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imitation*kiss  作者: 滝沢美月
第2章 はじめての夏
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第19話  胸に灯る想い



「小森さん、狙いもう少し左」


 言われたままに狙いを少しずらす。

 口元に当たる矢の冷たさ、キリキリと軋む弦の音、わずかに捻った馬手、伸び合いを意識した肘。

 それらを意識して狙いを定めた私の馬手は弦から離れ、弓から飛んでいった矢は的のほぼ中心に突き刺さった。


「しゃっ!」


 真横から聞こえた満足そうな声に、ほころんでしまいそうになる口元を引き締めて、無表情を崩さずに、弓を倒す。

 それから足踏みで開いていた足を閉じ、一礼して射場を出た私は、すぐ後ろで私の射形を見ていてくれた神矢先輩を見上げた。


「引きは安定してるから、狙いを今の位置で覚えるのと弓手、負けないように気をつけるくらいかな」


 うっとりするような微笑みを浮かべて言った神矢先輩に見とれながら、私は頷き返した。


「はい、ありがとうございますっ」


 合宿三日目の今日は百射会。

 合宿に来てからなんだかんだと神矢先輩に練習を見てもらうことが出来なかった私だけど、なんとか先輩とのギクシャクした雰囲気も消えて、百射会を目前にした射込みの時間に神矢先輩に一本見てもらう約束を朝食の時にして、今こうして見てもらったというわけで。

 高校で弓道部に入部してから神矢先輩に見てもらうのが一番多かったからか、やっぱり神矢先輩に見てもらえるとしっくりくるというか、安心する。

 なんか調子も良い感じだし、百射会なんて中学の時はやったことがなかったから、体力が持つかとか百射ちゃんと引けるのかとか不安だったけど、そんな不安は薄れてしまった。

 神矢先輩をじっと見上げていたら、大きな手が伸びてきてぽんっと頭を撫でられた。


「緊張してる?」

「えっ……?」

「緊張してるって顔してる。そんな緊張しなくても小森さんなら大丈夫だよ」


 そう言って神矢先輩は、もう一度ぽんっと頭を撫でると、ちょうどそばを通りかかった山崎先輩に話しかけながら行ってしまった。

 私はその後姿を呆然と見送りながら、先輩に撫でられた頭に無意識に触れる。

 なんで、神矢先輩には分かっちゃうんだろう……

 百射会なんて初めてで緊張してるって。

 私の不安を感じとって、それを和らげるように大丈夫って言ってくれた神矢先輩に、きゅっと胸が音を立ててうずく。

 その意味を考えないように唇をかみしめて、弓を弓立てに戻して矢取りに行くために、カケを外して道場を出た。



  ※



 馬手と弓手の伸び合いを意識しながら引き分け、会で狙いを定めていた私は、ぴりっと弓手に鈍い痛みが走って、わずかに顔を顰めた。

 それでもなんとか弓手をぶれさせず狙いを定め、一射を決める。

 午前中に十立ち四十射、昼食を挟んで午後も引き続き行われる百射会はすでに十立ちがすみ八十射を打ち終えたところだ。

 残り二十射といってもあと五立ちあるわけで、立ちの間には矢取りの仕事もあり、結構慌ただしく、あっという間に次の立ちの番になってしまう。

 その合間をみはからって、私は道場の裏に出て手ごろな岩に座り込んで左手に張っていた絆創膏をぴっと引っ張ってはがす。

 はがす瞬間の痛みに、きゅっと眉根を寄せた。

絆創膏をはがしおえた親指の腹には一センチ強の豆が潰れて厚手の皮がむけて真っ赤な肉が見えていた。

 その痛々しい指に眉間に皺をよせ、ヒリヒリと痛む指につんっと触れる。


「ったぁ……」


 痛いのは分かっていたけど、なんとなく触ってしまった。

 私はもともと豆ができやすいくて、普通は豆が出来て潰れるとその後だんだんと皮が厚くなっていって豆になりにくいんだけど、体質なのか、中学から高校進学までの数ヵ月のブランクのせいか、合宿で長時間練習したからか、また豆ができてしまった。

