竜狩り
炎の帯が、上空から森を撫でる様に迸った。
果たしてそれはどれ程の熱量を秘めていたのか。過ぎ去った帯から一瞬遅れて、爆発的な炎が波打つように燃え上がる。
竜の吐息、ドラゴンブレス。様々なお伽噺の中で、飽きるほどに語られて来たその力が、今現実となってこの身を襲っている。ハッキリ言って笑い話だ。笑える程に恐ろしい厄災だ。
おそらくあの吐息が身を掠めるだけで、この体は炭となって崩れ落ちるだろう。
ドラゴンは上空を旋回しつつ更に森を一撫で、二撫で。威嚇のつもりなのか、遥歩たちを囲むように放たれたブレスに、森の中は瞬く間に炎に包まれた。
熱風がチリチリと肌を焼き、喉を焦がす真っ赤な樹海の中、それでも遥歩はリムリーフの手を引き走り続ける。立ち止まれば死ぬ。その確信だけが体を突き動かしていた。
「あ、アユ……ム……ま、待って――息が……!」
しかしやはり、先に根を上げたのはリムリーフだった。
「だから――体力着けろって言ったろうに……!」
「そ、そんな事……言われたって……ッ」
涙交じりの声音で、リムリーフが言い募る。分っている、八つ当たりだ。言ったところで、昨日今日ですぐに体力を着けられる訳も無い。それでも言わずには居られなかった。それが――
「――あ!」
生死を分かつことになるのだから。
足を縺れさせた少女の指が、遥歩の手の内からするりと抜け落ちた。
「リム!?」
振り返り、慌てて引き返す。
「ご、ごめ……アユム――」
「いいから! 早く立っ」
視界が真っ赤に染まった。リムリーフの体に覆い被さるようにして咄嗟に地面に伏せる。
爆音と熱風が過ぎ去るのを身を丸めてひたすら待ち続けて――。ようやく顔を上げられる様になったその視界の先には、焦土となってポッカリと開けた空間が広がていた。あの一瞬で、巨大な木々が根こそぎ灰となって吹き飛んでいた。そしてその焼野原に、地響きすら立てて。
深い緑の鱗に覆われた、巨大な竜が、降り立った。
「ッ……」
息を呑み、呆然とその姿を見上げる。
このまま逃げる事は、直ぐに不可能だと分った。背を向けた瞬間にブレスを撃たれればそれで終わりだ。
右手のマギカレクトを握りしめ、そこに浮かぶ手札を視界の端で確認しながら遥歩はゆっくりと立ち上がった。
「あ、アユム……?」
「……先に逃げてて」
言いながら、遥歩は思考を走らせる。今の手札、そしてデッキに眠るカードの内容。何が出来て何が出来ない? 果たして有効な手札は何だ? それを引ける確率は?
その思考が纏まるよりも早く。ドラゴンが、顎を上げて大きく息を吸い込んだそのタイミングで、遥歩はまず最初の賭けに出た。
「ぶちかませウィーバァァアア!!」
ドラゴンから逃げる途中、逸れてしまった(と言うよりも、ブレスで一纏めに蹴散らされるのを恐れて敢えて散らせたのだが)ユニットたち。その内の一体に向けて遥歩が叫んだ瞬間、横合いの木々を薙ぎ倒し、猛烈な勢いでウィバラサイが姿を現した。
その突進を受け、ドラゴンが僅かに巨体を僅かによろめかせた。大型車両に匹敵する重量と速度でもって体当たりを受けたにも関わらず、よろめいただけだった。しかしそれでもブレスを止めることは出来た。もしウィバラサイがやられていたのならその時点で打つ手が無かったのだが、どうやら賭けには勝てたらしい。
そのままドラゴンの横に回り込む様に走りながら、先ずはカードを一枚ドロー。そしてさらに声を張り上げる。
「生きているユニットは全員集まれ! ウィーバは一旦距離を取ってそいつの周りを回り続けろ! 隙を見て攻撃!」
遥歩の声に、先ず狼と岩跳鹿が左右の茂みから飛び出してきた。それから少し遅れて、蟻の砂軍も地を這うようにして遥歩の横に並んでくる。どうやら全員無事だったらしい。僥倖だ。
「アダとトビはリムリーフを連れて此処から離れろ! スナゾーは俺について来い!!」
「アユム!?」
「いいから行け! つーか邪魔!!」
「そん――あ、ちょっとアダ! 離して……ッ」
リムリーフはまだ何か言いかけていたものの、アダに襟首の後ろを銜えられ、そのまま引き摺られるように茂みの向こうへ消えていった。ドラゴンがそちらに顔を向けるものの、再度ウィーバの体当たりを受け、不愉快そうにこちらを睨みつけてくる。
