エルフとサピエス
五分程も経っただろうか。未だ吐き気はあったものの、遥歩は如何にか立ち上がれる様になっていた。と言うよりも、胃の中に何も無くなったので吐こうと持っても吐けなくなった、というのが正しいが。
一先ず例の耳長少女を麻袋から引き摺りだし、腕の縄を解く。先程の事で盛大に文句でも言われるかと覚悟していたのだが、特に何も言われなかった。立ち上がった後、若干距離は取られたが。
二人一緒に牢屋を出て、開きっ放しになっていた扉へ向かう。
途中男二人の死体を跨ごうとした際、うっかりその色を失った瞳と目が合ってしまい足が止まった。
「ちょっと、何で止まるの」
「いや……これ、このままにしといて良いのかな……」
「良いも何も、放っておくしかないじゃない」
呆れを含んだ口調で、少女が答えた。
その通りだとは遥歩も思う。供養するにしたって、スコップでも無ければ穴も掘れないし、何よりこの男たちは人攫いだ。そこまでしてやる義理はない。
しかしだからといって割り切れるほど、遥歩は人の生き死にというものにまだ慣れてはいなかった。それも、自分が殺した相手なのだから尚更だ。
「でも……」
「ああもう!」
痺れを切らしたように、少女が遥歩の袖を掴む。そのまま遥歩の制止も聞かずズンズンと引っ張って扉をくぐり、バタンと勢い良く閉じた。
「くさい物には蓋!!」
有無を言わせぬ迫力だった。流石に其処までされては遥歩も頷くしかない。
それに、恐らくではあるのだが。少女は、遥歩に対して気を使ってくれているのだろう。
「……分ったよ」
彼の返答に、少女は短く「ん」と頷いて、掴んでいた袖を放した。
最初に抱いていた印象よりも、ずっと良い奴なのかもしれない。階段を昇っていく少女の背中を眺めながら、そんな事を思った。
☆
階段を上った先は、古ぼけた小さな小屋の中だった。
床や壊れかけた戸棚には埃が薄らと積もっており、壁の隅には蜘蛛が巣を張っている。壁に立てかけられた弓や矢を見るに、もともとは猟師小屋として使われていたのかもしれない。
主が居なくなり放置されていたところを、あの男達が攫ってきた人間を捉えておく場所として利用していたのだろう。
「あ、缶詰がある。中身何かしら?」
入り口付近の戸棚を物色していた少女が、ラベルも何も張られていない銀の缶を手に取り耳元で揺らす。中からは、カラカラと乾いた音が聞こえた。
「カンパンっぽいわね……。こっちの包みはチーズ? あ、干し肉もある」
「それ食べられんの?」
「んー……だいじょぶそう。きっとあいつ等が保存食として置いてたのね。後で食べましょ」
紙包みを開いてスンスンと匂いを嗅いだ少女がお墨付きを出した。遥歩では正直匂ったところで判断は付かなかっただろう。非常に頼もしい限りである。
「こっちの革袋は水筒ね。けど、水が残り少ないわ。近くに川とかないかしら……」
「どうだろ……。ていうか今何時なんだ?」
小屋には窓がなかったので、中からは確認のしようが無い。
扉を開けて外に出てみると、森の木々の隙間から、赤く焼けた日差しが目に飛び込んできた。
「夕方ね。えっと時間は……」
少女も横に並んで夕焼けに目を細めながら、ワンピースのポケットからゴソゴソと何かを取り出す。
それは黒く煤けたマギカレクトだった。
「それって……」
「拾っといたの。私のマギカ、攫われた時にどっか落としちゃったし。結構高いカレントとかもあったのにどうしてくれんのかしら」
カレント? と遥歩は首を傾げたが、ペラペラとマギカレクト(マギカと略すらしい)を捲っていた少女は気付かなかったようだ。やがて「あった」と声を上げて、その手が止まる。
「アシーソリ。クロック!」
少女の言葉と共にマギカが輝き、光の時計が形作られた。
「六時過ぎね」
『イブネ』等という言葉は初めて聞いたというのに、それが『六時』を表す単語だという認識がすんなり頭に入ってくる。チューリアが言っていた「脳みそクチュクチュ」のお陰だろうか。そもそもが今話している言葉も、日本語ではないのだ。
下手に意識すると違和感に苛まれそうだったので、遥歩は軽く頭を振って忘れることにした。
「それ、時計の機能もついてんだ」
「……何言ってるの? アシーソリなんて、マギカに初めから付いてる基本カレントじゃない」
「…………ごめん。その『カレント』って何?」
遥歩の問いかけに、少女はいよいよ持って訝しげに眉を顰めた。
「カレントはカレントでしょ……。貴方だってさっきマギカ使ってたじゃない」
