トリトンの街
半日もあれば、とリムリーフは言ったものの、それはどうやら彼女の歩みを基準に換算したものだったらしい。
小屋を旅立ってから二時間と少し。遠く伸びる街道の先に、微かに揺らぐ街影を望むことが出来た。後一時間も歩けば着く距離だろう。
「見えてきたわねー」
「そーだなー……」
リムリーフの言葉に、気のない返事を返す。
別に嬉しくないわけではない。無事街にたどり着ける、万々歳だ。彼だって別に歩くのが得意なわけでも、好きなわけでもない。ぶっちゃけインドア派だ。
しかし、しかしである。遠く伺える街の中央にそそり立つ、樹木らしき影が問題だ。遥歩が思うことは唯ひとつ。
――あの樹、縮尺おかしくない?
☆
結論から言えば縮尺は別におかしくなかった。樹木は、遠目に見た通りのサイズを誇っていた。
その高さは優に百メートルは超えているだろう。高すぎて目測ではその程度の判別しかつかないが、昔家族旅行した際に見た東京タワーと良い勝負をしているように思える。そして東京タワーと違い樹木は横方向にも盛大に枝葉を伸ばしているものだから、そのスケール感は生半可な物では無かった。
今朝がたリムリーフが言っていた『大樹』というのはこれの事だろう。確かに、"そう"としか形容し様のないものだ。
「何ボケっとしてるの? さっさと行きましょうよ」
「いや、スゲェなと思って……。あんなデカイ樹、初めて見たし」
ピタリと。先を急ごうとしていたリムリーフの足が止まった。
ちなみに灼岩トカゲは流石に騒ぎになるだろうという事で、街に近づく前(ギリギリまで粘られたが)にカードに戻している。
「初めて……見た?」
あ、これまた藪蛇突いたな。振り返ったリムリーフの胡乱気な目を見た瞬間、遥歩は理解した。
「アユム。アレが何だか、分るわよね?」
「た……大樹だろ?」
「そうね、大樹ね」
やはり大樹であっていたらしい。うんうんと肯定を示したリムリーフの様子に、こっそり安堵の吐息を漏らす。
「大樹って何処の街や村にも、必ず一本はあるわよね?」
え、そうなの? 吐息が喉でつっかえた。
「大樹が無いとマナが供給できないから、魔具の類が使えなくなるし。新しい村を作るにしても、先ずは他所の大樹の枝を運んで接木するわよね?」
なるほどー、あれは発電所の類なのかー。勉強になるなー。……さてどうしよう?
「あー……うん。もちろん知ってるよ? けど俺が見た事ある大樹は、あそこまでデカく無かったからさー」
「この規模の街にある大樹としては、あれぐらい普通の大きさよ。王都とかの大樹は、この倍以上の高さがあるわ」
「…………お、大きな街とかには、来た事無かったから」
「大陸の南方から旅してきたのに? この程度の街にも、一度も立ち寄らなかったと?」
あ、これ詰んだわ。遥歩は速攻で諦めた。朝霧遥歩、十六歳。TCGのデュエルでも無駄な粘りはしない主義である。そして一つの戦い方にもこだわらない。
よーし僕ちん次はこのデッキ使っちゃうぞー。
「実は俺が南方から来たというのは嘘だ」
「じ、じゃあ――」
ついに嘘を認めた遥歩に、リムリーフはやや興奮した様子で詰め寄ってきた。
「実は赤ん坊のころに森に捨てられてな。最近までずっと野生の獣に育てられて生き来たんだ。オレ、ホコリタカキオオカミノコ、セイジンヲキニ、ムレヲデタ。ヤバドゥヤバドゥ、ヤバダバドゥビドゥ! あ、耳は昔森で眠ってた時に鼠に齧られたんだよ」
完璧である。耳の言い訳は、日本の国民的アニメのエピソードを取り入れた念の入れようだ。この理論には一部の隙もあるまい。
どや? 遥歩は絶対の自信を持ってリムリーフを見つめ返した。
