第四章 父と子
■通学路~苺花の自宅 夕刻■
学校から苺花の家へと続く道の途中、一台のワンボックス車が巧妙に監視カメラの死角を選んで駐車している。車窓はスモーク仕様になっており表から内部を覗うことは出来ない。車内ではいま、立花と滝の二人が後部座席から通学路を監視していた。
「外暗くなってきて見づらいなぁ。今日はなかなか帰ってこないね、あの子。一人で先に帰ったみたいなのに。ひょっとして、ボンボンがウザくなって浮気でも始めた?」
マニキュアを塗りながら笑っているる滝。
「あいつは上玉だからな。うっかり他のヤツに狩られても困るんだが。――出来るだけ追い詰めて、美味しく狂わせてから頂かないともったいない。オヤジは殺せとうるさいんだが、そんなもったいない事出来るか。マジでもったいないオバケが出ちまうぜ。やっぱ骨の髄までしゃぶってから捨ててやらないと、地球に優しくないだろう?」
舌なめずりをしながら、窓の外を見ている。車内にはきつい香水の匂いが充満している。
「あんたって、本当に『地球に優しい』よねぇ~~。キャハハハハハハ」
「そう! 万物は、有効活用して、皆で分け合わないといけない」
「なんか上手いこと言ってるじゃん」
「俺のボキャブラリーをナメるなよ? これでもカントクなんだからな」
拓人と苺花はすっかり舞い上がっていた。二人が理事長室を出る頃には、外はすっかり日が落ちてきていた。学校からの帰り道、拓人は周囲への警戒も怠り、苺花との婚約に酔い浮ついた気持ちで歩道を歩いていた。
ふいに、路肩に駐車していたワンボックス車のスライドドアが勢いよく開いた。
拓人は反射的に身構え苺花をかばった。しかしそのことで拓人には退路がなくなってしまっていた。彼が次のモーションに移るよりも早く、射出型スタンガンの鋭い爪が彼の胸を捉えた。振り払う間もなく、拓人の体の中を衝撃が走り抜け、彼は膝から崩れ落ちた。着衣からは生地が焦げる匂いが漂っている。
人間用よりも遙かに高い電圧を、心臓近くに喰らっては、さすがの拓人でもしばらくは行動不能にならざるを得ない。薬品で眠らされた苺花とともに車の中に引きずり込まれた。
「おい、街出るまで気を抜くなよ、滝! 察知されたらおしまいだ」
「わかってるよ。……あたしの『隠蔽』の効果は間違いないんだから! 見つかるわけないじゃん!」滝は立花に自信満々に言う。
「くれぐれも『女優』さんを傷ものにすんじゃないぞ。大事な商品だからな!」
「わかってるよ」女は少しふて腐れた様子で返事をした。
拓人と苺花の二人は、気を失っており、ピクリともしない。
車は東ゲートのセキュリティをを難なく突破し、市外へと脱出していった。
■とあるマンションの最上階 夜■
拓人が意識を取り戻すと、そこは見慣れぬマンションの広い一室だった。照明が眩しく、視界がはっきりするまで若干時間を要した。
殺風景な室内はかなり広く、高い天井にはシーリングファン(天井扇)が回り、大きな観葉植物が数鉢壁際に置かれていた。恐らく構造的にここは、一階層を丸々使用したペントハウス的なフロアなのだろう。――そんな贅沢さを匂わせる上質な仕上げの内装だった。
視点をゆっくり横に流すと、大小の照明器具、衝立、ハイビジョンカメラ、録音機材、モニター用PC……。まるで、スタジオのようだ……。スタジオ……。 スタジオ?
そして――
部屋の奥に据えられた大きなベッドの上には、仰向けに寝かされた苺花がいた。
左右の手首には手錠がはめられ、足首はロープで、四肢をそれぞれベッドの支柱に縛り付けられている。
『苺花!』
拓人は彼女の名を呼ぼうとしたが、未だ体に残る痺れのせいかうまく声が出ない。意識もまだ少し朦朧としている。
このままでは彼女が汚されてしまう……。いや、もうすでに……?
