旅立ち
朝、遥歩はゴソゴソと響く物音で目を覚ました。
引っ被っていた外套から這い出し、寝惚け眼のまま辺りを見回す。音の出所は、既に起き出して棚を漁っていたリムリーフだった。
「あら、おはよ」
「……悪い。寝過ごした……?」
「良いわよ別に。まだ日も高くないし」
肩を竦め、リムリーフが答える。
とは言え近くの町までどの程度かかるのかも良く分らないのだ。あまりのんびりもしていられないだろう。
欠伸を噛み殺して立ち上がろうとしたところでふと、傍に革製のブーツが置かれていることに気付いた。
「なぁ、この靴って……」
「ああ、アユム靴持って無いみたいだったから。まぁ、我慢して使って」
我慢して、と言う言葉で、この靴の出所を察した。もちろん文句など言うつもりは無い。態々下から取って来てくれたのだろうから。
「ごめん、助かる」
礼を言って、ブーツに足を突っ込む。幸いにもサイズにそれほど違いはないようで、すんなり履くことが出来た。僅かに大きく感じたものの、靴紐をきつめに結んでおけば問題ないだろう。
「ん。あと、食料とかも幾つか持っていきたいんだけど……やっぱ無いわね」
棚を漁っていた手を止め、リムリーフは大きく嘆息した。
「何探してんの?」
「鞄。缶詰とか干し肉とか、そのまま持ち歩く訳にも行かないでしょ」
「うん……? カード化して持ち歩けば良いじゃないか」
「カード化?」
首を傾げるリムリーフの傍まで歩み寄り、カンパンの缶詰を一つ手に取る。
「マテリアル」
言葉と共に、昨日の夜と同じように缶詰は光の粒子に分解され、カードとして再構築された。
ただ、カード種類の選択は表示されなかった。食料品の類はどうやら、自動でディスポーサカードになるらしい。
「これで楽に持ち運べる……だ、ろ?」
遥歩の横で。リムリーフが大口を開けたポカーンとした表情を浮かべていた。
「え、何その間抜け面……」
昨日からの印象では、リムリーフは妙に口元の変化が乏しい。ただ決して感情の起伏が見られないかと言うとそうではなく、口元の表情に反比例するかのように、目元は表情豊かだ。顔の下半分はそのままに、クルクルと目の色を変えて眉を動かすその様には、不思議な愛嬌がある。
そのリムリーフが、大口を開けて驚いている。何だかただ事ではない気配を感じた。
「今、何したの……?」
「何って……だから、カード化だけど……。カード化しておけば食べ物も腐らないし、荷物も嵩張らないから……便利な魔法……だよね?」
「そんな非常識な魔法、聞いたこともないわよ……」
え、そうなの? この世界じゃ、こういう魔法が当たり前にあるもんなんだと思ってたんだけど。そもそも何が常識的で何が非常識なのか、まったく判断が付かない。遥歩にとっては、変な手帳から火の玉が飛び出したりする時点で十分過ぎるほど非常識である。
「そう言えばすっかり忘れてたけど、昨日もなんか魔獣とか呼び出してたわよね……。それどういう理屈なの?」
「あー……うん。いやー、俺の故郷の方じゃ割とポピュラーな魔法なんだけどなー。まぁ文化的な違いかなー」
遥歩は空っとぼける事に決めた。理屈など聞かれてもわかる訳ないだろう。
残った干し肉やチーズ、あとついでに小屋に有ったランタンと外套二着も手早くカードに変えて、さぁ! とリムリーフに向き直る。
「そろそろ出発しようか! 日が落ちる前に町まで行かないとね!!」
「誤魔化さないでよ。貴方やっぱりサピエスなんじゃないの? それサイエンスの力でしょ!」
「いや、それはねぇよ」
まぁサピエスと言うのはあながち間違いでは無いのかもしれないが、科学には物をカード化する技術などありはしない。
その後もしばらくリムリーフからの追及は続いたものの、遥歩はひたすらとぼけ続けた。結果、リムリーフは若干拗ねた。
☆
「で、町までの道とかわかるの?」
「……私の質問には全然答えないくせに」
遥歩の問いかけに、リムリーフは口を尖らせてブチブチ文句を言いつつもマギカを取り出した。また開いて魔法を使うのかと思ったが、彼女が手を伸ばしたのはマギカの背表紙だった。
そこに施されていた銀の装飾を指で摘まみ、カチリと外す。取り外した装飾はクネクネとゆがんだ針のような形になっており、マギカレクトと紐で繋がっているようだった。
