第33話 よくばりな恋ゴコロ
食堂内にある自販機に並んでお昼に飲むパックジュースを買っていた私は、自販機の口からジュースを取り出して後ろを振り返って、息を飲む。
「小森さん」
「っ……、こんにちは、神矢先輩」
すぐ後ろに神矢先輩がいて、ふわりと春のお日様みたいな柔らかい笑みを浮かべるから、胸がうるさく鳴りだす。
自分の気持ちを自覚してしまって、どうこうしたいとは思わないけど、やっぱりこんなふうに不意打ちで神矢先輩に笑顔を向けられると、胸が高鳴ってしまう。
自販機に用があったのは神矢先輩の隣にいた友人の方だったみたいで、神矢先輩はじっと私を見下ろし、不意に手首をとられて、ドキッとしてしまう。
大きな手が私の右手をそっと包み込むように掴んだ。
「どうしたの? 手」
「体育の時、バレーでちょっとひねってしまって……」
恥ずかしさにだんだんと声が小さくなる。
バレーで怪我するなんて、かっこ悪すぎる。
捕まれた右の手首には湿布がはってあってひんやりとするのに、神矢先輩の手が触れたところから熱を持ったように熱くなる。
神矢先輩の手が離れ、反射的に手を引込め、誤魔化すように頬にかかった髪を耳にかける。
「大したことないんですよ、ちょっと痛むなぁってだけで」
「部活は休めよ」
「えっ……」
諭すような神矢先輩の言葉に声をあげたら、眉根を寄せた神矢先輩に呆れたように名前を呼ばれた。
「小森さん、痛むなら休まないと」
「あの、弓は引かないので、矢取りとか手伝うだけでも……」
「ダメに決まってるだろ。せめて痛みがなくなるまでは、部活禁止」
「そんなっ……」
本当にちょっと痛むだけだし、湿布貼ってちょっとだけど痛みが少なくなったから、部活は普通に出ようと思ってたのに……
まさかの部活禁止令にあからさまに落胆して肩を落としていると、神矢先輩の呆れたようなため息が聞こえて顔を上げる。
「部活出るつもりだったんだな……」
「うっ……」
なにも言えなくて、唇をかみしめる。
直後、ぽんぽんっと、頭を大きな手が優しく撫でた。
神矢先輩を振り仰ぐと、それまでの呆れはなく、心配が入り混じったような苦笑を浮かべていて、胸の奥が締め付けられる。
「部活、休めよ」
そう言ったのと同時に、神矢先輩の友人が神矢先輩に声をかけて一緒に歩いていってしまった。
私はその後姿を見送りながら、胸から広がる痺れるような感覚にぎゅっと両手を握りしめた。
それから、一瞬だけ顔を伏せて、すぐに振り返って歩き出す。
絶対に今、自分の顔が赤くなっているって分かったけど、いつまでもここにいるわけにはいかなくて、紗和達が待つ席へと向かった。
※
一時は恋の迷宮にさまよいこんでしまった私。
部内でごたごたに巻き込まれるのは嫌だって、部内恋愛はしないって思ってたけど。
神矢先輩は教えをこう師で、憧れの先輩でしかないって、ずっと自分に言い聞かせてきたけど。
いつの間にか、ちょっと意地悪で、でも優しくて、弓道に真剣に向き合う神矢先輩に惹かれていた。
神矢先輩が好き――……
自分の気持ちに気づいてしまって、でも行き場のない想いに戸惑ったりしたけど。
神矢先輩が玉城先輩と付き合っていると思ったのは勘違いだった。
保健室で、神矢先輩はちょっと照れながら不眠症なんだと教えてくれた。
そうとは知らずに、変に誤解した自分が恥ずかしくて、でも先輩の秘密を教えてもらえて喜んでいる自分もいて。
『眠れなかったのは小森さんのせいなんだから、責任とってよ』
ふっと甘やかな笑みを目元に浮かべて言った神矢先輩は、いつもと同じようにからかっていただけなんだろうけど。
体の奥から甘い痺れが広がって、どきどきしてしまった。
改めて、神矢先輩の事が好きだと自覚して。
でも、やっぱりその想いをどうこうしたいとは思わなかった。
中学のトラウマというか、今はまだ誰かと付き合いたいとか思わないし。そもそも部内恋愛禁止っていう部則があるかぎりそれは無理だし。
いままで通り、神矢先輩とは後輩として仲良くできれば良いと思った。
でも、好きだって気持ちはどんどん大きくなっていって、隠さなきゃって思うのに、神矢先輩に笑顔を向けられたり、頭を撫でられたりするたびにドキドキさせられっぱなしで。
どんどん欲張りになっていく恋心に、このままでいいって思えなくなる日が来そうで、ちょっと怖かった。




