第40話 ぎこちない距離
係りの手伝いで遅れて部活に行き、道場の外に出ると、神矢先輩と一年男子が楽しそうに談笑してて、その笑い声に誘われるようにその輪に近づいた。
「こんにちは、楽しそうだね、何の話?」
声をかけると、一斉にみんなの視線がこっちをむいた。
斜め横にいた神矢先輩も私を振り返り、視線が重なる。
「……」
にこりと微笑んでみるけど、神矢先輩にすっと視線をそらされてしまった。
それはほんの一瞬の出来事で、私以外は誰も気づかなくて、隣にいた男子が楽しそうに会話の内容を教えてくれた。
「昨日やってた、お笑いの特番がさ」
話し出した男子につられて、他の男子もあーでもないこーでもないとお笑いについて談笑を再開するけど、私の耳にはその声は入ってこなくて、談笑の輪からすっと抜けて去っていく神矢先輩の後姿をみつめて、胸にちくりと鈍い痛みが走った。
神矢先輩はそのまま道場の中に戻ってしまい、私も適当に会話から抜けて、一人、巻き藁の練習を始めながら、心ここにあらずだった。
なんだか最近の神矢先輩の態度がよそよそしい気がする。
もともと、神矢先輩と私は部活中、話に花を咲かせるってことはめったにない。だいたいは弓道に関する話が多くて、射形を見てもらってなおしてもらうっていう会話がほとんどだ。
それでも、自主練の時間は他愛もない会話をすることもあるし、さっきみたいに練習中だってくだらない会話で盛り上げる時もある。
なのに。
最近の神矢先輩は、他の人とは普通に話すのに私とはほとんど話さない。
いまだって、私が加わったから会話から抜けていくみたいな態度をとられて、ちょっと傷つく。
あからさまじゃないけど、気のせいだと思うには無理がある。
一昨日も、自主練に残った時。
私と神矢先輩、それから二年生と三年生も少し残っていた。
自主練は練習の時よりも空気もそれほど緊張感が張りつめていなくてみんな和気あいあいとして、学年関係なく他愛無い会話をしてちょっとふざけたりしている。
その日も二年生と三年生が音楽教師の鬘の話とか購買部の限定メニューの話なんかを楽しそうに話してて、私はそれを聞いて笑ったり、相槌を打ったりしていたんだけど。
自主練の中ごろで、神矢先輩以外の二、三年生が帰ってしまい、道場内に私と神矢先輩二人っきりになった瞬間、重たい沈黙がしぃーんと広がった。
神矢先輩は神矢先輩でなんだか話しかけらないような雰囲気出すし、突き放されたような態度に、どうすればいいのか分からなくて戸惑ってしまった。
そんなことが続いて、神矢先輩に練習を見てくださいって言うのもためらったけど、いつものことだし、こればっかりはやめられないと思って勇気を出してお願いしたんだけど、やんわりと、だけどどこか突き放すように断られてしまって以来、「お願いします」と言えなくなってしまった。
いつもならどんな時も自分より他人を優先する神矢先輩に避けられて落ち込んでしまう。
私、なにか神矢先輩を不快にさせるようなことしたかな――……?
考えても思い当ることはなくて、でも、なんでもないのに神矢先輩がこんな態度を取るとは思えなくて、なにか自分に原因があるだろうと必死に考えた。
たぶん、自主練しないで帰るっていう選択肢が正解だったんだと思うけど。
いつもの習慣とは恐ろしい。
つい、いつも通り、自主練に残り、いまの自分の状況に泣きそうになって、きつく唇をかみしめた。
今日は一年も何人か自主練に残っていたし、先輩もたくさんいたからつい油断してしまった。
練習に夢中になって気がついたら、もう最終下校時刻が迫ってて、玉城先輩に声をかけられた。
「深凪ちゃん、そろそろ道場しめよ」
「……!?」
気がつけば、道場内に残っているのは私と玉城先輩と神矢先輩の三人で、この組み合わせには嫌な予感しかしない。
予感的中と言うか、毎度のことながら、玉城先輩が邪気のない笑みで言った。
「もう遅いし、一緒に帰ろうね」
道場の鍵を閉めて振り返って言った玉城先輩の言葉に、私はひきつった笑みを浮かべるしかない。
少し離れた場所で待っていた神矢先輩は何も言わず、先に部室に向かって歩いていってしまい、玉城先輩はそれを追いかけていってなにか二人で話している後姿を見つめ、今度はどうやって断って帰ろうかと、思考をフル回転で働かせる。
ここはやっぱり、大急ぎで着替えて、用事があるとかなんとか「急いでる」と適当に理由をつけて帰るしかないと思った。
女子部室に着くなり、私は今までにないくらいの速さで着替える。
だけどこういう時に限って、私は着替えの大変な袴姿で、玉城先輩は着替えやすいジャージ姿だったりする。おまけに、からまわりというか、急げば急ぐほど、上手く袴の紐がほどけなくて、ほどけても絡まってしまって、着替えにもたついてしまう。
いつもよりはちょっとぐちゃぐちゃだけど、なんとか袴を畳んで風呂敷に包み、ロッカーに突っ込んだ時、玉城先輩がすでに靴を履きながら申し訳なさそうに言う。
「深凪ちゃん、ごめんっ! 用事が出来ちゃったから先に帰るね! 駅まで神矢君に送ってもらうんだよ~」
呼び止める間もなく、玉城先輩は靴を履いて部室から出ていってしまった。
ぱたんと音を立てて閉まる扉を私は呆然と見つめる。
ええっと……
今の状況を理解したくなくて、でも、受け入れるしかなくて、がっくりとうなだれる。
最近の突き放すような冷たい態度の神矢先輩と二人きりで帰るのは堪える。
部室から出たくないけど、着替え終わっているのにずっと部室にいるわけにはいかないし、いつまでも神矢先輩を待たせるわけにもいかない。
仕方なく、私は鞄を背負い、部室を出た。
扉を開けた瞬間、さぁーっと頬に冷たい風が吹きつけて、体をぶるりと震わせる。
まだまだ日中は暖かい日が続いているけど、やっぱり夕方は冷える。
風になびく髪を押さえて顔を上げると、男子部室の前の壁に寄りかかって立っている神矢先輩と視線がぶつかった。
直後、すっと視線をそらすように神矢先輩は俯き、胸がじりじりと痛む。
寄りかかっていた壁から背を離し、こちらに背中を向けて歩き出しす。
私は慌てて背の背中を追いかけ、だけど、横に並ぶだけの勇気が出なくて、数歩後ろをゆっくりとついていく。
暮れなずむ通学路を、重い沈黙とぎこちない距離感のまま歩いていく。
神矢先輩は一度も振り向くことも、会話をすることのなく、ただまっすぐを向いたまま自転車をひいて歩いている。
その背中を見つめて、私は胸に込み上げてくる想いを堪えるように、ぎゅっと唇を噛みしめた。
いつもだったら他愛無い会話で楽しくてあっというまに駅まで着いてしまう道のりが、今日はとても長く感じた。
結局、一言も話さないまま駅についてしまった。
「じゃ……」
そう言った神矢先輩の声は突き放すように冷たく、ちらっとこちらを見たけれど、視線を合わせずにそらされて、そのまま自転車にまたがってあっという間に見えなくなってしまった。
いままではなかったぎこちない距離感に、胸の奥がざわつく。
やっぱり、私がなにかしちゃったのかな……!?
ついこの間までは普通だったのに、急に避けられたり会話すらしなくなったり、突き放すような神矢先輩の態度に、涙が溢れてきそうになるのをぐっとこらえた。