 午前中はその豆に水が溜まってきていつ潰れてもいい状態になってて、お昼に応急処置で絆創膏を貼ってみたのだけど、豆が潰れてしまった。

 やっぱり絆創膏だけじゃなくて、テーピングも早めに巻いておけばよかたっと思うけれど、後悔先に立たず。

 だって、自分の手にテーピング巻くのって大変なんだもの。

 だからといって誰かにお願いすることも出来ないし。

 仕方なく、こうして人気のない道場裏に来てテーピングを巻こうと決心したのだけど。

 持ってきていたカケ袋の中から絆創膏を取り出してシートをはがす。

 だけど、自分の手に絆創膏を貼るのは結構難しい。右手だけでどうにか張ったけどよれている。

 今度は絆創膏の上からテーピングを巻こうと思ったのだけど、やっぱり片手でテーピングを巻くのは至難の業だ。

 あーでもないこーでもないってテーピングと悪戦苦闘していたら、手元にすっと影が差してビックリして振り仰いだ。

 そこには険しい顔をした神矢先輩が立っていて、奪うように私の左手の手首を掴みよせると、巻きかけのテーピングを剥がされて、ついでに絆創膏まで取れてしまった。

 絆創膏がはがれた瞬間、痛みが走って、声にならない悲鳴を上げる。


「……っ」

「やっぱりな……」

「えっ……」


 呆れたような、苛立ったような声に驚いて顔を上げると、苦虫を噛み潰したみたいに険しい表情で神矢先輩がつぶやいた。


「なんか朝から弓手を庇っていると思ったら……、ごめん、俺がもっと早く気づいていれば……」


 私の手首を掴んだまま、神矢先輩は自分を責めるように苦々しげにつぶやいてその場にしゃがみこんだ。

 朝からって……、もしかしてずっと私の事を気にしててくれたの……?

 胸に生まれた疑問は声にはならなくて、ただ目の前の神矢先輩を見つめることしか出来ない。

 神矢先輩はどこから取り出したのか、塗り薬のふたを開けて豆の潰れた親指の腹に塗り込む。

 薬の冷たさと指が触れた痛みに小さく声をもらすと、神矢先輩がこっちを仰ぎ見る。


「ごめん……」

「なんで……、神矢先輩が謝るんですか……?」


 まるで泣きそうな声で謝られて、私まで声がかすれてしまう。

 神矢先輩はちらっと憂いを帯びた瞳で私を見ただけでなにも言わず、薬を塗り終わると絆創膏を貼り、黙々とテーピングを巻きだした。

 絆創膏もテーピングも自分でやるのにはちょっと無理があったから、こうして神矢先輩がやってくれるのはありがたいし、嬉しいけど、胸がうずいてなんだかもどかしい。

 テーピングが撒き終わると、今度は“押手ガケ”を出して、私の左手の親指につけてくれた。

 押手ガケはその名の通り、押手つまり弓を持つ左手の親指につけるカケのことで、ちょうど弓にあたる親指の腹を守るためのカケなんだけど、これをすると感覚が鈍ったりするため、あまりつけたがる人はいなくて、持っている人も少ない。かくいう私も、押手ガケは待っていないのだけど。

 完全に豆が潰れてしまって弓が当たるだけでも痛みが走って、弓を引くのに難儀していた私には有難い代物だった。


「あの、これ……」

「俺も昔はよく豆が潰れて、仕方なく使ってたんだ」


 そう言って、神矢先輩はなんともいえない苦笑を浮かべる。


「はい、出来たよ」

「お借りしてもいいんですか?」


 押手ガケの紐を巻き止めて満足げに言った神矢先輩におずおずと尋ねると。


「いいから、こうしてつけてるんだろ? だいたい、普通はこんなふうに豆が潰れたら痛くて弓引けないだろうに、なんで言わないかなぁ……」


 呆れたようにつぶやいた神矢先輩は、ふっと甘やかな笑みを浮かべる。


「まっ、小森さんの事だから、止めたって百射引くつもりなんでしょ?」


 疑問形なのに、肯定されて。

 まったくその通りで、自分の頑固な性格を見抜かれていたことに恥ずかしくなる。

 そんな顔を見られたくなくって、私は神矢先輩から視線をそらすように俯いてつぶやく。


「当り前ですよ。だいたい、私に弓道を諦めさせなかったのは神矢先輩じゃないですか」

「うん、そうだね。だけど」


 そこで一度言葉を切った神矢先輩は、俯いている私の頭をぽんっと撫でて言った。


「小森さんは頑張りすぎ」


 俯いていた私は、去っていく神矢先輩の足跡が聞こえなくなってから、そっと顔を上げて頬を隠すように両手を当てた。

 いま、絶対、顔赤くなっていると思う。

 そっとため息をついて、神矢先輩が去っていった方を見つめる。

 どうして、いつも、神矢先輩は私の一番触れてほしくないところに気づいてしまうんだろう。

 部活見学に行った時も、いまも。

 気づかれたくなくて、ずっと痛みに我慢していたのに、神矢先輩はそれに気づいてしまう。

 ぽんって優しく頭を撫でて、一瞬で和らげてしまう。

 自分でも分かるくらい、頬に熱が集まってくる。

 胸から甘い痛みが全身に広がっていって、それから自分を守るようにぎゅっと両腕で体を抱きしめる。

 ほんのり頬をそめて、わずかに胸に灯った温かい気持ちに、いまはまだ気づかないふりをして、私は残り二十射を引くために道場に向かった。




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