第43話 溢れた想い
あの後、保健室から校庭に戻った神矢先輩は一度も振り返ることなく、部活対抗リレーの招集がかかったスタート地点にいってしまった。
私は自分のクラスの待機席の近くでその背中が見えなくなるまで見つめ、自分の席へと戻った。
「深凪っ!?」
「ただいまぁ~」
驚いたように振り返った紗和に私はへらっと笑い返す。
「ちょっとぉ~、急に倒れるからびっくりしたんだからねっ!」
「ごめん……、お昼に様子見に来てくれたんだってね、ありがと」
「ううん、それはいいけど、もう大丈夫なの?」
「寝たらよくなったし、ちょうど目が覚めた時に神矢先輩が来てくれて、もうすぐ部活対抗リレーだって言うから戻ってきた」
言いながら紗和の隣の自分の席に座る。
神矢先輩は部活対抗リレーがもうすぐだって言ってたけど、いまはまだ午後の部の最初の競技の応援合戦の最後の組が演技をしているところだった。
部活対抗リレーは応援合戦の次の次だから間に合ってよかった。
内心でほっと安堵の吐息をもらしてたら。
「あ~、神矢先輩、ちゃんと迎えに行ってくれたんだね」
「えっ?」
「お昼に保健室行った帰りに神矢先輩と山崎先輩に会って、深凪はまだ寝てたって言ったら神矢先輩が心配そうに後で様子見に行くって言ってたから。良かったね、神矢先輩のお迎えが来て」
「ちょっと、からかわないでよ……」
にやにやした顔の紗和に言われて、私は頬を膨らませる。
「深凪が倒れた時の神矢先輩の顔、見せたかったな~。あの普段は余裕綽々って感じの神矢先輩が血相変えてるの、深凪愛されてるぅ~」
隣に座った紗和に肘で脇を突かれて、私は抗議するようにその肘を手で押しとどめる。
「ほんとにそんなんじゃないから、側で後輩が倒れたら誰だってビックリするでしょ……」
ため息交じりに言う私に、紗和はまだなにか言いたげな顔をちらりと向けたが、最後の応援合戦が終わり、拍手をするために口をつぐんで視線を前に向けた。
※
その後、部活対抗リレーや体育祭の大締めの色別対抗リレーなんかが行われて無事に体育祭は終了した。
ちなみに部活対抗リレー、弓道部は二位だった。
袴姿でトラックを駆け抜ける神矢先輩はすごく速くてかっこよかった。
他の三年の先輩もすごく足が速くて、サッカー部やバスケ部、テニス部などいかにも走り込んでいますという運動部の中で二位というのは大健闘だと思う。敗因はやっぱり、袴で走ったからかな……?
他の部活もユニホーム来てたけど、弓道部の袴はちょっとハンデだよね。
そして、やっぱりというか予想通りというか、山崎先輩が走った時はあちこちから女生徒の黄色い悲鳴が聞こえてすごかった。
たぶん、他の運動部の女子も山崎先輩を応援そたり、うっとりと見つめていたと思う。山崎先輩ファンが増えたことはいうまでもない。さすが、山崎先輩……
閉会式も終わると、各クラスの待機席で簡単に帰りのホームルームが行われて解散になった。
トラックにはホームルームが終わり教室に戻る生徒や片付けに向かう生徒達がぱらぱらと歩いている。
紗和に「教室いこ」って言われた私は、「先に戻ってて」と言って、一人、二年生たちの待機席に向かった。
特に係りとかはないからこのまま教室に戻って着替えて帰っていいんだけど、教室に戻る前に綾部先輩にお礼を言おうと二年四組の待機席を目指した。
二人三脚が終わった瞬間倒れて、それから今日はまだ顔を合わせていない。
足を鉢巻きで縛ったままの時に倒れてしまったから、もしかしたら綾部先輩も怪我をしているかもしれないし、怪我していなかったとしても倒れて迷惑かけたお詫びと保健室に運んでもらったお礼を今日のうちにしておきたかった。
先にホームルームが終わっていたらもう教室に戻ってしまったかもしれないと思ったけど、歩いていくと、先輩のクラスはちょうどいまホームルームが終わった所だった。
