑と家畜は焼くな。農民どもは馬鹿だから、畑が燃えずに残ってりゃここに戻ってくる」
『了解、ボス』
クラウスはそう告げながら、自分の機体で周囲を確認する。
「それから植民地人どもを調子に乗って殺し過ぎるなよー。ここの連中には祖国エステライヒ共和国と俺たちのために鉱山奴隷になってもらわなきゃならんのだからな」
人工感覚器は焼夷弾で黒焦げになった死体や、榴弾で真っ二つに引き裂かれた死体が炎によって浮き上がっているのを捉えている。人工感覚器は臭いこそ拾わないが、クラウスにとっては死体の焼ける臭いは嗅ぎなれているので簡単に想像は付く。
髪の焼ける臭い。脂肪の焼ける臭い。筋肉の焼ける臭い。戦場の臭い。
『相変わらず碌でもないことを思いつく才能だけはあるのね』
クラウスが周囲を確認していたとき女性の声が響いた。
エーテル通信用のクリスタルにはその声の主が映し出されていた。
プラチナブロンドの髪をポニーテイルにして纏めた10代後半頃の女性で、その長く、艶やかな睫に縁取られた瞳の輝きはどこか冷たく、そして鈍いが、その他の部位は何をとっても美人だと表現できる女性だった。凛として、引き締まった顔立ちには無駄と言うものがない。
「ローゼか。褒めても何もでないぞ。金が欲しければ敵を殺せ」
『この言葉を褒めていると考えるあなたの正気を疑う』
クラウスがニッと笑ってそう告げるのに、ローゼと呼ばれた女性は肩を竦める。
「で、わざわざ通信してきたからにはお客が来たか?」
『ええ。9時の方角からエリス型魔装騎士が約110体。馬鹿正直に真っ直ぐこちらに向かってきてる。間も無く“こちら”の射程内に入るけれど、どうするつもり?』
クラウスが問うのに、ローゼは決断を求める目でクラウスを見る。
「なら、いよいよ王国の植民地軍とのドンパチ開始だ。ローゼの部隊はこちらが敵に近接するまで、支援攻撃を頼む。なあに、軽い仕事だ。肩を張るほどのことでもないぞ、紳士淑女諸君」
クラウスは愉快そうに犬歯を覗かせた獰猛な笑みを浮かべて、部下たちにそう告げる。
クラウスの指揮するヴェアヴォルフ戦闘団は1個魔装騎士大隊56機を中核とし、1個装甲猟兵中隊18機と予備機数機、並びに補給中隊と整備中隊及び本部管理中隊、並びに1個偵察分隊で構成されている。
この場合、王国の約110体という6個中隊──連隊規模で攻め込んできた王国植民地軍に対して、クラウスの指揮する部隊は数において圧倒的に不利だ。
だが、クラウスはそんな不利など関係ないという具合に鼻歌を歌う。
「さてと、適当に何発か牽制射撃を行ったら、決着は近接格闘戦だ。これぞ魔装騎士の醍醐味じゃあないか、ええ?」
『全くですよ、ボス。こうでなくては』
クラウスは突撃砲の弾種を徹甲弾に変更すると、闇夜の中を迫り来る王国植民地軍のエリス型魔装騎士に砲口を向ける。
「撃ち方始め」
そして、クラウスは引き金を絞った。
操縦席に突撃砲の反動が僅かに響く。そして、これは獲物を仕留めたという心地いい感触だ。
自分たちが闇夜を利用し、完全に隠れていたと考えていた王国植民地軍の魔装騎士がズンと音を立てて装甲を撃ち抜かれ、燃料として利用できるように加工されていた秘封機関のエーテリウムが暴発して、暗闇の中に炎の光が瞬く。
「暗闇の中でこちらだけが視界を有する。これほど愉快なことはない。“ウーフー”はかなり使える」
人工感覚器の拾った視界には、白みがかった映像が映っている。明らかになんらかの暗視装置を利用した視界だ。ウーフーというのは暗視装置の名称なのだろう。
『こちらローゼ。支援攻撃を開始する』
そして、エーテル通信を介して、ローゼのぶっきらぼうな声が聞こえ、それから僅かな時間で遥か後方から僅かな炸裂音が響き、次の瞬間にはまた王国植民地軍の魔装騎士が吹き飛ばされた。
