第18話 安心する笑顔
思いもよらない質問にきょとんと首を傾げると、神矢先輩はきまり悪そうに視線を伏せた。
前髪をくしゃっとかきあげ、神矢先輩は言い訳めいてつぶやく。
「成瀬がロビーにいたから……」
「そうなんですか? 成瀬君、ロビーにいるんだ??」
なんでいきなり成瀬君の話なのか分からなくて首を傾げながら、そういえば、普通に神矢先輩と話せていることに気づく。
さっきまでは話しかけることも出来なかったのに、神矢先輩から予想外のタイミングで声をかけられて普通に答えていた。
なんだ……
気にしすぎなければいいのか……
そんな簡単なことに気づかなかった。
あまりに神矢先輩が普通で、自分だけが意識しすぎていたんだと分かるとやっぱりちょっとだけ恥ずかしかったけれど、神矢先輩と普通に話せていたことにほっと安堵の笑みを浮かべていた。
でも、なんで成瀬君の話??
自分の問題が解決した途端、なんで成瀬君の話題なのか疑問に思い、神矢先輩がロビーのある階下からあがってきたことを思い出す。
「神矢先輩はロビーに行ってきたんですか?」
「ロビーというか、散歩でもしに行こうかと思ったんだけど、さすがにこの格好は寒かったから」
そう言った神矢先輩は半袖Tシャツにスウェットのズボンという格好で、夏といえども山間部の夜にはちょっと涼しげな格好だった。
「上着取りに戻るところ」
苦笑して言った神矢先輩の言葉に間髪入れず、私は、ぴしっと腕を真上にあげて勢い込んで言う。
「はいっ、私も散歩に行きたいですっ」
ちょうど寝付けなくてぶらぶら歩こうと思っていたから、一緒に散歩に行きたいと思ったのだけど、神矢先輩は驚いた表情で私を見つめ、それからなにかを考え込むように視線を彷徨わせた。
「成瀬に誤解されるんじゃないか?」
「えっ……?」
「昼間、ずっと見てもらってたから……」
ぼそっとかすれた小さな声で言われた言葉はよく聞きとれなくて、言葉を口の中で反芻してやっと、射形を成瀬君に見てもらっていたのを見られていたんだと気づき、かぁーっと頬に熱が集中する。
「それは……」
とっさに言葉が出てこなくて口ごもった私に、神矢先輩は昨日見せた、どこか突き放すような冷たい眼差しを向けてため息をついて言った。
「昨日も二人で道場裏で練習していたみたいだし、付き合ってるならもっと上手くやった方がいいよ」
「……っ、違いますっ、付き合ってなんかいませんよっ!?」
成瀬君と付き合っていると誤解されていることに気づいて、ぱっと神矢先輩を仰ぎ見て否定する。
まさか、裏庭にいたのをそんなふうに誤解されていたなんて思いもしなかった。
「道場裏で練習していたのは、午前中は日差しが強くて日陰になる裏にいたんです。私、日差しに長時間当たっていると頭痛が酷くて。それに道場を出てすぐの巻き藁が置いてある側で素引きしていると、つい神矢先輩の射形に見とれてしまって……」
そこまで言って、はっと口元に手をあてて俯く。
誤解を解きたくて言い訳してたら、うっかり、神矢先輩の射形に見とれていたと言ってしまい焦る。
絶対、呆れられた……
神矢先輩の反応が怖くて、伺うようにちらっと顔を合あげて神矢先輩を見ると。
「そう……」
小さな声でそれだけつぶやくと、口元にちょっと困ったような薄い笑みを浮かべて笑った。
その笑顔があまりに綺麗で、胸をつく。
なんだかすごい久しぶりに神矢先輩の笑顔を見た気がして、甘い痺れが胸から全身に広がっていく。
神矢先輩の笑みにつられて私も笑顔になって、つい力説してしまう。
「だって、神矢先輩の引きはどこにも無駄がなくて、すごく洗練されているんです。あんなに綺麗に引かれたら、見とれない人はいないですよっ! 一本一本ぶれることがなくて、まるで的に吸い込まれるように矢が的を射て、あんなに安定して的中させるなんて、神矢先輩は引きの間どんなことを考えてるんだろうかっていつも考えてしまいます。先輩はどんな風景を見ているんだろうって」
つい、熱く語ってしまい、本人を目の前にしていたことに気づいて、ちょっと照れくさくなる。
だけど本当にそう思うから、私は頬を染めながら続ける。
「神矢先輩みたいな綺麗な射形になりたいって思います。神矢先輩は私の憧れで目標です。そりゃあ、最初は生徒手帳を人質にとられて強引に入部させられて戸惑ったけれど、今は、あの時神矢先輩に勧誘されて良かったって思ってます。入部してなければ、きっと私はずっと弓道を避け続けて、自分からはもう一度やろうとは思えなかった。こんなに弓道が好きなのに。神矢先輩のおかげですっ」
ずっと神矢先輩には感謝していたけど、なかなか生徒手帳を返してもらえなくて素直になれなかったけれど、いまならするっと感謝の言葉が出てくる。
「本当にありがとうございます、これからもご指導お願いします」
ぺこっと頭を下げた私に、神矢先輩は一瞬、泣きそうに眉根を寄せてから微笑んだ。
その表情から視線が離せないでいると、神矢先輩は私の頭をぽんぽんっと撫でてなにも言わずに行ってしまった。