たとえそうだったとしても、決して自分の愛が変わることはない。それだけは間違いないはずだ……、かえって不安なのは、すぐに自分を消してしまいたがる彼女の心の方。
テロからの逃亡生活で、すっかり怯え、冷えきっていた彼女の心がせっかく暖まってきたというのに。
彼女を失う事。それだけは絶対に阻止しなければ。己の命にかえてでも。
体を動かしてみる。後ろ手にワイヤーのような物で縛られ、何かに固定されているようだ。足には鎖がきつく巻き付いていて動けない。装備品の腰のナイフや脇のベレッタも、中身が入っている感触がない。恐らく彼等に抜き取られているのだろう。
拓人がギシギシと体を動かしていると、どこからか鞭のようなものが数回、拓人の体に飛んで来た。……鎖だ。
「うぐっっ!」
風を切る、甲高い音を纏った鎖が、髪を散らし頬をかすめ、肉をえぐっていく。
二打目、三打目、打ち込まれる度に血飛沫が上がり、拓人の呻きが漏れる。
未だ先日の傷は癒えていない。今の彼には、無慈悲な鞭の痛みが何倍にも感じられた。
「やっと坊ちゃんもお目覚めか。撮影の間は、ちゃんといい子にしててくれないと、お姉さん困っちゃうんだからね? いい?」
彼女は鎖を両手で操り、得意げな顔をしている。
「ふざけるな……てめえが女優やりゃあいいだろうがよ!」
「出来たらやってんだよ! このクソガキがぁああああああっ!」
果たして、自分は地雷を踏んでしまったのか――
逆鱗に触れられたように、彼女の目が急に釣り上がる。操っていた鎖が増え、攻撃の手は数倍激しさを増した。拓人の体には無残な傷が多数刻まれ、衣服や床は飛び散った彼の血糊で赤く染められていた。
――と、そのとき。
「おい! 滝。仕事をしろ。意識を途切れさせるんじゃねえよ」立花の声がした。
仕事、とは? 自分を拷問するのが彼女の仕事ではないのだろうか?
――この時、彼等は致命的なミスをしたことに、まだ気づいていなかった。
滝のステルス能力に一瞬の隙が出来たことに。
「ご、ごめんなさい」注意されたことで、滝からの一方的な責め苦は中断した。
「苺花……をはな、せ……」拓人は絞り出すように声を出した。それだけが、満身創痍の彼に唯一出来る抵抗だった。
「それはムリな相談だよ神崎。これから『撮影』が始まるんだからな」
立花の声がした方を振り向くと、彼はディレクターズチェアの上でふんぞり返っていた。どうやらこの男は、監督気取りの様子だ。
「苺花を……どうするつもりだ」
激しい痛みをこらえ、腕を外さんと引っ張ってはみるが、剥き出しのワイヤーが手首に食い込み、皮膚が裂けそうだった。それでも拓人は、苺花のために悪あがきを続けていた。
「彼女には、これから仕事をしてもらわないといけない。今後は我がレーベルの看板女優となってもらうんだからな」
ベッドの上の苺花が意識を取り戻したようだ。まだ状況が飲み込めていないらしい。
「苺花! 大丈夫か!」拓人は叫んだ。
「た……く、拓人? え? どうしたの? その傷……」
そこまで言うと、苺花は自分の体の異変に気づいた。
「なにこれ? え……? 手錠……? なに? なんなの? いやーっ。いやいやいやぁああっ、はなしてええええええぇぇっ!」
体の自由を奪われ、あられもない姿にされていることに気づき、手錠を激しく引っ張ってパニックに陥る苺花。
「さて、男優が来るまでまだ間があるからな、お前に教えておいてやろう。何故俺がその娘に執心しているのかをな……」立花は足を組み替え、拓人を見下ろしている。
「そんな事、知りたくもない! クソ! クソ! 苺花を離せ!」
血を撒き散らしながら、ガタガタと体を動かしている拓人。
「まぁ、聞け。――その娘はな、世にも希有な存在、神族と淫魔のハーフなのだよ。ふふふ……癒し神である父と、淫魔の母の間に出来た子が、どんな特性を持つか分かるか?」
「知るかよ……そんなもの」
そう言い捨てると、口の中に貯まった血糊を吐き出した。
立花が嬉々として語り始めた。
「淫魔というものは、精を吸っているものとして知られているが、虜になれば死ぬまで生気を吸い尽くす。しかし、父親の『癒し神』の力によって、相手は生気を吸われることはなく、虜になる危険性も低い。