まるで堪えた様子が無いが、一体コイツのサイズは幾つだ。6/6? 7/7? あるいはそれ以上か? 正直見当が付かないが、遥歩のデッキ内にあるユニットは最大でも5/5止まりだ。仮にそれを召喚できたとしても、真正面からぶつけて対抗できるとは思えない。
と言うか、何だ。割と平気だなと、どこか他人事のように遥歩は思った。あまりにも現実味が無さ過ぎるせいか、恐怖がどこかに飛んで行ってしまったらしい。若干頭の中がフワフワと軽くなっているが、その分思考が加速している。デッキに残ったカード全てが頭の中に整然と並んで駆け巡り、望んだカードのコストと効果が瞬時に思い起こせた。悪くない感覚だ、ゲームにのめり込めている。これはゲームではないが、構うものか。カードゲームこそが自分の得意分野なのだから、それに乗っかればいい。
倒す事は考えない方がいいなと、遥歩は即座に見切りをつけた。倒せないユニットは塩漬けにする。TCGのセオリーだ。後先考えず、時間を稼ぐことだけに集中しよう。目標は五分。それだけあれば、リムリーフも安全圏まで逃げられるだろう。
となれば先ずは――お話しでもしてみようか。
「やぁ御機嫌ようトカゲの王様。凄いな、んなに火ぃ着くなんてどんなクセェ息してんの? 口から屁でもこいてんの?」
耳を劈く咆哮が轟いた。
おっとどうやらちゃんと言葉を出来るらしい。怒り狂ってその巨大な牙の隙間から、チロチロと舌先のように火炎をのぞかせている。なんともまぁお誂え向きだ。
「インスタント――『ネーベル』!!」
ドラゴンが口を開く直前、インスタントホルダーにセットした黒の2コスフラッシュカードを唱える。途端、遥歩を中心に深い霧が爆発的に広がった。不思議な霧だった。一メートル先も見通せないほどの濃密さであるにもかかわらず、湿り気を感じられない。それどころか冷たさも、感触も何も感じられない。実態はそこに無く、光の色だけが白く削ぎ取られている。そんな感じだった。
その中を駆けながら、遥歩は空いた手札分のカード一枚ドローする。引いたのは棘尾ネズミ。今は戦力になりそうもないのですぐさまエイドする。
遠く見当違いの方向へドラゴンが火を吐くのを気配で感じられた。しかし霧は全く掻き乱されることなく、ユラユラと存在し続けている。やはり普通の霧ではないようだ。ゲームでの『ネーベル』は黒フラシュの優良コモンカードだ。効果は"敵の攻撃を一度だけ無効化する"と言った地味なものだが、入れておけば兎にも角にも無駄にはならない。手札やインスタントにある事を仄めかすだけでも牽制になり、相手は切り札を使い辛くなる。そしてその有用さは実践でも変わら無い様だ。
霧に紛れながら、遥歩は更に2枚カードをエイドした。これでエイドは緑4、赤3、青1。それからユニットを二体召喚する。
一体は3/3の緑ユニットカード。『腕の猿鬼』と言う、人間よりも一回りは大きく、二メートルを超える体長を持つ猿だ。異様に太く長い腕が特徴で、両腕を広げると三メートルを超えそうだ。もう一体は青の1/2ユニット『鱗ウミネコ』。シルエットはウミネコのそれだが、体の所々がが羽毛の代わりに魚の様な鱗でおおわれている。小型ユニットだが飛行持ちなので、ドラゴンの周りを飛んで気を引く位はできるだろう。
「いいか、ドラゴンの近くを纏わりついて嫌がらせしろ。足の小指ぶっ叩くとか、何でもいい。ウミネコは顔の周りを飛んで目を狙え」
遥歩の指示に、ユニット二体はすぐさま霧の向こうに消えていった。
「スナゾー!」
呼びかけに、砂の塊が遥歩の横に近寄ってきた。
「お前、俺を乗せて運べるか?」
返答は無かった。しかし代わりに、スナゾーが平べったく地面に広がる。思い付きだったが、どうやら可能らしい。慎重にその上に乗ると、足を固定する様に砂の一部が纏わりついてきた。
「行け!」
地面を滑るように、遥歩を乗せてスナゾーが移動した。悪くない。獣には及ばないが、自分で走るよりかは余程早い。腰を落としていれば、バランスを取ることもそう難しくなかった。
霧に向こうではイラつく様なドラゴンの咆哮が散発的に上がっている。嫌がらせは効いているらしい。となれば次の手に繋げるための手札が必要だ。しかし……。
