幽華の森
宿に戻ると、二人は早速準備を始めた。
何せ最早金が無いのだ。明日からでも森に入って稼がなければ、路頭に迷うことになる。
まぁ準備といっても、そう大した事ではなかったが。面倒だったのは、買って来たタンクに宿近くの井戸から水を酌み入れることと、猟師小屋で拝借した外套や下着類を洗濯したことぐらいだろう。後はダイバーショップで買ってきた品々をディスポーサカードに変え、準備はほぼ終了だ。
ちなみに洗濯はリムリーフが行った。流石にその程度の羞恥心はあったらしい。
デッキの見直しも考えはしたのだが、正直手持ちのカードが少な過ぎて弄りようが無かった。
夕飯はなけなしの金をはたいて豪勢にいった。どうせ稼げなきゃ終わりなのだから、と二人の意見が一致したのだ。
遥歩はもとより、リムリーフにもやはり"ひょっとしたら"という思いは有ったのだろう。明日向かうのは魔獣が蔓延る、危険な場所なのだから。
ちなみにこの国では、飲酒は十八歳かららしい。なので、二人ともそこは自重した。
☆
翌朝、日が昇るよりも早く二人は街を出た。
幽華の森までは、ここから歩いて一時間半ほどらしい。森の入り口から、更に中心部である大樹までの距離は流石に分らなかったが、森の中で夜を明かす回数は可能な限り少なくしたい。そう考えての事だった。
「……もうそろそろ良いんじゃないかしら?」
「…………」
なにが? とは聞かなかった。
町を出てから二十分ほど。それこそ"もうそろそろ言いだすだろうな"と予想していたからだ。
「ていうかまだ暗いし、人居ないし。別に街出てすぐでも良かった気もするのよね」
「あのさぁ……」
「なぁに?」
キョトンと小首を傾げ。あどけない表情を非常に薄っぺらく貼り付けた顔で、リムリーフは問い返してきた。
「……ホント、少しは体力着けないとヤバくない?」
「全然ヤバくないわ」
「うわ言い切ったよコイツ」
驚きの断定力だった。
「と言う訳で、さぁ」
溜息を付き、遥歩はマギカレクトを取り出した。
まぁ元より森に入る前にユニットは揃えておくつもりであったし、抵抗したところで聞きはしないだろう。無駄に疲れるだけなのは目に見えている。
「インストール、デッキ1。……セットアップ」
舞い散る光のカード。シャッフルされるデッキ。そして宙を滑るようにして眼前に並ぶ五枚の手札。その一連の光景は、何度見ても素晴らしい。カードゲーマーの琴線をビンビンに弾いてくれる。のだが――
「……どうしたの? さっさと呼び出してよ」
「無理。手札に手頃なユニットカードが無い」
コレばっかりはどうしようも無い。TCGの宿命だ。
取り敢えず適当な緑カードを一枚エイド。カードが引けるようになるまで暫し待つ。
「っと、光った。ドロー」
「どう? どう?」
こちらの手札を覗き見ようとしてか、リムリーフが背後でピョンピョン跳ねながら訪ねてくる。
コイツまだ十分元気じゃねえかよ、と思わずにはいられなかった。
「んーこのユニットもデカ過ぎるか……。いくら早朝とは言え、こんな街道の往来で呼び出す代物じゃないなぁ」
「メンドクサイわね……。何でそんな運頼みなのよそのカレント」
大丈夫、お前さんの言動程は面倒じゃないよ。遥歩は心の中で呟いた。あと後半の言葉も聞き捨てならない。
「運頼みじゃない。運を考慮に入れて立ち回るもんなんだよTCGってのは……そら来た」
二枚目のドローで引き当てたのは、コスト2の緑ユニット。サイズは1/2。これならば丁度良いだろう。
「召喚――『岩跳び鹿』」
現れたのは、頭から後方にカーブを描くような角を持つ鹿だった。角以外に大きな特徴は無いものの、普通の鹿よりは一回り大きく、足も若干太いように感じる。人ひとりを背中に乗せて運ぶことも十分に出来そうだ。