……するとどうだ。淫魔の甘美な味わいが、リスクを負うことなく、好きなだけ堪能出来るのだ。なんとすばらしい! そして淫魔の体は、感度も申し分ないほどに高く、その快感に身悶えする姿は、見た目に十分楽しむことが出来る。
……まさに彼女は『女優』になるべくして生まれたと言っていい存在なんだ」
立花は、追い求めていた理想の女優を前に、陶酔しきっていた。
「たすけてぇ……拓人ぉぉ……」苺花は泣きじゃくっている。
「ふざけるな! 苺花は、俺の嫁になる女だ! お前等が触っていい女じゃねえぇぇっ!」
「へぇ。……お前、この女抱いたことあるのか?」ニヤニヤしながら聞く立花。
「ま、まだねえよ。手前まで……しか」視線を逸らす拓人。
「お前は気が付かなかったのか? この女を抱いた時に沸き起こる、激しい劣情に」
拓人は、立花の顔を見た。
(……あれって、そういうことだったのか……)
拓人は思い当たるふしがあった。日頃、それほど性欲を持て余す青年ではなかったのが、苺花と付き合うようになってから急に性欲が激しくなった。彼女の部屋で抱き合ったりすれば、襲いたくなる衝動を殺すのに、血が滲むほど皮膚に爪を食い込ませなければならないこともあった。
「拓人ぉぉっ、助けてー! 知らない人にされるのはいやああぁ」
苺花は、泣きながらずっと腕をガチャガチャと動かして暴れている。
「くそっ、くそおぉっ! 離せよ!」拓人は再び暴れ出した。
撮影スタッフと男優が部屋に入ってきたときには、苺花は半狂乱になっていた。
男優がベッドに腰掛け、苺花の体のあちこちをなで回していた。苺花が身をよじりながら悲鳴を上げている。
「おとなしくしてくれないと、痛いことするよ?」男優が苺花に囁いた。
「うっ……うっ……」苺花は涙をこぼしながら震えている。
「じゃ、そろそろ始めようか!」二度手を叩き、立花がスタッフ声をかけた。
立花の号令でスタッフ全員が持ち場についた。照明は煌々とベッドを照らし、女優の姿態をあまねく照らし、集音マイクは女優の嬌声から甘い吐息までを漏らさず受け止めようと待ち構え、カメラは女優の痴態を鮮明に写し取ろうと身構えている。ここにいる全てのスタッフが、立花という指揮者のタクトによって、AVというオペラを、今まさに奏でようとしていた。
男優は苺花の横に寝そべり、ブラウスの上から胸をまさぐり始めた。
「やっ、いやあっ、やめてぇ!」頭を左右に激しく振り、嫌がっている。
「そんなにイヤ?」
「触らないでぇぇぇっ」体をよじり、わめいている。
「苺花!」拓人が叫ぶと、チェーンが飛び、拓人の頬を弾いた。血飛沫が飛び、シャツが赤く染まる。二撃目、三撃目、チェーンが舞う度にシャツが千切れ、肉が爆ぜる。
「いやぁぁっ、殺さないでーーっ」ボロボロにされていく拓人を見て泣き叫ぶ苺花。
「苺花……を……か、えせ……」拓人の朦朧とする意識を、激しい痛みが繋ぎ止めていた。
「やめてぇぇぇっ、拓人がしんじゃうっ」耐えきれなくなった苺花が叫んだ。
「これ以上拓人を傷付けたら、舌噛んで死んでやるからーーーーっ」
「待て」立花が椅子から立ち上がって男優を制した。
「監督?」男優の動きが止まる。
「ここで死なれては困る。……仕方ない、女優のご機嫌優先だ。男優交代、神崎を解いてやれ。メイク、血の始末をしろ」指をパチンと鳴らし、スタッフを動かす立花。再びディレクターズチェアに深く座った。貫禄がちがう。さすがは人気レーベルの敏腕監督、といったところか。
「ど、どういう事だ……」拓人は肩で息をしながら立花に聞いた。
AV作品は加藤から借りて時折見てはたが、実際の現場に関する知識は乏しく、周りの連中が何をしているのかまでは拓人には皆目分からない。
メイキャップスタッフが拓人の顔の血を拭き取り、血止めをしている。さすがに顔だけは綺麗な状態で撮影したい、というのは監督としての立花のこだわりなのだろうか。
スタッフが工具で拓人の腕のワイヤーを切断しはじめた。手首には幾重にも筋状の傷が走り、血が滲んでいる。
■白波学園理事長室 夜■
有人が高塚家に電話をかけたのは、息子達が出て行ってから、かれこれ二時間は経過していた。真っ直ぐ帰ったはずなので、本当ならもうマンションに到着しているはずだ。
