第20話 恋なんかじゃない
合宿後に行われた総体では惜しくも男子弓道部は準決勝で敗退、決勝に進むことは出来なかった。
みんなの落ちこみ様は著しく、特にこれが最後の総体となった三年生にとってはなんとも心残りとなる結果になってしまったが、いつまでも落ち込んだ空気を引きずっているわけにもいかず、次の試合に向けて気持ちを切り替えるためにも、“お疲れ様会”をして気持ちを一区切りつけようということになった。
お疲れ様会は夏休み練習最終日、午後練習をなしにしてその時間に部室でやることになっていた。
で、じゃんけんで負けた私がその買い出しに行くことになったのだけど。
学校から線路を挟んだところにある中規模のショッピングモールのスーパーでカゴを持っている私の横に、なんで神矢先輩がいるのでしょう……?
視線の感じたのか、買い出しリストから顔を上げてこっちを見た神矢先輩が小首をかしげた。
「ん? なに?」
「えっと……、なんで神矢先輩までついてくるんですか……?」
恐る恐る尋ねる。
気持ちを切り替えるためにお疲れ様会をやることになったとはいっても、実際は総体に行った年は毎年やっているほぼ恒例行事らしく、総体に出た二、三年生を労う会で、準備や買い出しは一年がやることになっている。
つまり、二、三年生、その中でも神矢先輩は交代することなく通しでずっと試合に出ていたうちの一人で、最も的中させていた人物であって、一番労われるべき人なのに。
「なんで買い出しに来るんですかっ!?」
非難を込めて叫んだ私に、神矢先輩はふんわりといつものちょっと意地悪な笑みを浮かべる。
「だって、小森さんがじゃんけんで負けるから」
「えっと、私が悪いってことですか……?」
なぜか私が非難される立場になり、理不尽さに動揺する。
「しょうがないじゃないですか、じゃんけん、弱いんですよ……」
ふてくされて小さな声で呟いたら、なぜだかくすっと鼻で笑われてしまった。
「そうなんだ、小森さんの弱点知っちゃった。ってそうじゃなくて」
おかしそうに言いながら、神矢先輩がぽんっと私の頭を撫でる。
「買い出しなんて力仕事、野郎にやらせればいいのに、買い出し決めるじゃんけんの中に入っていくし、おまけに、負けるし」
わずかに瞳を細めて微笑んだ神矢先輩が私を見つめる。
「こんなにいろいろ買うのに女の子一人に任せるわけにいかないでしょ?」
そう言いながら買い出しリストを見せられて、顔を引きつらせる。
二リットルのペットボトルが八本にお菓子にエトセトラ……
確かに一人で持てる量じゃない、けど……
「それなら行く前に言ってくれれば、成瀬君とか他の一年に頼んだのに……」
ぼそっと一人ごちたら、手の中からするっと買い出しリストを引き抜かれてしまった。
「そんなのダメに決まってるだろ」
「えっ?」
神矢先輩の言葉に顔を上げたのだけど。
「飲み物は重たいから先にお菓子選ぼう」
私の疑問には答えてくれず、神矢先輩はお菓子コーナーに歩き始めてしまった。
※
合宿中、神矢先輩とはなんだかギクシャクしてしまったけど、合宿が終わって数日たってしまえば、裸を見られた恥ずかしさとか――実際は裸を見られたわけじゃないけど――、キスしちゃった動揺とかはおさまってきて、総体の目まぐるしさで気にしている余裕もなくなっていた。
それに。
百射会の時、手の痛みを誰にも気づかれないように我慢していたのに、神矢先輩だけが気づいてくれた。
ずっと我慢していた痛みは、先輩の優しい手当と励ましの言葉に和らいでいった。
あの時、思ったのだ。
やっぱり、私の師は神矢先輩だって。
もっともっと神矢先輩に練習を見てもらって、神矢先輩みたいにぶれのない射が出来るようになりたいって。
だから、合宿後の夏休み中の練習では、それまで通りというかむしろこれまで以上に神矢先輩に教えを仰いで、弓道の上達に励んだ。
神矢先輩は尊敬する師で、憧れの存在で――
でもやっぱり、ほんのちょっと、合宿でのキスのことを意識してしまい、部活以外の場所で神矢先輩と二人きりだと緊張してしまう。
思い出して、かぁーっと頬に熱が集中しそうになって、意識を切り替えるためにぱんっと頬を叩いて、お菓子コーナーに歩き出した神矢先輩の後を追った。
※
実は去年、買い出し係をやったという神矢先輩が手際よく買い出しリストを見ながらさくさくと買う物を決めてカゴに入れ、あっという間に買い物が終了。会計を済ませて、台の上で買ったものを買い物袋に詰めていたら、懐かしい声に名前を呼ばれた。
「小森さん……」
振り返ると、そこにいたのは中学時同じ弓道部だった岡田君だった。
「岡田君……」
彼の名前を呟き、私は目を見張った。