ぱらぱらと散っていく生徒の中から綾部先輩の姿を探していた私は、綾部先輩よりも先に、神矢先輩を見つけてしまう。
「あっ……」
「……」
視線が交わり、ぎこちない沈黙が二人の間に広がるけど、すっと神矢先輩は視線をそらした。きゅっと胸が痛む。だけど、神矢先輩のすぐ後ろに綾部先輩の姿を見つけて、震えそうになった声を押さえて、声をかけた。
「綾部先輩、ちょっといいですか?」
「深凪ちゃん、もう起きてきて大丈夫なの?」
綾部先輩は心配そうに私を見るから、安心させるように笑い返す。
「はい、それで……」
そのまま保健室に運んでもらったお礼を言おうとして、言葉を切る。
綾部先輩がなんとも言えない表情で神矢先輩をちらりと見て、神矢先輩はその視線から逃れるようにそのまま歩いていってしまった。
「おい、神矢っ……」
なにも言わずに歩いていってしまった神矢先輩の背中に、綾部先輩が焦ったように声をかけるけど、神矢先輩は振り返ることもなく教室に向かう他の生徒と一緒に歩いていってしまった。
その後姿を綾部先輩は困ったように苦笑して見ていた。それから、一つため息をついて。
「ここだと片づけの邪魔になるから、むこう行こうか」
階段状になった校庭の端を指しながら綾部先輩が言った。
「はい……」
うちの校庭は、第一校庭と第二校庭があって、第一校庭は校舎と同じ敷地にあるんだけど、体育祭が行われた第二校庭は校門を出て道路を渡ったところにある。校舎はちょうど岡の上にあって、第二校庭は斜面の下にあって降りるには階段を下りていかなければならない。斜面一面が階段状になっていて、その端の方、校舎に戻る生徒や片付けをする生徒の邪魔にならない場所に、私と綾部先輩は並んで座った。
「で、俺に話ってなにかな?」
綾部先輩は私の顔を覗き込むように体ごとこっちにむけ、爽やかな笑みを浮かべた。
そんな綾部先輩に、私はまず、ぺこっと頭を下げた。
「二人三脚の時、ご迷惑おかけしてしみませんでした」
「いや、深凪ちゃんが謝ることないだろ……、むしろ俺の方こそごめん、体調悪いのに気づかずに無理させちゃって」
「そんな、綾部先輩はなにも悪くないですよ、あの、怪我とかしてないですか?」
「えっ?」
「足をまだ鉢巻きで固定したまま移動している最中に倒れてしまって、綾部先輩は大丈夫でしたか?」
「ああ、俺は平気だけど……」
そこで言葉を切った綾部先輩は困ったようななんとも言えない表情をした。
「綾部先輩?」
うかがうように首を傾げると、綾部先輩ははっとしたように私を見て、苦笑する。
「もう体調は大丈夫?」
「はい、心配おかけしました。それから、保健室まで運んでくださってありがとうございます」
今度は感謝の気持ちを伝えて頭を下げると、綾部先輩は唇を引きむすんで微妙な表情を浮かべた。
「お礼なら、俺じゃなくて神矢に言ってやって」
「えっ……?」
突然出てきた神矢先輩の名前に、心臓が大きく跳ねて動揺してしまう。
「倒れた深凪ちゃんを受け止めたのも、保健室に運んだのも、神矢だから」
「っ……!? でも、神矢先輩は綾部先輩が運んでくれたって言って……」
綾部先輩の言葉に息を飲み、反射的に反論して、そこで言葉がと切れる。
そう言ってたと思うけど、よくよく思い出してみると、神矢先輩は綾部先輩の名前を言っただけど、運んでくれたのがそうだとははっきり言っていなかったような……
あの時の、なにか言いたそうな神矢先輩の瞳を思い出して、トクンっと心臓が震える。
「えっと……」
なんだか頭が混乱して、うまく状況を整理できないでいると。
「深凪ちゃん」
名前を呼ばれて綾部先輩を見ると、ほんのちょっと憂いを含んだ優しい眼差しで見つめられて、息を飲む。
「神矢となんかあった? 俺でよかったら、相談乗るけど――?」
「……っ」
あまりに優しい眼差しに見つめられて、ずっと堪えていた気持ちが溢れてしまった。