「まだ、戻っていないんですか?」
『はい……あの……また、何かに巻き込まれたんでしょうか』
苺花の母親が心配そうに聞く。
「誘拐かもしれません。僕の方で急いで探してみます」
『そんな……もう大丈夫だと……』
「申し訳ありません――必ず僕が探します。待っていてください!」
有人は電話を切ると、白波署に呼集をかけた。
「礼子さん、もしかしたら最悪の事態になったかもしれない……」
有人は激しく動揺していた。
「理事長、お気を確かに。今はとにかく捜索を。あと、刃物の分析の方ですが、該当者が割り出せました。資料はこちらに」礼子は有人にファイルを手渡した。
「ありがとう」
そう言うと、有人は資料に目を通し始めた。
どこかで見たような……。
有人は更にページを繰っていく。
「……こいつは! 学園に入り込んでいたのは、こいつの――」
「理事長、いま署から連絡がありました。拓人くんたちの反応が東ゲートの外12kmで確認されたそうです。マンション最上階に監禁されている模様。特殊部隊もすでに向かわせています。我々もすぐ行きましょう」
「わかった」
有人はロッカーから、ヘルメット、暗視ゴーグル、制服とアサルトライフル、アサルトジャケット、拳銃、ナイフ等の装備品を取り出して、てきぱきと身につけ始めた。そして、腰にはナイフと呼ぶには大ぶりな、皮の鞘に入ったクラッシックなショートソードを差している。
「それ、持っていかれるんですか」
礼子嬢が、腰のショートソード珍しそうに見ている。
「相手が相手なんでね。伝家の宝刀を持っていかにゃならんのさ」
そう言うと、有人は鞘をパンパンと叩いてみせた。
「よし、行こう」有人は息子の救出のため、ライフルを担いで理事長室を後にした。
■白波学園都市外 東12km・マンションの最上階・AVスタジオとして使用 夜■
「女優がご所望だ。お前が抱いてやれ」
「俺……が……」
拓人は、突然の展開に呆然としていた。こんな人目のある場所で、立花は自分に苺花を抱けと言うのか。……そんな惨いことを。啜り泣いている苺花を見ると、彼女も悲壮な目で自分を見ていた。
「た、立花さん……」急に苺花が口を開いた。
「ん? なんだ」
「私が……言うこときいたら、もう彼にひどいことしませんか……?」
「……ほう?」立花の顔にうっすらと邪悪な笑みが浮かんだ。
「何言ってんだ苺花! こいつらが素直に取引に応じるわけがないだろう!」
ワイヤーは外されたもの、数人の男に羽交い締めにされている。
「言うこときいたら、彼に乱暴しないでくれますか?」
「やめろっ!」
「拓人、もういいよ……わたしといたら、ひどい目にしか遭わないよ。やっぱり、望んじゃいけなかったんだ、私……」苺花の心は再び昔のような絶望に包まれていった。
「物わかりがいいじゃないか。もちろん君なら特別待遇で迎えよう」
「じゃあ……好きにして……ください」苺花は拓人から顔を背けた。
「さて、我が社では極力女優の希望は尊重するんだがな……神崎、お前はどうしたい?」
「こいつの言いなりになるな!」拓人は拘束されたまま暴れている。
「俺は、別にどちらが男優でも構わんのだが。フフフ」
拓人はふと天窓に人影を認め、一瞬視線を送る。ここで彼は一計を案じた。
「立花……」
「なんだ?」
「お前の会社、いくらなら買えるんだ?」
「……え? 何の冗談だ? ああ、一応お前の家も金持ちだったな。……悪いが、これは俺の趣味でやっているんで、売却の予定はない。ま、あってもお前には売らないがな。」
「では、……専属の男優の募集はあるか?」
「ほう……そう来たか。お前は頭に血が昇りやすいただのバカかと思っていたが」
「拓人! もういいってば!」苺花の悲壮な声がする。しかし、もういいと言われて、そのまま諦めるわけにはいかない。
「苺花、お前が堕ちるなら、……俺も共に堕ちる」
「やめて……よ……」苺花の声は、力なくかすれていた。
「んー……、ご期待に応えたいところだが、現在我が社では新規募集はしていないんだ」
「くっ………………」
「悪いな、お坊ちゃん」