王国植民地軍は何が起きているのかも把握できず、その場に留まろうとし、更に狙撃を受けてまた撃破されたことで、強行突破に切り替えた。
だが、強行突破でかなりの速度を出している間にも、ローゼの放つ砲弾はまるで魔弾のようにして王国植民地軍の魔装騎士を撃ち抜き、撃破する。
「流石は植民地軍一の装甲猟兵と128ミリ砲だ。あれぐらいの集団を仕留めるのは造作もないという具合だな」
クラウスは小さく口笛を鳴らすと、彼の機体から一本の刀を抜いた。
「さて、試させてもらおうか。騎士の国、王国軍の実力って奴をな!」
クラウスと彼の部下は、後方からはローゼが口径128ミリ突撃砲で狙撃を行い、それによって将校と下士官を相次いで失い隊列と統率の乱れた王国植民地軍に近接戦闘を挑んだ。
一気に跳躍し、距離を詰めると、敵が何かの行動を起こす前に、大振りの9メートルはある刀を振り下ろす。
これが普通の金属製の刀であったならば、いくら型遅れの第2世代であるエリス型魔装騎士でも多少は耐えられただろう。金属と金属がぶつかり合って立てる甲高い音が響き渡り、それで終わるはずだった。
だが、クラウスの振り下ろした刀は王国植民地軍のエリス型魔装騎士の胴体を完全に切断した。まるで熱したナイフでバターを切り取るかのように速やかに、生体装甲に覆われた魔装騎士を両断した。
「流石はレムリア重工製だ。よく斬れる熱式刀剣だな」
クラウスはそう告げると、また一体の魔装騎士に挑む。
『な、何が!?』
『新型だ! 気をつけろ! あれは共和国の新型だ!』
エーテル通信の暗号も忘れて、王国植民地軍の兵士たちが叫ぶ。
「あーあ。これだから、植民地軍は三流だって言われるんだよ。そんな混乱したエーテル通信を垂れ流してたら──」
クラウスは次の魔装騎士には確実に操縦席を狙って、刀を突き立てた。
「俺たちの攻撃が大成功だって分るじゃないか」
クラウスはそう告げて笑うと、また次の魔装騎士に挑みかかる。
結局のところ、王国植民地軍が派遣した1個連隊の魔装騎士が壊滅したのは、派遣から僅かに1時間と30分のことであった。
クラウスの指揮するヴェアヴォルフ戦闘団に損害はなく、暗闇の中を10メートルはある巨体がユラリと動いていた。
「紳士淑女諸君。逃げようとする魔装騎士の操縦士は確実に殺しておけ。魔装騎士そのものを作るのは6ヶ月と僅かだが、操縦士を育てるのには3、4年かかる。ここで操縦士を抹殺しておけば、王国の植民地軍にとっちゃ大打撃だ」
『相変わらずの嫌らしい作戦』
クラウスはそう告げながら、辛うじて即死を逃れた王国植民地軍の魔装騎士の操縦士が逃げ出す様子を眺め、ローゼが小さく肩を竦めてそれに応じる。
副兵装の機銃弾が放たれ、対装甲用の熱式刀剣が振り下ろされた。
彼自身も、足で操縦士を踏み躙り、余っている榴弾で吹き飛ばし、次から次に王国植民地軍の魔装騎士の操縦士たちを殺していく。そこに後悔の念はなく、そこに慈悲はなく、そこに同情はない。
こうして鉱山から王国植民地軍は駆逐され、生き延びていた植民地人はそのまま奴隷となり、王国から奪ったエーテリウム鉱山ではエーテリウムの採掘作業が共和国の一企業であるSRAG(シュトラテギー・レスルセン・アクティエンゲゼルシャフト)によって開始された。
クラウス・キンスキー植民地軍中佐のこの活躍で、共和国は揺れ動くアナトリアにおける基盤を確かなものとし、祖国と市民は彼に感謝した。
だが、クラウスにはそんなことはどうでもよかった。
彼が求めているのは感謝ではない。
彼が求めているのは名声と、権力と、そして何より金なのだから。
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