「ドロー!」
デッキが光を取り戻した瞬間にカードを引く。『灼岩トカゲ』。駄目だ、ハズレだ。取り敢えず召喚し、遠距離から石礫を撃ち続けるように指示を出す。
デッキの残りは十一枚。必要なカードはその内二枚のどちらか。確率的には、少し厳しいか。
おそらく今は、怒りと鬱陶しさの綱引き状態だ。現状は怒りが先攻しているので、ドラゴンはムキになってその場に留まっている。逃げるようで癪なのだろう。対したダメージを受けているわけでもないので、尚更だ。
けれどその内、いい加減我慢にも限界が来るはずだ。そうなれば――と思ったところで、猛烈な突風が頬を叩いた。
「ヤバい、飛ぶ!? スナゾー!!」
突風はドラゴンの羽ばたきだろう。狙い通りだが、まだ早い。キーカードが引けていない。
けれどもはや猶予はない。スナゾーに指示を出し、ドラゴンの元へ真っすぐに突っ込む。かなり薄くなってきた霧のベールを抜けると、目の前に今にも飛び上がろうとするドラゴンの後ろ脚が見えた。
「駆け上がれ!!」
スナゾーの上に左手をついて屈み、叫ぶ。スナゾーが木の幹なども自由に登れることは知っていた。なら、行けるはずだ。
半ば願望の様な憶測にしかし、スナゾーはキッチリと答えてくれた。ドラゴンの後ろ脚に巻き付く様にして砂を伸ばし、一気にその背中まで駆け上がる。
デッキは? まだ光を失って――いや、今光った! ドロー!
「――来た!!」
ドラゴンが大きく翼を広げて飛び上がる。その上で、
「召喚――『ラマイダの毛長象』!!」
手持ち最大のユニットカードの名を、遥歩は唱えた。
端的に言えば、それはマンモスだった。長い毛皮に覆われ、大きく弧を描く牙を持った巨大な象が、飛び上がった直後のドラゴンの上に召喚されたのだ。
ズンッ、と重たい音を立てて。毛長象がドラゴンの背中に降り立つ。いや、バランスを崩してそのままゆっくり倒れようとしているが、それで十分だ。流石のドラゴンも、その重量を支え切れるわけがない。
結果、巨大な魔獣二匹は咆哮を上げながら、縺れるようにして地面へと墜落していった。
遥歩はドラゴンの翼の付け根にしがみ付きながら、どうにかその衝撃を堪える。そこで――欲が出た。
これはひょっとして……行けるか?
「スナゾー、俺を放せ! こいつの顔面まで行って覆い被さってやれ!!」
スナゾーがドラゴンの体を伝い、顔を覆うように纏わりついた。地面に倒れていたドラゴンが、たまらず暴れ出す。
「ウィーバ、毛長象も! コイツを抑えろ!! 翼でも尻尾でも、何処でもいい! 圧し掛かれ!!」
こいつを手持ちのユニットで倒すことは難しい。けれど、それ以外の手で無力化する方法ならある。それも、最上の形で。
「ッ――マテリアル!!」
左手で握りしめた翼の付け根部分から、キラキラとした光が舞い散る。カード化すれば、コイツは間違いなくレアカードだ。今を逃せばチャンスは無い。その巨大さ故か酷く時間がかかっているものの、光はゆっくりとドラゴンの体全体に広がっている。
このまま、しがみ付いていれば――と。不意に、影が差した。
「へ?」
見上げて、間抜けな声が漏れた。
ドラゴンの尻尾を押さえていた筈の巨大な毛長象が、宙を舞っていた。毛長象はそのまま大きな放物線を描き、木々を薙ぎ倒しながら落下する。
次いで、爆音。見れば、ドラゴンが牙を剥き出しにして此方を睨んでいる。顔にこびり付いている黒い煤はスナゾーの慣れの果てだろうか。多分そうだろう。どうやら顔を覆われた状態で無理やりブレスを吐いたらしい。
最後に。後ろ足に乗っかっていたウィーバを邪魔そうに蹴りつけて倒し、ドラゴンは悠々と体を起こした。
「え? いや、ちょ……待ッ」
皆までは言えなかった。たった一度ドラゴンか翼を羽ばたかせただけで、遥歩はあっさりと振るい落とされた。
そのまま背中から地面に落下する。割とシャレにならない衝撃が、芯まで響いた。痛いとか、それ所ではない。息が詰まり、もがく事すら出来ない。涙に滲んだ視界の先で、こちらに向かって口を開くドラゴンの姿が見えた。
――あ、駄目だ。これ詰んだ。
迫る炎に、取り敢えず苦しむ事だけは無さそうだなと思った。