「じゃあ……、せめて今日だけは、俺に抱かせてくれ……」
「ふむ、それならよかろう」
解放された拓人は、血まみれの上着を脱ぎ捨て、肩のホルスターを外し、苺花の傍らに歩みよった。
「結局お前って、そうなんだな……。どうして最後まで『たすけて』って言えないんだよ」
苺花は無言で横を向いて泣いていた。拓人は立ち上がったのを好機と、室内を見回し退路を探していた。そして、ベランダにもまた人影を見つけた。
拓人は苺花の脇に横たわり覆い被さる。そして両手を重ねて握り合い、苺花の耳元で小さく囁いた。
(今から手錠を壊す。絶対助けるから俺を信じろ)
苺花は息を飲み、小さくうなづいた。拓人は、気づかれないように手錠の接合部に細工をした。
■拓人の拉致監禁場所 マンション正面 突撃前■
拓人の拉致されたマンションの前では、有人と狙撃部隊が展開していた。
「屋上、ベランダ配置完了。対面したマンションの屋上も配置終了しています。拓人くんと高塚さん両名の無事も確認されています。拓人くんは上の二名を確認済みです。なお、彼は外傷を負っている模様です」
礼子嬢からの報告を受けた有人は、ひとまず安心したようだった。彼女は、かつて有人の優秀な副官だった。礼子は人間であるが、その明晰な頭脳を有人は高く買っており、先の戦争で大抜擢をしたのだった。
「よし、上は礼子さんに任せておいて大丈夫そうだな。俺はちょっと席を外してくる」
「どちらへ?」
「ないしょ」そう言って有人は一人歩き出した。
有人は、裏側のマンションの屋上に向かった。
彼はベレッタPx4 Stormを抜き、警戒しながら外付けの非常階段を上へ上へと昇っていく。
階段を昇りきると、屋上の暗がりの中に一人の男が立っていた。有人は銃口を男に向け、額の暗視ゴーグルを下げた。ゴーグル内の視野には、目の前の男の本性が映し出されていた。
【TYPE:DEMON】
男はタバコをふかしながらゆっくりと有人の方を向いた。
「よう、久しぶりだな、神崎」
年の頃四十くらい、たたき上げの軍人といった風情の筋骨逞しい男だ。Gパンにエンジニアブーツ、肩には皮のブルゾンを羽織り、両手をポケットに突っ込んでいる。
「俺はもう引退したんだよ……ほっといてくれないか、立花」
有人は両手で銃を構え、赤外線レーザーポインタの光は、立花の頭を捉えている。
「その様は、引退した男にゃ見えねえがなぁ……」
スナップをきかせて手首を振り、腕の中から剥き身の刃物を幾枚も取り出した。
有人は、男の周囲を大股で歩いて大きく回り込んでいく。半周すると、拓人たちのいるマンションが見えた。――まだ室内への侵入は行われていないようだ。そのとき、男の姿が視界から消えた。
「よそ見しちゃいけねえな」
立花が茶化すように言った。
何もない、と思われた空間から、幾本もの刃物が有人に向かって飛んでいった。彼は受け身をしてかわした。今まで彼のいた場所には、細長い金属片が数本突き刺さっている。
数日前、息子を襲ったあの忌々しい金属片と同じものだ。
彼は銃口を天に向けた。レーザーサイトの光を男の額に当て、五発の弾丸を素早く撃ち込む。有人の足下に、排莢されたばかりの薬莢が、バラバラと甲高い金属音を撒きながら、散らばっていく。
立花は全ての弾丸を弾き飛ばすと、何事もなかったように降りてきた。
(効いていない……)
有人はそう判断すると、今度は腰のショートソードを抜いた。剣は彼の手の中で青白い燐光を放っている。暗視ゴーグル越しに見ると、更に輝きが大きく見える。
それは、この世に残る最後の一振りの『オリハルコンの剣』だった。
「ここはお前の来る所じゃない。相応しい場所に帰れ!」
そう言い放つと、有人は立花に向かって突進していった。
立花はバックステップで下がりながら、刃物を次々に投げつけてくる。
それを有人は左右に剣で打ち払いながら、立花を柵の前まで追い込んでいく。
「貴様等は、地上のゴミだ! 地獄に帰れ!!」
――そして、渾身の一撃を立花の頭上に打ち込んだ。
■拓人の拉致監禁場所 マンション最上階 室内 突撃直前■
拓人は、苺花の手首を掴んで、ベッドの上で激しく唇を求めていた。
あくまで手錠に細工をするため……だったのだが、苺花の毒気に当てられたようだ。。