「いや、これ最近人から貰ったばっかで……。実はよく、分ってないん……だけど……」
遥歩のしどろもどろな言い訳に少女は今だ納得がいっていない様ではあったが、それでもマギカレクトとカレントについて簡単な説明をしてくれた。
カレントというのは、マギカレクトのバインダーに止められている魔法陣が描かれた銀のカードを指すらしい。
カレントには多種多様な種類があり、描かれている魔法陣によって使える魔法が異なるそうだ。そしてバインダー形式になっている事から分かる通り、カレントは入れ替えが可能だ。マギカを持っている人は気に入った魔法のカレントを購入し、自分好みに入れ替えて持ち歩いているらしい。
スマホ的に言えば、マギカレクトがハードとOSで、カレントはアプリと言うことだろう。何ともハイテクな魔導書が有ったものだと、遥歩は素直に感心した。
「にしても、マギカレクトなんて今時みんな使ってると思うけど……。貴方どんな田舎から来たの?」
「ここからはかなり遠い、かな……」
「そう言えば、貴方何か耳短いわよね。南方の人は短めの人が多いって聞くけど、そっちの方?」
「ああ、まぁ……」
曖昧な返事を返す。
まさか異世界から来ました、等と答えられるわけもない。頭が可哀想な人扱いされるのがオチだろう。
「それにしても短過ぎると思うけど……ていうか丸いし。それに髪も目も真っ黒……まるでサピエスみたい」
「サピエス?」
「貴方サピエスも知らないの?」
キョトンと、少女は目を瞬かせた。
「ファンタジーなんかの定番種族じゃない。黒髪黒目で丸い耳を持ってて、自然の力『サイエンス』を操る種族」
「…………え、何で科学が自然の力になんの?」
今度は遥歩が眉を顰める番だった。
「何でって……。サイエンスって自然の法則を全て解き明かすことで、マナとか魔法の力を使わずに色んな現象を起こす力でしょ? 自然の力じゃない」
「……そう言われればそう言うことになる……のか? いやでもなぁ……」
少女の言わんとする事は何となく理解できたものの、元の世界で環境破壊だのなんだのと散々騒がれている現状を知る身としては、どうにも納得し難い解釈である。
というか自然と共に生きる種族っていうのは、そっちの領分だろうに。
「ちなみに、エルフって種族は聞いたことある?」
「エルフ? なにそれ」
「ああ、うん。知らないならいいや」
うん、文化が違う。そんな当たり前のことを、遥歩は再認識した。
「でも、ホントにイメージ通りね……。その髪とか地毛?」
「そうだけど……。黒髪ってそんなに珍しいの?」
「うん。染めてる人はたまに居るけど、違和感酷いし。あ、生え際もちゃんと黒い」
「ちょ、あんま触るのは……」
顔を近づけて髪を摘まんでくる少女に、流石に気恥ずかしくなって首を仰け反らせた時だった。唐突に少女がクワッと目を見開いた。
「み、耳たぶ! 耳たぶがある!!」
「は?」
「本物!? 何で耳たぶなんてあるの!?」
いや、耳たぶ何て誰にでもあるだ――あ、コイツねえわ。少女のピンと尖った耳を見て、遥歩は納得した。と言うか近い近い顔が近い!
改めて間近で見る少女の顔は、地下の暗がりで見た時よりもずっと魅了的に映った。白い陶磁のような肌。小さくふっくらとした唇。白みがかった緑の長い髪はくせっ毛一つなく、少女が動くたびにサラサラと柔らかく揺れている。
少女が着ている白いワンピースはそれほど露出が多いというわけではないのだが、唯一襟首だけは広く開いており、そこから覗く小枝の様な鎖骨は、遥歩にとって目の毒以外の何物でもなかった。
ただし欲望に爛々と輝く瞳と、その言動だけはドン引きモノであったが。
「耳たぶ触らせて! ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから!! 先っちょだけ!!」
「ちょ、待て! 落ち着け!!」
――ぷにっ
「ふぇひ!?」
指で摘ままれた瞬間、くすぐったくて変な悲鳴が出た。
さらには驚いた表紙に足を縺れさせてしまい、尻もちをついて地面に倒れてしまう。その隙を、少女が見逃すはずもなかった。
「ぷにぷに! ぷにぷにする!! やわらかい、コレが耳たぶ!? 小説に書いてある通りだわ!!!」
「お、お前いい加減にし――いぃぃやぁぁあ襲われるぅぅううううう!!」
プニプニプニプニと耳たぶをひたすら揉みくちゃにされながら、これどう考えても逆だろうと遥歩は思った。