リムリーフはそれを地面に突き刺し、改めてマギカを開く。
「それ何してんの?」
「ルーツに繋がないと、地図見れないでしょ」
「ルーツ?」
「大樹の根! なんで変な魔法使うくせに、そんな事も知らないのよ……」
大樹というのがどういう物なのかも分らなかったが、流石にこれ以上質問を重ねるのは藪蛇になりそうだ。仕方ないので、リムリーフがする事を大人しく見守ることにする。
「アシーソリ。マップ」
カレントが光を放ち、長方形の図形が空中に浮かび上がる。
そうして表示された地図は、非常に簡素なものだった。まず中心に三角形のマークが一つ。これは現在地とその向きだろう。右上に浮かんでいる十字のマークは方角の表記か。その他、地図上にいくつかグネグネと走っている線と、丸いマークが一つだけ。この丸いマークが町の場所だろうか。
「良かった、ルーツの範囲内だったみたいね。北西の方角に町があるわ。距離は……半日もあれば着くでしょ」
「そりゃ何よりだ」
地面に突き刺していた針を抜き取り、リムリーフはマギカを閉じた。
「取り敢えず、小屋の前の獣道をずっと西に行けば街道と合流できるみたいだから、先ずはそこを目指しましょ」
どうやら町までは問題なくたどり着けそうだ。幸先の良さそうな旅立ちに、遥歩は意気揚々と森の中を歩きだした。のだが……。
「疲れた……足痛い……。草邪魔……休みたい……」
昨日猟師小屋で見せていた逞しさは何処へやら。リムリーフは、ひたすら体力がなかった。
場所は未だ森の中。街道に辿り着いてもいない。
「まだ一時間も歩いてないだろ……。もうちょっと頑張れよ」
「私ね、凄く良いとこの家の子なの。お嬢様なの。森ん中歩いたりとかしないの」
ほうほう、この世界のお嬢様はナイフを思いっきり振りかぶって缶詰にぶっ刺したりするらしい。ねぇなこの世界。マジ無いわ。
「そんなお嬢様が、何でこんなとこにいたんだよ」
「だから、攫われたのよ」
「家ん中から?」
「家出中だったの」
さらっと問題発言が飛び出た。まぁ確かに行動力は高そうだものなと納得。体力は付随していないようだが。
「…………魔獣、呼び出せるのよね?」
「まぁ……」
「馬とか、背中に乗れるようなやつ、無いの?」
「えー……。んな事でカード使うとか勿体無ねぇんだけど……」
「なーんーでーよぉー……」
怨嗟の声が響き渡る。
結局その後、リムリーフが『蛆が沸く歌』の二番を歌い出したところで、遥歩はついに根負けした。
「くそぅ……。いったい親はどういう教育してんだ……」
「父母からはあんまり。ただ侍女からは何かあるたびに蛆の――」
「それはもういい!」
PWを開いてデッキを選択し、初期手札をドロー。何か良さそうなものは有るだろうか……
「っと、コレでいいか」
ペイペイペイと手早くカード三枚をエイドし、目的のカード名を唱える。
しゃらららーんとした輝きと共に、程なくそいつは姿を表した。
「…………なにこれ」
「灼岩トカゲ。主食は岩か砂。外敵には石礫を吐き出して威嚇するらしい」
コスト3の赤ユニットで、見た目は鱗の代わりに赤茶けた岩のような肌を持ったトカゲだ。
ちなみにカードに書かれている能力は1/3で、『タップ(カードを横にすること。ゲームでは、タップしたユニットは次のターンまで何も行動できなくなる)すると対象に一点のダメージを与える』というものである。
「…………乗って大丈夫なの?」
「まぁ、噛みつきゃしないと思う」
クルルゥとわりかし可愛い声音で、トカゲは同意するように鳴いた。
リムリーフは「ホントに大丈夫かしら?」と不安げだったが、それでも乗るつもりらしい。恐る恐るでっかいトカゲに近づいていくと、しばし悩んだ後、横座りでトカゲの背中に腰掛けた。
「あー、灼岩トカゲ。取り敢えず、進んでみてくれ」
遥歩の命令に、トカゲがのっそのっそと進みだす。背中に乗っていたリムリーフは、最初バランスを崩しかけて悲鳴を上げたものの、直ぐに乗り方を心得たようだった。
「あ、結構悪く無いわね、揺れも少ないし……。でも背中がちょっと硬いわ。町に着いたらクッション買いましょ」
「今後も乗るつもりかよ……」
遥歩の嘆息に耳を貸すこともなく、リムリーフはごきげんな様子で鼻歌なんぞを歌い出していた。