そういえば、岡田君が通っている高校とうちの高校の最寄駅が一緒だったなと思い出す。学校帰りにぶらっとショッピングモールに立ち寄ったのかもしれない。
こんなところで会うとは思わなかったから驚きを隠せなかったけど、それは岡田君も同じだったらしい。
「袴着てる人がいると思ったら小森さんだったから、ちょっと驚いた」
「あっ……」
言われて、自分の姿を見下ろす。
そういえば、部活後だったから、袴姿のままだった。
お疲れ様会では着替える予定なんだけど、着替える前に買い出しに行った方が準備するのに時間がかからなくていいかと思って、袴のまま来ていた。
通り過ぎるたび、ちらほらと視線は感じていたけど、夏休みの部活中は着替えるのが面倒でお昼に袴の格好のままコンビニに行ったりしていたから、袴を見る視線に慣れてしまってあまり気にしていなかったから。
「忘れてた……」
ぽつっとこぼした私につられたように岡田君も微笑んだ。
「小森さん……?」
私の隣で、ペットボトルを袋に詰めていた神矢先輩が岡田君に気づき、岡田君も神矢先輩を見て軽く会釈をした。
「えっと、中学の同級生です。こちらは弓道部の先輩」
その時、ブーブーっと振動する音が聞こえて、神矢先輩が鞄から携帯を取り出す。
「あー、山崎から電話だ。なんか追加かな」
そう言いながら、少し離れた方へ歩いていってしまった。
神矢先輩の後姿を見送り岡田君に向き直ると、岡田君はほっとしたように微笑んだ。
「弓道、続けていたんだね……、よかった」
「……っ」
その言葉に私は息を飲んだ。
もうすっかり乗り越えた過去だと思っていたのに、つい昨日の出来事のように思い出して、ぎゅっと眉根を寄せた。
中学三年の時、私は気づいたら女子の中で孤立していた。原因は、私と岡田君が付き合っているという根も葉もない噂だったんだけど、私を弓道部に誘った小学校からの友人のやよちゃんが実は一年の時から岡田君のことが好きで、先に好きになったのは自分なのに私にとられたと言いふらして、私をいじめの対象にしたのだった。
それが原因で、矢を放つ“離れ”の動作が出来なくなり、弓が引けなくなった。結局、私は最後の大会にも参加できず、部活を引退するまで、“離れ”は出来なかった。
岡田君とはただ同じ主将同士ということでいろいろ相談に乗ってもらってただけなのに、いじめの原因が岡田君と仲良くしていたことだと彼も知ってしまい、負い目を感じたのか急に話さなくなってそれっきりで卒業してしまっていた。
「引けるようになったんだね……?」
岡田君はなにも悪くないのに思いつめた様子で尋ねてくるから、安心させるように微笑む。
「うん……」
私の視線は自然と、エレベーターホールで電話している神矢先輩の後姿へと向けられてしまう。
その視線を追った岡田君が尋ねた。
「もしかして、あの先輩、小森さんの彼氏?」
「違うよっ……」
反射的に否定して、胸がざわつき始める。
「そっか、ごめん、変なこと聞いて。俺、そろそろ行かないと……」
「ううん、じゃあ、また」
「またな」
手を振って去っていく岡田君を見送って、私はまだ詰め終わっていなかったカゴの中のお菓子をレジ袋に詰めていきながら、ぎゅっと唇をかみしめた。
別に――中学の時、岡田君のことを好きだったわけでも、実際付き合っていたわけでもないのに、知らない間に岡田君と付き合っていると噂が流れてそのせいでいじめられることになった。
そもそも自分には恋愛なんて無縁だと思っていたけど。
ややこしいことに巻き込まれるだけなら、恋愛なんてしたくない――
中学三年の時、そう思った。
それなのに。
なぜだか泣きそうな自分がいて、涙をこらえて、必死に唇をかみしめる。
お菓子を袋に詰めながら俯いていれば、誰にもこんなくしゃくしゃの顔見られないで済むと思ったのに。
ぽんぽんって。
不意に頭を優しく撫でる感触に、胸がきゅっと締め付けられる。
「神矢先輩……」
口から出たのは、自分でも情けないくらい掠れて弱弱しい声。
「子ども扱いしないでください……」
強がって、なんとかそう言ったのに。
「ん~」
神矢先輩はあいまいに微笑んで、私の涙が引っ込むまで頭を撫でることをやめなかった。
なんとか泣き顔を見られないようにしようと俯いたままでいて、鼻をすすりながら思う。
こんな、優しくしないでほしい……
優しく撫でるから、その優しさに、どんどん神矢先輩に惹かれてしまう。
ずっと気づかないふりをしてきたのに。
もう、誤魔化せないくらい、気持ちが溢れてきそうになって困る。
だって弓道部は部内恋愛禁止で、神矢先輩だって部内恋愛はしないって言ってた。
私だって、もう部内での恋愛事には巻き込まれたくない。
だから。
私は何度も心の中で言い聞かせる。
この気持ちは恋なんかじゃない――、って。