「…………アユム、ちょっと頭下げてくれる?」
「え、こう?」
言われるまま、腰を屈めて頭を下げる。
「ふん!!」
「痛い!?」
思いっきり脳天を引っぱたかれた。
「そーいうテキトーな誤魔化し方が、一番腹立つ……」
痛みに呻く遥歩を捨て置き、リムリーフは肩を怒らせて街中へと歩いて行った。
☆
たどり着いた街はトリトンと言う名前らしい。入り口でひたすら街の名前を連呼する人間は居なかったものの、普通に看板に書かれていた。
それなりの規模の街のようで、メインストリートは綺麗に整備され、人の往来も多い。ところどころ露天商なども見受けられ、かなり賑やかだ。
魔法があるくらいなので、お決まりな中世ヨーロッパ風の街並みを予想していたのだが、それとは少々趣きが異なるようだった。
と言うのも石やレンガ造りの建物があまり無く、殆どが木造の建築物ばかりなのだ。ただ、日本家屋のそれと違うのは、木造でありながら建物の作りに曲線が多用されている点だ。果たしてどういう加工の仕方をしているのか、木材の継ぎ目が全く見当たらない建物なども見受けられる。
大樹の件もあるし、巨大な樹木から木材が多く手に入るのだろうか。もしくはこの世界独自の建築、加工技術があるのか。先程聞いたマナ供給の関係か、木と建物が一体化している様なものまである。なんにせよ、この世界がそれなりの技術水準を誇っている事は間違いないだろう。
ファンタジックではあるものの、どこか近代的な雰囲気も見受けられる不思議な街並みだった。
「取り敢えず何処かで食事して、それから宿を探しましょ」
「宿?」
リムリーフの言葉に、遥歩はキョトンと問い返した。
「なに、野宿するつもりなの? 私は嫌よ」
「いや、そうじゃなくて……。自分の家に帰らないつもりなのか?」
まだ家出続けるつもりかコイツ。
「帰るも何も、この街に私の家なんて無いもの」
「……お前、一体どこから来たんだよ」
「大陸のずっと東の方よ。勢いで樹鉄道に飛び乗ってずっと来てたんだけど、この街でお金尽きちゃったのよね」
「樹鉄道?」
色々と突っ込みどころはあったものの、遥歩はまずそこに食いついた。それ樹なの? 鉄なの? どっち?
「……まぁ、樹鉄道が出来たのはここ数年だし、追及はしないであげるわ。大陸中で話題になったはずだけど……。木のレールを通してマナを供給して街中を走る樹道車は、前からあったでしょ?」
いや知らんけど。口には出さず取り敢えず頷いておく。
「その大陸版よ。木のレールじゃ耐久力に問題があったから今まで出来なかったけど、樹木の鉄晶化技術が発達したお陰ね。鉄みたいに強靭な木材で街と街をレールでつないで、大陸を横断させたのよ」
「はぁー……。凄いのな……」
素直に感心した。樹木の鉄晶化。先程『それなりの技術水準がある』とは思ったものの、こと木工技術に関しては地球のそれよりも進んでいるようだ。
そして、家出で大陸を横断してきたリムリーフにも感心した。こちらは呆れを通り越した類のものだったが。
「けど、金はもう尽きたんだろ。宿代払えるのか?」
「大丈夫よ。貴方の靴取ってきた時に、一緒に貰ってきたから」
そう言ってリムリーフはワンピースのポケットから小さな革袋を取り出した。
リムリーフが振って見せると、中からチャリチャリと音が聞える。
お、おぅ……死体を漁ってきたのか……。
「まぁしばらくの宿代ぐらいにはなるでしょ」
逞しい過ぎるだろコイツ……。本当に良家の嬢様なのだろうか? 彼女の行動力に助けられている面はあるものの、遥歩はそう思わずには居られなかった。