「今度はトカゲじゃないのね」
「トカゲならデッキのどっかで眠ってるよ」
答えながら、取り敢えず岩跳び鹿を地面に伏せさせる。
「跨がれる?」
「んー、まぁ何とか……」
遥歩の言葉に、リムリーフは鹿の角を掴むと、「よっと」と勢いを付けて跨った。一瞬だけ翻ったスカートに視線が釘付けになるものの、残念ながら中身を見る事は叶わなかった。
「立ち上がらせるよ?」
「ん。大丈夫」
遥歩の指示に従い、鹿がゆっくりと立ち上がって歩き出す。安定している、問題なさそうだ。
「うん、いい感じ。でもやっぱり、鞍とか手綱とか欲しいわね」
「まぁ、お金が入ったらね……」
それから一時間ほどで、二人は森の入り口まで辿り着いた。
といってもそこはまだ幽華の森と言う訳ではないらしい。ただ普通の森と言えど獣は生息している。念のため、ここからユニットを揃えておくことにした。
召喚したのは追加で三体。
まずは『アダ森の狼』。あの地下牢で召喚した狼と同名のカードだ。魔法で殺された方のカードは未だ復帰できていないのだが、デッキにはもう一枚入れていたのだ。狼ならば鼻も効くし、索敵にはもってこいだろう。
次に『蟻の砂軍』と言う赤のユニットだ。こいつは見た目はウゾウゾと蠢く砂の塊なのだが、実は砂の一粒一粒が極小の蟻で構成されている群体生物なのだ。人型や壁など自由に形を変化させることができるので、盾役にはぴったりだろう。
そして最後、『ウィバラサイ』。5メートルを超える体長を持つ巨大なサイだ。サイズは4/4で特殊能力は無いものの、この巨体だ。正直味方にいるだけで安心できる。また、コイツに前方を歩かせれば自然と道を踏み鳴らしてくれるので、森の中でも非常に歩きやすくなった。
二人と魔獣四体という非常に充実したパーティ構成でもって、遥歩たちは森の中を順調に進んでいった。そして更に三十分程も歩いたところで、森の様子がだんだんと変化してきていることに遥歩は気付いた。木々の形が均一ではなくなって来たのだ。
グネグネと枝が曲がりくねった木、何十本もの蔦に覆われた木など、異様な変化を遂げた木がポツポツと見られた。
「そろそろね……。幽華もすぐに見られる様になるんじゃないかしら」
「幽華が?」
「あ、ほら。あそこ」
そう言ってリムリーフが指差した先。高く生い茂った木々の枝先に一つだけ、ボンヤリとした光を放つ半透明の華が咲いていた。
「あれが……?」
「そうよ。木々から漏れ出たマナが結晶化した物。私達の目的である蓮華晶と本質的には同じものね。ただ密度が低くて、触れただけで散ってしまう程脆いから、売り物にはならないけど」
「へぇ……」
奥へ進めば進むほど、幽華はその数を増やしていった。そして木々の変調も激しさを増していく。
何よりも大きな変化は、その高さだ。入り口では十メートル程度の高さだった木々たちが、今では倍以上の高さのものばかりになっていた。枝葉は奇妙に曲がりくねって頭上で絡まり合い、太陽の光も届き辛くなっている。しかしその代わりと言う訳でもないのだろうが、花開く無数の幽華の光やそこから零れて舞い散るマナの光子のおかげで、視界にそれほど不自由はしなかった。
森は潜るもの。その言葉の意味が、非常によく理解できた。
森の奥に進むほど。深く、深く。深海の奥底へと潜っていく様な錯覚に頭が浸されていく。
「これが、幽華の森……」
本来ならばそれは、恐怖を感じるべき感覚であるのかもしれなかったが。
それよりも何よりも、
「綺麗だ……」
「ええ……本当に……」
現世のものとは思えないその幻想的な光景に、二人はただただ心を奪われていた。