第52話 先輩の事情
前半は神矢視点、後半は山崎視点です。
その日、道場に行くと、掃除をしていた小森さんが俺を見つけて駆け寄ってきた。
「こんにちは、神矢先輩」
「こんにちは、小森さん」
にっこりと可愛らしい笑みを浮かべて言った後、小森さんはちらっと俺の背後を伺って首を傾げる。
「山崎先輩はお休みですか?」
「山崎は掃除が長引いていま着替えてるよ、ギリギリ間に合うんじゃないか? なにか山崎に用事?」
「ええっと……、いえ、なんでもないです」
尋ねた俺に、小森さんは一瞬考えるようにして、誤魔化すように首を振って用具室にいってしまった。
その後姿を眺めて、俺は内心首を傾げた。
予想通り、山崎は部活開始の挨拶の神拝が始まる直前に道場にやって来た。
秋の大会後三年生は引退し、俺が主将、山崎が副主将になった。
部活始めと終わりの神拝を仕切るのも二年になり、基本的には主将の俺が神棚の一番近くでみんなに向かい合う格好で立つ。
三年生がいなくなった今、前方に二年生、後方に一年生が整列する。
時間ギリギリに道場にやってきた山崎は一年のさらに後ろの最後尾に混ざった。
一年の中でも後ろの方に並んでいた小森さんがちらっと山崎を振り返ったのが、一人向き合う形で立っている俺にははっきりと見えた。
神拝が終わると、それまで静寂に包まれていた道場内にざわめきが戻り、皆それぞれ自分の練習を始めるために動き出す。
そんな中、小森さんは一目散に山崎の側に向かい、何かを話していた。
二人の姿を遠くに眺めていると、胸がもやもやしてくる。
いつもだったら、小森さんが一目散に駆け寄ってくるのは俺のところで、「練習を見てください」と言うのに、今日の小森さんは俺には目もくれず、山崎と話していた。
さっきだって、どう見たってなんでもないようには見えなかった。
だけど、それがなんなのか俺には分からなくて、ふてくされるように視線を外して道場の外に出た。
※
「山崎先輩っ!」
神拝が終わるなり、小森が駆け寄ってきた。
「なに?」
「ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけど、いいですか? すぐ終わるのでっ!」
「ああ。カケしながらでいいか?」
「はいっ」
斜位の真ん中に立っていた俺はそう言って、小森と一緒に道場の端に移動する。
その時、ふっと視線を感じて顔を上げると、神矢がこちらに背を向けて道場の裏口から外に出ていくところだった。
一瞬、見えた神矢の横顔がふてくされた子供みたいで、俺は言い知れぬ罪悪感を覚えて苦笑する。
道場の隅に置いていたカケ袋を拾いながら床に正座して座ると、小森さんも隣に並んで座った。
袋からカケを取り出しながら隣の小森を見ると、なんだか真剣な眼差しをしていて困る。
「神矢のところにいかなくていいのか?」
「えっ?」
尋ねられた小森は、キョトンとして首を傾げた。
なんでそんなことを聞かれるのかわからないというような表情を向けられて、神矢に同情してしまう。
俺は吐息をもらしながら言う。
「小森はいつも神矢に練習見てもらってるだろ、行かなくていいのか?」
「まあ、そうですね。神矢先輩には後で練習見てもらいます、それよりも」
そんなことはどうでもいいというような小森の口調に、困惑して眉根を寄せる。
「山崎先輩は甘い物好きですか?」
「ん……?」
唐突な質問に、カケをつける手を止めて目を瞬いた。
「まあ、好きな方だな、それがどうした?」
「確か……、以前、抹茶オレ飲んでましたよね? 抹茶お好きなんですか?」
俺の問いかけには答えず、小森はどんどん質問を重ねてくるから、俺もただその質問に答えていく。
「抹茶は好きだ」
「じゃあ、チョコは好きですか? 甘い物の中だったら何が好きですか?」
「チョコは、好きでも嫌いでもない、あれば食べるくらいだ。甘いものだったら、水まんじゅうが好きだ」
「和菓子派ですね」
「そうだな。でも、どら焼きみたいにぱさぱさしてるのは苦手だ」
「ぱさぱさ……、じゃあ、おまんじゅうとかも苦手ですか」
「薄皮なら好きだ」
「他に苦手なお菓子はありますか?」
「特に思い当らないが……」
「羊羹はお好きですか?」
「好きだ」
思案気にした後、小森がぽつりともらす。
「チョコ羊羹とか……」
「それは、どんな味か想像つかないな。あんこなのにチョコ味か……」
「私も、想像つきません」
そう言ってへらっと笑いながら、小森はなにかをメモに取っていた。
なんだかとりとめのない応答をしながら、小森がなにを聞きたいのか、なんとなく理解した。
クラスの女子だけでなく男どもも最近そわそわしていると思ったら、そういえば、もうそんな時期か、と気づく。
しかし、そこで、はてと首を傾げる。
俺の好みなんか聞いてどうするのだろうか。
むしろ小森が知りたいのは、神矢の好みじゃないのだろうか。
そう考えて、神矢がいつもブラックコーヒーを飲んでいることや甘い物が苦手だということを思い出す。
これは教えた方がいいのだろうか。
確か、チョコも食べないんじゃなかっただろうか……
言うべきか言わないべきか迷っているうちに、小森は満足げににっこりと微笑んでお辞儀をして立ち上がった。
「わかりました。山崎先輩、ありがとうございましたっ」
「あっ、待て、小森……、って行ってしまったか……」
呼び止める間もなく小森は道場の外に出て姿が見えなくなってしまった。
俺は眉根を寄せ、ぽりぽりとカケをしていない左手で首筋をかいて、はぁーっと大きなため息をついた。