『ちょ、ちょっと……』
『あ、ごめ……』
拓人は我にかえり、ベランダに視線を動かした。向こうは、こちらのタイミングをうかがっている。隊員の苦笑する顔が見えた。拓人はちょっと恥ずかしかった。
『いくよ』
そう耳元で囁くと、拓人は手錠を外し、足のロープをむしってベッドを横倒しにした。
それを合図に、隊員たちが天窓とベランダから室内のスタッフ――テロリストに向けて一斉に発砲した。拓人は苺花を抱き、流れ弾を避けベッドの影に身を潜めた。
「苺花、体低くして……」
「う、うん」
「もう少しがまんしてて」
「うん」
敵は大半が掃討され、室内には撮影機材や調度品の残骸が散乱している。
そして、広いマンションの室内に残る者は、立花と滝だけになった。
「なんでバレたんだ?」
「わかんないよ!」立花と滝はパニックになっていた。
「抵抗するな! 動いたら撃つぞ!」隊員の一人がベランダの窓から叫んだ。
ベランダを始め、天窓、ドアからも、続々と隊員が室内に突入してきた。その中には、武装をした礼子嬢もいた。
「拓人くん! 苺花さん! 二人とも大丈夫?」
「俺は平気だ。礼子さん、苺花を頼む!」
「わかったわ。苺花さんこっちへ」
「はい」礼子嬢に手招きをされて、苺花はマンションの廊下に避難した。
拓人は、苺花を礼子嬢に預け、この混乱に乗じて奪われた銃とナイフを回収した。
立花たちは、隊員達に抵抗を続けていた。滝のチェーンのムチの鉄壁の防御ために、なかなか近づけないでいた。
拓人は、落ちていたカメラの三脚を手に取ると、大きく息を吸い、目を閉じ強く念じた。
そして、端から端にかけて撫でてやると、三脚は形質変化を始め、みるみる青白く光る大きな槍に変わった。中心に握りがあり、前後に大きく矢羽根状に刃がついていた。
戦神、そして創造神とマルチな才能を持つ父、有人より受け継いだ能力で、拓人は材料さえあれば、自分に最適化した武器を作り出すことが出来た。
「さっきは好き勝手してくれたな!
俺の嫁の分まで、キッチリ借りを返させてもらうぞ!」
滝に向かって歩く拓人の瞳は、深紅に燃えていた。
彼は、打ち下ろされる鎖を槍で次々切り払いながら、千切れ飛びぶ鎖の欠片の七で舞っている。幾本もの鎖が拓人目がけて振り下ろされ、打ち込まれるが、いずれも瞬く間に微塵と化していた。
ふと、鎖が打ち止めになったのか、滝の攻撃が止まった。
「どうした! 自慢の鎖はそこまでか?」
拓人は、槍で肩をトントンと叩き様子を覗っている。
「くそっ、全部切り刻まれるなんてぇっ!」
丸腰になった滝は、立花に駆け寄った。
鎖を振り回す滝がいなくなったため、立花たちは部屋の隅に追い込まれていった。
いくら刃物を無数に飛ばしてくるとはいえ、こちらも人外の特殊部隊だ。立花制圧はまもなくだろう。
■突入場所裏のマンション屋上 突入後■
有人の打ち込んだ剣の起動が、立花の刃によって若干逸らされた。
頭上から振り下ろされた青白い光は、暗視ゴーグルの中で妖しい燐光を放って、目の前の魔物の肩翅を切り落とすに留まった。
「そのくらいの物、くれてやるわ。
今日は息子の迎えに来ただけなんでね。じゃあまた会おう、神崎」
立花は、息子のいる隣のマンションへと飛び移っていった。
「まて! ……くそっ」有人は手すりを拳で叩いた。
立花は、向かいのビルに飛び移ると、息子が立っている辺りの壁を破壊した。
「おい、帰るぞ!」彼は息子に声をかけると、息子と滝の二人を抱きかかえてマンションの下に飛び降りた――
「しまった! 逃げられる!」
拓人が建物の外に追いかける。とその時、マンションの下から一機のヘリが上昇してきた。足には立花が掴まりぶら下がっていた。
「とどけーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
拓人は手にした槍を渾身の力でヘリに向けて投擲した。
まもなくヘリに届くと思ったそのとき、不自然に軌道が逸らされ、槍は地上に向かって吸い込まれていった。
拓人は、向かいのマンションの屋上に立っている父の姿を見つけた。
父は自分に向かって、小さく手を挙げていた。